<寺澤亮一さんの「島原の子守歌」を通して、人権を考える>

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 2001年2月24日滋賀の「いこいの村びわ湖」で寺澤亮一(元全同教委員長)さんのお話を伺った。寺澤さんのお話は、「21世紀の人権を考える」〜今後の人権政策とわたしたちの課題〜と題するもので、口調も考え方も柔軟で、おもしろい講演だった。寺澤さんは、「国連の人権政策が日本の背中を押してきたこと」、「私は、全同教に対し人権教育と同和教育の関係の整理をどこかで誰かがしないといけないという問題意識を持っている」、「同和教育か人権教育かと対立させて論じる方がいらっしゃいますけれどもこれは、話にならないし取り上げる必要もない。同和教育も人権教育だし、在日朝鮮人教育も障害児教育も男女共生も人権教育だ」と述べた。
 また、「知識は、私たちが持たされてきた持ってきた差別意識をほどいていく教養や常識が教育の中でどのように形成されていくのか。こうしたことは、知識として整理をされる必要がある。差別意識をほどく教養や常識として教育がどれほどパワーを発揮できるのか」。このような知識に絡んで話された「島原の子守歌」のお話を以下に紹介する。

 九州の口之津歴史民俗資料館へ行って下さい。そこに「からゆきさん」コーナーがある。山崎朋子さんの「サンダカン8番娼館」という本がある。「サンダカン」は、「ボルネオ島」の町の名前です。サンダカンには売春宿が軒を並べていた。九州を旅行すると必ずバスガイドが歌ってくれる「島原の子守歌」。中学校や高等学校の教科書を毎年のぞいていますが、一番と番外の歌詞が2番と書かれているだけで、本来の2番3番4番5番の歌詞は検定の教科書には決して登場しない。カラオケでも滅多にお目にかからない。今日は、印刷してきた。すざましい歌詞です。

<島原の子守歌>

(2)姉しゃんなどけいたろうかい/姉しゃんなどけいたろうかい/青煙突のバッタンフル/唐はどこんねき/唐はどこんねき/海のはてばよ しょうかいな/おろろんおろろんおろろんばい/おろろんおろろんおろろんばい
(4)山ん家はかん火事げなばい/山ん家はかん火事げなばい/サンパン船はよろん人/姉しゃんなにぎん飯で/姉しゃんなにぎん飯で/船ん底ばよ しょうかいな/おろろんおろろんおろろんばい/おろろんおろろんおろろんばい

<関西弁で言うと>

 お姉ちゃんがおらへんどこへ行ったんやろ/お姉ちゃんがおらへんどこへ行ったんやろ/青い煙突のバッタンフィル外国船の中(当時有明海をバターフィル汽船会社の船がはしっていた。トレードマークは青い煙突、これが石炭をシンガポールやボルネオの方へ運んでいた)/外国はどこなんやろ/外国はどこなんやろ/遠い遠い海の果てやそうや/おろろんおろろんおろろん/
 お姉さんは貨物船の中にいるわけです。どこにいるかというと。4番の歌詞の真ん中のフレーズを見ると。姉しゃんなにぎん飯で/姉しゃんなにぎん飯で/船ん底ばよ しょうかいな/
 石炭の上に握り飯を持ってうずくまっているお姉さんが歌われている分けです。買い集められてきた娘達、拐かされてきた少女達であります。いま、からゆきさん。植民地の外国人相手の売春婦としてのこの国を密出国連れ出されるそういう世界です。
 大変だ山の上の方で家が燃えている/これは、放火でした。女衒が、人買いが放火をした。娘を売りたい親はいません。しかし、娘を売らなければ生きていけない時代・社会がありました/船にいるお姉ちゃん・我が子その船が出航する日、他の人達は海の中に飛び込んでも船の後を追いかけていきたい。人の目を山に引きつけ、その隙きに船が港を出ていく/そういう意味の歌詞が4番の1行目の歌詞です。
 外国に着くまでに船乗りに処女を奪われる。それ密出国の駄賃として船乗り達にあてがわれていた。それが辛くて、身を投げるから見張りが立つ。舌をかむから猿ぐつわがはめられる。近代の初めに10万とも20万ともいわれる娘達はこのようにして海を渡った。それが島原の子守歌では如実に歌われているんですけれども、戦後の音楽教育はそれを素通りしてきました。ただうっとりとこの歌を合唱し斉唱させるぐらいで済ませてきた。しかし、そうした内実に届く教材研究が日本中で完成をして、島原の子守歌が戦後50年、中学校や高等学校で届けられていたら、日本の男達の人権感覚は少しはよくなっていたのではないか。「児童買春禁止法」が去年制定された。これをしなければ国際社会で世渡りができないというところまで、お父さん・ボーイフレンド・倅達のありようが国際社会で問われているということだった。「島原の子守歌」は確実にそこに響く世界を持っていた。音楽の授業の中では、そういうことが果たせないままきた。教材研究はそのためにあったはずだ。人権教育として知識として全教科でもっと開発しなければならない。そういったことは、山のようにおこっている。そのような個々の体験や経験原則を日教組がどのように集大成できたのか。そうした中で、人権教育教材は豊になっていくんだろうと思います。


