DOKIDOKIがMUKUMUKU!





イルカの印象といえば、ずいぶんと真っ当な笑顔と言葉で、日向にどれぐらい居ればそんなふうになれるんですかね、と訊ねたくなるような眩しさだったようにおもう。
 曲がらない視線。
 安心させる微笑み。
 真っ直ぐに見る視線。
 ナルトを挟んでいくつかのやりとりをしたあとでも、その印象は大して変わることはなかった。
 ささいなくい違いもあったが、カカシの人間関係のなかでは、おおむね良好で健全な関係といえた。
 たまに出会って挨拶を交わしたり、独りもの同士、食事を共にしたりもした。
 気の置けない友人というのはこういうことかと、二十を半ば以上すぎて初めて知る心地で、カカシはイルカとの関係をカカシなりに大切に思っていた。


 付かず離れずの付き合い、夕方に会えば食事を誘うことは珍しくなくなった頃、顔見知りの上忍にからかわれた。
「ずいぶん、純愛じゃねえか」
 そのときは「は?」と返答したとおもう。
 意味が分からず、気味が悪いことをいうなと思ったものだ。
 けれどあとになって思い返せば、たしかに純愛とからかわれても仕方なかったのかもしれない。
 はたからみて、カカシがイルカと一緒にいる時間を、任務の次にくるかというほど優先させていたり、イルカと話したり飲みに行くと、カカシの機嫌が良くなっていたりすれば、それはもう「恋に浮かれている」といわれても不思議ではなかっただろう。
 ただ、さらに不思議だったことに、カカシはそのとき、まったく無自覚で、イルカの傍が居心地良いのだと単純に思っていた。
 転機はいつもの食事のあと、飲み足りないとどちらかが言い出した夜。
 たぶん、イルカが言い出したのだろうとおもう。
 けれど言い出したイルカがすぐに、

「あ〜、でも給料日前で手持ちがないですね、残念」

 と諦めるようなことをいったものだから、まだ良いとも嫌だとも返事をしていなかったカカシは、じゃあ、と切り出したのだった。

「ね、イルカ先生んちで呑みましょうよ」
「…、…え!? 俺んちですか!?」
「そんな驚かなくても。てか、ダメです?」

 ダメなら自分の部屋でも良いとおもって軽く反覆すると、イルカは「う〜ん、どうかなあ、どうだったかなあ〜…」と腕組みをする。

「へ? どうかなあ、って何がですか?」
「…え? いやいや、こっちの話で」
「そう?」
「まあ――――――…いっか!」
「は?」

 ニコーッとイルカが笑った。
 夜道も輝かせるような不意の満面の笑顔に、カカシの目が丸くなった。
 あとあと、この笑顔がナニか都合の悪いことを誤魔化すときに多用される表情パターンであることを知るが、このときはまだ知らない。
 イルカの新たな表情に、カカシの胸が高鳴っただけだ。

「カカシ先生、たぶん、ちょっと汚いところですが、良かったらどうぞ!」

 たぶん、という言葉が引っかかったが、カカシは愛想よく

「あー、俺んちも褒められたもんじゃないし、男の独り暮らし同士、だいたいわかりますって」

 と返した。このときは本音だった。
 社交辞令という言葉もあることだし、それを差っ引いて考えていた。

「じゃあ行きましょうか。そういえば家で呑んだことってありませんでしよね、はじめて」
「そうですよね。あ〜、ツマミあったかなあ」
「なんか作りましょうか? 俺けっこう作れますよ、任務で料理人になったりして」
「ホントですか? 意外ですね、カカシ先生が。まあ、缶詰ぐらいは大丈夫だと思うんですけど」

 でも酒は買わないと、ウチなんにもないんですよー、というイルカと肩を並べて、ひとまず開いている酒屋へ足を向けたのだった。


 まあカカシさんはそんなことで愛想尽かさないだろうっていう読みがあったんですよねえ、とは後日談。
 その夜、いわれるままに、酒や美味そうなつまみを買い込んで、イルカの家に上がったカカシは、絶句していた。
 夜遅くあいているスーパーで刺身を買ったから、わさびを出すために、冷蔵庫を開けたとたん、

