南東北点描 暫定TEXT版

南東北点描

MENU


睡眠不足の1日目

移動日

テントとシュラフを担ぐも、のっけからビジネスホテル泊

東北に行くのは前から決めていた。幸い台風が東北方面を通過して2日以上経つ。 フェリーも検討したが、一日おきにしか出航していないので高速に乗る。 朝5時過ぎには家を出る。いつものように鯖街道国道367号線を北上する。 有料「途中トンネル」と一般道への分岐地点にさしかかるも、真っ黒い巨大なトレーラーが小 さな頭部を一般道に突っ込んだままもがいて全ての道を塞いでいる。黒くて胴の長い甲虫が土 の中にもぐろうとしているようである。虫で言えばハンミョウのような我がバイク、トランザ ルプは甲虫の尻尾の外を通って有料トンネル料金所へ向かう。
    「有料なんは6時からや」
料金所のおじいが叫ぶ。
    「ほーでっか!」
そういえば、昔もっと早い時間に通過したときは誰もいなくて得した気分だったが、時間 外だったのか。

いつものように、そしていつもより長く助走をして福井北ICより北陸自動車道の上の人とな る。

ところどころで休憩しつつ勇んで北上するが、徳光PAで「安全運転警告装置」のホーンコー ドの接続部が破損してしまい、どんな速度で「監視装置」の前を通過しても警告音が聞こえな くなっていることに気が付いた。

さっそく気分がへこんでいく。仕方なく公衆電話の電話帳で金沢市内の電気店を検索。超ミ ニプラグのイヤホンを置いているか尋ねる。幸い2件目で店を見つけ、金沢西にて購入・復旧。

あるエリアで休憩していると金持ちそうなライダーから声を掛けられた。話をしているうち に我が車のタイヤを見て曰く、
 「あぁ、ひびが入ってますね。バーストしますよこれ。 破裂するんです」
という。見れば確かに露天駐車が永かったせいか、タイヤの三分の一程 度が乾燥して同心の弧状に細かいシワのようなひび割れが入っている。不吉なことだ。おとと い車検から帰ってきたばかりなのに、このあとずっと気になって仕方がない。

さあ、先は長いものの単調なコースだ。走りなれたためか、相次ぐトンネルも苦にならな い。淡々と行く北陸道である。

たんたんと走るが、「三条燕」あたりにくると激しい眠気に襲われた。目の焦点がきちんと 合わないのだ。ボーッとしてしまい、気が付くとセンターラインを割ってしまいそうだ。

これはたまらないと、黒崎PAで30分仮眠を取る。

今回のツーリングは装備の準備がなかなか進まず、ようやく荷物をパッキングできたのが 午前2時、起床は午前4時だったから眠たいはずだ。

仮眠から覚めるとやたら元気である。磐越道に乗り換えて会津若松を目指す。猪苗代湖畔 でキャンプしたいのだ。

奥会津の山々が見えてくる。遠くの山は青ではなく黒く薄墨の絵のような色あいである。水 蒸気が少ないためだろうか。いよいよ山深い国に来た気分である。

会津若松ICで降りると、もう真っ暗であった。まずインターを降りると健康ランドの大きな 看板が見える。気持ちがグッと引きずり込まれるが、ここで施設に泊まるのは堕落だと、心に ムチ打って猪苗代湖北岸・東岸・南岸を目指す。

標識に従うと北に向かいどんどん猪苗代湖から離れていく。あの巨大観音の裏を通っていく らしい。地図を見てないので不安になるが、すでに気分は捨て鉢になっている。寒い。かなり寒 い。市街地を離れると真っ暗である。これじゃキャンプ場がどこかも、どこにテントを張ってい いかもわからないや。

猪苗代磐梯高原ICに着くまでにはビジネスホテル泊を決意。郡山まで高速で移動し、駅前の ビジネスホテル泊。予定より遠くまで来たから「堕落」ではないことにする。

ホテル投宿すれば、すぐに浴槽に湯を溜める。ドボドボ音がしないようにシャワーホースで 溜める。好みの湯加減に仕上げれば冷えた体を湯に浸す。
  「フーッ!」
風呂から上がれば暖房を入れ、備え付けのポットで湯を沸かす。持参したコッヘルにインス タントラーメンを投入して食す。今日は12時間以上走って疲れた。居酒屋を探すことも思いつか ず寝てしまう。

朝、目覚めれば快晴である。郡山駅前など訪れる機会もあまりなかろうと写真を撮っておく。

霊山を目指す

霊山と書いて「りょうぜん」と読むらしい。検索サイトで調べればそれなりにヒットする人気 があってお手軽な山であるらしい。拙者のお薦めは霊 山登山ルート案内。初めて行く人にはイメージがつかみやすいだろう。なお、霊山という名 前の由来などは下記参照。霊山の場所はここ

 自然の造形、霊山は2500〜3000万年前の火山活動から生まれました。
貞観元年(859年)に、京都比叡山延暦寺の座主円仁(慈覚大師)が開山し、インドの霊鷲山(りょうじ ゅせん)になぞられて「霊山」と名付けたと伝えられています。その後、霊山は3600の僧坊を数える 東北山岳仏教の一大中心地として栄えました。しかし、南北朝の動乱ですべてが焼失(1347年)し、 今は礎石が残るのみ。山だけが変わらずに、時の移り変わりを見つめてきました。
霊山町ホームページ霊山より。

