上海旅行記
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2006年8月2日(水)〜8月5日(土)の4日間、家族で上海を訪ねた。夏の旅行をどこにしようかと考えて、価格コムで旅行の検索をしていたら、HISで上海4日間観光付29,800円というツアーがあったので決めた。国内を探していたが、涼しい東北や北海道は、いずれも高いのであきらめた。
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上海行動図 |
1日目−8月2日(水)
8月2日(水)リムジンバスに乗り14:00過ぎ関空到着。HISのデスクで往復の航空券をもらう。中国東方航空のカウンター(JALとの共同運航便)でチェックインし、荷物を預ける。泉州銀行の両替所を見たら1元16円ぐらいだったので両替をしなかった。元は日本で両替すると高い。
出国カウンターを出て、時計を忘れてきたので免税店でスウォッチの安物を購入(4,000円)。免税店の前で知り合いにばったり出会う。お孫さんを連れて三人でシンガポールに行くという。何年もご無沙汰していたので奇遇に驚く。
16:40関空発のMU732便に乗る。18:00上海着(現地時間。時差があるので一時間早める)。浦東空港の到着口を出ると、現地添乗員の阮柏英さんが待っていた。私たちのツアーは20人だった。全員が揃うまで待っている間、母娘の親子連れに両替のことを聴かれた。私は少し持っているので両替しないと答えると、横のカップルが空港の中国商工銀行の両替所で、20,000円を両替した。手数料は50元だった。200ドル以上替えると手数料が安くなると教えてくれた。銀行の電光掲示板に100円6.72元と出ていた。ガイドも両替してくれるらしく、10,000円642元のレートで余ったらその相場で日本円に替えるとか言っていた。結局、母娘連れはガイドから両替をした。
駐車場で観光バスに乗りホテルへ向かう。20:00頃ホテル着。チェックインは、ガイドがすませており、カードキーを車中で受け取る。ホテルは、上海の西外れの「上海体育館」の近く、三つ星ホテルで「上海南部大飯店」というところだ。
ロビーからエレベーターに乗ると大きな袋をもった男子従業員が二人乗っており、私たち家族は乗ったが、同じツアーのカップルは用心して乗らなかった。エレベーターの中で何事もなかったが、少し怖かった。従業員と客が同じエレベーターなのはビックリした。
廊下を挟んで1607号と1608号の2部屋だった。1607号に子供達が入ったが、窓の鍵がうまく閉まらず外に通路があり不用心なので、1608号と変わった。1608号は景色も良く少し広くきれいだった。1607号が煙草のにおいがしたので部屋を替えてもらおうと思ったが満室で同じ階の部屋がなかったので我慢することにする。部屋はまあ小綺麗でなによりクーラーが良く効いていた。
荷物を部屋に置いて、ホテル横のローソンで水などを買う。子供達はもう出かけたくないというのでラーメンを買う。ホテルの部屋で作るつもりであったが、ローソンが湯を入れて作ってくれた。湯は炊飯器みたいなので沸かしていた。中国のコンビニはこんなサービスもしている。
子供達を置いて、夫婦で出かける。あまり良いホテルではないという先入観とエレベーターの一件もあり、フロントでタクシーを呼んでくれるとは考えもせず外でタクシーを拾う。なかなか捕まらなかった。後日フロントでタクシーをたのむとすぐに来た。後で考えるとフロントの人も親切で、まあまあのホテルだった。
ANAのウィークリーチャイナビニュースに出ていた旧フランス租界のエリア、天平路・淮海路の交差点近く、天平路上の「吉士酒家」に行く。タクシーの運転手は三つ星で、すぐに着いた(16元)。
少し外で待ったが、すぐに中に入ることができた。小綺麗なハイソな店で、豊かな中国の大学生や中年のカップルなどが食事をしていた。2階に上がってテーブルが開くのを待っている間、何を食べるか聞くので、インターネットで印刷したものを見せたがよく話が通じなかった。それで、店員が気を利かせて、隣に座っていた中国人の女性に通訳をたのんでくれた。彼女は日本人男性の2人と食事をしていた。写真は、豆腐のスープと豚の甘煮だったので、キノコ炒めを薦めてくれた。席が空いたのでビールを改めてたのんだ。ビールはすぐ来たが、料理がなかなか来ないので、横を見ると、3人家族が小鉢ものをたのんでいた。それで、まねをして店員にその内の一つをたのんだ。黄色のスティック状のものだった。運ばれてきて食べると、冬瓜のオレンジ煮だった。店員に名前を聞くと、「果珍冬瓜条」と書いてくれた。甘くて料理の口直しに食べるもののようだった。とても美味しかった。隣の家族のテーブルには、友人2人が来て一緒に食事をしていた。しかし、アルコールは飲んでいなかった。中国の人はアルコールをあまり飲まないのだろうか。
