あいにくの曇天だった。
 聞かされた作り話のなかでは、空のうえで一年に一度の逢瀬をたのしみに、今日という夜を待っているらしい。
 気の長すぎるカップルだ、とカカシは皮肉る。
 しかも晴れでないといけない、などと馬鹿らしい。
 作り話はけっこうだが、あまり現実的に肉付けしすぎて、面白みがなくなっているんじゃないか。

 そう心のなかで毒づくカカシは、もしかしなくても不機嫌だった。
 いつもなら、ああそう、で済ませられる里の平和な行事も、イライラしているカカシにはさらにイライラの加速度を増す行事になっている。
 アカデミーの屋上。
 今夜は、七夕会、という名目で屋上にささやかな縁日のような屋台がならび、笹がゆらゆらと枝をそよがしていた。アカデミーの年少の生徒たちが、招待された保護者たちに、一生懸命、フランクフルトややきそばを売ることになっている。
 今は準備中だ。忙しなく、生徒たちが走り回っている。

 将来の人付き合いの予備演習みたいなもの、と朝、でかけにイルカは言っていた。
 下忍になっていきなり依頼人に接するよりは、アカデミーの行事として、まだ暖かく見守ってくれるうちに、人と接することを覚えさせる。
 それが重要で、べつに七夕会は口実なんです、とイルカは言う。
 けれど、そういうわりにイルカは七夕についていろいろとこだわりがあるらしく、天気を気にしたり、願い事はなんにしようかな、などと浮かれていた。
 カカシを放っておいて。
 いまだって、イルカは生徒の些細なやけどの手当てをしに、校舎の中へと行ってしまっている。さきほどまでは、笹飾りをしていた。その前は、屋台の準備で忙しかった。さらにその前は、保護者への通達で走り回っていた。

 あーあ、とカカシは屋上の端っこ、手すりにもたれて曇天を仰いだ。
 曇天の夕暮れ空。
 このぶんでは、ぜったいに「天の川」とやらは覗けないだろう。
 見たいなぁと言っていたイルカには気の毒だが、カカシはあまり見たくなかった。
 見えなくても良い。
 イルカの気をひくものは、自分以外、なんであっても好きじゃない。
 ナルトはいうにおよばず、たとえば、

「あー、上忍だ、これ!」

 …このように、騒ぎ立てるお子様、もとい生徒たちなど。
 イルカの手を焼かせる子どもたちだ。

「はい、上忍だーよ。けど、人にむかって指、指さないの。はい」

 いって、カカシは木の葉丸の人差し指を、90度折り曲げる。ぎゃ、と木の葉丸が逃げて、だがまた他の小さな影がわらわらと寄ってくる。上忍だ、というのが聞こえたのだろうか。
 一人で家で待っているのがしゃくで、ここまで無理やりついてきたのだが、退散したほうがいいだろうか。

「ほーら、まだ準備、終わってないでしょー。散った散った。もうすぐ、お父さんお母さん、くるんでしょー?」

 しっしっ、と手を振ったが、じーっとこちらを見る瞳は散るようすがない。
 カカシは嘆息する。
 面倒くさくて、奥の手を使った。

「サボってーると、イルカ先生が怒るよ?」

 効果覿面。
 ささーっとくもの子を散らすように、小さな生徒たちはそれぞれの持ち場に戻っていった。木の葉丸は、意地悪をされてこりたのか、もう寄ってこない。
 あー、もう帰ろうかなー。
 ふてくされる。

 イルカはなかなか帰ってこない。
 こんな子どもだらけの風景でも、イルカが居ればカカシにとって眺める価値のあるものになるのに、肝心のイルカが戻ってこないのであれば、むなしいだけだ。
 けれど、イルカの家に閉じこもってしまえば、さらにイルカが居ない。
 いつでもどこでも、イルカに飢えている自分には、苦しい取捨選択だ。

「イルカせんせーい、早く帰ってきてよ〜」

 誰にも聞こえないように、曇天にむかって嘆いたとき、屋上のドアから、イルカがちょうど帰ってきた。すぐさま反応して、イルカを注視するカカシにイルカも気づく。
 生徒たちに声をかけながらも、屋上を横断してカカシの隣にやってきてくれた。
 けれど、言った言葉が手厳しい。

「カカシさん、まだいらっしゃったんですか?」
「…。あのね、イルカ先生。あんまり俺をほっとくと、寂しくて死んじゃうよ?」
「いつのまに人から兎になったんですか、火に飛び込んだりしないでくださいね」
「それ話がちがーうよ、イルカ先生」

 自ら火に飛び込む兎は、非常食になったほうの兎だ。寂しいと死んでしまう兎は、人に飼われているようなか弱い兎なのだ。カカシはイルカに飼われているようなものなのだから。その心を。

