雲南に少数民族を訪ねて
(A)

 2004年12月23日(木)〜12月30日(木)の8日間、中国「雲南」に少数民族を訪ねた。メンバーは、男4人。内訳は、中国語が堪能なMさん。少数民族に関心を持ち研究をしているFさんとTさん。そして、私(A)は、新しい体験を求めて参加した。

雲南行程

1日目

 12月23日(木)14:00に関空到着。東方航空MU752便が1時間遅れたため、16:00発が17:00出発となった。この時期は、昆明までの直行便がないため上海経由となる。19:20(1時間の時差のため北京標準時18:20)上海到着。上海で時計を現地時間に合わせる(以後は現地時間)。入国審査があり、同じ飛行機に乗り19:50出発(上海には1時間半のトランジットとなる)。
 昆明に22:50到着。空港前の「昆明観光ホテル」(三つ星)に入る。フロントに2人の女性がおり、価格交渉をする。ツインの部屋を240元以下に下げないので、他のホテルへ移動しようとしたとき、空港から我々の後をついてきた現地の旅行ブローカーが200元にできるというので、彼に交渉を任せる。結局、朝食付きで220元/1部屋で泊まることができた。フロントには一部屋500元とか書いてあるので、現地の旅行業者を通して予約すれば安く泊まれると思った。
 部屋に荷物を置き、先のブローカーに聞いた街の食堂へ行く。近くだと思って歩いてもなかなか着かないので、結局またホテルへ戻り、タクシーで行く。タクシーで5分ぐらいの距離に何軒かの食堂が集まっている一画があった。方向はあっていたのだが、一つ筋を間違えていたのだ。角の麺類の店に入る。麺といろんなものを注文し、ビールを飲む。(55元)。チョイスした食材は外の焼き手がほどよく焼いてくれる。エレキギターを持った流しが傍に来て、私たちが日本人と分かっていたのか、「乾杯」を演奏した(チップを渡す)。
 食事が終わる頃、道にいた物乞いの人が皿をもって中に入ってきて、残飯をくれという。道に出ると、物乞いの人が金をくれとせびってきたので、同行者が少しあげた。日本では見ない光景なので当惑した。

※映画「あの子を探して」<1999年コロンビア「Not One less」>(監督張芸謀、主演魏敏芝)では、村の貧しい11歳の少年が、出稼ぎに街に出て、駅で同行者とはぐれてしまう。(行く先も分からず、お腹をすかせて食堂の客が食べているテーブルの前を物欲しそうに見ながらうろついていると)、その食堂のおばさんが麺を食べさせてくれて、皿洗いをしたら食べ物をやるからテーブルの周りをうろつくなと叱るシーンがある。また、テーブルの客から余った串をもらう場面もある。少年が街に行った2〜3日後、少年を捜しに13歳の代用教員の女の子が街に出てくる。お金もほとんど持ってなくて、尋ね人のチラシを書くために、筆と墨汁・紙を買うと所持金の6元はなくなってしまう。少年を捜しあぐねてお腹を減らし、ある食堂のテーブルの上の残飯を拾い食いするシーンがある。(映画のキャプションでは、1999年、中国では、100万人の子どもが貧困のため学校を離れたという)。

