サイパン旅行記

 2004年8月16日(月)から8月21日(土)まで家族4人でサイパンに旅行した。

8月16日(月)

 関西国際空港22:00のJO949便に搭乗。離陸すると、フリードリンク&機内食が出て、その後、ビンゴゲーム。あっという間に、8月17日2:25サイパン空港に到着。JALの機内食サービスはとっても良かった。その分、短時間に沢山のサービスを提供しなければいけないスチワーデスは大変だ。JALウェイズはアジア系のスチワーデスが多かった。
 コンチャフォン(JTBの提供する携帯電話、通話料のみクレジットで支払う)を2台借りる。その後、観光バスで各ホテルへ、私たちは、空港から近いPICホテルに泊まった。PICを選んだ理由はアクティビティーが多く、しかも無料で利用できることである。アクティビティーが不要ならハイアット・リージェンシーやグランドホテル、ワールドリゾートも泊まりたいホテルだ。宿泊代金は変わらない。3時30頃ホテルに到着し、部屋に入る。コネクトルームは、子供連れの家族には快適だ。

8月17日(火)

 9時頃起床、朝4時に寝たのでしんどい。夜飛ぶ便は、仕事を終えて出発する人には都合が良いが、小さい子供のいるファミリーは昼便の方が楽。
 朝食は、前夜のJALの軽食ですませる(関空で夕食を食べていたので、機内食をキープしておいた)。メイドに$1(二部屋$2)のチップを置き、10時頃に女房と娘2人はアクティビティー(プール)へ、。私は、コンチャカメラ(JTBの提供する水中カメラ、CD-ROM焼き付けで$30)の受け取りとサンセットクルーズのツアー代金支払いのためにガラパンのコンチャラウンジ(DFSギャラリアというショッピングセンター内)へ向かう。DFS利用者は往路のタクシーが無料なので、ホテルでタクシーを呼んでもらっていく。DFSまでのタクシーはチップも不要。用事を済ませ、DFS前のABCストアで昼食及び明日の朝食の買い出し。サイパンは、日本人観光客が多いので、日本のビールも各種おいている。「キリン一番搾り」350ml*6を$6.49で買った。日本よりずいぶん安い。復路はコンチャカード(JTBの提供のパスカード)で無料で利用できる島内循環バスで帰る。
 ホテルの部屋で昼食をとる。ABCストアで買ったサブマリンサンドはなかなか旨い。昼食後、14:00のシュノーケルツアーに参加。私たちファミリーのみだった。クラブメイツ(アクティビティーのスタッフ)のインストラクターが、「沖まで行く」・「鮫がいる」というので下の子供と女房は脱落。実は、サンゴのリーフは100m近く行っても足が立つのを知らなかった。この時のクラブメイツは、髪の毛を後ろでくくった韓国系の若者だったが、上の娘にいやにべたべたして、感じが悪かった。娘と二人になるために脅かしたようなところがある。女房と下の娘も同じことを言っていた。シュノーケル・ツアー中も、私をほったらかして先へ先へ行くのだった。PICのこの他のクラブメイツはとても親切で、感じよかっただけに残念だった。
 シュノーケルの後、流れるプールへ。このプールへは毎日行った。浮き輪に乗って流れに身を任せていると、うとうとして気持ちが良い。
 脱落した女房と下の娘は、鮫と蛇の浮きもののあるプールへ。女房は、水中エアロビクスに参加。女性のクラブメイツ(「きみこ」さん)の指導が良かったらしい。肩こりがとれたと言っていた。

    
全長400mの流れるプール。                      所々にクラブメイツが監視する。

 15:30に部屋に帰り、シャワーを済ませ、オプショナルツアーへ。サンセットクルーズ「JADE LADYV」の16:30のピックアップ・バスに乗る。夕食はプレートにバーベキューとケチャップご飯、サラダを盛ったものだった。フリー・ドリンク付きで大人$60は高すぎる。実は、大人7,000円のキリカフェインターナショナルのビュッフェ付きを頼んだつもりだったが、同じ船のツアーが同時に2つあるとは思わなかった。カタログの紛らわしい表示について、PICのJTBディスクに抗議。

 
サンデッキ。            マガニャハ島を望む。

 ツアーバスをDFS(ガラパン)で降り、ABCストアで買い物をして帰る。ABCストアはデリバリー・サービスをしており、買った商品をその日のうちにホテルのフロントに届けてくれる。ちなみに、私たちは、20時頃に買い物をして23時に商品を届けるといっていた。実際、22時30分受け取った。スーパーマーケット間の競争も激しいのだろ。