「カカシさん、あとで焼きソバもってきましょうか。腹へってません?」
「減ってるけど、イルカ先生とじゃなきゃ食べませんー」
「またそんな…まだ怒ってるんですか?」

 イルカが、カカシの顔を覗き込んでくる。
 ここ最近のカカシの不機嫌を、イルカは承知で動き回っていた。それはカカシがイルカの仕事に理解を示してくれているとわかってのことで、これについては申し訳なくはおもうが、謝ることはなにもない。
 だからイルカはカカシにたいして強気な態度なのだが、たいしてカカシはどんどん拗ねて子どもっぽくなる。
 文句をいいたいが、いえない、という理屈と感情の摩擦が、子どもっぽさに拍車をかけているのだろうと、イルカは分析していた。
 カカシは、イルカが覗き込むと、目を情けなく細めた。

「まだ、じゃなくて、ずーっと、怒ってるの、知ってるよね」
「でも仕事なので…カカシさんも分かっていらっしゃるとは思いますが」
「イルカ先生、俺が任務で怪我したら怒るでしょ?」
「そりゃまあ…あなたが怪我したら、俺も痛いですから」

 カカシばっかりがイルカを好きなわけではない。
 イルカもカカシが好きだ。
 そのことを伝える。

「じゃあさ、俺があなたが居ないと嫌だってのも、分かる? 分かってくれてる?」
「うーん」

 周りには聞こえないような、忍び声での会話。
 生徒がいなければ、もっとカカシの機嫌を直すことは簡単なのにな、とイルカはおもった。
 キスして、カカシさんが居ないと俺も寂しいです、っていえば良い。
 嘘じゃないから、気恥ずかしいだけでイルカも幸せになる。
 けれど今はアカデミーの屋上だ。
 カカシがどんなワザを使ったかしらないが、生徒たちは寄ってこないものの、あまり派手なことはできない。
 空を仰いだイルカの目にうつるのは、曇天のなか、暗くなっていく空。
 天の川は、当然ながら見えないだろう。

「…カカシさん」
「なに?」
「七夕の伝説の二人は、一年間、ぜったい会えないんですよ」
「じゃあ毎日のように会ってる俺たちは幸せだっていいたいの? 七夕の二人はお星さまなんだから、不死じゃない。俺たちはいつ死ぬかもしれないんだよ」
「そうじゃなくて」

 イルカは苦笑した。
 さいきんは任務をやりくりして、なんとかイルカと過ごす時間を作ってくれていることを、イルカは知っている。怪我をしないで、とイルカが願ったから、怪我をしたときはイルカに顔をみせないで、一人で治すことも知っている。

「空の上の二人は、こうやってどうにもならない天気で見えなかったりするし、天の川でさえぎられてるから努力しようがないでしょう。でも俺たちは、努力のしようがあるんだと思いました。こうやってカカシさんが俺の予定に合わせてくれるから、会っていられるし」
「…褒めて誤魔化そうとしてない?」
「いいえ? つまり、カカシさんがここにいてくれて嬉しい、って言っています」
「イルカ先生も寂しいってこと?」
「カカシさんとおなじ意味じゃないけど、一緒に居たいっていうのはおなじだとおもいます」

 同じ意味じゃない、で一瞬、なおりかけたカカシの機嫌がちょっとだけ下降したが、それでもすこし上昇した。
 イルカは自分のいったことが気恥ずかしく、はにかんで笑う。

「だから、そんなに怒らないで下さい。カカシさんがピリピリしていると、俺も焦ります」
「どんな風に?」
「たとえば、やけどした生徒をみて、内心すごく慌てたりとか、もっとてきぱき準備できなきゃダメだろうと子どもたちに頑張らせたり、そういう風に」
「よく分からないよ」
「ようは、ちゃんと仕事をしてないと、って思うってことですよ」

 子どもの指導をするのがイルカの仕事。
 カカシの機嫌をそこねてまでするのだから、結果を出さなくては、と変な方向に力が入る。子どもたちには良い迷惑だろう。

「それって俺がピリピリするとイルカ先生が仕事に熱中するから、ますます俺がピリピリするじゃない」
「あはは、悪循環ですね」
「笑い事じゃなーいよ」

 カカシがぼやいたが、イルカは気にせずに「さて」と話を区切った。

「それじゃあそろそろ下に保護者を呼びに行ってきます。俺、今夜は帰るのが十時ごろになると思います」
「…はーい。大人しく待ってます」
「あと」
「はい?」
「ちゃんと埋め合わせはしたいと思っていますから、俺。一年に一度じゃないから、埋め合わせができるっていうのもいいですよね」

 言って校舎のなかへと入ってしまった背中を見送って、カカシは負けた気分で呟く。
 この寂しさにみあった埋め合わせ、きっちり頂きますよ、と。
 空は曇天のまま夜になって、やっぱり星の川は見えそうになかった。
 少しだけ、見えなくても良い、と考えことを悪いな、と反省した。




2005.07.10