<故レスリー・チャン、フェイ・ウォンなど中華圏の俳優・歌手も来ていたこのお店、華流スターに遭遇するチャンスもあるかもしれません。>と上記ANAのニュースに書いてあったが、テレビ局などビジュアル系の職業の客が多かったように思う。美味しい上海家庭料理を食べ青島ビールを2本飲んで、230元だった。
その後、タクシーでホテルに戻り就寝。
南部大飯店、吉士酒家
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上海南部大酒店 |
豆腐のスープ(ANA) | 豚の甘煮(ANA) | 吉士酒家内部(ANA)、 この席に座った。 |
2日目−8月3日(木)
8月3日(木)6:30起床、7:00にバイキングの朝食をとる。料理は中華系がメインでまあまあの味だった。
朝、フロントで現地ガイドの阮さんに今晩行く上海雑伎団のオプショナルツアーの件について尋ねる。「地球の歩き方・上海」の雑伎団のページを見せて、「上海商城」など3つの劇場を示して、どの劇場に行くのかと聞く。すると、「このガイドブックには載っていない。上海の雑伎団は5つある、今夜行く雑伎団が1番だ。上海の人は皆1番と言っている。」という。名前を聞くと「白玉関」だという。ガイドブックにも載っていないので、もう少し考えて申し込みをすることにする。
朝食後、バスで「豫園」に向かう。高速道路から見る上海の街は、ビルの海で一戸建ての家を見なかった。低層、中層、高層ビルが雑然と建っている。高層ビルの窓から外に棒を付き出して洗濯物を干しているのが印象的だった。
上海の人口は、1,674万人。北京が1,382万人。重慶か3,090万人。上海は中国第2位の都市だが、重慶に比べ人口密度が7〜8倍、遙かに高い。実質、上海が中国一の大都市だろう。
上海市内ビル
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窓から外に洗濯物を干している |
<豫園は、外灘と並ぶ上海の二大観光スポットの1つ。豫園の「豫」は「愉」に通じ、「楽しい園」という意味。起源は、四川省長の役人が法務大臣の父親への孝行のため建設した私庭園で、1559年から18年かけて完成したといわれている。1760年には上海の有力者達が現在の2倍の広さに再建し「西園」と改名された。その後は、商業街として発展するなど長い歴史を物語っている。庭園内は狭いが芸術品のように細かい工夫が多数なされ興味深い造り。周辺の豫園商域は商店が多く並び、人でごったがえしている。>(HIS、Ciaoより)。豫園を出たところの豫園商場の覗きカラクリが珍しかった。時間があれば覗きたかった。「豫園」は、浅草のようなところだ。浅草寺を中心に顔見せが拡がっているように、「豫園」を中心にその外側に商店街(豫園商場)が拡がって豫園エリアを構成している。
その後、お茶屋さんへ。お茶を試飲させてお茶を売る。北京では買わなかったが、今回は、乾草バラの缶のおまけを付けて、加工茶を一つ買う(150元)。北京の旅と同じく安いツアーなので移動の度にお土産物屋に連れて行かれる。次は、シルク工場につれていかれた。絹糸の製造を見せ、大きい繭を使った真綿の寝具の製造を見せ、その後、寝具とカバーを売る。寝具は500元ぐらい、カバーが1,000元〜2,000元ぐらい。その後、チャイナドレスのファッションショウを見せて、服売り場に移動させ絹のチャイナドレスやブラウスを売る。製造過程を見せて、その後販売するという方法が、北京のシルク工場より徹底していた。このシルク工場は北京で行った工場と同じく国営工場だ。しかし、店員は、北京よりも販売に熱心だった。上海の方が資本主義化が進んでいると感じた。ここでも何も買わなかった。
昼食はシルク工場の2階のレストランで上海小籠包付きの上海料理。沢山の皿が出て、味はまあまあ。日本ではフルコースの中華料理でご馳走だ。少し火の通りがゆるく野菜が堅い。
豫園・お茶屋・シルク工場
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豫園商場入口 | 豫園前の池 | 豫園内部 | |
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雨が流れやすく、採光など独特の屋根 | 竜壁 |
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貴重な岩、中国人は岩が好きだ | 豫園商場、覗きからくり | お茶の試飲 | |