 私が子どもの頃、街に物もらいの人がいた。家にも巡礼のような人が来た。物乞いの人に少しお金をあげるということをついぞ忘れていた。

上海で中華航空を一旦降りる 昆明観光ホテルロビー 夜更けの昆明、食堂を探す  食材をチョイス
中国の流し 翌朝、昆明飛行場内部

2日目

 12月24日(金)朝食をとり、9:00に「R」(妹)さんと会う。景洪のガイドとホテル、麗江のガイドとホテルの手配、麗江〜混明の航空券の手配をお願いする。結果的に、いいガイドといいホテルに恵まれた旅になった。声楽家の「R」(姉)さんが、旅行社に勤めているR(妹)さんを紹介してくれたおかげだ。
 ホテルの隣の中国銀行で両替する。(2万円で1581元だった。1元13円ぐらい、何回か両替したがだいたい同じレート)。
 10:00空港で、麗江〜昆明の航空券を受け取る。(580元*4)。航空券の名前が違っていたため、2人分の航空券は麗江で受け取ることになる。
 東方航空MU2467便で昆明を10:50に出発し、西双版納(景洪)に11:40に着いた。空港からタクシーでホテル(錦都大酒店)に行く。(タクシー代30元、錦都大酒店150元/room朝食付き)。
 ホテル横の「農林南路」に、カフェテリア風の露天のレストランが道沿いに何軒かあり、その一番近いレストランで昼食をとる。野菜や魚・肉などチョイスし注文する。果物売りや靴磨きが席に来る。虫も食べた。(210元、スッポンのスープが100元近く、かなり高めの食事代)。
 テーブルを後に「西双版納民族風情園」の方に行こうとした時、物乞いの集団に囲まれる。私は子供の物乞いにしがみつかれ、10元をあげた。食事終了間近に、赤ん坊をオンブ紐で背負って女性が我々の方を伺っていたが、狙っていたのだろう。
 歩いて、「西双版納民族風情園」に行く。広い園内に、タイ族、ラフ族、ジノー族、ハニ族、ブーラン族、ヤオ族の民家が点在している。いくつか見学した後で、ホールで、「民族舞踊のショー」を見て、館外の玄関前で「水かけ祭り」の疑似イベントを見る。園内でおみやげや民族服を買う。ヒスイの指輪とパジャマみたいな民族服を買う。(55元)。その後、徒歩で「集貿市場」へ行く。Fさんが屋台で竹の皮で包んだ餃子の具のようなものを買う。この料理は雲南の南部ではよく食べた。
 タクシーで一旦ホテルへ戻り、夜、アイニ族のレストランへ行く。食事しながらショーを見る。アイニ族の服を着た若い女性が各テーブルに着て歌を歌ってくれる。(200元)。
 ホテルへ帰ると頼んでいた現地ガイドの「R」(男)さんがきていた。ホテルやガイドの価格交渉など対外的なことは、今回の旅行の立案者でリーダーのFさんがおこなう。
 (一日300元でいいというのを、一日400元で2日間お願いする。結果的にいい働きをしてくれたので、400元でも安かったが、相手がいう値段よりも高い値段で頼むのは価格破壊につながらないのだろうか)

「R」(妹)さん 西双版納(景洪)空港 食材を選ぶ 竹の虫
竹の虫の料理 果物売り 西双版納民族風情園 民家が園内に点在
民族服を着た案内係 民族舞踊のショー 建家の中でガイドが説明
「水かけ祭り」の疑似イベント 「集貿市場」の屋台 アイニ族レストラン内部
ショーに出演している踊り子が、 各席に来て歌を歌ってくれる 料理(パイナップルの中に餅米) 民族ショー

