歳末も歳末。
31日。
あけて元旦という年の暮れ。
独身で恋人もいないというのに、当直から運良くはずれたイルカはアカデミーの忘年会に出席していた。ほぼ半数のアカデミー関係者が寄り集まる、1年に一度の機会というべき場で、イルカも顔だけは出しておこうと思ったのだ。
忘年会には、関係者ということで下忍に始まり、中忍、特別上忍、上忍までも顔をみせる。ときには無礼講ということで親睦が深まることもあり、里の上層部のいわゆる黙認事項として、除夜の鐘がなり終わっても続くこの忘年会は、毎年続いていた。
その宴もたけなわといったころ。
除夜の鐘が響き始めるまでは、あと二刻ほどだった。
アカデミーの同僚と話していたイルカの横に、見知った姿が座ったのは。
「…あれ?」
ほどよく酔いの回った頭で、その姿がカカシだと認識する。
こっくりと首を傾げると、カカシが覆面をしたままの片目で笑っていた。
「どうも、イルカ先生」
「あ、どうも」
会話をしたことは、いままでそんなに多くない。ナルトが下忍となり、その担当ということで、挨拶程度の顔見知りだった。
隣で喋っていた同僚は、カカシに気づく様子もなく、足元の覚束ないようすで、ふらふらとビールをもとめてどこかへ行ってしまった。
カカシは、笑顔のままイルカにむかって、卓上の徳利をすっと掲げて見せる。あわてて、イルカも、誰が使ったかもしらないが、散乱した卓上から銚子を取って、それにあわせた。ゆっくりと透明な酒が、銚子にそそがれていく。
「すいません、ありがとうございます」
「いえいえ、今年は一年、御世話になりました」
「いえ! こちらこそ、御世話になりました! あ、すいません、返杯を…」
「ああ、すいません」
どこから取り出したものか、すっとカカシが銚子を出したから、イルカも徳利を傾けた。
だが入れてはみたものの、カカシは飲もうともせず、にこにことイルカを見ている。
普段なら間のもたない空気であったが、そこは酒のはいった場ということで、ついついイルカもそのカカシの様子をじーっと見つめ返してしまう。
「飲まれないんですか?」
「ええ、まぁ。あ、イルカ先生はどうぞ。飲んでください」
「あ、はぁ」
言われるまま、ぐいっと杯を干せば、すぐにまた注がれて「どうぞ」と言われた。
「酒は苦手でいらっしゃるんですか、ビールをとってきましょうか」
「いえ、そうわけじゃないんですよ。ただイルカ先生に御世話になったし、ご挨拶もしとかないとなぁと思って、慣れない席に出たもんで」
「そんな、恐縮です。俺のほうこそ御世話になって…ナルト、あいつ、大変だったでしょう…?」
言うと拘り無くカカシは頷き、溜息といっしょに肩も落としてみせた。
「ええ、サスケと張り合っちゃって、まだまだガキでしょうがないです」
「でしょうね」
その様子に、思わず笑い、イルカは酔いのまわった頭で、本当にカカシ先生は立派な人だと思う。ナルトを、ナルトのままにみることが難しい現状で、それを承知の上でナルトの面倒をみている。
「カカシ先生が担当で本当に良かったです、…どうぞ来年もよろしくご指導のほどお願いします。まだまだガキですから」
「はい、俺も新米教師で、まだまだ至りません。イルカ先生に何かと教えていただきたいです」
「そんな…俺にできることなんか何もないですよ」
おもいがけない言葉に堅くなっていると、カカシがまた徳利を傾けた。おもわず受ける。
「イルカ先生は毎年、この忘年会に?」
「…あ、ええ、御世話になった上忍師もいらっしゃいますし、ご挨拶できる機会だとおもって毎年でるようにしているんです。今日、当直の奴も何人かいると思いますよ」
「そうですか。俺はあまり里に居なかったもんですから、今年初めてです」
「へぇ〜、そうなんですか。あぁ、でも他にご予定は」
「特にないですねぇ」
上忍、という風をふかすこともなく屈託無くカカシが話すから、イルカもつい口が軽くなる。干した杯に、いつのまにか酒が注がれていることも気づかずに、にこにことカカシに話す。