さて、郡山駅から阿武隈川を渡り、国道288号線を東進する。郡山というところが交通の要所であ るがために栄えているということであるが、郡山への通勤や物資等の通路になっているためか、延々 と住宅や商店、つまり町が道の両側に続く。交通量も少なくない。道が広くなってるのに人の気配が なくファーストフードとサラ金の看板だけが視界を埋めるような「フ ァスト風土」というわけではないが、バイクツアラーとしてはあまり面白くない道である。た だシャッター通りというわけでもなくそれなりに活気はある道である。通勤の車とバス、高校生の自 転車の行き交う埃っぽい二車線道路を東進する。

国道288号線は20kmほど進めば国道399号線に乗り換え、北上する。昨夜は霊山のふもとまで行っ て野宿しようかとも思ったこともあったが、国道399号線の三桁ぶりを走れば、陽の下を走ったほう が安全であったようだ。

国道399号線は時には山岳林道、時には大きな農道のように道幅に振幅をもって広狭くりかえしな がら北上する。天気はよく振り返っても誰も居ない。民家がないというわけではなく、むしろ見える 民家は多い。なぜか家々は白っぽい壁に緋色もしくは 丹色の屋根が多い。緑の山に白壁・赤屋根、青い空という景 色は、見ていて面白くない。

途中、マップルに「眺望抜群の峠」とあるも、そういうスポットは見つけられなかった。

昭文社のツーリングマップルといえば、いつもお世話にはなるが、やはり以下のことは強調し ておきたい。

ほどなく、と言っても10:30頃霊山に到着。

足竦む絶景の霊山

霊山のふもとの駐車場に到着し、見上げるとネットで見たとおりの姿である。トイレに行ってペッ トボトルに手洗いの水を詰める。きれいな水のようである。登山案内リーフをポケットにねじ込み、 ペットボトルは腰につけ、杖は持たずに登山口へ。

ライディングシューズの底は厚くて硬いが、運動不足のため歩幅を小さくゆっくり歩く。ライディ ングウエアの前は開け、トレーナーは脱いで腰に巻く。デジタルオーディオでバロックを聴きながら歩 く。かなりきつくなった頃、「宝寿台」入り口へ到着。巨大な岩を見上げる。取り付けられている鉄は しごを登る。

「宝寿台」からの眺め。

「宝寿台」から鉄はしごを降りるときが怖かった。ゆるりと次の「見下ろし岩」へ向かう。

「見下ろし岩」からの眺めはすごかった。崖のふちまで行って、さまざまな方向をさまざまな設定 でデジカメ撮影。

と、引き返そうとすると足が竦んでしばらく動けなくなってしまった。

「国司沢」に向かう。

「国司沢」は少し藪の中を下って、身長ほどの鉄はしごを降りる。降りなくても見ることができるの だが、降りたところの見晴らしはなかなかであった。

さて、全部まわると3〜4時間かかるので、ここで来た道を引き返す。途中「日暮岩」に立ち寄る。 やはり鉄はしごで岩の上に立つ。こっちは山ばかりの眺めで少しつまらない。

もういちど霊山を見上げて、今度は立石寺(山寺)に向かうのであった。

立石寺は遠かった

立石寺は地図を見れば山形市、天童市の東脇にある。

まず、国道115号を西に行き、国道349号にて北上、さらに国道399号に乗り換えると、国道399号は、 はるか茂庭から米沢盆地までいざなってくれるルートである。

昼食も取らず喜んで走る。朝食はビジネスホテルのサービスおにぎりであった。

国道4号線を横断し、国道399号を走れば飯坂温泉である。温泉街内は道幅狭くなるも、温泉街を抜け てしまえばだんだんに山深く、或いはどんどんと道細く、ウキウキしてくる。

広狭繰り返す中には美しげな渓谷もある。

と、開けて見えるのは摺上川(すりかみがわ)に真新しいダムがある。ダム湖の名称は「茂庭っ湖」 だという。

広くて整備された道路、こげ茶色のガードレール、そして人気(ひとけ)少ないインフォ メーションセンター。

ただ、空き地がたくさんあり、野宿するには都合がよさそうだと思われた。……あとで聞けば野ザル が多くて大変らしい。

再び山の中へと国道は吸い込まれていく。

小集落をつなぐ山道を行けば、「熊出没注意」の看板も新しい。

山岳林道を上り詰めれば「鳩峰峠」である。立石寺はまだ遠い。時間は16時だが……。山形県側に山を 降りる。陽の傾き、地図、疲労度その他を勘案して、引き返して鳩峰峠での野宿を決定する。

とりあえず、ふもとの郊外型スーパーで食材を仕入れる。さすが山形、いも煮会用の鍋などを無料で貸 し出すコーナーもある! バイクにガソリンを入れ、温泉に向かう。今地図を見ると「鈴沼温泉」とあるが 気づかず「温もりの湯」 を目指した。

しかし温もりの湯は休業中であった。

喜んで来た道を引き返す。

「はちの巣」への投稿。

鳩峰峠頂上山形・福島県境付近の駐車・展望スペースは米沢・東置賜の盆地を望む絶景 のロケーションです。
 付近にトイレはありますが、水はありません。高畠町に下りれば、コンビニもスーパー、運動公園も あるので、食料を仕入れてペットボトルに運動公園の水道からの水を詰めれば大丈夫。
 2006年9月21日現在休止中でしたが、少し西に直行すれば浜田広介記念館横に町営の「温もりの湯」 があります。
    URL:http://www.town.takahata.yamagata.jp/kanko/townmap/muku.html
 風雨を避けるものはありませんが、山頂近くで樹木もほとんどなく草原になっているので、熊が出る 心配もない・・・と思うのですが自己責任で。
 山形側の坂は急で隘路になっているためか、夜間・早朝の交通量もバイク×1、四輪×2だけでした。
 2006年9月引き返してテントを張りました。夜は夜景が望め、朝は米沢盆地一帯が朝霧の雲海の下に沈 んでいるのをいち早い陽光の下に一望することができました。テントの夜露も下界よりは1時間は早く乾 いたと思います。
 概ねきれいな場所でしたが、タバコの吸い殻が目立ちました。
 なお、鳩峰峠福島県側国道399号線沿いの「茂庭っ湖」「摺上川ダム」付近は、野宿地として魅力的 なスペースが多いのですが、野サルも多いそうです。