8月18日(水)

 部屋で朝食。午前中プール。昼食は、イタリアン&和食レストラン「ギャレー」へ。みそラーメンと豚骨ラーメン、カレーライス。いづれも、おいしかった。ルームチャージは、$43.50だった。。
 午後は、ウインドサーフィンのレッスン。インストラクターは日本人の「きみこ」さん。生徒は私を含め三人。難しかったが何とか乗れるようになる。女房と子供たちは、シュノーケリングとカヤック。

   
カヤックからビーチを望む    シュノーケリング        さよりの群れ

  
ニジハゲ            なまこが至る所にいっぱい    ウインドサーフィン

 夕食は、メインダイニング「マゼランルーム」でビュッフェ、大人$30子供$15、$105なり。料理もビールもワインも美味。お腹いっぱいになる。昨晩のバーベキューが、お粗末だったので、ホテル内で食事をとる方が確実かも。
 9:00から夜のポリネシアン・ショーへ。演者は、昼間のクラブメイツだった。彼・彼女らは朝早くからプールの掃除、アクティビティーのインストラクト、夜のショウととても忙しい。働き詰めだ。

 
ポリネシアンショウ

8月19日(木)

 いつもどうり部屋で朝食。ホテルのレストランまで行く必要がないので、軽く部屋で朝食が正解かも。午前中、私と上の子供はスキュバーダイビングのレッスン、女房は水中エアロビクスの三回目(すっかりはまっている)。クラブメイツの「きみこ」さんは、昨日はウインドサーフィンの先生、今日はエアロビのインストラクター。エアロビの後は鮫のプールの監視員とよく働く人だ。下の子供は、鮫のプールでスライダー。スキュバーのレッスンは私たちとロシア人の中年女性の三人。スキュバーのインストラクターの「リチャード」はオランダ人、とても丁寧だった。ロシア人の婦人は夫連れで、ご主人はプールサイドで見ていた。PICの部屋でもロシア語の館内パンフレットがあったので、ロシア人の観光客も多いのだろう。極東に住むお金持ちのロシア人が、サイパンなどミクロネシアに旅行しているのだろう。

  
スキューバーのレッスン    潜水                 水中エアロビクス

 海に移動し、シーフードレストラン「シーサイドグリル」で、昼食をとる。スパゲティーと焼きそば、ホットドッグなど。私は、ビールとハウスワインを飲む。海を眺めながら飲むビールは格別おいしい。締めて、$54なり。
 午後は、ウインドサーフィンとシュノーケリングとカヤックなどを楽しむ。

 
ウインドサーフィン        カヤック

 17:00頃部屋へ戻ると、掃除がまだだった。17:30頃までかかるというので、ゲームコーナーで時間つぶし。卓球をする。クラブメイツが子供の相手をしてくれる。掃除をしているのはフィリピン系の女性だった。かなり多くの部屋を担当しているようで、この時間まで部屋の掃除を続けていた。
 17:30頃部屋へ戻り、シャワーを浴び、タクシーでDFSへ。バスに乗り換えハイアットホテルへ。ハイアットホテル裏、アメリカン・メモリアル・パークの突き当たりで開催されているナイトマーケットへ行く。夕食は、屋台で、5品(ごはんを含む好きなもの)+デザート+飲み物で$5のセットを3つ買う、計$15なり。ごった煮や春巻き、鳥の串焼き、イカのバーベキューなど味はあまり良くなかった。しかし、安かった。女房は$5の銀のアクセサリーを2つ買った。
 アメリカン・メモリアル・パークは二重の柵で囲まれている。外側は北マリアナ連邦政府の柵。内側はアメリカ政府の柵である。アメリカ政府の柵内はアメリカの領土で、この公園もアメリカが管理している。

 
卓球              アメリカン・メモリアル・パーク

 バスでPICへ帰る。

8月20日(金)