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ファションショウ | 昼食風景 |
昼食後、上海郊外「七宝」観光へ向かう。七宝(チーパオ)は、上海市内から最も近い(約40分)水郷で、北宋から千年余りの歴史を持つ街。「七宝」に入る大きな橋を渡ると「千と千尋の神隠し」のような街並みが現れた。千尋のお父さんとお母さんが食べ過ぎて豚になったような飲食店などが連なった商店街があった。もしかしたら、宮崎駿はこの町を取材して湯屋のある街を描いたのではないか。七宝とはそんな街だった。
七宝
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七宝の大橋の上からの展望 | 商店街の入口 | 七宝内部 | |
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「七宝」を後にして、「新天地」に向かう。<新天地は、旧フランス租界を再現した注目の最新スポットで洗練されたレストランやショップが建ち並び「ここは中国と?」疑いたくなってしまいたくなる。>(HIS、Ciaoより)。日本で言えば原宿竹下通りのようなところだ。ガイドの阮さんは、物が高いのでスターバックコーヒー店ぐらいしか入らないようにという。ショップを覗きながら突き当たりまで行く。そこにハーゲンダッツの店があり、ハーゲンダッツのコーン・シングル2個(50元)とアイスコーヒー(20元)を飲んだ。日本円では1,070円。中国にしてはだいぶ高い。
通りを歩いている人は北京よりこざっぱりとした身なりをしている。上海は北京よりも豊かな印象を受けた。しかし、上海は物価が高く、所得格差が大きい。新天地のようなところで飲み食いしている人もいれば、観光バスが止まるたびに物貰いが集まる。地下鉄の車内でも子供の物貰いがお金をくれと集まってくる。社会主義は貧富の差をなくすことが理念ではなかったのか。中国は社会主義ではなかったのか。北京では強く感じなかったがそう思った。
日本は、かつて総中流社会で平等を求める社会だった。しかし「勝ち組・負け組」という言葉が流行り、小泉政権の5年で格差社会になってしまった。正社員中心の会社は、派遣社員や請負会社に雇われる契約社員が増え、所得の低い雇用の不安定な雇用者が増えている。小泉改革の行き着く先は、上海のような格差社会になるのではないか。もう少し考えないといけないと思う。
その後、また、「豫園」に戻り、デパートに買い物に連れて行かれる。旅行代金が安い分、買いものが組み込まれているといいえうんざりする。ガイドはシルクのパジャマが安いと薦めていた。デパートの4階で長い間置いておかれた。その上の階が夕食会場だった。デパートが食事を安く提供しているのだろう。四川料理はまあまあだった。
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新天地入口スターバックコーヒー | 新天地突き当たり | 豫園デパート | 夕食(四川料理) |
食事を終えて、雑伎団を見にいく。まよっていたが、上海で1番という言葉と明日の日程の窮屈さを考えオプショナルツアーに参加する(一人3,500円)。19:30開演で、その少し前に「白玉関劇場」に入場した。「白玉関劇場」は、昔の神戸の新開地にあった「聚楽館」のような劇場だった。こんなところでサーカスができるのかと思うようなこじんまりした劇場だった。私たちのツアーは、前から10列目ぐらいの真ん中から右にかけての席だった。私は中央に座ることができた。中ぐらいのランクの席だろう。
最初、2頭の獅子のぬいぐるみと人間のアクロバット。2番目は、女性3人のアクロバット。3番目は、帽子を使ったアクロバット。4番目は皿回し。5番目は、輪をくぐりながらのアクロバット。6番目は、網を使ったアクロバット。7番目は、傘や座布団を回しながらのアクロバット。8番目は、イスを使ったアクロバット。9番目は、登り棒を使ったアクロバット。10番目は、バイクの曲芸。エンディングが終わると21:00になっていた。体に力が入る1時間半だった。人間は才能と努力ですごいことができるものだ。人間業とは思えない演技だった。すごい修練を積んでいるだろう。
帰国後調べると、「白玉関」という雑伎団は、有名な雑伎団ではないらしい。団体専門の雑伎団のようだ。上海で1番というのは嘘だった。
上海雑伎団
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白玉連劇場 | 内部 | オープニング | 2頭の獅子と集団アクロバット |
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女性3人のアクロバット | 帽子を使ったアクロバット中 | 皿回し | 輪をくぐるアクロバット |
