お手洗い3本め
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女子トイレ

けつ脈

男子トイレ


子供のときは、血脈などというものをそんなに意識していなかった。だが、近頃はそれを身に染み入るほど再認識せざるを得ないことが多い。期せずして、この文を執筆している今日は僕の33回目の誕生日。知らぬ間に、完全な中年のオッサンに成長してしまっていた。今回は、そんなオッサンならではの悲しいお話をしよう。
「オマエもなるで。そのうちに・・・」
呪いをかけるが如き、そんな父親の言葉を信じていなかった。いや、信じたくなかったのかもしれない。まだ、元気溌剌としていた少年期から青年期にかけての僕にとって、自分がそんな目に遭うなんて想像したくなかったのも無理はない。父があの状態になるとき、洩れてくる苦痛に耐える声を聞くのがつらかった。仕事のための付き合いとはいえ、深酒をしすぎたから父はそんな目に遭うのだと勝手に決めつけていた。だが、今から思えば、それは悲しい血脈による業苦であったのだ。
ある時、親戚から電話があり、父は出かけていった。父は9人兄弟の末っ子だ。兄弟姉妹が示し合わせて、生駒山の麓にある石切さんへ行ったらしい。そう、その病魔は父のみではなく、兄弟姉妹にも分け隔てのない責め苦を与え続けていたのだ。石切さんへ兄弟姉妹が揃って出かけていったのは、神仏のご利益にすがりたい思いと娯楽を兼ねた連帯行動であったのだろう。後日、兄弟姉妹と父がその時のことを話題にしていたときには笑いながら話していたが。

その病魔は血脈を辿り、突如として僕のもとへやって来た。
日本考古学協会が茨城県で開催されたとき、考古学の師匠F田夫妻と大学時代の先輩にくっついて、常陸風土記の丘へ見学に行った。チケットを購入し、園内へ入って間もなく便意を催したため、「ちょっと便所行ってきますわ」とF田夫妻に告げてから個室へと駆け込んだ。用を終えた直後、病魔が僕の身体の占領完了を宣告した。大量の出血。痔持ちのケツ脈・・じゃなくて・・血脈のなかに自分が存在していることを痔核・・、いや、自覚した瞬間であった。
その後、マシになったり悪化したりを繰り返しつつ、現在に至っている。ボ●ギノールプ●ザSなどの座薬の使い方も上達してしまった。あれは、夏場の暑いときは、溶けないように冷蔵庫にて保管すべきだということも身をもって学んだ。入院・手術を経験したある人からは「大爆発する前に手術したほうがエエで」との教示もいただいたが、大爆発でもしないかぎり職場を放棄して入院する言い訳も立つまい。
現場仕事よりもデスクワークのほうが増えている現在、臀部にかかる圧力のせいか、けっこう酷い痛さの時もあるので、そうした痔病・・ではなくて、持病をもっていることは、妻にもしっかり知られてしまった。願わくば、将来生まれてくるであろう我が子が、母方の体質を受け継いでくれることを心より望む。

(2000年09月29日)
おがみ大五郎


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