 朝食を早くとり、8:10島内観光へ出発。「トロピカル・スニーカー」というツアーは、この旅行についている無料のツアー。各ホテルでピックアップし、バンザイ・クリフ及びラスト・コマンド・ポストへ。アジア・太平洋戦争の激戦地を見学する。
 1944年当時サイパンには、日本兵約3万人、日本人約2万人がいた。1944年6月15日米軍は、サイパン南部チャランカノアから上陸、日本軍と日本人住民は北側に移動及び避難した。日本軍はラスト・コマンド・ポストに追いつめられ、何百人もの住民は北側の断崖(バンザイ・クリフ)から身を投げた。米兵やサイパン人が必死に説得したが、投降すると辱めと危害を加えられると思いこんでいた日本人は聞き入れず、この惨劇は延々と続いた(「サイパン燃ゆ」ウイリアム、H、スチュアート)。結局、日本軍の死者は29,500/31,629名、2,100名のみ捕虜として生き残った。住民の死者は、約1万人。サイパン島の悲劇は沖縄戦と同様、一般人が大勢犠牲になったことである。この旅行の目的の一つは、アジア・太平洋戦争の激戦地のフィールドワークであり、追体験することである。それを通じ、2度と同じ過ちを繰り返さないという決意を新たにし、それを子供に伝えることである。
 バンザイ・クリフには、多くの慰霊碑が建てられている。

  
バンザイクリフ

  
チュウインガムが付けられた忠魂碑   バンザイクリフに建つ各種の慰霊碑
  


 JTBのツアーアテンダントの話では、サイパンの人口構成は、ネイティブのチャモロ系・カロリン系住民が1番多く、2番目はフィリピン系、3番目は中国系、4番目は韓国系住民ということだ。町中の看板は中国語とハングルが目につく。中国系住民は北部の紡績工場で働いている。一方、観光客の7〜8割は日本人ということである。しかし、PICでは韓国人や中国人観光客も多く見かけたので、もっと多いように感じた。
 多くの慰霊碑の中に忠魂碑があった。国粋主義や天皇崇拝の動きの中で国策を誤り、その結果亡くなった多くの人たちを弔うのに、忠魂碑は不適切な気がした。忠魂碑には、ベタベタと沢山のチューインガムが貼り付けられていた。他の慰霊碑にはそのようなことはなかったので、忠魂碑のみを狙ったものだろう。サイパンの中国人・韓国人の住民や観光客が、日本への恨みからおこなったのだろうか?あるいは、アメリカ人が付けたのだろうか?つい先日、中国で開催されたサッカーのアジアカップでは、中国人サポーターが日本の選手及びサポーターに激しいブーイングをあびせた。靖国へ参拝など、無神経にアジアの戦争被害者の心を逆なでする所行が招いた事かもしれない。忠魂碑のガムについても、戦争の責任を踏まえない無神経な姿勢の所行とつながっているのだろう。
 次に、バスに乗りラスト・コマンド・ポストに移動した。バンザイ・クリフのすぐ近くだ。

  

  
Last Command Post
  
政府の慰霊碑          慰霊碑裏の卒塔婆など     スイサイドクリフ

 その後、太平洋側にある景勝地のバードアイランドへ。ホテルやビーチがあるのはフィリピン海側.、この旅行で唯一太平洋側へ行った。。雨が降っており、鳥も見えなかった。有名な場所とは感じられず、場所の確認ぐらいの事だった。


バードアイランド

 次にガラパンへ戻り、砂糖王公園へ。ここは、戦前サイパンでサトウキビ産業を起こし、成功した松江春次氏の像と彩帆(サイパン)香取神社がある。


松江春次氏銅像

 ツアーバスは、この後、DFSへ戻って解散となる。しかし、私たちはここでツアーと別れ北マリアナ博物館へ行った。入館料は大人$3、子供は無料。サイパンや北マリアナの歴史が古代から展示されている。特に、近代になってから、「スペイン」、「ドイツ」、「日本」、「アジア・太平洋戦争とアメリカ」の各国が次々と統治し、その時代別に展示されている。戦前に制作され、新潟で発見されたサイパンの記録映画「海の生命線」(昭和8年、後援海軍省)が復元され、NHKのスペシャルとしてビデオ化されており、それが放映されていた。日本統治時代のサイパンや北マリアナの生活が地理的・民俗学的な面からよく分かった。こじんまりした良い博物館だった。しかし、2時間ぐらいいたが、入館者はとても少なかった。観光客はほとんど来ないのだろう。「サイパン燃ゆ」(ウイリアム、H、スチュアート著)を$25、Tシャツを$15で購入。

