キス







 おーなかーがすいたーですー。

 訴える響きの小声を、じゅうじゅぅと、美味そうな中華鍋からの音とともにさえずっていれば、カカシが含み笑いを漏らした。
 イルカがさっきから、厭きることなく、歌うような節をつけてカカシの背中へ抗議するたび、カカシは鍋へと向かっていた体を後ろへひねって、こういうのだ。

「もうちょっとですよ、もうちょっと我慢。ね、イルカ先生」

 振りかえってイルカをみるカカシの目は笑っていて、イルカのことが可笑しくも微笑ましい、とでもいうかのようだ。
 カカシが中華鍋を一振りした。すると、まだまだ硬い玉ねぎが、じゅわっと勢い良い音で、ガスコンロの火の上で踊る。
 すでにイルカの家のなかは、さきほど揚げていた肉団子の匂いでいっぱいになっている。あとは野菜をいためて、肉団子をくわえてカカシ特製の甘酢だれをからめるだけ。そうすれば、見た目も味も超一品の肉団子ができあがるというのに!
 なのに、カカシは「また野菜に火が通ってませんよー」といって、さっきから五分もイルカを待たせている。もうイルカの腹はメーターが底辺をとおりこしていて、ガス欠だってとおりこして、警報音がひっきりなしに鳴っているぐらい、ぺっこぺこだ。それなのにカカシはまだだと言う。

 まーだーでーすーかー。

「まーだーでーす。よっ、と。あー、まだ玉ねぎ、硬いなぁー」

 硬くてもいいですよー! 生だってどうってことないじゃないですかっ

「もう秋なのに、あんまり生なの食べると体が冷えちゃうでしょー」

カカシ先生は細かい!

「イルカ先生がザルなんでーすよー。料理はタイミングが重要でーすよー」

 もう一度、よっ、と声をかけて、中華鍋のなかで玉ねぎやらピーマンやら人参やらナッツやらが舞った。じゅうじゅぅと美味しそうな音。香ばしい匂い。
 イルカはもう耐えられない。
 イルカの腹は、ぐーるぐーると、寂しそうな音が大合唱なのだ。

 カカシせんせーい、あじみー! 味見させてくださーい!

 とうとう自分の腹と、自分のなかのちょっぴり残った男としてのプライド等に負けて、イルカはぴーぴーとさえずった。もう我慢できない。腹が減った。なにかを食べなければ、自分はもう椅子から動けなくなってしまう。あの美味しそうな肉団子を入れるための皿を、戸棚から出すこともできなくなってしまう。

 だからなにか食べさせて。

 訴えるような目をカカシに注ぐと、カカシが振り返ってくれた。
 額宛も口布もしていない男前のカカシが、仕方ないなぁ、と眉を格好良く下げて笑っている。いつみてもほれぼれするほどの色男で、料理の腕は良いし、優しいし、美声だし、気は良く付く。こんな人がイルカを好いてくれているのは、世界の三大不思議のワースト1にだって輝くだろう。
 まったく、趣味が悪いにもほどがある。
 などと考えていたら、カカシの手にある箸が傍においてあったボウルから、さっと一つ取り上げた。こんがり揚げたて肉団子だ。
 きらきらっとイルカの目が輝く。
 おもわず、腹が減りすぎて力もでないのに、椅子から立ち上がってカカシへとふらふらと近づいていった。まるで吸い寄せられるように肉団子に近づくイルカ。
 そのイルカをにこやかに見つめたまま、カカシは箸にはさんだ肉団子を、ぱくりと齧った。

 あー!!!!!

「わ、イルカ先生、叫びすぎ」

 だって、酷い! 俺の肉団子!

「もー、いじ汚いなぁ、そこが可愛いんだけど」

 そんなことどーでもいいから、それ俺にください!

「…どーでもいいんだ」

 半分に残った肉団子。
 箸にはさまったその半分を、イルカは注視して、下さい! とねだった。だが、カカシはじーっとイルカを見返してきて、一向にくれようとはしない。
 イルカはじれてきて、カカシ先生、と呼ぶ。
 そうすれば、カカシがなんと、残ったその半分の肉団子を唇にあてて、眩いほど艶やかに微笑みながら、こう言ったのだ。

「そんないじ汚いイルカ先生には、半分もあげません。俺とさらに、半分こ

 え!? や、ですよそんな!!

「―――…即答だし」

 カカシ先生って、趣味悪いですよね、最初っから思ってましたけど!

「残念。俺を趣味悪いっていう人はイルカ先生一人だけでーす」

 口に出してんのは俺だけってことですか! みんなズリィ!

「…そーいうこと言いますか。あなた。もーいーです、あーあ〜、やーんなっちゃーったー、やーんなっちゃった〜、このちょー美味しそーな肉団子も焦がしちゃおっかな〜」

 わーわー! 嘘! すいません! みんなズルくないです!

「否定してほしいのはソコじゃないんですけど」

 良いじゃないですか、別に! ね、ほら、カカシ先生と半分こ!

「…やっぱイルカ先生はザルなんだ、何もかも…―――ん」

 ぶちぶち呟くカカシの唇に、イルカの唇と、ほんわかあったかい肉団子が、問答無用で押し当てられて、カカシは黙った。
 柔らかい、と感じるよりも先に、肉団子のほかほか具合が分かって哀しい。
 イルカの齧った半分がするりとカカシの口中に入り込んできたときには、イルカの唇はもうテーブルの向こうへ遠ざかっていた。

 ん〜! 美味い! このつまみ食いの一口が堪んないですよねー!

 幸せ感いっぱいのイルカに、カカシは泣きそうになりながら呟いた。

「……うん…もう野菜にも火が通ったし、餡からめますから…皿、出して…」

 我ながら敗北感の滲んだ呟きだったと、カカシがイルカに言ったのは、夕食の後だった。





2004.10.18 おーなかへったよーぅ。