 お話を伺って、改めて知識の持つ力と教材研究の大切さを感じました。お薦めの本−「サンダカン8番娼館」(山崎朋子)



「両性の自立をめぐる諸問題について」


 
2000年10月28日(土)に「横山ノック・セクハラ事件」の被害者側の弁護団長であった、石田法子さん(大阪弁護士会)のお話を伺いました。「両性の自立をめぐる諸問題について」というテーマのお話でしたが、共生社会について考えるところが多々ありました。要旨は、以下のとおりです。

女の自立
 20世紀は、100年かけて女が変わってきた世紀だ。21世紀は、是非、男が、100年かけて変わって欲しい。100年前は、日本は日清・日露戦争の間で、女性の人権が認められなかった時代である。戦後、憲法・新民法によって1947・8年頃からがらっと変わった。女性の法的地位が保障された。1975〜85国際婦人年で、世界女性会議などに参加したが、女性に対する暴力や性差別平等法の制定が共通のテーマとして認識された。日本は、「男女雇用機会均等法」や「民法の諸改正」など一定の前進があったが、1999年6月に「男女共同参画社会基本法」が制定されたことは、画期的な出来事である。「ざる法」という言葉もあるが、法律ができれば無視をできないという側面がある。例えば、「均等法」では、露骨な差別はできなくなった。変わりにくい部分は、慣習・意識の部分だが、しかし、着実に変わってきている。オリンピックでも、高橋選手や柔らちゃんなどが活躍した。しかし、ちょっと前、女子マラソンでは、ゴーマン美智子さんが、走りたいといった時にそんな危険なことはできないと言われたのが、今はこういう状態だ。小学校の運動会でも、騎馬戦・組み立て体操も女の子がしている。昔は女の子はしてはいけないといわれていたことを女の子がしている。意識が変わってきている部分が確かにある。
 横山ノックのセクハラ裁判を通じて、確かに変わってきた部分があると感じた。声を上げるとか、20年前なら考えられなかった。昔、痴漢にあったら親にあんたが悪い、隙を見せるからだと怒られた。しかし、今は、許されないという女の子が出てきた。教育を通じ声を出すことを教えられてきた。そして、それを真摯に受け止める人たち、弁護士などが出てきた。ここ十年でセクハラ問題に関する社会の認識が変わってきた。1999年4月1日にセクハラに関する法律が施行された。4月8日にこの事件が起こった。許さない女性たちが増えてきている。そういう風な吹き始めた時期であった。
 それと、最近では、ドメスティクバイオレンス(DV)事件が増えてきている。DVとは、夫や恋人からの暴力だが、殴る男が、何故恋人なのか。DVの定義を変えて欲しい。殴る男が増えているかというとそうではない。暴力をふるう男が増えてきたのでなく、セクハラと同じで女性が、声を上げ始めた。近頃は、DVで離婚したいとはっきり言う。殴られている人間は萎縮してくる。自分に対する自信がなくなって、自分に悪いところがあるからだと思うようになる。しかし、DVは、個人対個人の問題ではなく、社会的問題という認識が広がった。それで声を上げることが多くなってきたのではないか。セクハラもDVも職業を選ばない、あらゆる年齢・職業の人がいる。女性に対する暴力は、支配・被支配の関係の中から出てくる社会的な問題である。それを撤廃しないことには、男女の平等は来ない。放っておくと不平等を一層進めることになる。「男女共同参画社会基本法」にも重要な項目として位置づけられている。「男女共同参画社会基本法」の理念は、21世紀に向けて自立した両性がイコールパートナーとして、お互い協力していく。それぞれが、自分の意思で社会のあらゆる分野で活動に参画する機会が確保され、その結果利益も均等に受けることができて、かつ共に責任を負うという社会を21世紀に向けて作るということが書かれている。具体的には、アクションプランで付けていくことになる。それは、私たちが作っていく。国・地方公共団体が具体的な内容を作っていく責務を負う。私たちも責務を負う。会社や組合も責務を負う。女性を参画させて行かなくてはならない。「マッチョ」な社会・組織を変えていくためには、意識・慣習を変えていくことが必要だ。「基本法」では、固定的な役割分担の解消がうたわれている。家庭生活における男女の共同責任。女性が仕事をするときの家庭と仕事の両立に対する配慮がうたわれている。出生率の低下が続いている。子供を産んで仕事をすることがしんどい世の中であり、社会的な基盤の整備ができていない。勤務の仕方、残業の恒常化など働かされ方の問題もある。家庭で旦那がどれだけ手伝ってくれるかも大きい。

