キス
イルカがカカシの家を訪ねることは、カカシがイルカの家を訪れることより少ない。
そのことについて、しばしばカカシがからかいを交えた文句をいう。
いわく、自分がイルカへ懸想するよりも、ずっとイルカは冷たくて醒めていて、自分などのことはどうでも良いと思っているのだ、という。
そのたび、イルカは眉をひそめ、胸にはしる刺すような痛みをこらえる。
するとカカシが笑うのだ。
まるで哀しげな顔をするイルカが、愛しくて堪らない、とでも囁くかのように。
今夜もまた、そんなやりとりのあと、イルカがカカシの家を訪ねることになった。
手土産は些細な酒肴。
季節にいがいと敏いカカシが、銀杏なんていいですね、と言っていたから顔なじみの八百屋へ寄ってすこし分けてもらった。八百屋のおばさんは、嫌な顔もせずに二人分にちょうど良い量の銀杏をくれたが、こういうのを忘れなかった。
良い人と食べるのかい。
イルカはあいまいに笑って、礼をいって八百屋を後にした。ほんとうなら「違います」といって、たんに酒飲み友だちと食べるのに頼まれたんですよ、と言えばいいのだが、イルカにはそれがなかなかできない。
またあの八百屋に行けば、ちょっとした世話話として聞かれたりするのだろう、とおもうと気は重いが、それでもカカシのことを思い浮かべれば、仕方ないかと治まってしまう。
カカシは意地悪だ。
首筋をかすめる秋風を感じながら、カカシの家への道を歩く。手には、もらった銀杏のはいった小さな紙袋。種だけのそれは、イルカが袋をゆすると、かさこそと音をたてた。
夜空をみあげ、澄んだ星空を確認しながら、もう一度、カカシは意地悪だと思う。
こんなにもカカシのことで煩わしかったり、痛い思いをしたり、なにかを受け入れたりしているのに、カカシはイルカのことを冷たいという。
見上げていた瞳が、夜風に乾燥して痛くなり、イルカは目を瞬いた。
星のちいさな輝きが瞼の裏にちらつく。
全部、分かっているくせに、意地悪をいうんだ。あの人は。
どんなにかイルカが、カカシのことを始終考えているか知っているくせに、当て擦りをいうのだ。あの余裕綽々といった笑みをみていれば分かる。イルカが思っていることなど、どうせカカシには筒抜けなのだろう。そうでなければ、あんな余裕な笑みができるものか。
視線の端にカカシの家がみえた。
たしかに居る証拠にともる明かりが、イルカのことを待ってくれているようにも見える。
早足になりそうな自分をおさえてゆっくりと扉へ向かう。
そして扉を叩く。
やんわりと開く扉の向こうで、今夜もカカシが余裕の笑みをうかべてイルカを迎える。
全部、分かっているくせに。
「―――こんばんは、カカシ先生」
「こんばんは、イルカ先生。入って。ちょっと冷えてきたね」
いいながら受けた、小さなキス。
玄関先なのに。
もし人がみていたらどうするのだと思って、眉根が寄って、口が動いた。
「カカシ先生…」
「はいはい、ごめんね。我慢できなくて」
「ごめん、ではなく、俺は何度も言って…」
「はーい。耳タコです。覚えてまーす。あ、それ銀杏ですか」
「話を逸らさないで…」
「やだなぁ、そんなことしてませんって」
いいながらパタンとしまった玄関扉。室内は明るい光と、温もりがあって、その下でカカシが笑う。あの余裕をみせる微笑みで。
イルカの手を引き、抱き寄せ、頬を摺り寄せてきた。すこしひんやりとしたカカシの体温。イルカの心音が、わずかに早くなる。それを気づかれまいと、身を離そうとすればカカシが囁いた。
「でもだって、あなたがキスしてほしそうな顔してたから、我慢できなくて」
それについての抗議は、しばらくのあいだ、少なくともカカシの唇がイルカを息も絶え絶えにするまでは、されることがなかった。
2004.10.17