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網を使ったアクロバット | 傘や座布団を回す曲芸 | イスを使ったアクロバット | 登り棒を使ったアクロバット |
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男女2人による曲芸 | バイク曲乗り | エンディング |
曲芸を見た後、「外灘」(パイタン)の夜景を見にいく。21:00をまわっているのに大勢の人でごったがえしていた。<夜7時頃からの外灘夜景はノスタルジック、外灘(英語名:BUND/バンド)は租界時代の上海の中心地でした。現在でも当時の建築物が多く残り華やかな租界時代を想わせる。外灘からは上海のシンボル・東方明珠タワーや高層ビル群が望め、新旧が凝縮した上海が味わえる名所。夜7時煩から10時頃は建築物がライトアップされ瞑想的な夜景もお薦め。>(HIS、Ciaoより)。
外灘(バンド)
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外灘(バンド) | ビルがライトアップされている | 東方明珠タワーと遊覧船 |
3日目−8月4日(金)
8月4日(金)6:30起床。7:00朝食。8:00過ぎホテルを出発。上海体育館前から地下鉄1号線に乗る。窓口で行き先と人数を書いて切符を買う。16元だった。ホームも車両の中も通勤客で混んでいた。上海の地下鉄は、大阪のそれによく似ていた。6番目の駅、人民広場駅に9時頃着いた。人民広場駅は2号線と交差するメインの駅である。途中で同じツアーのMさんご夫妻と会ったので同行する。地上へ出て、上海博物館へ向かう。
上海博物館は、4階建てで、1階が中国古代青銅館と中国古代彫塑館、2階が中国古代陶磁館、3階が中国歴代絵画館と書法館、4階が中国古代玉器館と少数民族工芸館になっている。日本語解説機と入場料で90元、ボイスガイドの保証料が400元だった。ここで昼頃まで居て、魯迅記念館に行くつもりだったが子供達が疲れて行きたくないという。上海博物館では、コーヒー(50元)を飲んで、CDやコースターなど少しおみやげ物を買って400元程度使った。地下のミュージアムショップで買い物をしようと思ったら手元が不如意になっていた。それで、博物館で換金しようとしたらパスポートがなかったので無理だった。日本から1,200元余り持って行ったが、上海は物価が高くかなり使ってしまっていた。
上海博物館
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上海博物館正面 | 吹陶俑 | 北斉 釈迦石像 | |
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南宋 哥窯五足洗 | |||
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明永樂 景徳鎮窯青花纏枝山茶花紋扁壺 | |||
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20世紀下半叶 苗族綉花銀飾女盛装 | |||
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東晋 王羲之 | 王安石 | ||
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明 祝弁明 |
お昼を食べて午後の行動を考えることにして、「避風塘」というファミレスに行く。博物館からタクシーで展覧館店(南京西路1333号、銅仁路近く)に向かう。上海はタクシーが安い。家族4人で行動するにはタクシーが便利だ。初乗りが11元で、地下鉄と同じぐらいの値段で移動できる。運転手のランクに三つ星とか二つ星などがあるようだが、おおむね安心して利用できる。「避風塘」展覧館店まで、15元ぐらいの距離だった。ここも、ANAのウイークリーチャイナビニュースにでていたので利用した。<注文はテーブルの上にあるメニュー伝票にチェック印をつける形で簡単!中国語を理解できなくても、漢字から想像して注文しちゃいましょう。私のお薦めは、「避風塘炒面」(避風塘やきそば:15元→約210円)、「辣椒炒蟹」(蟹の唐辛子炒め:120元→約1700円)、「酥皮蛋王」(バターエッグパイ。お口直しに最適:11元→約150円)など。>(チャイナビニュース)。日本のファミレスのように写真付きのメニューがあるので、中国語が分からなくても平気。お勧めの食べ物と小籠包、飲み物などを頼んだ。紅茶(黒タピオカ入り)の飲み物がおいしかったと子供は言っていた。このファミレスは、各商品の単価が20元程度なのに、「辣椒炒蟹」だけが異常に高く、注文すると店員が本当に注文するのかと確認にきた。周囲でフキフキの声を聞いた。満州国皇帝の名を連呼しているのかと思ったらが富貴か?。「渡り蟹」が来てからも周りの人が見ていたので、あまり注文する人は、いないのだろう。「お金持ち、お金持ち」と言われていたのだ。昼食代は200元ぐらいだった。