3日目

景洪行程

 12月25日(土)ガイドのR(男)さんと8:00にロビーで落ち合う。彼のサンタナに乗り、景洪(ジンホン)から南下しミャンマー国境近くのモウ罕を経由し、西に進路をかえラオス方面に向かう。途中タイ族の寺院と家屋を見学する。タイ族の家屋では、若い女性が民族服を着て室内を案内してくれる。お茶を出してくれて、案内料はいらないから腕輪や銀の飾りやはしを買ってくれという。18Kのゴールドペイントの腕輪を買う。(100元は、高い)。日本の「タッキー」の写真が貼ってあった。タッキーこと「滝沢秀明」君は中国でも人気があるようだ。
 その後、ゴム園を経て、「マンモウチェン」というハニ族の村を訪問する。鳥の仕掛けをもったおじさんがいた。女性は糸を紡ぎながら歩いている。水牛の群れが道を歩いている。黒豚の親子が道で寝ている。鶏が草叢で鳴いている。一軒の民家を訪問し、白酒をごちそうになる。自家製ということだ。帰りには白酒をおみやげにもらう。水たばこの吸い方を見せてもらう。
 その後、雨林谷植物園を見学。中国は森林伐採などで森林が少なく、熱帯雨林は珍しいので一級の保護を受けている。モウロウチェン(モウ侖)で昼食をとる。
 「基諾民族山寨」というタイ族ハイアオダイ種族ジノー族の村を訪問する。「T」さんという若い女性に案内してもらった。観光センターになっている大きな民家に7家族の部屋があり共同生活している。その裏手にジノー族の村が拡がっている。「江沢民」が村を訪問したときに訪れた家の古老に会った。その家を出て歩いていると犬が沢山いて囲まれるというハプニングがあった。狂犬病が怖かったので迂回した。家を新築していたが木材が使えないのか煉瓦で家を作っていた。
 篠山のような田園地帯を通り、タイ族の村に入る。タイ族は、勢力をもっていたため、平地のいい土地に住んでいる。他の少数民族はタイ族に追われ山岳地帯など不利な土地に住まざるを得なかった。ハニ族や後述のアカ族なども過酷な条件の土地に住んでいた。
 西双版納は三期作だ。三回も米が穫れる。「東アジアの照葉樹林帯にある雲南からインド東部にかけての『東亜半月弧』といわれる地域が、東アジアの農業と文化の発生地であり、その伝播にともなってさまざまな文化が、このセンターから周りにに広まっていったと解釈されます」(上山春平「日本国家の成り立ち」)。日本への文化流入ルートの一つは、東シナ海ルートである。「イネの道」といわれる。稲作を中心とする照葉樹林文化、また、体質や風俗の起源を中国西南部、雲南とする人もいる。私たちは、日本文化のルーツといわれる雲南にいるのだ。
 ガイドのR(男)さんの知り合い「S」さん宅で夕食をご馳走になる。(200元謝礼)。とても立派なお家だった。この農村は大きな新しい家が多かった。中国の家は、敷地の周りを高い塀が囲んでおり、鉄の門がある。とても頑丈な作りだ。日本の無警戒な農家とは違う。
 便所を尋ねると、村の入り口の共同便所を教えてくれた。中国の便所は、戸とか壁がない。小便も大便も丸見えだ。水洗便所はほとんどなく、肥だめ式が多い。ホテルでは、水洗便所にトイレットペーパーは流さない。便器横のくず入れに入れる。日本人はトイレットペーパーを流すのでよく配管が詰まるらしい。トイレットペーパーも日本のものより小さい。中国人は紙をあまり使わないようだ。ウォシュレットは中国では見なかった
  その後、「瀾滄江ビ公河之夜歌舞篝火晩會」という民族ショーへ行く。(一人120元)。中国全土から観光客が来ていて、ステージに上がりショーに参加していた。中国人は積極的だ。

タイ族の村

タイ族の家、内部を見せてくれる この家の姉妹とポートレート

マンモウチェン

鳥取りのおじさん 鳥を捕る道具 マンモウチェン入口 村に入って逆から橋の方を見る
女性は働き者糸を紡ぎながら歩く 水牛の群れを子供が追う 黒豚の親子が道に寝ている 村のメインストリート
地鶏 見学させてもらった家 家の主人が水煙草を吸って 見せてくれる
自家製の白酒を飲ませてくれる

雨林谷植物園

雨林谷植物園の女性ガイド 滑車を使って谷を渡る 木と木を吊り橋で渡している

基諾(ジノー)民族村

基諾民族山寨 村の開祖、兄妹 女神像 観光センター
ジノーの村の入口(出口?)  「江沢民」が訪れた家 江氏を案内した古老 ジノーの村へ降りていく
ジノーの村内部 ガイドの「T」さん

R(男)さんの友人のタイ族の村

篠山のような田園地帯を行く 村の中、塀の中が民家 村の井戸
眼鏡がめずらしいのか眼鏡の
まねを手でしている村の子
「S」さん宅、ごちそう 「S」さん家族 記念写真
エイズのポスター

