ソウル旅行記
(A)

 2007年8月27(月)〜8月30日(木)の4日間、7人のグループ(2名は現地で合流)でソウルを訪ねた。韓国は、10年ほど前、釜山(プサン)と麗水(ヨス)、済州島(ジェジュウドウ)へは行ったことがある。しかし、かなり前のことで、しかも当時韓国は高度経済成長期で、海は汚れ・空気は悪く公害のまっただ中だった。それでその後、韓国に行くのは気が進まなかった。今回、ソウルは首都で都会であるし、韓国の変貌も見てみい気持ちがあった。

ソウル行動図


1日目−8月27(月)

 8月27日(月)三宮9時に集合し、リムジンバスで10時30分頃関空到着。アシアナのカウンターで往路の航空券をもらいチェックインする。空港内の三井住友銀行(SMBC)で3万円をウォンに替える。21万ウォン受け取ったので、レートは1万円=7万ウォンだった(後日、南大門市場内で、1万円を両替すると81,500ウォンだったので、SMBCの換金率はとても悪い。1万円当たり約1万ウォンぼったくられたことになる。ウォンの両替の場合くれぐれも日本では替えずに、現地で替えること)。

 出国カウンターを出て、時計が無かったので免税店でスウォッチを購入(7,800円)。ユーロ高でスウォッチがかなり高くなっていた。今回は買わない方が良かったかな?

 アシアナOZ111便に乗る。30分ほど出発が遅れたため14:40着の予定が15:15頃仁川着。仁川国際空港の到着口を出ると、現地添乗員が待っていた。15:50駐車場でワゴン車に乗りホテルへ向かう。高速道路を通りソウルへ。1時間ほどでソウル市内に入る。

 韓国の人口は約4,800万人、ソウルには約1,000万人。ソウル都市圏(ソウル・インチョン周辺)の京畿道には人口の半分が生活している。このような人口の都市集中で住宅問題が深刻である。ソウル市内は集合住宅が中心で一戸建ての家はほとんど無い。同じようなビルばかりで分からなくなるので、ビルには建てた建築会社と番号が書いてある(例えば「現代102」など)。このビル番号「現代102」とタクシーに告げると、そのビルに連れて行ってくれるそうだ。

 途中ロッテホテルの免税店に連れて行かれる。18時少し前、明洞のソウルロイヤルホテル着。木浦から移動してきた2人のメンバーとホテルで合流した。

ソウル国際空港 高速道路の料金所。徴収員は
若い女性だった
漢江に架かる橋
中州にある国会議事堂 集合住宅 ビルの横壁に「現代102」
ソウルロイヤルホテル

 夕食を食べるために地下鉄に乗り2号線で「新村(シンチャン)」へ向かう。地下鉄「乙支路入口(ウルチロ1ガ)」駅の切符売り場で、切符を買うのに手間取る。この駅の自動販売機は硬貨のみしか使えず一旦両替機で1000ウォン札を500ウォン硬貨2枚に換えて、券売機で切符を買う。7枚買うのに時間がかかる。後で、帰りに違う出口からでると有人の切符売り場があった。韓国の地下鉄は市内は1000ウォン(最近値上げして、以前は600ウォンだったそうだ)。「新村」には延世大学があり、一つ手前の「梨大(イデ)」には梨花女子大がある。「新村」の駅を出ると、若者が多かった。屋台も沢山の若者が利用していた。

 目的の「兄弟(ヒョンジェ)焼肉店」に着く。安くて美味しいという店だ。3階の個室に通されて、焼き肉のコンロが2つ。骨付きカルビを6人前注文する。店員はいろいろ料理を勧めてくる。今回のツアーのメンバーは2人がハングルをを喋れるので心強い。その方によると、韓国の焼肉は、量が多いので7人なら1人分減らして6人前にすると丁度良いそうである。その後、また地下鉄でミョンドンに戻り、ホテル前の喫茶店へ行く。その後、居酒屋へ行って海鮮チジミと餅米のトントン酒を頼む。トントン酒はヨーグルトのようにさっぱりして美味しかった。