男の自立。
 女性問題は男性問題である。男が変わらないことにはどうにもならない。女が変われば男も変わっていかざるを得ない。社会が変わってきている。男性に変革が求められている時代である。男の自立とはなんなんだろう。一つは組織からの自立だ。さらに、固定的役割意識の呪縛からの自立と生活の自立である。これまでは、組織からなる社会に庇護されていた。しかし、これから男性は、組織からはなれて個人としての解放、人間としてとして、どう生きていくのかを考えなければならない時期ではないのか。松井やよりさんと「男性神話」をかいた男性との対談で、「落ちこぼれの兵隊は、人をあまり殺さない。従軍慰安婦を買わない。軍隊は『人間』を『もの』化するところ。兵士が人間として存在していれば強い軍隊にならない」といわれていた。まさに、会社なり組織なりは、「人間」を「もの」化していく部分がある。男の自立の一つとして、「もの」から「人間」になることが必要だ。女と比べて男の方が固定的役割意識が強い。男は強くあらねばならない、泣いてはいけないという意識もある。しかし、それでやっていける人はいい。しかし、実は、男はもろい、よく言えば繊細。だから、無理をしないことだ。男にも更年期がある。40代の後半から不安定になる。もろさは、中高年になってからの男の不安定さに現れている。男と女の間で、支配被支配の関係でなく、どっちが上でもどっちが下でもないという社会を作っていけたらと思っている。実際、平等な社会は男の既得権を侵害するとかいうものではなく、男にとっても住みやすい社会である。それぞれの個性を尊重して同じ価値を持つ社会。自由に気楽に生きられる社会。社会をそういう風に持っていく。
 自立をどういう風に育むか。それは、教育だと思う。自立とは、生きる力だと思う。生きていく力は、本で勉強してつくものではない。生活の中で育んでいくものであると思う。育った家庭の問題が大きい。男と女が対等で尊重し合っている家庭。そういう家庭を作って、子どもたちに見せるということが基本かなと思う。家庭で見せられないときは、社会教育の中で教える。学校でも、職場の中で拡げていく。そして、それを生徒に見せ、伝える。

共生社会を求めて
 誤解を生むかもしれないけれど、平等というと何もかも一緒にするということではない。平等は、何もかもが一緒であるといっているわけではない。人権とは何かと何時も考えてきた。「違う個性、同じ価値」という言葉が好きだ。個性がそれぞれ違ってもそこに優劣はない。しかも、同じ価値を持っている。男は、力が強い、女は子供を産む。男も女もそれぞれ違う個性がある。しかし、価値は一緒である。違いがあるから差別になる。差別は全てそうだと思う。違いがあって、そこに優劣を付けるから差別が出てくる。障害者問題を考えると、企業が要求する労働能力という点から見ると、障害者が健常者と同じことができるかというとそれは違う。しかし、そこで、だから障害者はやはりだめだという優劣を付けてしまうのではなくて、違っても価値は同じという基本を押さえておかなければだめだと思う。25年間弁護士をやって、人権問題に取り組んできたが、25年かかって、「個性は違っても、価値は同じ」ということが人権の基本と言うことをつくづく思った。「男女共同参画社会基本法」の目指すところもそこかなと思う。それぞれ個性は違うけれども、イコールパートナーとして、社会の対等な構成員としてお互い協力して尊重していくというところだと思う。これから21世紀の半ばまで私は生きられないと思うけれど、これから男性がどういう風に変わっていくのかということを、老後の楽しみとして考えたいと思う。皆様も命のある限り変わっていっていただければと思う。

(2000/10/28)