瀾滄江ビ公河之夜歌舞篝火晩會

瀾滄江ビ公河之夜歌舞篝火晩會 入口 客席 中国各地から観光客が来ていた
民族舞踊ショー
民族服を着た少女 灯籠を持って広場に集まる 灯籠流しに出発 灯籠流し

4日目

 12月26日(日)7:00ホテル出発、前日とは反対に西に進み、高速道路を使ってミャンマー国境に向かう。断崖の土が紅い。ラテライトだ。「ビルマの竪琴」でも「ビルマの土は赤い」という表現があった。この辺りからミャンマーまで赤土が続いているのだろうか。
 8:00頃、モウ混(モウコン)の朝市に着く。タイ族の小さな村だが、日曜日に大きなマーケットが開催される。「轆轤(ろくろ)首」などが出ていて日本の昔の縁日のような雰囲気もあった。どこから入国したのか分からないが外国人は白人が多かった。日本人は私達の他はいないようだった。私が声をかけた外国人はスペインから来たといっていた。仏領インドシナ三国ということでフランス人が多いらしい。その後、モウ海の市場に行く。大きな街の市場でとても賑わっていた。モウ混とは比較にならないぐらい大きなマーケットだった。
 マーケットを後にし、高速道路から山中に入ったところのアカ族の村に行った。舗装されていない山道を30分以上登った山中にあるモウ海県一中のアカ(アイニ)族の集落で、ガイドのR(男)さんの車はオーバーヒートしてしまった。車を止めたところが廃校となった小学校で、そこからさらに山を登ったところに集落はあった。映画「山の郵便配達」<那山 那人 那狗>の世界に入ったようだ。 最近中国映画をよく見るが、最近の中国の何でもお金という風潮を戒める映画が多い。「山の郵便配達」も「初恋のきた道」も、人間は天職に精を出し、地道に生きるべきだという映画だ。

「山の郵便配達」(車の入らない村々を数日かけて配達する)を長年勤めた男が引退することになった。息子が跡を継ぐと言い出す。息子の最初の配達の時に、男は配達に同行する。息子を村人に紹介し、ルートや地形・判断を伝えるためだ。しかし、なにより、心配だったからである。息子は、父親の人となりをあまり知らない。父親は山村の郵便配達で不在がちだったからである。ある村で息子は「目の悪い年老いた母親に、軍隊に行っている息子から手紙が来なくてもお前が替わりに書いて読んでやれ」と頼まれる。息子は断るが、父親は女性は息子が生き甲斐なんだという。村々で父親は歓待される。信頼されていることを知る。父親と歩くことで息子は父親がどういう人間であったかを知るという話だ。
「初恋のきた道」<「The Road Home>(監督張芸謀、主演章子怡)でも、40年以上、河北省の小さな村の小学校の教師をしていた男の棺を、全国から集まってきた教え子が病院から自宅まで長い道のりを担ぐ話だった。中国には、外で死んだ人の棺を家まで担いで帰るという風習があった。でないと、死者が家までの帰り道が分からず、帰って来れないからだ。この村でも、文革頃まではその風習があった。しかし、最近、村は年寄りと子どもばかりで担ぐ人手がなく村長はトラックターで運ぶことを提案する。息子はトラックターで連れて帰ってもいいと思い母親を説得する。しかし、母親がどうしても担いで帰るという。その時、息子は母親の父親に対する深い愛情を理解する。息子は村長に5,000元わたして担ぎ手を雇って貰う。しかし、運ぶ当日、病院に行ってみると、教え子が集まっており、遠くは広州からも来ていた。雇った人も日当を拒否する。そして、死者を弔い、辻ごとに死者に声をかけ家まで担いで帰るという話だ。人生はお金ではなく、地道に仕事に精を出すこで報われる。それが人に道だというメッセージが伝わってくる。中国の拝金主義はかなり進んでいるということだろう。

 たまたま結婚式があり、ご祝儀をわたす。(150元)。我々4人も歓待された。わざわざ結婚式の儀式をもう一度見せてくれた。新婦は一人だけ外側を向き、後に手を組む。その手に、新郎がゆで卵を握らせ、新婦は組んだ手を前にもっていきゆで卵を食べる。新郎・新婦を交え親族(10人弱ぐらい)が円になってテーブルを囲む。その周りを親族などが二重三重に取り囲んでいる。餅米をむしたもの(おこわ)を食べ、酒を飲むという儀式だ。
 その後、親戚待遇で(首から飾りを付けてもらう)、親族が集まっている家屋でご馳走をいただく。村中の人がこの辺りの3軒ぐらいの家屋の中から外まであふれていた。三日三晩結婚式が続くそうだ。今回の旅行で、アイニ族の結婚式をビデオに収めることができたのは幸運だった。大阪の民族博物館でもアイニ族の結婚式のビデオはもっていないのではないか。新郎は23歳、新婦は20歳。以前は15・6歳で結婚することもあったが、人口抑制策で20歳以上に結婚年齢が上がっているという。

モウ混の朝市、公設市場内

ビリヤード場 魚のブース 肉のブース
豚肉を解体して売っている 野菜のブース
豆腐を売っている 米屋、米の量り売り
アヒルも売っている 声をかけたポルトガル人 市場の口の服屋 バザールの散髪屋(5元?)