 ぼとっ

 と何かが落ちた。白いビニール袋に入れられ、口が袋途中で丸結びされていた。
 ビニールから透けてみえるソレは、黒かった。
 …なんだろう、という問いかけが頭に浮かぶが、とりあえず拾い上げれば、なぜか床とのあいだに糸がかかった。
 ……。
 見なかったことにして、冷蔵庫の中をみれば、みっしりと詰まっている冷蔵庫のなかに緑色のチューブが見えた。ねりわさびだ。
 折りよく、散らかったちゃぶ台の上を片付けていたイルカが、

「カカシせんせーい、わさび、分かりました?」
「え、ええ、まあ」

 適当に返事をして、やれやれ、とそれを引っこ抜こうとすると、こんどはパズルのように組み合わさっていたらしい、チューブ上に詰められていた器が傾いだ。
 おっと。
 と指で支えると、今度は器から、たー…、と粘ついた液体があふれ出てきた。
 …なんだろう。
 好奇心を抑えられなかった。
 そして見たのは、器の中の「白和え」。
 見た目だけは、緑と豆腐の白で、カカシの脳みそのデータベースとも合致する。
 けれど、白和えとは糸を引くものだっただろうか。

「―――イルカ先生」
「はい」
「とりあえず―――捨てていいですか」
「はい、それはもう」

 ちゃぶ台からこちらに移動してきたらしい、むしろ自信満々のようすで答えるイルカに、生ぬるい微笑みがこぼれる。

「あと、これも捨てていいですか」

 摘み上げた黒い物体inナイロン袋(糸付き)。
 はいはいと頷くイルカ。

「―――あと、これとこれとこれとこれとこれも」

 白い胞子が中にみっしり繁殖し、もはやシイタケだったものなのか、(もしかして)白い胞子付きトリュフ(らしきもの)なのかわからないビニールパック。
 包装のビニールに包まれたまま深緑色を通り越し、真緑の液状化したほうれん草(らしきもの)。
 パックの中で、時間をかけてスープ化したらしきトマト。
 開封したのち飲まれなかったらしい、ボトルのなかの液体の表面に緑黄色の胞子がたゆたう野菜ジュース。
 硬くなり、ビーフジャーキーの強度を得た、黒ずんだ油揚げ。
 出てくるわ出てくるわ、手前のものを捨てれば、奥からさらに賞味期限が切れたものや液状化したもの、糸を引いたもの、黒ずんだもの、振ればカラコロ音のするもの、真空パックが破裂寸前のもの、あげればキリのないほど出てくる。
 はいはいはいはいはい、と景気よく答えるイルカにカカシは呼びかける。

「イルカ先生」
「はいなんでしょう」

 言われるぞ、と待ち構えている元気なお返事に、がくっとカカシの肩が落ちる。
 これは、あれだ。
 長い間、構わなかった犬を久しぶりに散歩に連れていって、じゃあ遊んでこーいと離したものの、自分の横に鎮座し、行ってこいと尻をたたけば一目散に駆けていって戻ってこず、しまいには全力疾走の追いかけっこ。やっと捕まえたときに、「遊ぶ? もっと遊ぶ?」ときらきらした目で見つめられるのと似ている。
 つまり、すき放題、しているわけで。
 怒っても無駄なような気がするけれども、怒らなくては話が始まらないわけで、けれども、懲りないという話で。

「………」

 まあ、独り暮らしだし。

「………………、じゃあ、刺身食いましょうか」
「はい!」

 満面の笑顔、のイルカに、しゃがんだまま、カカシはくらりとよろめく。
 どうしたわけか、胸が高鳴った。
 むしろ、目の前の冷蔵庫の惨状に、動悸が始まっただけともいえるかもしれないが。
 だが。
 カカシは、奥までみっしり詰まったままの冷蔵庫を、まるっと無かったことにした。
 ほんとうは無かったことにできないほど脳みそに、たー…と糸を引いた様がこびりついているのだが、ここは初めてお邪魔したイルカの家。
 人並みの自制心が働いた。
 とりあえず、とりあえず見なかったことにしよう、と。
 とりあえず。
 わさびチューブが取り出せれば良いのだ。
 そう自分に言い聞かせて、カカシは冷蔵庫の前から立ち上がった。

「さ! 酒、酒! 酒、呑みまショ!」

 カカシの景気良い掛け声に、おー、とイルカの暢気な声が重なった。



2006.12.4