夜はラーメン、朝は米と決めていた。テントを設営してラーメンを食す。野菜は濃厚野菜ジュースで済 ます。付近をうろついて暮れ行く茂庭、暮れ行く米沢盆地をさまざまに撮影する。

あたりはルリヒナギク(春にも咲くが秋にも咲くらしい。うす青い色のヒナギクである)がたくさん咲 いていて、漢方薬のような匂いが立ちこめている。ほどなく米沢盆地に灯がともり、金砂の網が闇に輝くよ うになればアルコールの力も借りて就寝。通行車両は2台であった。

立石寺は遠かったのだが、すばらしい宿営地を得ることができて満足である。

立石寺(山寺)

5時に目覚める。朝霧の雲海の下に沈んだ米沢盆地を見て喝采! ニッポン沈没を予期して高台に非難し た独りだけ賢い人の気分である。ワハハ。下で宿営していたらビショビショに濡れていたことだろう、と振 り返ると此処なるわがテントも濡れている。

テントが乾くのを待ちつつ、再び付近を徘徊して朝日の中をあーだ・こーだとさまざまにカメラの設定 や角度やズームを変えては撮影する。

夜はラーメン、朝は米と決めていた。決めていたが無洗米が玄米しか売っていなかったので、健康なこと に玄米である。缶詰・味噌汁・玄米・野菜ジュース。うまい。玄米が思いの外うまい。

モシャモシャと食べ終わり、食器をゆすいで再び徘徊する。7時も過ぎて8時頃からようやくふもとの高 畠町の雲が晴れてきた。それでもまだテントのフライシートも乾かず、結局パッキングし終わったのは9時 前となった。

さて、再び山を降り、今度は国道113号から二井宿を経て金山峠を越える県道13号を行く。ここはツーリン グマップルではお勧めコースの色に縁取られているが、とくに印象に残るものはなかった。いつのまにか終わ っていたという感じだ。

国道13号線に乗り北上、山寺に行くに迷いはない。標識に従う。門前の商店街を一回りして駐車場に停める 。有料。

門前の店々には味がある。まんじゅう、干菓子、蕎麦など売っている。店の裏の川では平日だというのにさっそく「いも煮会」である。

正しく山門より立石寺に入り、根本中堂から順に拝観する。観光客も少なくはない。体をなでるとよい布袋さんだとか、本堂だとか、芭蕉の句碑だとか撮影できるものはどんどん撮影する。寺の拝観道にもみやげ物屋などがあり、ダンゴ三兄弟状態のコンニャクをしょうゆで煮ただけの「ちからコンニャク」が売られている。
    「これからですか? コンニャクいかがですか? ちからコンニャク食べてお参りください?」
そうか。コンニャクで力が出るとは少しも理解できないが、「コンニャクで力が出る」とは誰も言っていない。100円なので腰掛けて食べてみる。……しょうゆの味しかしないそのままの味であった。

さあ、食べ終わればいよいよ「山」寺である。急な階段を登っていけば、見上げる岩壁に無数の孔あり、また仏教的呪文・願掛文らしきものが刻されている。

階段の踊り場にあたるところには小さな「院」もあり、さまざまな役仏が祭ってある。ようやく到達する頂上は「大仏殿」であり内部の撮影禁止。奉納されている額や絵馬の類を見れば三重塔あり、期待に胸膨らむ。

さて、順路に従い国宝三重塔である。上を見上げても塔らしきものなし。岩窟の中の小さな模型がそれであった。あとから来た観光客もあたりを見渡して模型に気づくとため息をもらしている。

立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、大師の木造尊像が安置されており、朝夕、食飯 と香を供えている。
 向かって左、岩の上の赤い小さなお堂は、写経を納める納経堂で、山内でもっとも古い 建物である。県指定文化財で昭和62年に解体修理が行われた。その真下に、自覚大 師が眠る入定窟がある。
 断崖の建物は五大堂といい、天下泰平を祈る道場で、山寺随一のパノラマが広がる。 目前に山寺の門前町や風雅の国、二口峠などが望める。     http://www.ne.jp/asahi/yamagata/info/yamadera/yamadera.htm

私としては納経堂の姿と五大堂からの眺めが気に入った。ただし、五大堂は結構な賑わいであった。ただ、昨日霊山にいたので、迫力の点で少々乏しかったのが残念だ。

銀山温泉へ

山寺は期待から少し外れてしまった。駐車場のトイレで水をペットボトルに入れてみるがすごく汚い。水の確保は断念する。

もう昼は過ぎている。国道13号に戻り北上する。銀山温泉に「能登屋」を見に行くのだ。県道29号への分岐を目指すと道の駅「むらやま」に14時着。腹が減ってきた。山形といえば「板そば」である。今まで何件か板そばを食わせる店を見つけたが、ちょうど腹も減っているし、値段も観光地価格としては安いほうだ。

食堂のサンプルを見れば「だしっ付板そば」とあり、麺つゆ、漬物、とろろのようなもの、竹の子、そして板そばである。「だし付」って、「かつおだし」でもなければ「昆布だし」でもなさそうで、出された「板そば」は板に「盛られた」というより「散らされた」ただのそば。写真一番手前の赤い湯飲みのような器の中は、とろろ芋・きゅうり・しそ・その他を小さく刻んだものが「おちょこ」一杯弱である。浅漬けのような味。