公設市場の外のバザール

?混の朝市、メインストリート 穀物を売っている ろくろく首の見せ物小屋 露天の服屋、生地屋
お坊さん 服屋・雑貨街 生地屋

モウ海のバザール

屋内、肉のブース 屋外、鹿をそのまま売っている
生き物を入れている籠

アカ(アイニ)族の村

廃小学校、煙が見えているのが村 山道を登っていく 結婚式のあった家 結婚式の儀式
新郎が新婦にゆで卵を手渡す
この後テーブルに親戚が並ぶ 新郎の父と新婦の母 新郎と新婦
花嫁 結婚式受付 村人がみんな集まっている 私たちがいただいたご馳走
家屋の中も外も村人であふれる 村の子ども達も集まっている
子どもが持っているのが、
私たちがかけてもらった飾り

 14:30景洪空港に到着。R(男)さんガイド料を支払う。(900元、100元はチップ)。16:50発の雲南航空HU7388便に乗り、17:40に大理空港に到着。大理に近づくにつれ飛行機がびっくりするくらい揺れる。
 大理は、風光明媚な雲南省西北部の高原古都。8世紀に南詔国が誕生し、10〜13世紀には大理王国の都として栄えた。いまも蒼山を背に端然とそびえる古い仏塔や城壁に面影が残る。ペー(白)族が多く住み、白族の風情を存分に感じられる。旧暦3月には伝統的な「三月街」、「石宝山歌会」の祭典がある。雲南の要衝の地で、付近は大理石を産する。
 タクシーで大理市内のホテル「大理明珠賓館」に着く。(宿泊代120元/room)。空港からのタクシーの運転手を明日と明後日の二日雇って麗江に行くことにする。(料金は400元*2)。タクシーの運転手が今晩の古城までの送迎をサービスでするという。チェックインを済ませ、タクシーで古城へ向かう。途中で白(ペー)族のレストランで夕食。夕食中に停電。中国は電力事情が悪い。経済発展で電気を工場に回しているからだろうか。古城を散策して帰る。ホテルで風呂に入ろうとしたら、お湯が出ない。電気を節約しているらしい。フロントに苦情を言うと少し温度が上がったが、少ししたらまた冷たくなった。

