明日。







 間抜けなはなしだけど、俺がイルカさんのとなりで寝こけてたのは、なんとなくイルカさんが目を覚ましたときに、一番先にみるのが俺だといいなぁとか、思ったからだった。
 あ、いま「うわ」とか思っただろ。まぁ、俺も思う。自分でやってて言ってて恥ずかしいし。
 けどいつ目を覚ますかしれない人を、ずっと見てるわけにもいかないじゃない。
 きっと彼は俺に聞きたいことがあるだろうし、俺もほったらかしにしたいわけじゃない。一回かぎり、ってので事に及んだわけじゃないしね。今回のでわかった。ずーっと、俺はイルカさんとやりたい。
 イルカさんの中をぐちゃぐちゃにかき回して、泣きそうな声で悲鳴あげてるイルカさんを抱きたい。いつもは受付とかで普通の男してるイルカさんを、夜にはベッドで素っ裸にして、ひぃひぃ喘がせたいんだ。

 とか思いながら寝てたからかな。
 いきなり、背中に「ドカッ!」っつー衝撃がきて、わけもわからないうちにゴロンって俺はベッドから蹴りだされたときも、俺はぼけってしてて。
 あれ、俺なにしてたっけ。
 とか素で思った。
 すぐに思い出したけど。
 イルカさんをお持ち帰りして、さらにやって、一日寝て過ごしたんだった。
 空はもう夜になってた。
 ずいぶん寝てたみたいだ。月が高いなぁ。
 なんて見てると、

「目が覚めたかよ」

 がらがら声。掠れてうまくでない音だ。
 目をむけると、明かりのついてない俺の寝室で、月明かりが、イルカさんをぽっかり映していた。といっても彼は半分以上、布団のなかに埋まっていたけど。なんか良いなぁ。

「酷い声だね」
「―――言うことはそれだけか」
「え? えぇと。――――――他になんかあったかな」

 そういったときの空気ったら、そりゃ凄かったな。殴られたときもそうだけど、イルカさんって中忍にしては良いもん持ってるよねぇ。俺も一瞬、体が反応しそうになったよ。あの殺気。ピィンと張り詰めた空気が、痛いぐらいで、俺は感動しちゃった。
 で、つまるところ、俺には分からなかったんだけど。
 他に言うこと、あったかな。
 俺が言いたいことと、イルカさんが俺に言って欲しいことと、どっちなんだろうなぁ。

「これは嫌がらせですか。腹いせですか。気まぐれですか」
「とりあえずどれでもないよ」
「なんで俺はこんな目にあわなきゃならんのです」
「俺がそうしたかったからだよ」

 布団に埋まってる彼の体が、ちょっと動いたようだった。あ。もしかして俺を殴りたかったのかな。でもちょっとしか動かなかったってことは、ずいぶん体が固まってるんだな。あとでほぐしてあげないと。
 俺はベッドから転げ落ちたままで、床からそれを眺めている。
 イルカさんが凄い目で俺を睨みつけているのを。

「―――声が酷いね。水持ってこよう」

 俺を蹴り落としたのは気にしないでおいてあげる。
 言い足してから俺は腰をあげた。また空気がふるふると震えて、俺は笑いをかみ殺した。
 だって可笑しいだろう。俺の一言で、あの人が肩を震わせたり目を吊り上げたりするんだ。これいじょうに楽しいことって、なかなか無いね。
 むしろ幸せ、かなぁ。
 俺だけを見て。俺だけを。
 俺に服従して。頭を垂れて俺を受け入れて。
 けしてそんなことを由しとしない彼だとわかっているから、よけいにそう思う。
 屈服させてやりたい。
 あの明るくてまっすぐな、屈託のない顔を曲げてやりたいと思う。
 これは、けっして汚せはしないと分かっているものを汚してやりたくなる、どうしようもない本能的な欲求なのだけれど。

「…俺はあなたを裁定の場につきだすこともできるんですよ」

 水道水をいれて差しだしたグラスを、彼は受け取らずにそう呟いた。俺は肩をすこし竦めてみせた。

「そうだね。俺は気持ちよかったし、あんたもずいぶん楽しかったみたいだけど?」
「―――…ッ!」
「ここでしたときなんか、最後には気が狂いそうでもう許してって」
「嘘だ!」
「ほんとだって」