新村(シンチョン)、兄弟焼肉店

地下鉄両替機
券売機 新村(シンチョン) 屋台には若い人が多い
ヒョンジェ・カルビ店 焼き肉が来る前のセット ホテル近くの居酒屋 あわびのお粥


2日目−8月28日(火)


 8月28日(火)7:30ロビーに集合し、ホテル近くの「薬泉」というお粥屋で朝食。あわびのお粥(10,000ウォン)を食べる。スープで炊き込んであり美味しかった。アワビのお粥が一番高く、他のお粥は7,000ウォンぐらい。

 9:50フロントで現地ガイドと合流し、ロッテホテル裏の駐車場へ移動。「板門店ツアー」のバスはここから出発する。2台のバスで合計80数人が今日のツアーに参加するという。私たち2号車は日本人ばかりで日本語のガイド。1号車は、半分がアメリカ人で半分が日本人。

 10:40ソウル市内を北へ向かう。1時間ほど高速道路を走り、「鳥頭山(オドゥサン)統一展望台」に着く。韓国の西部国境には臨津江(イムジンガ)が流れている。イムジンガは、国境より南を流れているが、下流のこのあたり、オドゥサンでは川が国境となっている。オドゥサンの展望台からは、右手の臨津江(イムジンガ)と左手奥からの漢江(ハンガン)が合流し、ハンガンの本流となって左手前方に流れていくのがよく見える。ここから対岸の北朝鮮の村々が点在しているのが眺められる。今日は、快晴で、望遠鏡で見ると、畑で働く人まで見える。ずいぶん、北朝鮮が近い。右手のイムジンガに沿って片側4車線の高速道路が北へ延びている。10車線まで広げることができる道路だ。

 統一展望台の内部は北朝鮮の生活・文化の展示になっている。開城(ケソン)で作っている製品の展示があった。安い人件費で靴や100円ライターなど単純な製品をつくっている。ケソンでは靴を最初に製品化したという。北朝鮮の学校の教室の展示があった。正面に金(キム)親子の肖像画。教科書の紙質が悪かった。

オドゥサン統一展望台

鳥頭山(オドゥサン)統一展望台
入口
ビデオを見る部屋、前方はイムジ
ンガを挟んで北朝鮮の村が見える
右手、イムジンガと北へ延びる
高速道路
左手、手前のハンガンと右から流れ
てきたイムジンガが合流し正面奥へ
ハンガンの本流となって流れている
北朝鮮の村々

開城(ケソン)で製作している物品
北朝鮮の学校 北朝鮮の民家の内部

 昼食後、板門店(パンムンジョム)に向かう。パンムンジョムへは、韓国人は民間ツアーでは行けない。韓国人は国家のツアーで行くことが出来る。息子がパンムンジョムの警備をしている軍人の親などの希望者は多いが、戸籍調査を含め3〜6か月待たなければならない。オドゥサン統一展望台には中国人のツアーがいたが、パンムンジョムへは中国人は行けないということだった。身元調査が厳しいので、統一展望台までのツアーも多いという。

 板門店ツアーは急に中止になることがあるようだ。1週間ほど前のツアーは、北朝鮮の水害で兵隊・民間人7人の死体が流れてきて、その返還のことで板門店に入ることができず、統一大橋までで引き返したとのことだった。一方、私たちのツアーは、28日頃に盧武鉉大統領が北朝鮮を訪問する予定が水害のため延期になったので、板門店を訪問することができたのかも知れない。

板門店(パンムンジョム)

 14時過ぎ、「統一大橋(牛橋)」につく。この橋は、現代財閥の会長が、太陽政策がはじまり、北との行き来が出来るようになったときに造った橋である。その時生まれ故郷の北朝鮮に牛を1001頭送ったことから「牛橋」ともいわれている。ここで、1回目のパスポートチェックがあった。憲兵の若者がバスに乗り込んできてチェックを受けた。この橋より北は統制区域である。

 その後、橋を渡り「陸軍支援団(アドバンスキャンプ)」へ移動。キャンプの前で2回目のパスポートチェック。キャンプ内のブリーフィングルームでスライドを使った板門店の歴史と注意事項の説明があった。板門店では、北朝鮮に向かって指をさしたり手を振ってはいけない。会議場の中では、兵士の前を横切ってはいけない。また、奥の兵士の後ろに行ってはいけないことなどである。死んでも自己責任という宣誓書にサインする。