避風塘
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「避風塘」入口(ANA) | 内部(ANA) |
日本円が使えるかもしれないと思って、近くの伊勢丹デパートへ行く。日本円は使えそうにない。地下のスーパーでお茶などを買う。伊勢丹のスーパーはとても良心的だった。小規模なスーパーなので商品が少ないがここはマークしておくべきだろう。
子供がおみやげ物を買いたいというので、タクシーで南京東路に向かう。人民広場で降りる。15元ぐらいだった。南京東路を東へ歩いていると、「上海書城」という大きな本屋があったのではいる。1〜6階のフロアーにまたがる大きな本屋で日本の池袋のジュンクぐらい大きな本屋だった。CDやDVDの品揃えも豊富だった。子供は、漫画とアイドルの本を買い、私たちは、中国のCDとDVDを買った。5時頃になったので本屋を出て、「カルフール」というスーパーに行くことにする。地図を見ると南京東路と思っていたのは、実は1本南の福州路という道だった。
書店前からタクシーに乗り、虹橋の「家楽福」に向かう。上海は高速道路が無料だ。運転手に銀行は何時までと聞くと、5:30と教えてくれた。銀行で両替するのは無理なので手持ちの元で、買い物と夕食をすることにする。運転手は50年配の男性で、女の子が二人いるということだ。銀行のことを聞いたので、元の手持ちが少ないと思っただろう。「カルフール」に着く少し前にメーターを倒してくれた。31元を支払い御礼を言って降りる。親切な運転手だった。北京の「イトーヨーカドー」は、おみやげ物やお酒など豊富だった。しかし、上海の、フランス系の「カルフール」はおみやげ物が何もない。結局何も買わず、地下のフードコートで食事をする。回転寿司屋もある小綺麗なフードコートだった。欧米人の親子も夕食を採っていたので比較的安心な店なのだろう。お店は10軒ほどあり、ここのフードコートのシステムは、まずICチップを埋め込んだカードを買う。30元・50元・100元のカードがあり、自分が食べ物や飲料を買いたい店に行きカードを出す。お店の人はカードを機械に入れお金を貰う。カードの残金と保証金を後で精算する。子供はラーメンとカレーライス。ラーメンは手打ちだが、味は日本人にはむかない。カレーも味はもう一つ。私は焼きめし。これはうまかった。女房は飲茶セットを食べた。
カルフール・フードコート
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カルフール地下フードコート |
「虹橋」は日本人が沢山住んでいる地域だ。帰国して新聞を見ると<海上自衛隊の1等海曹が内規に違反して内部資料を隊舎に持ち帰り、上司に無断で中国に渡航して処分を受けていたことがわかった。交際相手の中国人女性が働いていたカラオケ店は、在上海総領事館員自殺問題で登場した中国人女性も勤めていた。>(20006/08/04)という記事があった。日本総領事館もあるこの地域に中国政府が目を付けて工作を行っていたのだ。
夕食後、タクシーで両替のためいったんホテルへ戻る。メーターは24元だったが、ホテルに止めずに別の方向に行こうとするので、文句を言ってやっとホテル方向に戻り、大回りをしてやっと着いた。それで、20元しか渡さなかった。はじめて悪い運転手に出会った。本当は、番号を控えておいて後で当局に通報する方が良いのだが、ホテル玄関の車寄せで、家族が降りたので値切った。
ホテルで20,000円を両替後、タクシーを呼んでもらい人民広場に向かう。昼間、南京東路にいく予定が福州路に行ってしまい、子供のおみやげが買えなかったので再度行くことにした。(タクシーは、30元ぐらいだった。)
南京東路は歩行者天国になっており、夕涼みの人で混雑していた。この通りのデパート(商場)やショップは10時頃まで開いていた。食品の土産は売っていたが、小物は売っていなかった。それで、外灘方面に歩いて、また、人民広場に引き返してきたら10時を回っていた。タクシーをひらおうと思ったら、上海も「花金」で拾うことができなかった。それで、ツアーガイドから、地下鉄の最終が10:30と聞いていたので、地下鉄の駅に急いだ。何とか地下鉄の最終に間に合い、上海体育館の駅で降りた。(運賃は、16元だった。)上海体育館からタクシーでホテルに着くと11時を回っていた。(運賃は11元。)いつものローソンでポッキーの大箱をおみやげに買って部屋に戻る。(1個70元だった。次の日空港の売店でみるとなんと107元だった。)
