秒針
秒針のない時計を見つけた。
イルカはその時計を、首をかしげつつじっと見ていた。
その時計はアカデミーの教室のひとつにかけられているもので、今も正常にチクタクと動いている。けれど、音だけするものの、肝心の動くべき針はどこにも見当たらない。ためしに、ネジが緩んで床に落ちたかと、教室の汚れた床を見渡してみたが、目をこらしてもあるのは子供の菓子屑や屋外の石砂利ばかりだった。
おかしいなぁ、と一人ごちてみる。
もとから、そうそう簡単に取れるものでもないだろうに。
首を捻って、とりあえずイルカはその場所を後にした。
職員控え室で雑談がてら聞いたところによれば、皆そんな時計があったことも気づかなかったと口々に言った。よく気づいたなぁと笑う者も居たが、ますますイルカは首を傾げた。
じゃあ誰だろう。
多分、自然と外れたということではないだろう。きっと誰かが、意図して時計から秒針だけ外したのだ。時針と分針だけ残して。
確かにその二本だけあれば、とりあえず時計はその意義をおおかた果たせるし、イルカにしても秒針がどうしても要ると熱心に主張するわけではないが…だが、どうして秒針だけ抜いたかが少し気になった。
第一、使い道はなんだろう。
いろいろ考えてみたが、秒針をつかって出来るものはやはり思いつかなかった。
イタズラ、かな?
そんなことがあってから、二三日後。
ふとしたことからイルカの小さな疑問が解けた。
初めはナルトから。
「すんげぇ人懐っこいカラスが居るんだってば!」
偶然すれ違っての雑談に、ナルトが頬を膨らませて言ったのだ。先日、中華まんを食べていたら、頭に乗られて、まんまと半分ほどを啄ばまれてしまったのだと言う。
「へぇ、そりゃ随分、度胸のあるやつだなぁ」
イルカが笑って言えば、ナルトは意外にも、いったんは膨らませた頬を、今度は嬉しげに広げてみせた。得意げだ。
「そうなんだってばよ! この間さ、あのリンゴ取ってこいっつって言ったら、木からもいできたんだ! 人がいたのにすげーよな!」
「へえ」
興奮して喋るナルトに、イルカは鷹揚に笑って見せて、そして「ん?」となる。
「ちょっとまてナルト。なんで、リンゴ取るのに、人が居て、すげーんだ?」
「…うっ」
「こら、まさか人んちのじゃねぇだろうな」
「ち、違うってばよ! ちゃんと塀から出てたってばよ!」
「やっぱり人んちのじゃねぇか!」
「ぎゃー!」
首根っこを掴んで、まだまだ小さいその体をガミガミ叱り付けたのが昼休み。
その夕方、今度はふらりとカカシが顔をみせた。
最近は報告書を提出するがてら、受付にイルカが見当たらなければわざわざイルカの顔を見にくるようになった。それを人が見て、やはり仲がいいと噂することは容易に想像つくが、イルカもなぜカカシがわざわざ足を運ぶのかは疑問符のつくところで。
今はその答えは保留中だ。
ともかく、顔をみせたカカシに、雑談がてら昼間の一件を話せば、カカシはひとしきり楽しげに相槌をうったあと、話をつけたした。
「そのカラス、俺も知ってますよ」
「そうなんですか?」
イルカは少なからずびっくりした。そんなに有名なのだろうか、そのカラスは。少なくともアカデミーでは話題に上ったことはないと思ったが。そう考えれば、カカシが苦笑して。
「この前ね、ナルトと木の葉丸が、たぶんそのカラスと遊んでるのを見ましたよ。ずいぶん人懐こいカラスだと思ったから覚えてたんですけど」
「へぇ…」
「最初ね、熱心にも鳥を使おうとしてるのかと思ったんですよ。あいつらが。でも見てるとどうも違うみたいで。頭に乗られたりしてましたし、遊ばれてたみたいですよ、カラスに」
思い出して可笑しかったのか、カカシは小さく笑っている。
「ナルトの話でも変に度胸のあるカラスみたいですね、…訓練でもされてるヤツでしょうか…」
「いえ、それは俺が確かめました。違うみたいですよ」
「え…」
今度こそびっくりして、イルカはカカシをまじまじと見てしまった。行動が早すぎるとか、やっぱり上忍だから鋭いとか、さすがカカシ先生だとか、いろいろ考えたはずだが、要約すると「びっくりした」の一言に収まってしまって、
「……早いですね」
と言うとカカシは苦く笑った。
「怪しいと思ったら確かめないと。油断は命取りですよ」
「はぁ…」
「ともかく、イタズラは好きみたいですね。三日ほど前かな、木の葉丸と一緒になって時計の針、くわえてましたからね」
ぱち、とイルカの目がまた丸くなって。
え? と聴き返すと、カカシも不思議な顔になった。
「だから時計の針ですよ、どこから取ってきたのかは知らないんですが、…まぁ多分、木の葉丸が手伝ったんでしょうが」
「あー!」
うわっ、とカカシが不意の大声に吃驚してのけぞった。
「どうしたんですか、イルカ先生」
「それ! ここのですよ! アカデミーの!」
「アカデミーの? ああ、時計の針ですか?」
「そう! この間からなんでなくなってんだろうって思ってたんですよ!」
思わぬところからの情報に、胸のすいた思いでイルカは笑った。たわいないことだと思っていたが、やはり原因がわからなければ不可解で、どこか引っかかっていた。かといって調べる、というには問題が小さすぎて宙ぶらりんになっていた。
それがさっぱりと解決したのだ。嬉しくて笑顔にもなる。
カカシが、その笑顔をみてかどうか、所在投げに視線を泳がせて「はぁ…」と相槌をうてば、イルカが訊いた。
「そいつってどこをねぐらにしてんでしょうね?」
「さぁ…多分、里の中だとは思いますが、ところでそのアカデミーの時計の針ってなんですか?」
「そういえば話してませんでしたっけ、この間からアカデミーの時計から秒針だけ無いんですよ。…ったく、木の葉丸のやつ、気づかないと思って悪さしやがって」
明日、みっちり叱ってやろうと思っていると、カカシがいった。
「寝床もきっと木の葉丸が知ってるでしょう」
「そうですね。カラスには悪いですが返してもらわないと」
「はは」
少し眦をきつくしていったイルカに、カカシが笑う。
きっと明日には、アカデミーでがみがみ叱られてしょげる木の葉丸と、巣を探られて憤慨するカラスが見られるだろう。
前者はともかく、後者はぜひ一緒したいものだと、イルカに言えば、ぱちりと瞬きひとつ。
「―――…カカシ先生」
「はい?」
「ヒマなんですか?」
「はは」
これにも、笑っておいた。
2003.3.2