 ここで軍のバスに乗り換えて、いよいよ「共同警備区域(JSA)」に向かう。バスの運転手は若い軍人だが、愛想が良い。

 「自由の家」に到着する。内部で2列に並ぶ。その後、「軍事停戦委員会会議場」へ。真ん中のテーブルが境界線。南からのツアーの時は内部は韓国の管理下に入り、北の兵士は奥のドアの外に出る。逆に、北からのツアーの時は、逆になり内部は北朝鮮の管理下に入り、韓国軍兵士は外に出る。素早く写真撮影をして、「軍事停戦委員会会議場」の建物の外へ出る。この建物に半分身を隠して北を見張る韓国軍兵士が印象的だった。半分身を隠すのは、北から攻撃を受けた場合でもリスクが半分になり身を守ることが出来るからだ。その後、「自由の家」の展望台へ上がる。板門店内が一望できる。先ほど見学した「軍事停戦委員会会議場」や北朝鮮の「板門閣」。「北の見張り所」。から望遠鏡、カメラなどでこちらを監視している。

 その後、「自由の家」からバスに乗り、「訪問客用展望台」へ移動。ここから、北朝鮮側を見学。北方に、映画「JSA」で地雷を踏んだ場所のような森が広がり、「停戦の調印」をした建物が遥かに見える。南西に「帰らざる橋」が見える。南方には北朝鮮の「宣伝村」を望むことができる。北の「宣伝村」は人は住んですんでいなく、宣伝のための村。160メートル鉄塔に大きな旗がはためいている。

 その後バスに乗り、「帰らざる橋」に移動する。ここは降りることができない。映画「JSA」の舞台になった場所だ。バスから、「ポプラ事件」の記念碑を撮影する。

ポプラの木事件は、1976年8月18日に韓国・の板門店で発生した事件。韓国では8.18斧蛮行事件または斧蛮行事件とも呼ばれる。ポプラの木を切ろうとしたアメリカ陸軍工兵隊に対して朝鮮人民軍が攻撃を行い、2名のアメリカ陸軍士官を殺害、数名の韓国軍兵士が負傷した。同事件は第二次朝鮮戦争の引き金となりかねない出来事であった。(ウイキペディア)

 キャンブボニバスへ移動し、休憩とショッピング。売店で、「JSA」のマークのいったハンドタオルを買った。5,000ウォンだった。16時過ぎ板門店を出発し帰路につく。

板門店行動図

アドバンスキャンプ横の記念碑 軍事停戦委員会会議場 真ん中のマイクが境界線 自由の家展望台から会議場を望む
身体を半分隠して北朝鮮を監視
する韓国軍兵士
北朝鮮の板門閣 北朝鮮の見張り所、手前の白い杭
が軍事境界線
訪問客用展望台から北方向を望む 停戦の署名がおこなわれた建物。
北のツアーではコースに入る
南西方向、帰らざる橋。青い建物
は韓国側の見張り所
ポプラ事件の記念碑 帰らざる橋と監視所 帰らざる橋 北朝鮮の宣伝村。人は住んでいない

映画「JSA」
 南北分断の象徴である38度線上の共同警備区域(JSA)で起こった射殺事件。生き残った南北の兵士たちは何故か互いに全く異なる陳述を繰り返した。両国家の合意のもと、中立国監督委員会は責任捜査官として韓国系スイス人である女性将校・ソフィーを派遣。彼女は事件の当事者たちと面会を重ねながら徐々に事件の真相に迫っていく。そこには全く予想外の「真実」が隠されていた……。韓国で「シュリ」の記録を塗りかえ歴代興行収入No.1となったヒューマン・ポリティカル・サスペンス。 (写真及び文章は、yahoo movieより引用)

 このソフィーは、李英愛(イ・ヨンエ)が演じている。彼女が、大長今(チャングムの誓い)の長今(チャングム)である。


 17時半頃、ソウルのロッテホテル前にツアーバス下車解散。7時間のツアーだった。

 その後、南大門市場を見学し、ミョンドンの「プチオモニ」で海鮮チゲチゲを食べる。3人前の海鮮と3人前の豚焼き肉を注文するが、それぞれ6人前持ってくる。日本人と思って無理に持ってきたのだろうか?注文していないので、その旨言って3人前づつの代金を払う。