大理空港 大理古城南門 城内

5日目

 12月27日(月)朝、タクシーでホテルを出発。大理南門古楼に上る。南門からメインストリート沿いに古城を散策する。早朝で開店準備をしている店が多かった。マントウなど食べ物を売る屋台が辻に出ており、短い行列ができている。漬物屋は漬け物を樽に入れて台車で売りに来ている。女性が籠を背負い歩いている。朝の土産物街は生活の臭いで満ちていた。郵便局があったので入って絵はがきと切手を買う。その間、3人と別行動になる。他の3人が、私がいなくなったので心配して探してくれていた。よく考えたら最近家族旅行しかしていなかったので、「無断で集団を離れない」という団体行動の鉄則を忘れて心配をかけてしまった。
 次に、「崇聖寺三塔」の見学をする。私は初めてだったので、一番奥の院までいって、線香を立てる。3本買った。風が強く吹いていて(大理は風が強いようだ)、また、中国の線香は太いのでなかなか火がつかない。線香の火を付けてくれた女性が、「peace and happinessを祈ってね」と言った。(線香は一本5元)。
 喜州(ジ海のほとりにあるペー族の村)を通り、剣川へ向かう。剣川で、まず、「宝相寺」という寺に参る。険しい石段を登り、岩山にとりついた寺に到着する。線香をあげ、お詣する。寺の改修費を納めると名前を石に彫ってもらえるというので、50元を納め記帳をする。こんな険しい山寺に来た日本人はいままでいないだろうと思って建家の横壁の石版を見ると、2〜3人の日本人の名前があった。
 「宝相寺」からさらに奥にある「石鐘山・石鐘寺」へ向かう。ここは、剣川石窟として有名なペー族の石窟群で、バス停の南天福地と書かれた門から1キロほど歩くと石鐘寺があり、ここに8つの石窟がある。1キロといっても細い山道を登るのでかなり厳しい。
 その後、麗江へ向かう。剣川から麗江までの道は、舗装されているが山をぬう道でかなり険しい。大理〜麗江200キロはハードな移動であった。
 麗江は標高2400メートルと高地で、"東方ウェニス"と称えられる王竜雪山の麓を流れる清流沿いの古い街。約800年前の南宋時代に街が造られ、明代以降木氏一族が支配した。県人口33万人のうちナシ(納西)族が18万人を占め、独特の文字、東巴(トンパ)文字を今に伝えている。高原の避暑地で夏は観光客が多い。冬は寒く、観光客も少なめである。
 緑韵酒店ホテル(180元/room)にチェックインする。R(妹)さん紹介の旅行業者とガイドが来ていた。大理で雇ったタクシーのガイドとバッティングしてしまった。結局、大理のガイドは、一日でキャンセルし、新しいガイドを雇う。大理のガイドは、長距離を走ってきて麗江に泊まることになっていた。(約束の400元とチップの200元の計600元支払う。麗江のガイドは、300元でいいというのを、Fさんが500元でといったので、ガイドはあなたがそういうならと、二日間で500元受け取るという)。
 その後、ガイドに「普通」のマッサージ店に案内してもらい、足裏マッサージと全身マッサージをしてもらう。(一人100元)。中国のホテルには若い女性のマッサージ師が待機しており、部屋に電話がかかってくる。いかがわしい感じだ。それで、今までマッサージを頼まなかった。(中国ではマッサージに注意しよう)。
 マッサージを終わり、地元の人が行く店で、ホーコーローを食べる。とっても美味しかった。(87元)。やはり地元の人が行く店は良心的だ。古城を散策し、ホテルへ帰る。