 俺の記憶がぽかりと甦る。この乱れたベッドの上で、彼は四つん這いで俺と交わってた。俺はもう彼のなかをとにかく痛めつけてやりたくて、腰を押さえつけて酷く乱暴になかを掻き回したりした。それを彼は裏声にちかい喘ぎで、受け入れて、腰を揺らしてた。あれだってちゃんと立ってたし、何度も抜いてやった。俺が良さそうなとこをかすったら、すごくいい声あげてたし、もっと、って言った。なんにも弄ってないのに立ってるから、突きあげながら抜いてやろうとしたら、気が狂う、ってうわごとのように言ってた。
 「許して」って、言った。
 「ゆるしてェ」って。
 俺の聞き間違いなんかじゃなかったし、じっさい、俺はその声の艶っぽさに負けて、ついに彼のなかで何度目かしれない射精をしてね。気持ちよすぎて、瞼の裏が白くなるってこと、実感した。彼はきゅうきゅう俺を締めてくるし。彼の粘膜なのか粘液なのか、それとも全部俺のなのか、わかんなくて。気持ちよくて。

「あんな良くて、俺を突き放すの?」
「あんたが勝手にしたんだろうが…ッ!! ぃッ、ってー…ッ」
「大丈夫?」
「うっせぇ!」

 叫んで布団はくるりと丸まってしまった。みのむしだ。みのみの。
 俺はグラスを掲げたまま、そんなふうに考える。この人のやること言うこと全部が、可愛かったり俺の何かに触れるのはなんでなんだろう。たったいま、このみのむしだって、俺の知らなかった俺の庇護欲みたいなものを刺激する。みたい、なだけだけど。ほんとは引っぺがして、ぶるぶる震えさせてやりたいけど。

「メシ、食う?」
「いらねぇ!」

 くぐもった声が間髪いれずに答えた。ふぅん、頑ななの。
 でも考えるに、この人、昨日の夕方から激しい肉体運動のすえ何にも飲み食いしてないんだよ? そろそろ限界だと思うんだけど。いくら忍びで頑丈だっていってもさ。

「まぁそう言わずに水だけでも飲んでよ」

 だから、俺がみのむしを底のほうからくるっとひっくり返して、中のあの人を剥き出しにしたからって、責められることじゃないと思う。生命維持のために必要なこと、だろう?

「―――ッ」
「ほら」
「い、いらねぇっつってんだろ!」
「強情だなぁ」
「ふざ…ッけんな…!」

 まるで昨日の再現のような体勢で、俺が彼の唇にあてがったグラスは、彼の弱々しい掌で払われてしまった。たっぷりとはいっていた水がシーツといわずベッドに撒き散らされ、コトンと軽い音で、グラスがシーツを転がった。

「ぁ…」
「――――――」

 そのときの、彼の顔。
 もうなにかに詰めてずっと保存しておきたいぐらいだった。
 やっちまった、どうしようって罪悪感にかられて少し歪んだ顔。
 ゾクゾクした。
 馬鹿だなぁこの人!
 そんな甘いから俺につけこまれるんだよ。

「―――へぇ、そういうことするんだ」

 俺はわざと声を低めて、言ってやった。そうしたら、びくって竦められた体。わぁ、素晴らしいよ。すごい、なんて俺をそそるんだろう。

「あ、あんたが無理やり飲まそうとするから…!」
「それは飲んでって言っても飲まないからでしょ」
「飲めっつったって、手もだるいのに! だ、だいたい原因はあんたのくせに!」
「そうだよ、だから飲めって言ってるんでしょ。原因が」
「ぐ…ッ」

 あぁほら、そんな目で俺をにらみつけちゃって。月明かりだけのなかで、これはもう、俺の忍耐を試してるとしか思えないね。

「も、もう嫌だ! あんたに付き合ってられっか! 俺は、俺は帰ります!」
「どこに」
「自分の家に決まってるでしょうが!」
「そう。―――歩けるの」
「……ッ! クソ!」

 悪態をついて、空咳が彼の喉を突いてでた。上半身を折って何度も咳き込む。嗄れた喉でそんな大声はるからだよ。
 帰るのだって賛成だけど、帰れないでしょ。素っ裸で。あんな腰にくる運動しといて。
 俺はひとつ溜息をついた。