 
北マリアナ博物館外観      NHKのビデオ放映

 博物館からガラパンへ行く途中の「JOLLIBEE」というハンバーガーショップで昼食。地元の人とオフィスのサラリーマンの食堂。BSE(狂牛病)が怖かったので、ホットドッグセット(+飲み物+ポテトチップ)$3.75×3セット、チキン・ポップス$1.99で計$13.24を注文した。美味しかった。女房の話では、隣のテーブルでハンバーガーを食べていた会社員のグループが「プアー」と言ってたという。我々が貧乏に見えたのだろう。
 午後、ガラパンで買い物。「ジョーテン・ショッピング・センター」(地元のスーパー)は食料品が豊富。朝食の買い出しは、ここがお薦め。ここで、子供がおみやげを少し買う。併設のファーストフード店は、ボリームがあって安そう。「モニカ’ズ・ギャラリー」(DFS横)へ、バリ島から買い付けた服ななどが安い。アロハなどを少し買う。その後、第1ホテル前のガラパンス・スリートへ。お店は開いているのだが人通りがとても少ない。昼間なので少ないのかもしれないが、さびれた感じがした。サイパンで賑わっているのは、DFSの辺りだけのようだ。キャンドルを買って、第1ホテルからバスでDFSに戻る。DFSの「アウトゴーイングデイ・ショッピング・クーポン」を使い本格的におみやげを買う。このクーポンは、$70買うと$15の値引きがある。クーポンを利用し、8月のサービス品のリストを見て、買いまくる。$10のTシャツが3枚で$25を11枚とゴディバのチョコレートなどを$230ぐらい買って、$45値引きしてもらった。
 夕食は、インターネットの「リゾッチャ・コム」で見た「島の蔵」へ。コース料理さわち風$30×3の$90、ベバレッジ$31を飲食し、サービス料$12.10の計$133.10は高い。まあ、夕方から台風の激しい雨が降り続いている中を、DFSに迎えに来てくれて、PICまで送ってくれたのでありがたかったので、良しとする。
 車中、ご主人の話では、観光客が、少ないということだった。ガラパンスクエアーが寂しかった訳だ。グァムとサイパンでは観光客の数が極端に違うそうだ。グァムは飛行機の便も多く、観光化されていると言うことだった。

8月21日(土)

 早朝、3:15にモーニング・コールで起床。4:10ホテルからのピックアップバスで、空港へ向かう。4:30ごろ空港に到着し、荷物を預ける。
 その後、コンチャフォンを返し、イミグレーションの列に並ぶ。中国南方航空の便と出発時間が近いらしく中国人と一緒で混んでいた。セキュリティーチェックを受け空港内へ、アメリカのチェックは厳しくズボンのベルトもはずした。出発ロビーに5:00頃入り、5:30に飛行機に乗る。JALウェイズJO940で6:00にサイパン出発。関西国際空港に8:00到着。サイパンの旅を終えた。

<サイパン雑感>
 サイパンの印象は、全体的に寂しく感じた。街中のいたるところにマッサージの店があり、必ず客引きが近づいてきて、勧誘する。日本でもマッサージの店が増えたが、遙かに多い。街中で見かけるのは、服飾雑貨店と料理店、マッサージ店のみといっていいぐらいだった。
 食べものは、あまり美味しくなかった(まあ、高級な店には行ってないからだが)。値段が比較的高く、素材もあまりよくない。スーパーマーケットも日本の方が品物が豊富。
 サイパンは、北マリアナ諸島連邦に属する。アメリカの自治領(commonwealth)で、準州のグアムとは統治形態が違う。自治政府があり、島内にはアメリカ軍はいない。グァムから米軍の軍艦が派遣され洋上で警戒任務に就いている。台風時はグァムにもどる。そのため、軍艦がいない時は台風と分かる。天気予報代わりになるそうだ。ススぺの連邦政府のビルは、廃屋のように見えた。道路も舗装が悪く、アスファルトに珊瑚を混ぜてありスリップしやすい。滞在中にススぺの道路で屋根を地面に付けてひっくり返っている軽ワゴンを目撃した。自治領のため、アメリカからの補助金がほとんどないのだろう。走っている車は、塗装の剥げた、でこぼこの車が多かった。産業は観光業と及びその関連産業、紡績業。一人あたりの所得はかなり低いようだった。
 サイパンで運転免許証を取るのは簡単で手数料も3,000円ぐらいということだ。しかも、日本に帰って書き換えることができるらしい。

<旅行代金>
 大人3人子供1人の旅行代金44万円弱。持参した現金$774(113.64円両替)9万弱、現地でのクレジット払い$550(未定110円?)6万円ぐらい(携帯電話の通話料支払いを除く)。

(2004/08/23)


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