「カカシ先生なら、これからでもどこかご予定、おありでしょう」
「いえいえ」
「ここでももうすぐ抜けていく人がいますよ、けっこう。多い、かな?」
「そうなんですか。イルカ先生は?」
「俺ですか?」
くらっと酔いが回って、身体が傾いだが、イルカはそれを立て直す。ちょっとピッチが早かったかもしれない。
「俺は彼女もいませんし、年明けまでせいぜい会費ぶんだけメシくって帰るつもりですよ」
「ふぅん」
「家帰ったら寒いだろうけどなぁ」
独り言に近い声音で、イルカは呟いた。自分で思うより酔っているのかもしれない。背中のあたりに重力を感じで、いまにも壁に寄りかかってしまいたい。
「彼女」
「え?」
「彼女、つくらないんですか。イルカ先生」
「―――…う〜ん」
暫し考え込む。いつもなら、「もてないですからね」の一言で終わらせる他愛無い会話に、ふと思い悩んでしまった。カカシの目はいつのまにか弓形でなく、ずっと真剣に、イルカを見ていた。
「むずかしい、ですね…」
「難しい?」
「ええ、なんか俺には難しいです。カカシ先生みたいに顔も良くないし腕がたつわけでもないので、そういう意味もあるんですけど、でも、難しいんですよ」
銚子の底にのこった液体を、ぐっと喉の奥に流し込むと、さりげなくカカシがまた注いだ。「すいません」とだけ言って、イルカは苦笑する。
「ねぇ、カカシ先生」
「はい」
「愛情、ってなんでしょうね」
言って自分で笑ってしまった。笑える台詞だ。陳腐でカッコ悪い。イルカは注いでもらった杯を人差し指で突付きながら、笑う。
「俺には友情にね、性欲を足したものが、恋人、っていうんじゃないかと思うんですよ」
「イルカ先生…」
「だからどうも、俺には恋人ってのを作るのが難しく思えて」
少し恥ずかしく、イルカは杯を干した。
「ああ、飲みすぎました。すいません、カカシ先生。俺ばっかり飲んでしまって。もしよろしかったらなにか食いもんでも…」
「イルカ先生」
「はい、なんですか」
話を切り上げようと立ち上がりかけた体が、ふらっとよろめいた。いけない、カカシにすすめられるままに飲みすぎたのだろう。すこし酔いを覚まさなければ。
思ったイルカの腕を、掴んだ掌。不思議に思ってカカシを見れば、カカシはやはり微笑んでなどいなかった。
「じゃあ俺でどうですか」
「え?」
「友人、でもないけど、性欲があれば、恋人になれるんでしょ? 俺はどうですか」
「…カカシ先生?」
「食いもんはいいです。俺、あなたと話すためにここに来てたんです。ね、今から俺んち、きなさいよ。あなたが言ったこと、―――俺なら難しくないんじゃない?」
見も知らない間取り、部屋の様子。知らない匂い、押し付けられたシーツにかいだことのない人の匂いを感じて、イルカは混乱した。
ふわふわと浮遊するような脳裏とうらはらに、身体が熱く、肌のうえを滑る指の感触は確かで、それのひとつひとつにイルカは喘ぎ、身を捩り懇願する。
下肢を押さえられて、ひどく大きく痛い瞬間のあと、なんども揺さぶられ、ベッドの軋みの音と体内で蠢く塊が同じ律動だと気づいたとき、同時に自分も貫かれ犯され律動しているのだと気づいた。
痛い。
熱い。
尻にうちつけられる誰かの体温と、前を弄る指とが頭のなかでいっしょくたになってただ喘ぐしかない。
目をあけても見えるのは暗い室内で、手をのばすと、体温に触れた。それに縋る。
「ん…っ、うぅ……ッ」
「苦しい?」
「んんッ」
グリッと内壁を抉られ、喉が鳴った。嬉しげに訊いてくる声は、内容とは正反対にイルカを追い立てる。ぐちゅぐちゅと音が鳴って、何かが短い間隔で体内を出入りする感覚。引きずられるように腹のなかが動かされたかと思うと、ぐうっと侵入してくる。
感じたことも無い摩擦と抵抗が腰の奥のほうで沸き起こっている。
「あぁ…ぁ、ん……ッ」