「まぁちょっと落ち着きなさいよ。怒鳴んないでさ」
「だれの、せ…っだよ…!」

 苦しげな掠れ声を無視して、俺はベッドに転がっていたグラスをひろって、もういちど水を満たすことにした。彼に与えるために。
 水道水は蛇口をひねれば、いくらでも出てくる。グラスの半分まで入れて、俺はうずくまる彼の傍らへと戻った。言葉もかけずに、俺は肩をつかんで体を起こさせて、そしてグラスを差しだす。

「飲ませてもらうのと、飲むのと、どっちがいいの」
「―――…自分で飲める…!」
「なら良かった。どうぞ」

 触れた肩が、咳のせいだけでなく力が入っていたことに気づいていたが、俺はなにも言わなかった。上目遣いで睨みつける彼の視線が楽しくて、それを堪能するのに神経をぜんぶ使ってたせいもあるけど。彼の悪態や態度が、それなりの強がりを含んでいることをはっきりさせるのは、また後日の楽しみに取っておこうと思うよ。

「そんなにいきなり飲むとむせるでしょ」

 ベッドの傍ら、俺は呆れつつ声をかける。水をあおって、案の定、派手に咳き込んでる彼に。
 そんなに喉が渇いてたなら駄々こねずに素直に水、飲んでればよかったのにね。
 そうすれば昨日の夜だって、ゆっくり寝れたのに。俺を煽ったりなんかするから。
 水をのみほしたイルカさんは、何度もなんども辛そうに咳をした。
 そうして俺をみた。
 体を揺らすような酷い咳をこらえ、口元を手でぬぐって、俺をにらみつけた。
 あ。
 ほら、握りこんだ指が白いよ。
 緊張してるのかな。怖がってるのかな。
 バレやすい人。
 嬉しいなぁ。

「―――…なんでこんなこと、したんですか!」

 さっきよりはずいぶんマシになった声が、ナイフに似た鋭さで訊いてきた。
 けどそれはさっきの質問と同義だよ。

「俺がそうしたかったからだよ」
「……ッ」

 だって俺としてはそう答えるしかないじゃない。
 仕事の同僚でもなく、直接の上司でもなく、ましてや友人でも知り合いでもない。
 あんたと「明日の会議が」って話したいわけでもないし。「いつもの居酒屋で愚痴きいてやるよ」って肩をたたいて笑いあいたいわけでもない。ただ欲しかっただけで。贅沢はいわない、体だけでもって。気持ちよくなりたかったんだけど、あんたと。
 けどそれを説明するには、俺には何かが欠けてる。器用さとか、誠意とか。
 そんなごく普通のものを補うには時間っていうのが必要で、あいにく、イルカさんがそれを待つ義理はまったく無い。
 というわけで、俺の説明は上記で尽きてしまい、言うことも、特にない。
 本当に、したかったから、なんだけど。

「……クソッタレ!!!」

 結局、彼が吐き出したのはありふれた罵倒。
 俺は感慨を抱くこともなく、それよりも彼の悔しげな眦に欲情しそうになる。
 潤んでじんわりと赤い目尻がとてもいやらしい。
 そっけない態度を思い出すと、その対比によけい興奮する。
 そういう男心、分かってないだろうけど。
 思ってたら、いきなりイルカさんがベッドから這いずり降りて、俺は吃驚した。
 動けるんだ。タフだなぁ!

「帰ります! 俺の服はどこですか!」
「…ベストはそこ、下はないよ。俺のだったら横のタンスに―――」

 吃驚したもんだからつい素直に答えちゃったよ。
 あんだけされて、一昼夜で回復するってすごい耐久力だな。敬服に値する。俺の予想なら、すくなくとも膝が抜けて立ち上がるのも一苦労なんだけど。と思ったら、イルカさんの体はふらついてる。一歩を踏み出すのも大仕事で、ベッドの下におちてるベストを拾うのさえよろめいてて。