少し食べてから、もういちどサンプルを見に行って、そうして席に戻って店員を呼び止める。

くらげあの、赤い湯飲みのようなものの中にある、細かく刻んだものは、どうやって食べるのですか。板そばというのは何か特別な食べ方があるのですか?
店 員えっ? あぁ、あ、だしっ。だしっですね。だしっはですね……
くらげダシ?
店 員ええ、あの刻んだものは“だしっ”て言うんです。ここらの名物というか、地元の食べ物ですね。それでご飯とかといっしょにみなさん召し上がるんです
くらげあぁ、ダシ。っ。あれは何なんですか?
店 員だしはですね、きゅうりとかシソとかなんだかとかかんだかだとかを細かくですね刻んだものです
くらげどうやって食べるのですか?
店 員そばと一緒に味わって召し上がってください。
くらげわかりました。。。

こんなチョロッとしたプツプツ浅漬けを「味わえ」ってか。もっと、器に半分くらいは欲しいわい。なんでこんな大きな器にこんな少しなんだ。そばだってただのそばじゃん。ま、いいか。板そばの板ももっと大きいんじゃないのかなぁ。僕が本当に食べたいそばは細くてツルツルしたそばなんだ、ホントは。

なお、「だしっ」について言及したブログなどはありますが、とりあえずここ

板そばを食した後、売店・みやげ物売り場あたりを徘徊する。「ゆべし」がある。試食してみるとクルミが多く入っていて大変うまい。「ゆべし」の横には「くじら餅」があり、試食してみると「ゆべし」と同じような味で少しやわらかい。販売のおばさんに尋ねてみると、「ゆべし」に上新粉を多く混ぜたものが「くじら餅」であるという。「くじら」は「久持良」であって、「ゆべし」より長持ちするから「久持良」なのだという。ネーミングに感心してしまい、両方とも購入してしまう。買って気づけば「くじら餅」の方が早く賞味期限が訪れる。長持ちした上での賞味期限であるので仕方がない。硬くなったら焼いて食べろと言われているからそうしよう。

道の駅から県道29号を探すのに少し北往南往したが、どうにかこれに乗る。この道は狭隘な山道の部分があって対向車と遭遇すると恐いのだが、景色は良い。この写真を撮って走り出してすぐ四輪と離合となり脂汗をかいた。

さて県道188に出て東に行けば「銀山温泉」である。

行ってみれば温泉街は道の突き当たりに位置し、車両の乗り入れはできない狭い温泉街である。というか、バイクなんかは停めやすいところはなく、お車様優先の一帯となっている。少しむかつきながら進入していくと、完全に温泉街となり、楽しそうだ。ただし、店はなく駐車場も旅館専用のものばかり。路上の適当なところにバイクを停めて、能登屋を見に行く。観光客がすごく多い。道はすごく狭くて人が二人並べばほぼ一杯である。

ここをそぞろ歩くのは楽しかろうが、どうもバイクと自分の格好が「排除された違和感」がある。「大正ロマン」のお上品な風景に溶け込まない自分が居るのである。しかしそれはバイクとライダーに冷たい温泉街に非があるので、かまわずヅカヅカ歩いて写真を撮りまくる。撮りまくるが、案外「狭ちいさい」のと人が多すぎるのでゆっくり落ち着いて撮影できない。半端な停め方をしたバイクも気になる。

撮影もそこそこにして「よそ者」は立ち去ることにした。

若あゆ温泉へ

「初日が良かった」という思いが強く、またバイクにそぐわない感じを残念に思った銀山温泉であった。

明日は平泉で金色堂を観るぞ。と、北上した場合の身の落ち着け所を検索する。距離的には舟形町の「若あゆ温泉あゆっこ村」のキャンプ場マークがぴったりである。

電話してみるとテント持ち込み1張り2,000円だという。OK。

国道13号を北上して到着してみれば16:30とちょうど良い。

写真のようにテント「お立ち台」があるので、ドカシーは敷かずにテントを張る。ドカシーはバイクにかぶせておく。

あゆっこ村は前述の通り利用料2,000円とやや高い。薪一抱えが利用料に含まれているらしい。坂のすぐ上の「若あゆ温泉」は350円の別料金だが、あゆっこ村宿泊者は夜は21時まで、朝は6:15から8:00まで何度でも入浴可能である。
 あゆっこ村内には、野球場、サッカー場、ゲートボールコートも有り、宿泊はテントよりもコテージが中心のよう。今、下のページを見るとバンガローもあったのか。バンガローにすればよかったな。コテージとは別荘のようなものであってキッチンなどがついている。
テントサイトはいくつかあるらしいが、木製のテント用の台があってトイレ・炊事棟は別にある。炊事棟は大変大きく立派であり窓・引き戸がついていて、テーブルや椅子まである。風雨をしのげるつくりだが、あの締め切った中で複数のキャンプーが薪に火をつけたら相当に煙かろうと思われる。
 管理棟は朝の6:30から夜は23:00まで開いていて、喫茶・軽食、売店も兼ねている。
参考サイト
    http://www.yamagatakanko.com/nly/camp2/c31.html
    http://www.town.funagata.yamagata.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=1022

テントを張れば温泉だ。ここの温泉からの眺めが良い! 小国川の北岸に位置し、川の両側の平野部の向 こうに月山などを望むことができる。

ゆっくり湯に使った後はテントに戻ってラーメンを作る。昨日買った半熟ゆで卵とワカメサラダもラーメ ンに投入する。炊事棟があるからコッヘルもきれいに洗えて嬉しい。さて18時を過ぎるとどんどん暗くなる。 外灯が点灯してまぶしい! 道に近かったテントを移動させる。アルコールで入眠。