力の入らない四肢は酔いのためと思いたい。犯している相手の自由になっている体はまるで自分のものでないようだ。
「ふふ、よく見える。全部、あそこまで全部見えるね」
「んぁ…!」
酷く強引に、奥まで突かれた。痛みと熱に声が上がる。足の裏をとられて胸に押し付けられた、まるで蛙のように無様な格好で降ってきた台詞。暗闇の向こうの顔が憎らしい。
「ずっと、見たかった。ずっと、こうしたかった」
熱っぽい台詞も共に。憎らしい、という気持ちの次に、酔うような台詞で。
あぁ、とイルカは吐息を漏らした。
気がついたのは除夜の鐘が聞こえてから。
聞き馴染みのある音が聞こえる、とぼーっとしてからやく二秒後。
がばっと乱れたシーツから起き上がって、すぐに撃沈した。
身体の節々の痛みに。
「あ、起きました? まだ寝てていいのに」
そして間近で聞こえた美声。ぎょっとして傍らを見る。明かりのついていない部屋のなかで、銀色の髪が浮かび上がって見えた。見間違えようが無い、聞き知っている声。銀髪。
「カ、カカシ先生……ッ」
「はい、そうですよ、イルカせんせ」
「これは、こ、これ…」
「はい落ち着いて落ち着いて。酔い、醒めた?」
微かな窓からの明かりに見えたのは、カカシもイルカも裸だということ。
そして身体の痛み。
夜。
酔いも手伝った、記憶が飛ぶ前の会話の内容。
いろんなことが一気にイルカの頭のなかを横切っていく。
じりっとベッドのなかで後退さった。
イルカの心境をあらわすように、低い重低音がまたひとつ、ごーん…と遠くで鳴った。
「あ、混乱してます? 大丈夫ですよー」
「…な、何がですか」
「あなたも最低2回は出したから、すっきりしてるは……いたッ!」
カカシのつむじあたりで、ごつん、と鈍い音が響いた。
もちろん鳴らしたのはイルカだ。
「な、なんて、なんてことを…俺は…!」
「何てことっていっても、―――気持ち、よかったでしょ」
「そういうことじゃ…ッ、ぃ、てててて…ッ」
「あー、そりゃ痛いでしょうね。だからもうちょっと寝てて良いって言ったのに」
悪びれない言葉。恨みがましく見上げると、しれっと見返してくる。疚しいところなどない、といった風情だ。
「お、俺はあなたとこういうことになりたいと言ったわけでは…っ」
「でも友情プラス、性欲、でしょ? 何か間違えてる?」
「う…っ」
確かに言った。言ったが。
「こういうことでは…」
尚もぐじぐじ言っていると、するっと腰に腕を回されてシーツのなかに引きずり込まれてしまった。真冬の肌寒さを覆い隠すような温もりが、イルカの全身を包む。
「俺とするの、気持ちよくなかったですか? 俺は嬉しかったです。友達、ってわけじゃなかったからちょっと微妙だけど、これって恋人、ですか。俺、イルカ先生の恋人になれますか」
「…カカシ先生」
「―――ダメですか?」
反則だ。
ここで駄目といおうものなら、後々の自己嫌悪で一ヶ月は凹みそうなほど。
カカシの美声は甘く真剣だった。
「―――カカシ先生は、俺でいいんですか…」
「何がですか」
「その…、せ、性欲というか、抜くと、いうか…」
「ああ! そんなの、全然! イルカ先生以外はもう俺、無理です」
「え…」
聞き間違いかと思うような言葉に、イルカが返す台詞をなくした。
遠くでまたひとつ、鐘がなる。
「す、すいません、カカシ先生、俺、ちょっと混乱してきて…」
「あれ、なんでですか? どこらへんで?」
そうして話は基本的な処へ立ち戻り。
イルカはカカシへの認識を、カカシはイルカを想う様になった経緯を話し始めた。
ベッドの中、狭いシーツのなかで今さら話すことではなかったのかもしれないが、二人は真剣だった。新年明けての夜の最中、思いもしなかった成り行きに、イルカは混乱するばかりで。カカシは、生涯初のお年玉かと喜んで。
除夜の鐘がいま、ようやく八つを数えたところだった。
夜が明けるまでの時間は、まだ多くの鐘の音を残していた。
2004.1.1