「―――寝てたら?」
「嫌です! 帰ります!!」

 頑な。
 だからこそいいんだけど。

「じゃあ止めないけど、帰る途中で倒れたら恥ずかしいよ」
「――――――…」

 じっとこっちを見る眼差しに、俺は首を傾げた。
 あれ、変なことでも言った?
 里の真ん中で倒れてたら恥ずかしいでしょ? しかも忍服で。

「なに」
「資料室で…―――」
「? 資料室って、昨日の」
「いえ、なんでも…―――、や、やっぱり、あの」
「なに」

 躊躇いながら訊かれたら俺も気になる。なんだろ。何が訊きたいんだろ。
 ひどく時間をかけて下着を着けずに下履きだけはいて、ベストを手に、イルカさんは言い難そうにしている。俺は首をかしげたままで待っている。

「…昨日、あんたがしたことも、十分、恥さらしだと思うんですが」
「…?」
「ッんた、わかんねぇのかよ。昨日! 資料室で!」

 いやそれは分かるけど。
 気絶するまでしたやつでしょ。そのまえに殴られたけど。あれ、あのあと氷で冷やしたけどけっこう痛かったなぁ。腫れる寸前だった。いい胆力してるよ、あんた。耐久力も根性も良いし、俺にぴったりだね。

「資料室って、なんか恥さらしなこと、したかな」
「…! しただろ! あんな誰が通ったかもわかんねーとこで!!!」
「誰が、っていったって…俺だって現行犯は嫌だから、忍犬使って人、払ってたけど」
「…は!?」
「だから、俺もことが終わるまでは捕まりたくないしさ」
「わけわかんねぇ! 忍犬!?」
「そうそう。まぁ、誰にもあんたのあんあん言ってる喘ぎ声は聞かれてないと思うけど?」

 バサッて重たいシーツが飛んできた。イルカさんが投げてきたものだ。彼はもう二本の足でしっかり立って、素肌にベストを着ていた。アンダーを探すのはしないらしい。俺のなんか着たくないってことかな。傷つくなぁ。

「―――…分かった。とりあえず俺のことはばれてないってことは。けど! あんたがしたことが無くなるわけじゃないからな!!」
「あぁ、うん。そうだね。無くなって貰っちゃ困るしね」
「はぁ? わけ分からん! 俺は一人で寝たい! あんたの顔もみたくない! 最低だ昨日と今日は! 何で俺がこんな目に合うんだ!!!」

 最後の一節は、自問自答っぽかったけど。
 俺は言わずにはいられなかったよ。

「だから、俺がしたかったからだって」

 一瞬後、飛んできたのは、こんどはクナイだった。きっと、彼のベストに入ってたやつだ。
 うーん。ほんとにタフだなぁ。
 イルカさんは、俺のベッドを足場にして、窓を開け放し、今にも窓から出ようとしている体勢で、くるっと俺を振り返った。月光が彼の半身を照らし、場違いなほど綺麗にみえる。本当は髪も乱れてるし、きっと体もがたがただろうし、綺麗なわけないんだけどね。惚れた欲目、ってやつかな。
 で。
 捨て台詞。


「―――…覚えてろよ、このクソッタレ…!!!」


 彼の背中が消えて、開け放されたままの窓をみながら、俺は心置きなく笑うことにした。
 投げつけられたシーツを意味無く抱きしめたり丸めたりしながら、楽しくて仕方なかった。
 心が躍っておさまらない。
 覚えてろよ、だって。
 ああ。覚えておいてあげる。
 だからあんたも覚えておいてよね。
 忘れられない思い出、にしたいって頑張ったんだし。

「ふふ、幸せだなぁ」

 夢見心地、っていうのがぴったりな心境で呟いた。
 次、彼に会ったとき、どういう反応をしてくれるんだろう。
 睨み付けてくるだろうか。それともその前に暗部が迎えにくるのかな。
 それはご遠慮したとこだけど、それだって、裁定の場であの人に会えるだろうし、捨てたもんじゃないよね。公衆の面前で睨まれるのって、それも禁欲的で良いよね。


 あぁ。
 明日の朝が楽しみだ。
 どんな顔を見せてくれるんだろう。
 俺を見てくれるかな。
 俺だけを。

 そうして俺は、とてもとても幸せな気持ちで明日を待つことにした。
 シーツをはがして、風呂に入って。
 それらすべてを鼻歌でも歌いたい気分で片付けながら、朝を迎えることにした。
 これからのドキドキする幸せな日々の始まりだ。


 あぁ。
 ―――イルカさん、明日、あんたに会いに行くよ! 











2004/04/20