結局両替したものの、持ってきたお金で足りた。しかし、お金が無くなってくると人間は不安になる。
今の日本は、高度成長が終焉し、バブル崩壊後経済が沈滞し先細りになる中で、将来に対する不安が増大した。プラザ合意によって、円高が進み製造業は中国などに移転した。日本経済のグローバル化が進む中で、会社は製造単価を下げるために非正規雇用を増大させた。日本版プアーホワイトと呼ばれる都市の底辺層が出現した。そんな中で、政治は弱者救済をせず、規制緩和を進めたから、弱肉強食の格差社会を招いたのだ。「ケンカの作法」(辛淑玉・佐高信)<角川oneテーマ21>に詳しく書いてある。
非正規雇用者の雇用条件を向上させ、正規雇用者に近づけることが必要だ。自民党も2005年の総選挙で彼らの支持を受けた以上、非正規雇用の日本人若者の労働条件を向上させなければならない。政治が弱者救済の本来の機能を取り戻すことが必要だ。
明日、早朝帰国するので荷物をまとめ、風呂にはいり就寝。
南京東路(歩行者天国)
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南京東路 |
4日目−8月5日(土)
8月5日(土)5時30分起床し、6:30荷物を持ってロビーに集合。ホテルをバスで出発、7:30頃空港に着いた。バスの中でこのツアーの写真販売があって、2枚買った。(1枚40元だった。)ツアーに同行し写真を撮ってくれた周さんという女の子にお世話になったのでお礼の意味もあった。
9:30上海浦東空港を出発、日本時間の12:30関空に着いた。
今回も貧乏人の気せわしい旅行だった。帰国してから子供の調子が悪くなった。「夏の上海は身体に障る」<落語「夏の医者(ちしゃ)は身体に障る」>のパロディー。
靖国問題
最近見た「日本沈没」では、日本が沈没する中で日本人難民の受け入れをアメリカが拒否する。首相(石坂浩二)は、日本人の受け入れを求めに中国へ行くが、途中九州上空で専用機が火山弾で墜落し亡くなる。このような場合に、近隣の国と仲良くしているのはとても大事だ。
香港映画「霍元甲(SPIRIT)」、中村獅童が出演して話題となった。その映画では、「霍元甲」は武道の家元として、武術の技術を高めることに熱心な、天津でも1・2の武道家だった。しかし、ささいなことで、ライバルの「秦」家の家元と決闘し殺してしまう。それに対して「秦」家の義理の息子が、「元甲」の娘と母親を殺す。対決では勝ったものの、復讐によって、自分の最愛の娘と母親を失う。
自分を見失なった「元甲」は、家を出て放浪、川で流さているところを少数民族の祖母と孫娘に救われる。親身に世話をしてくれる孫娘から、お婆さんの「身を清くしていれば、浄く生きられる。」という言葉を教えられる。その後、「元甲」は雲南のような棚田のある少数民族の村で暮らすことになる。ある時、「元甲」は、棚田で田植えを手伝い、誰よりも稲を早く植え得意になる。しかし、娘は「元甲」が乱雑に植えた稲を植え直していた。彼女は、「稲は生きているので間が詰まりすぎると育ちにくい。人も同じ、互いに敬えば仲良く暮らしていける。」という。雲南?の少数民族の村で暮らす内に、人間は自然と共に自然の摂理に従って生きているということに気づく。かつて父親が「論語」などを勉強しろといった意味がやっと理解できた。強さはそれのみでは何の意味もない。武道家は、武道家である前に人間である。人間として精神(SPIRIT)を向上させることが武道の基本である。また、力だけでは、自分の大切な物を守ることができない。
最近、靖国問題で日中・日韓の仲が良くない。近隣諸国と仲良くするのは大切だ。「互いに敬えば仲良く暮らしていける。」のではないか。
上海の印象
1.上海は都会。 2.物価は高い。 3.夏は暑い(日本と同じ)。 4.タクシーが安い。 5.貧富の差が大きい。 6.上海雑伎団はすごい。 7.上海博物館は良い博物館。
旅行費用
旅行費用:HIS支払い(旅行代金29,800円×4+オイルサーチャージ+関空使用料+上海空港使用料=146,720円)、雑伎団3,500円×4=14,000円、滞在費(おみやげ含む)1,200元(18,000円)、関空までの交通費15,400円。合計19万円余り。
●文中の写真の内、(ANA)と表示してある5枚は、ANAフレンドパークのHPの写真を使わせて頂いた。
●参考になるように、できるだけ支払った「元」を記した。
(2006年8月吉日)
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