神戸郷土研究

@農村歌舞伎上演会
 2002/5/12、藍那八王子宮農村歌舞伎舞台で行われた歌舞伎の上演会に行った。
 丹生山田の里には多数の農村舞台が現存する。舞台は、神社に併設されている。神さんと歌舞伎をともに楽しむ、神に奉納するという形である。
 現存する歌舞伎舞台は、地域の人の保存活動で維持されているが、茅葺き屋根の葺き替えなど維持費もかなりかさむようである。農村歌舞伎舞台を使って歌舞伎を上演する活動は、数年前から行われている。区役所が、町おこしの一環で後援・援助している。
 昨年は、上谷上の農村舞台で歌舞伎が行われたが、今年は、藍那の北の町で上演された。今年の出し物は、「伊勢音頭戀寝刃」神戸すずらん歌舞伎、「子宝童謡夢物語」甲緑子たから歌舞伎であった。神戸すずらん歌舞伎は、区役所の市民講座で歌舞伎の講座が開かれて、その受講者で組織されたものである。また、甲緑たから歌舞伎は、甲緑小学校の歌舞伎クラブである。
 六甲山の北に多数存在し(現在は5つ)、かつ、現存する歌舞伎舞台を使っての歌舞伎の上演会は、郷土文化の保存に最適である。

<上谷上農村歌舞伎>(2001/5/13)
演目「仮名手本忠臣蔵・七段目 祇園一力茶屋」(神戸すずらん歌舞伎)、「子宝童謡夢物語」(やまなみ子供歌舞伎)

    

<藍那八王子宮農村歌舞伎>
演目「伊勢音頭戀寝刃」神戸すずらん歌舞伎、「子宝童謡夢物語」甲緑子たから歌舞伎

    


<名生昭雄編「兵庫県の農村舞台」(和泉書院1996)より>

      


A天王温泉と湊山温泉
 兵庫区内には、福原京ゆかりの史跡が数多くある。石井川と天王川に囲まれた雪御所町に、清盛の邸宅があった。湊山小学校内に「雪見御所旧跡」碑が建立されている。清盛は1167年に太政大臣を辞してから、病死する1年前までここに居住した。
 天王温泉と湊山温泉は、雪見の御所の近くにある温泉で、都会の真ん中の温泉である。どちらも銭湯形式で入浴料410円。入浴者は年輩の人ばかりであるが、
一度訪れてみてはどうだろうか。どちらも広さは同じぐらいである。私は、天王温泉の方が好みである。

      


B六条八幡神社の流鏑馬(2002/10/13)
 六条八幡神社の流鏑馬神事は有名です。よく御者が落馬するそうです。今年は落馬しませんでした。的には4回中1回しか当たりませんでした。

   


C内田家住宅(2003/08/02)
 茅葺き民家(内田家住宅)保存・修理現場見学会が開かれ参加した。鈴蘭台西町の内田家住宅は、持ち主の方が高齢の一人暮らしで神戸市に寄付されたそうだ。保存・改修工事は、再来年の3月までかかりその後は一般公開することになっている。

屋根の材料が、カヤやアシ(ヨシ)などの草で葺かれた建物を茅葺き民家という。伝統的な日本の民家建物であるが、その数は、全国的に急速に減っている。神戸は、異人館などが建ち並ぶハイカラナ街というイメージがあるが、六甲山の北側を中心に茅葺き民家は平成5年には1100棟余りあったことが知られている。それ以前の昭和51年には2600棟ほどがあったので、20年で半減したことが分かる。現在は、もっとその数が減っていると思われる。

神戸の茅葺き民家では、北区衝原の日本最古の民家といわれる千年家・箱木家住宅(国指定の重要文化財・室町時代後期)のように全国的に有名な建物もある。内田家住宅も地元では小部の千年家といわれ、古い建物ということは良く知られていた。

内田家住宅は、江戸時代の中ごろ(約250年前)に建てられた建物で、4つの竈(カマド)をもつ庄屋クラスの住宅と考えられる。また、発掘調査で鎌倉時代後半頃(約600年前)の土器の破片も見つかっている。小部北の谷遺跡と言われ、杉尾神社の周辺から内田家住宅あたりまで鎌倉時代の村が広がっていたことも分かった。

周りが新興住宅街の地域の中で、江戸時代中期の民家が保存されることはとてもいいことだと思う。

            

修理のため全体を覆われている内田家住宅    内田家住宅(隣の茅葺きは神戸市に寄贈された方の家)