寒くて目が覚める。午前2時。外灯は煌々とついている。それだけではない。坂の上のゴミ置き場の横の ポンプ2台(音が違う)が一晩中
    「ギャーーーーッ」
    「ギョーーーーッ」
と交互に叫び交わし、やかましいことこの上ない。一晩中である。

ここはお車でやってきて「コテージ 」に1万円もお支払になってご宿泊される方々は厚い壁やドアの向こうで静かにお眠りになるが、2,000円しか払 わず、外気と布切れ一枚しか隔てずして爆睡するキャンパーにはポンプの爆音お構いなしなのか? なのだ。格 差社会だ。

それと寒さだ。このテントお立ち台はスノコ状になっているせいか、冷気が真下からやってきている気がする。ドカシーを敷くんだった。ああ寒い。正しくも持参した貼るカイロを背中に貼る。一昨年のカイロであるが、まじめに貧者の背中を温めてくれる。ありがたや。

それでも4時に目覚めてしまう。うつらうつらして5時には外を徘徊する。トイレに行く。顔を洗う。湯を沸かしてコーヒーを飲む。カァっ、カァーっとカラスが鳴く。ゴソッ・ゴソゴソゴソッとリスがブナ類の落ち葉の上を走って木に登るのも目撃。

まぁ、ポンプのおかげで熊も来なかったと。玄米の飯を炊き、味噌汁で食す。

あたり一面霧でフライも濡れている。食器類を洗い、風呂に行く。せっかくの朝も霧で何も見えぬ。

7時のテレビで天気を確認。晴れる。温泉館内を徘徊し、売店で「ラフランスの卵」というまんじゅうと、「かりん羊かん」「ブルーベリー羊かん」を購入。子どもが羊かんが好物なのである。竿モノばかり四つもある(ゆべし・くじら餅・ようかん二種)。

羊かん類はディバッグで背負うことにする。去年はパニアとリアバッグで余裕のスキマがあったのに、今年は着替えと防寒具に力を入れたため土産を詰め込む隙間がないのだ。

霧はなかなか上がらず、ここ「あゆっこ村」を発つのも9時過ぎとなった。

世界遺産立候補、平泉へ

「あゆっこ村」からそのまま東へ行き、国道47号線に乗る。国道47号線は新庄市付近と東北自動車道古川ICとを結ぶ道である。地図的には、県道28号線が松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの街道であり、とりわけ「山刀伐峠(なたぎりとうげ)」はかなり魅力的であるが、今回は見送ることにする。また、鳴子温泉街も楽しそうだし一度行ってみたかったところだが、いつになるか分からぬ次の楽しみにする。

国道47号線から国道457号線の分岐近くにある道の駅は「あ・ら・伊達な道の駅」である。立ち寄る。車で大変混みあっている。空いたスペースに滑り込んで中を徘徊するが、とても活気があって、楽しい。いろんなものを買いたくなる雰囲気だ。ここに立ち寄ったのはしかしそうではなく、気になっている会津若松の健康ランドの営業と料金の確認である。テレホンカードを購入し公衆電話104で電話番号を確認し、健康ランドに電話する。料金は2,000円だと。OK。今日のキャンプと同じである。

さて、国道457号線から国道398号線へと乗り継いで築館ICに乗る。築館IC付近では日章旗・チョッパーはんどる・前上方に突き出たカウルの奇形金魚のようなバイク群を初目撃。ああいうものを売っている店と買う青年が居るのだなぁ。

淡々と東北自動車道を北上する。中尊寺PAで小休憩し、平泉前沢ICで降りる。平泉は中尊寺へ。駐車料50円と有料だが良心的。そしてきちんと案内してくれる。今日は土曜日であり観光客はますます多い。

拙者の中尊寺関連の知識はNHKの大河ドラマ「炎立つ」とその原作、高橋克彦『炎立つ』から得たものくらいしかない。

まずは土産物屋の下見である。蕎麦屋の比率高し。どうも値段が書いてなかったり、量が不明だったりで、今から坂を上るであろうこの中年の内臓に投入するそばが少なすぎても多すぎても不味くても体調が悪くなるであろうから、食事はしない。みやげ物もどこかで見たような饅頭と干菓子である。ずんだ系のものが目新しいがやや高額である。

もう12時は過ぎていて腹が減っている。減っているが山門をくぐる。

長い登りである。ところどころに八幡堂だ弁慶堂だというお堂がある。いちいち立ち止まって正面まで行くけれど、よほど奇抜な建築でなければどれもこれも同じように見える。

中尊寺本堂に到着。中を拝めばインドなポーズの仏像。古いけれども庶民的な雰囲気が好ましい。逆に言うと建物が高くないせいか、あまり「寄せ付けない威厳や荘厳さ」というものがあまりないのだ。大きいものの親しみやすいという感じ。

つぎは
    「さみだれの 降り残してや 光堂」
金色堂である。金色堂に入る前に資料館で説明と資料を見学。そして金色堂である。藤原三代(四代)の栄華である。

一般に鎌倉以前の関東以北の歴史はあまり知られておらず、重視もされておらず、教科書にも載っていない。はっきり言って、全面金で覆われた金色堂は間近で見ることができるとはいえ、金閣寺にはスケールにおいて劣ること断然である。しかし、源頼朝が夷(えびす)の地においてこれにまみえたとき、この文化の力、技能と余裕に対しては心底敬意を抱いたに相違ない。むろん、金色堂だけではないのである。