大理

大理古城 南門楼からジ海を望む
中門登楼 崇聖寺三塔

剣川への道

喜州校外 お墓が点在 お昼の食材真ん中はヤゴ

剣川

石寶山入口 宝相寺
宝相寺住職さんと
石鐘山・石鐘寺 正面の山にも石窟がある 南天福地と書かれた門 門付近のバス停から麓を望む

麗江

麗江への道 麗江古城 江沢民の筆になる「世界遺産」書

6日目

 12月28日(火)早朝、ホテルのロビーで、日本へ絵葉書を書く。ロビーが暗い。電力を節約しているようだ。それでも暗いというと電気をつけてくれた。3通書いて、中国語が分からないので英語でAIR MAILを頼む。料金が分からないので小銭を渡すと後で手紙とともにお釣りがベルボーイの名前で届いていた。このホテル(緑韵酒店)は親切で気持ちがよかった。<日本へは1月11日(火)に届いた>。
 一階に食堂があり朝食をとる。食堂は裏庭と中庭との間にあり、扉は開いたままであったので、冷気が入ってきて、食堂の温度は外気温と同じでとても寒い。食堂に行くのに外套がいる。3つ星クラスのホテルにしか泊まっていないが、中国のホテルは、寒いということを想定して厚着をしていくのが良いだろう。
 ガイドが迎えに来て、「東河古鎮」というナシ(納西)族の観光村へ行く。(入場料一人30元)。山頂に雪をいただいた王竜雪山が美しく見えていた。観光村は朝早くから開いていた。とても寒い。ガイドに案内してもらい村の中を散策、水溜りが凍っていた。「茶馬古道博物館」で丁寧な説明を受ける。お茶を飲ませてくれてそのお茶を買う。(雪山茶が80元、後で、麗江古城のお茶屋で見ると40元だった)。
 その後、「東巴神園」に行く。ここは、草原の中に木像が王竜雪山を背にして何体も並んでいる。木像は、イースター島のアモイ像のようだ。門が工事中だった。門柱から王竜雪山に向かって地面にレリーフが彫られている。両脇が歩道で一段高くなっている。人間界から神の世界への物語が描かれている。途中に人間界と天界の境の門がある。真ん中のレリーフの谷を挟んで、左右が冥界と天上界に分けられている。木像も悪魔グループと天使グループということになる。現在は観光化されてカラフルな壁や木像もできたようだ。以前はもっと素朴な公園だったらしい。
 「東巴神園」近くで昼食を取り(77元)、市内に戻り、「麗江獅子山公園の五重の塔」に登り市内を見る。古い木造の家並みが眼下に広がっていた。麗江古城である。古城は、沢山の土産物店と食べ物屋が集まった地域である。下山し、古城に入る。京都の三年坂に似ている。判子屋でトンパ文字の印鑑を作る。(最初は70元。20個頼んで50元*20を900元に値切る。1個45元は日本円では600円ぐらい。ずいぶん安いが、中国の物価感覚では、5,000円ぐらいか。この旅行で中国の1元は、100円ぐらいの感じだった)。
 土産物屋をひやかしながら、麗江の市場へ行く。市場へ向かう道で、道端に身の上話を書いて学生証を置き、学費を援助して欲しいという少女が座っていた。同行のTさんが少しお金をあげていた。私は、うかつにも腰を落として少女をビデオで撮影しようとした。Tさんに顔を映すのはかわいそうだと指摘された。いい写真を写そうと被写体と同じ目線に立つことを考えてしまい、対象の少女のことを考えていなかった。ビデオを写す機械となってしまっていた。11月下旬に、フォトジャーナリストの「久保田弘信」さんの講演を聴いた。彼は、「事実を人間として伝えることを大切にしている。取材対象者に対するシンパシーが必要といっていた。イラクの取材の時、死んだ子どもを墓に埋める父親を撮影した。その時、別のテレビのクルーは父親に殴られた。しかし、久保田さんは、殴られなかった。それは、泣きながらビデオカメラを回していたからだった。彼は、イラク(アフガンでも)で人の命が奪われるのを少しでも少なくできるなら、命をかけても報道しようと思った」といっていた。私も旅行者であっても、人間として写真を写すことを心がけようと思う。
 今回の旅では市場の見学も大きな柱である。市場では、鶏と並んで「食用の黒犬」が売られていた。なかなか大きい市場で、豚肉を売っているブース、野菜を売っているブース、魚のブース、雑貨と整然と配置されていた。お茶屋でお茶の大袋を買う。(80元)。夕食をホテル近くでとる。(98元)。
 夕食後、古城の納西族の音楽を聴かせる「東巴宮」というホールでショーを見る。(入場料一人100元。横向きの座席は少し安い)。客は、外国人が中心で、白人も多く、日本人もかなりいた。麗江は日本人の観光客が多い。西双版納ではほとんど日本人に会わなかった。大理や麗江は観光地なのだ。雲南の民族音楽に興味を持ち研究しているTさんの話では、「東巴宮」は、ショーとしてはおもしろいが、音楽的にはもう一つということであった。前にあるもう一つの「納西古楽会」の方がレベルが高いとのことだった。また、納西族のショーなのに、最後の方でチベット族のコスチュームの男性が出てきて踊っていたので興ざめしたらしい。

「東河古鎮」ナシ(納西)族の観光村

王竜雪山 「東河古鎮」 ナシ(納西)族の観光村
ガイドの女性、ナシ(納西)族? 茶馬古道博物館のガイド

東巴(トンパ)神園

東巴神園入口門柱、工事中 ガイドの女性 レリーフを挟んで左右が歩道 カラフルに壁が装飾されている天界
丸い木版を回すと厄払いになる
人間界と天界の門 木像 以前はもっと素朴だったようだ

麗江古城

麗江市内 麗江獅子山公園の五重の塔 麗江古城を望む 三年坂のような坂を降りて市街へ
古城広場でフォークダンス 古城内の通路 洗い場
麗江市場 食用黒犬 魚屋、蛙を売っていた

