豊岡、水害救援ボランティア(台風23号水害被害)

 2004年11月2日(火)「但馬地区緊急ボランティア(台風23号大規模災害救援)」で、豊岡へ行った。

 朝、7時30分三宮観光バスセンターに集合で、7時15分頃センターに着いた。中型バスが二台止まっており、一台は、豊岡行き。もう一台は、洲本に向かうようだった。

 私は、阪神淡路大震災の時、住吉で被災し住吉小学校に避難したことがある。その時の恩返しと思って今回ボランティアに参加しようと思った。しかし、中年なので、ボランティアは若い人でないとつとまらないのではと少し不安で、先入観があった。

 バスから見ていると、いろんな人がボランティアセンターのバスに乗り込んでいた。かっぷくのいい60歳代の年配は、真新しい上下の薄緑色の作業服に新しいブーツを履き、さらのシャベルを担いで登場し、シャベルをバスの下に積み込んで乗り込んでいった。
 4〜5人の茶髪若者(男女)のグループが、まるで、通学・出勤の様な感じでバスに乗り込んだ。また、70歳ぐらいの老人も長靴を履いてバスに乗った。

 
円山川              おびただしいゴミが向こう岸に

 バスの中での説明では、今回の台風23号による被害は、兵庫県内で床上床下浸水4万棟、そのうちでも、豊岡が一番ひどかったようだ。今でも200人以上の人が避難生活をしているという。しかし、多くのボランティアが入り、また、重機を投入した結果、大型のゴミはもうほとんど片づいていると云うことだ。


畳など家庭の小型ゴミ(豊岡市内)

 作業の内容は、10時30分から4時まで、瓦礫を2トントラックに積んで4回ぐらい往復するということだ。バスでもらった名簿では、約6名ずつ5班に分かれ、私は、1班だった。

 10時30分豊岡到着。地区協議会の建物でミーティングをした。市内の緊急の片付けはほとんど終わったということで、1班は他の班と別行動を取り、被災した工場の支援に行くと云うことになった。他の4班は市内の瓦礫の運搬。

 豊岡市小陰のT機工に向かった。水道メーターなどを作っている工場だった。完成していた製品が水につかり、泥まみれになってしまった。部品に分解して、水洗いし、乾かし、その中から製品になるものを選別するという作業だ。私たちは、その一部をお手伝いするというボランティアだ。

  
水をかぶった商品(積み上げているプラスチックの箱)

  

 午前と午後みっちり作業を行った。ボランティアの人はよく働くので、少しセーブし、休憩を多くとるようにしないといけない。ついつい、ボランティアということで肩に力が入ってしまう。
 11時前頃から昼食を挟み、午後4時まで作業をした。単純作業で少し疲れた。災害復興は、ライフラインや住居の復興が頭に浮かぶが、災害は、工場も襲っているのだ。個人の生活の復興とそれに続き、生活基盤である工場の復興も大切なことだとエアーブラシをしながら実感した。

 16時過ぎに豊岡ジャパンというホームセンターの駐車場に行くと、全身泥まみれで着替えている他班のボランティアがいた。かなり過酷な作業だったのだろう。17時30分過ぎに、最後の班が2トンで帰ってきて、17時帰路についた。

 20時三宮駅到着、今日のボランティアを終えた。

(2004/11/2)


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