金色堂のあとは白山神社能楽堂(重文)などを見学。

それにしてもあっけなかった中尊寺。みやげ物屋で欲しかった「いぶりがっこ」を買う。ご存知「たくあん」をいぶったものである。

予定では福島県の大内宿と「塔のへつり」に是非とも立ち寄ることになっている。帰るにしても、会津若松までは引き返しておかねばならぬ。

さあ、受け入れてくれる施設があるのは気持ちが楽である。何時に到着しても良いのだから。

猊鼻渓を見に行こう。と地図に書いてある。

不親切な標識や案内板をもとに猊鼻渓に到着したのは15:20。どこをどう走ったかよく分からない。そして猊鼻渓もバイクに冷たい場所であった。また、川下りの舟に乗らねばつまらないらしい。もう、15時過ぎといえば夕方である。旅していると親切な声かけに弱いし、ライダーを無視する観光地に対してはこちらも興味がわかない。

そういうわけで猊鼻渓は入り口で引き返す。腹が減ったのでコンビニで肉まんとピザまんを購入・食し、洗濯物と竿モノやまんじゅうのみやげ物を自宅に送りつけ、身軽になる。

このまま会津へすぐに高速に乗るのも芸がない。高速道路に対して10kmほど東を南北に流れる北上川に沿って県道を南下する。

ツーリングマップルの岩手県一関市川崎(東磐井郡川崎村)の道の駅付近の川に「ここから眺める北上川はいい。まさにみちのくの大河」とあるので立ち寄る。どんどん夕方になり行く。

さらに南下し伊豆沼に到着したときはちょうど日没であった。黒々とした伊豆沼の山の向こうに「ボーンと赤く」なっている夕日がみるみる沈んでいく。急いでバイクを停めカメラを取り出し構えるが、夕日を撮ることはできなかった。あっというまであった。

日没を迎え、いよいよ夜が直接にバイクを覆ってきた。もうゆっくり走っても何も見るものがないし、また会津若松くらいまで緯度を下げておかないと、会津若松から京都まで帰宅するのに12時間以上かかってしまうことは「実走」されている。

東北自動車道に乗る。道が頻繁に小さいRで曲がっていて暗くて怖い。どうしてこんなにぐにゃぐにゃなのだ。会津若松市の健康ランドに到着したのは23時頃になっていた。

健康ランド

健康ランドに着き入館手続きを済ませ、荷物とヘルメットを預かってもらうと、韓国テレビドラマ「チャングムの誓い」をやっていた。今日当たり大きなクライマックスであり気になるが風呂に入る。風呂から出ると「チャングム」は後半であったので喜んで視聴する。

実は健康ランドに宿泊するのは初めてである。入館料1,350円+深夜割増650円=2,000円は昨夜のキャンプ場と同じ値段だから、相対的には高くない。

チャングムが終わってもう一度風呂に入って、雑魚寝の間に移動。身体がポカポカするので毛布一枚で横になるも、いびきの激しい客あり。なるほど。こういうリスクがあるんだ。健康ランドには。しばらくすると入ってきて声高に会話する者あり。いつのまにか入眠していた。

寒くて朝4時に目が覚める。うつらうつらして6時くらいにもういちど寒くて目が覚める。毛布一枚では寒い空調になっている、というか温度調節されていない。

起きて風呂に入ろうと部屋を出れば廊下にも階段の踊り場にもゲームコーナーにも倒れている人たちがゴキブリか何かを駆除した後のようである。もちろん寝ているのであるが、「しかばね累々」というコトバがぴったりである。これで何かのシーズン中であればあふれる人でモノスゴイであろうな。

朝食を食べたい者は食べろという放送なので行ってみると600円。腹は減っているが、がまんして健康ランドをあとにする。

大内宿と塔のへつり

今日の目的は「大内宿」と「塔のへつり」である。健康ランドに泊まったので濡れたテントもなく、荷物を積載するだけなので7時過ぎには出発できた。

途中、温泉が近接しているのでキャンプの候補地に挙げていた「せせらぎ公園」キャンプ場を視察。管理棟の料金表を見ると、電源無サイトで「日帰り1,575円、1泊2日3,150円」である。キャンプ自体にどのような楽しみを見出すか人それぞれであろうが、ソロツーリングの市場からはこのキャンプ場は駆逐されているというか自ら退場である。

県道131号を大内峠に向かう。振り返れば会津の盆地を望むことができた。

大内ダム。ダムから小さく大内宿らしき集落が見える。道の法面に生えているススキの穂に朝日が当たり面白いので写す。

日曜日の大内宿である。バイクは有料駐車場ではなく路肩の駐輪コーナーへと誘導される。大内宿についての特段の知識はなく、ただ紀行ものの本の写真と同じ角度でそこに立ってみたかったというだけである。また「塔のへつり」もドライブ誌の3cm×4cmの写真を見たのと大内宿に近いので、という理由。

大内宿は日曜日である。観光客もぞろりぞろりとやってくる。保存地区両側の家々はほとんどみやげ物屋・食べ物屋になっていて、奥会津、山奥の県道沿いの忘れ去られた街道宿という鄙びた風情ではなくなっているし、稲を干す高い柱や竿もない。重要伝統建造物群保存地区に指定されたのは1981年とのことだから、拙者の見た写真はそれ以前のものかも知れぬ。今その本を手にしても発行年月日もなければISBNもないのでやはり古いものなのだろう。

それで観光地化しているとはいえ、明るく楽しい雰囲気である。埃っぽさがなくなって、その味わいはないが上品な感じになっている。拙者の地元京都嵐山のような「いやらしさ」がないのに楽しくて活気がある。ただし、みやげ物の産地や原材料は地元のものとは限らないのだが。