「東巴(トンパ)宮」

「東巴宮」 民族舞踊と民族音楽のショー
納西族の女性のコスチューム

7日目

 12月29日(水)8:00起床。今日は、午前中空港までの移動なのでこの旅で一番ゆっくり起きる。10:50麗江空港到着。昼過ぎに昆明に着く。
 昆明は、雲南省の省都。四季を通じ暖かい気候のため、花と緑が一年中絶えず"春城"と呼ばれる。漢民族のほか、イ族、ペー族、苗族など少数民族が多く住んでいる。昆河鉄道によってベトナムに通ずる、東南アジアとの結びつきが強く、貿易が活発。人口は約500万人。車と自転車であふれクラクションの喧噪が騒々しい。交通事故も多そうだ。中国旅行は、必ず傷害保険に入っておくべきだ。
 昆明飯店(4つ星)にチェックインする。昼過ぎであるがボーイも来ない。自分たちで荷物を運び、部屋に入る。私とMさんが泊まった部屋は、裏通りに面しており、陽当たりも悪く、集合住宅と対面しているのでカーテンを開けることができない。今回の旅で一番陽当たりとロケーションが悪い(FさんとTさんの泊まったもう一つの部屋は、正面のメインストリートに面しており陽当たりもロケーションも良かった)。部屋は、普通のツイン。老舗ということで日本人の宿泊客も多いようだが、(330元/room)はバカ高い。「地球の歩き方」をみると(780元/T)とかいているが、ぼったくりだ。フロントの態度も悪かった。昆明では、空港前の「観光飯店」のほうが良かったと思う。昆明のホテルでは、昆明飯店は勧められない。
 15:00頃、ホテル裏の食堂で遅い昼食をとる。うどんとビーフンを食べる。(一杯3元、日本円でたった39円)。
 その後、雲南博物館へ行く。渋滞で目的地に着くのに時間がかかる。少数民族の衣装や生活道具が展示されており、ミュージアムショップでは少数民族のコスチュームや本が沢山おいてあり、なかなか充実していた。マネキンが来ていたアイニ族の女性のコスチュームは$1200だった。(日本円で12万円、店員はまけられないと言う)。閉館間際に入ったので見学が十分できなかったのが残念だった。図録「雲南民族博物館蔵品選」を求める。(200元)。中国は書籍の値段が高い。木材が不足しているからだろうか。写真撮影OKということで館内の展示品を撮した。
 夜は、アイニ山荘でR(妹)さんとその友人の「Y」さんと民族音楽のショーを見ながら食事をする。Yさんは、雲南省政府の職員だが、少数民族の写真誌を何冊も出している研究者でもある。「神奇・美麗」という写真誌をいただく。少数民族の話で盛り上がる。ご馳走するというのを断り、食事代を支払う。(400元)。

雲南博物館

雲南博物館の図録 雲南博物館、民族服の展示ブース

アイニ山荘

右端が「Y」さん 著書、写真誌「神奇・美麗」 アイニ山荘内部
ごちそう 虫も食べる 竹の中に餅米を入れて蒸したもの テーブルに出演者が誘いに来る
お客が音楽に合わせ手をつなぎ ステージへ上がる(エンディング)

8日目

 12月30日(木)早朝6:00ホテルを出発、6:30に昆明国際空港に到着。8:20発の東方航空MU751便で上海を経て関空へ向かう。14:50関空着。
 いろんなことがあり、あっという間の8日間だった。私にとっては、初めての中国、初めての雲南。そして、少数民族を訪ねていろんな経験をした旅であった。
 今回この旅行を企画立案したFさん、通訳をしていただいたMさん、いろんなことに良く気が付くTさん、本当にありがとう。

●参考文献
「地球の歩き方」<雲南・四川・貴州と少数民族>
「電網写真館」(http://www.asia-photo.net/yunnan/yunnan.html)
「JCBus china Travel」(http://www.jcbus.co.jp/chinahotel/index.htm)
「久保田弘信のホームページ」(http://www.tv-asianews.com/kubota.html)
「IMDb」(http://amazon.imdb.com/)

●旅行金額
旅行中、支払ったお金は分かる範囲で( )内に示した。

<飛行機代金/一人>

項目 単価
国際線 \57,000
国内線 \19,500
空港税 \5,910
小計 \82,410

※麗江〜昆明は現地で買う。

●写真
私(A)の写真を中心に、Fさん、Tさんの画像を使用した。
(2005/01/18)


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