南大門 南大門市場

 ソウル市役所でイベントがあり、見学しホテルへ帰る。

ソウル市役所 徳寿宮


3日目−8月29日(水)

 8月29日(水)8時。朝食をホテル近くで、クムンタンを食べる。その後、地下鉄で「水原(スウォン)」に出発。世界遺産の水原城を見学する予定だ。「乙支路入口」から2号線に乗り、「市庁」で1号線に乗り換えて「九老(グロ)」で乗り換えスウォンヘ、10時前に着く。運賃は1700ウォンだった。

 タクシーで「水原華城」へ。「八達門」でクシーを降りると激しい雨が降ってきた。昨日が素晴らしく良い天気だったので大雨には驚いた。ずぶ濡れになって華城入口に着くと、「王様と私」というドラマの撮影を待つエキストラが雨の上がるのを待っていた。晴れていたら韓流ドラマの撮影を見ることができたので残念だった。この華城では、「大長今(チャングムの誓い)」の撮影が行われた。ドラマに登場した場所を見ることができる。雨で華城列車(トロッコ)で城壁をまわることが出来ないので、水原の見学をこれ以上断念し、案内所のおじさんにレストランを聞く。すると自分の知っている店に案内してくれた。韓定食の美味しい店だった。雨で散々だったが少し救われた。

 昼食後、雨があがらないので「国立中央博物館」へ移動する。地下鉄の「二村(イチョン)」駅で降りると雨は止んでいた。15時頃着いて、18時まで見学した。青磁・白磁が特に素晴らしかった。カメラOKだったので、国宝は一応全部撮影した。

 帰りにミュージアムショップで、図録を買った。日本語のマスターピースはあるかと聞くとないという。英語のはと聞くと無いというので結局ハングルの図録を買った。8,000ウォンだった。CDかDVDはあるかと聴くと、これも無いという。来年できるそうだ。

 夕食はカルビ焼き肉を食べて、その後、「清渓川」を見学。この川は上を車が走る暗渠であったが、それをとって昔の川に戻した。現在は、市民の憩いの場所になっている。

 その後、ミョンドンの屋台によってビールを飲む。ムール貝が美味しかった。この辺りは何軒もの屋台があり、安く飲み食いできるので勤め帰りのサラリーマンでどの店も混んでいた。


水原華城、国立中央博物館

朝食のクムンタン 八達門 水原華城
ドラマの撮影を待つ子役 出演者達 「チャングムの誓い」撮影場所
昼食、韓定食 国立博物館入口 内部エンドランス
青磁、国宝 白磁、国宝
清渓川 ミョンドンの屋台 朝食

4日目−8月30日(木)

 8時過ぎに、よく利用するホテル近くの居酒屋で朝食。この居酒屋は24時間営業である。10時30分に旅行社の添乗員が迎えにきて、ホテルを出発。途中「キムチと海苔のみやげもの店」に連れていかれた。12時過ぎ仁川国際空港。アシアナのカウンターは混んでいた。添乗員の機転でアシアナの案内社員に、機械の発券機で発券してもらう。パスポートを入れ、座席を選ぶとチケットが出てくる。国内線のように発券できる。

ソウルの印象
 ミョンドンは日本の観光客が多く、日本語が結構通じる。看板も日本語で書いてある。ソウルと日本は余り変わらない印象だった。ただ、ソウルは歩道などのインフラが不十分だった。地方では社会資本がさらに未整備と思われる。地下鉄の料金が安かった。

旅行費用
 旅行費用:81,850円(アシアナ飛行機代41,800円。オイルサーチャージ+関空使用料+ソウル空港使用料など10,050円。板門店ツアー13,000円。ロイヤルホテル3泊+往復送迎付き17,000円)。現地滞在費15万ウォン(約2万円)。

●文中の地図は、JTBのガイドブックと板門店ツアーのパンフレットを使用。

(2007年8月吉日)


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