あちこちの写真を撮りながら足を奥に進める。腹が減った。600円の健康ランドの朝飯を食べていない10時である。ぼつぼつ団子やそば、もちなどを売り始めている。ごぼうの菓子も地元産ではないのだがうまそうだ。そばは箸ではなくネギにひっかけて食わせる例のやつを出すのがここのそばらしい。しかし、そばは値段が出てなかったり出ていても800円だったり。600円の朝飯を我慢したのに、団子な歯ごたえのそばを中途半端な量だとしたら800円は高すぎる。

アンコをつけたよもぎ餅か団子なら食べようかと思ったが、そういうものはなかった。道の両側の店をジグザグに千鳥な足取りで縫い終われば、神社らしきものが突き当たり野山の中腹に待ち構えているという仕組みになっている。歩幅の狭い階段を登れば、あの紀行本に載っているままの家並み景色が見られるではないか。秋晴れの爽やかな風も吹いてくる。ふわぁっとそばをゆでる匂いが、屋根より高いこの木々の間にまで運ばれてきて、腹が激しく呻吟する。

景色に感動しつついろいろな設定で写真を撮る。

そこの場に感動すれば、「さまざまな設定で写真を撮る」というのが現代的な感動の様式なのである。これはフィルム写真の時代には庶民には許されなかった行動様式である。デジカメであるからこそ似たような無駄な写真を何枚も何枚も撮ることができるのである。とは言え、電池とメモリを消耗するので、撮るのに気持ちだけはいい加減というわけには行かない。

「さまざまな設定」を一巡してしまえば、早朝・夕暮れでもないので、さすがに似たような写真ばかりになって手詰まりになってしまう。これが「堪能した」サインである。景色に注意しながらもといた場所にゆっくり降りていく。

景観に対する欲望が一定満たされると、残るは食欲である。食欲であるが経済観念がそばを拒否する。アンパンを購入してゆっくり咀嚼するが、あっというまになくなってしまった。

庄屋や本陣跡を見学する。本陣が没落したあと庄屋宅に云々とあるが、「本陣が没落する」とはどういうことなのか訊こうと思ったが訊けずじまいであった。

大内宿、町並みの全てを我が物にしたわけではないが、「塔のへつり」が呼んでいるので空腹を抱えて移動する。県道329号線から国道121号に移れば交通量が多く路肩が狭い。湯野上温泉駅、塔のへつり橋などで写真を撮っていよいよ「塔のへつり」である。

凝灰岩の岸壁が阿賀川によって侵食され、塔が並列して立っているような景色が作られています。「へつり」とは方言で川にせまった崖や急斜面のことです。

観光の順路に従い、無料駐車場に駐車して、歩いていく。大内宿で見かけた学生っぽい若い男二人とすれ違う。拙者を見ての口の動きが「おおうちじゅくでもみた」と言っている。お前たち、仲良すぎないか?

観光地の店は楽しいので立ち入って何が売っているかよく見てみよう。造りかけのマムシ酒(マムシがまだ生きている)、大量のキノコ、乾燥したものもあればヌメヌメと新鮮そうなナメコもある。いろんな饅頭、せんべい。やたら安い干しシイタケは「中国産」とある。そうだろうな。腹が減っているので次々と試食する。アンズをシソで巻いたもの、モモをシソで巻いたものがうまかったがいずれも「中国産」であった。ご当地でなくても良いのだが、中国産ということでは残念ながら安全性に疑問があると拙者は思っている。

小さな出店でヨモギ団子を食す。たしかに団子についているアズキもどこ産か分からないが、甘いものが食べたかったのだ。

いよいよ揺れるつり橋を渡って「塔のへつり」である。「塔」の下部の回廊のようなところを歩くのだが、雑誌で見たのと違って、歩いていける範囲が狭められていて、すぐに「立ち入り禁止」の札である。下の回廊から上のえぐれた部分に登って行くと、お堂がはめ込まれている。

まあ、自然が作ったにしては面白いけれど、写真で見て想像した通りの「つまらなさ」。つまり想像を超える何ものも与えてはくれず残念であった。奇景ではあるので、写真に収めて駐車場へもどる。

とにかく腹が減っているのである。売店でなにか食べようかとも思うが、朝の600円を断念してアンパンと団子、合計300円強で我慢している意義を失うような食事はしたくない。つまり1袋残っているラーメンを食べねば。どこか途中の道端で食べることにして、ここは帰りを急ぐことにする。

腹立たしい「例幣使街道」

塔のへつりから国道121号線を南下したいところだが、道のつながりが良くない。北上して国道118号線に乗り換え、羽鳥湖の西岸から県道37号に乗り換え、東北自動車道白河ICに乗るプランである。これなら山奥の適当な空き地でラーメンを作れるだろう。

いよいよ県道37号に入ると湖の周辺は妙に「アウトドア」観光地化整備がなされていて人けが多い。とうとう湖畔でも峠の中でも炊煙を上げることができず、平地に降りてから道を外れた空き地でラーメンを食すことになった。乾いているようで水溜りもある残念な場所であったが、腹が減って仕方がない。ゴミを残さぬようすばやく作ってすばやく食す。

白河の関はどこだろうと思いつつも白河ICから東北自動車道の人である。

もちろん今日中に京都などという強行軍は考えてはいない。長野県内あたりで一泊である。しかし、東北自動車道に乗り続けると東京に行っちゃう。地図を見れば上信越道の藤岡から佐久、諏訪、中央自動車道というのが直線的でよろしい。佐久・諏訪・飯田のライン上のどこかの安宿に泊まろう。場合によっては松本・岡谷でも良い。

館林ICで降り、国道354号線を西に行く。国道354号線はこのまま上信越道の藤岡IC付近まで連れて行ってくれるはずである。

国道354号線は昔の「例幣使街道」である。途中の役場にも掲示があった。

日光例幣使
徳川家康は死後、朝廷より神号「東照大権現」を下賜され 日光東照社に祀られ神となりました。後、東照社は東照宮と改称する宣下を受け、朝廷臨時奉幣使が派遣されました。 以降、毎年家康の命日の祭礼に「日光例幣使」が派遣されることになりました。 例幣使とは神に祈りを捧げる「金の幣(ぬさ)」を奉納するための勅使です。 この行事は明治維新前年の慶応三年(1867)迄二百二十一年間休むことなく続きました。
http://www.geocities.jp/gkhyagi/5kaido/go-28reiheisi.htm

 例幣使街道
 京の朝廷の使いが、日光東照宮に毎年御幣を捧げるために通った道です。東照宮の例祭に合わせ、四月一日に京を発ち、四月十日に上州に入り、翌日にこの道を通り、十五日に日光に到着したとされています。禄の低い公家が例幣使であったことから、道々金品を強要したり、籠をゆすって落ち金銭を要求したといいます。このことから金品を要求することを「ゆする」と言うようになったとされます。
http://www.sunfield.ne.jp/~s-hirata/kaidou_html/reiheisi.html

例幣使街道の腹立たしさはまず、激しい「ファスト風土化」である。ファストフード、サラ金、何かのチェーン店の大看板が行けども行けども続くのである。もう、大道具のセットを繰り返し使いまわしているような景色が延々と続く。進んだ距離感も得られない。

そしてもうひとつ許しがたいのは埼玉・群馬をまたいで信号の多さと流れの悪さである。安全に車両を「通す」のではなく、とにかく「停める」ための信号である。どんな速度で走っても全ての信号で停止を強要されるのである。手前の信号が青でもすぐ次の信号は赤に変わっていてどんなにゆるく進んでもストップとなる。ここらの地域は地球温暖化推進地域だと言われなければなるまい。

あまりに信号が多くて進まないので、藤岡まで行くのをやめ、本庄児玉ICに逃れる。ほとんど夕方である。

腹立たしい佐久。携帯格差

あまりに例幣使街道に時間をとられ、佐久に到着したのは日没後となった。「夜」である。意識して佐久に降り立つのは初めてである。

とにかく駅前に行けばビジネスホテルがあるだろう。ICから駅までやや遠いが迷いはしない。駅前に行けば大きなホテルが健康ランドもかねている。健康ランドか。ここにしようか。バイクを乗り入れるもどこに停めてよいかわからない。車で一杯である。礼儀正しく停めるところを探しているうちに建物の敷地から出てしまわねばらなくなっている。もういちどチャレンジするも失敗。敷地から排除される仕組みになっている。うらめしくホテルを見上げれば「一泊6800円より」とある。高い。バイクに冷たいホテルは人にも冷たかろう。こちらからお断りである。

今、インターネットを見れば、インターネットで見れば、健康ランドに宿泊するのは不可能である。http://www.sakudaira21.co.jp/newkenko/ 24時間営業していない健康ランドって別の名称にしてほしいものだ。

もうひとつ駅ウラに行くとアーバンな感じのホテルあり、ここもバイクの停めどころがよく分からないし、値段も分からないので、駅の公衆電話にて電話番号を調べて尋ねてみるが、通話中である。何べんかけてもツーツー音なので、もう諦める。もともと気が短い拙者である。

この公衆電話の電話帳で調べると、少し南の「中込」まで行けばホテルがありそうだ。ここでだめなら松本にでも行こう。ここ、佐久平駅前はホテルも店も、鉄道で来た人(新幹線の駅がある!)か、お車の人を相手に商売しているようである。

国道141号を中込に南下する。どのくらい走れば中込かよくわからん。公衆電話がなかなか見つからない。少し前まではコンビニには必ず公衆電話があったものだが、今はコンビニにすら公衆電話がない。寒い。暗い。疲れてきた。ホテルはどこか。このときはばかりは携帯電話を持っていたら楽だろうにと思わずにはおれなかった。

ようやくコンビニの近くの公衆電話を見つけて目当てのホテルに電話する。6300円とここも安くないが、真っ暗な中、野宿の場所も見当つかず、これで休めるとホテルに投宿。バイクにやさしく停めやすいホテルであった。朝飯も別料金ではないし。

長野

さて、飯田あたりから高速に乗ろう。朝は7:30出発。やっぱりテントをたたまなくて良いのは楽である。 佐久から国道152号線で白樺湖に向かう。白樺湖から茅野。視界が開ける。火の見やぐらの見える坂の景色が気に入って「さまざまな設定で写真を撮る」。
参考HP
    http://www.geocities.jp/hitahita_ya/index.html
    http://hinomi.rocket3.net/index.html

なんとなく走っていると正しくも杖突峠。やっぱりここからの眺めは良い。そして高遠である。去年の春高遠の桜を家族で観にいった。
    「高遠なんて車で3時間くらいだからすぐやで」
事実は6時間である。結果として妻子をだまして連れて行ったのだが、高遠の桜は良かった。山が桜なのである。

さて高遠から伊那のICに乗るのも芸がないし、国道は込んでいるから、県道18号を探して南下する。

この道は悪くはない。火山峠を越えれば天竜川沿いを広狭織り交ぜていく。ただし、狭いところはカーブミラーの設置数も乏しく、対向車要注意である。

京都へ帰る

県道が終われば、たちまち中央自動車道の人である。ツーリングはオワリとなり、日常が混み合う京都へと帰る。首の後ろがまた暑くなってきた。


MENU