教員免許更新制−教員免許法「改悪」法案衆議院通過
教育関連3法案、衆院通過
政府が今国会の最重要法案の一つに位置づけている教育関連3法案が、18日午後の衆院本会議で自民、公明の賛成多数で可決された。同日中に参院に送られ、与党側は6月23日までの今国会での成立を目指す。
可決されたのは、文部科学相に教育委員会への指示・是正要求権を与える「地方教育行政法改正案」▽副校長や主幹教諭を新設する「学校教育法改正案」▽教員免許に更新制を導入する「教員免許法改正案」の3法案。衆院では教育再生特別委で審議されてきたが、参院では通常の文教科学委員会での審議となる見通しだ。
伊吹文科相は18日午前の閣議後会見で、3法案について「参議院の審議もあるので、緊張感を持って、成立を期してがんばる」と語った。また、特別委で政府に「教員定数と教育予算の一層の拡充に努めること」などを求める11項目の付帯決議が与党の賛成多数で可決されたことについては「法律改正がともなうので非常に難しいが」と断ったうえで、「多忙な教師の負担を緩和させるために、行政改革推進法を改正し、教職員の人員を抑えている枠を少し外して定数増をはかっていくことが一番大切だ」と述べた。<朝日新聞2007/05/19>
いよいよ、教員免許法「改悪」法案が衆議院を通過した。教員免許を10年ごとの更新制にして、その際30時間の講習を受けるという法案だ。自動車運転免許と同じで、行政が与えるという色彩が強くなる。いままでは、一定の資格基準を持つ者に免許状を交付するという発想だった。医師免許しかり建築士免許もしかり、税理士など多くの国家資格がそういう発想だ。教員免許だけが10年の期限制になったことで、ますます教育への国家管理が強まる。お上に逆らう教員は、免許取り上げだ。また、お上の意に添う教員しか更新されなくなる。
そのうち、スピード違反、免許書不携帯、飲酒運転、一旦停止違反など取り締まりが強化されるのだろう。教員の給与見直し、公務員の給与抑制、民間との給与格差等々待遇面で人材が民間へ流れているときに、本人の自由闊達な思想まで封じられるのなら、教育界には良い人材が集まらなくなるだろう。
(2007/05/20)
こんな大臣に教育基本法を改悪されたのか?
伊吹文部科学大臣の不正経理疑惑
伊吹文部科学相(自民、衆院京都1区)の二つの政治団体が、05年、家賃のかからない議員会館を事務所としながら、年間総額約4700万円を事務所費に支出したと、政治資金収支報告書に記載していることが分かった。
伊吹氏の事務所は、朝日新聞の取材に対し、「東京と京都の別の事務所の賃料にあてていた」と説明。両団体の事務所費に会食費などを計上していたことも明かし、その額は総額で1000万円程度にのぼるという。実態と食い違った経理処理をしていた疑いが強くなった。(1月10日 asahi.com)
日本は同質的な国」「人権メタボ症候群」 文科相の感覚欠如
伊吹文明文部科学相の「(日本は)大和民族が統治した同質的な国」との発言が波紋を広げています。発言は二十五日、長崎県長与町で「教育再生の現状と展望」のテーマで、昨年改悪された教育基本法について語った際のものです。
日本には、独自の民族的存在であるアイヌ系住民や、強制連行などによって少なくない在日韓国・朝鮮人が生活しています。伊吹氏の発言は、こうした人たちの存在を見ない暴言です。
しかも、改悪教育基本法では、「教育の目標」として「国を愛する態度」など二十以上の徳目を盛り込みました。愛国心押し付けの先頭に立った閣僚に、少数民族に対する意識が欠如していることを示しました。
ところが、安倍晋三首相は二十六日、「特に問題だとは思わない」と述べ、塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「発言の趣旨全体を見ると、特段問題視すべき性質のものではない」と述べるだけでした。
かつて、一九八六年に中曽根康弘首相(当時)が「日本は単一民族国家なので比較的教育はおこなわれやすい」と失言し、世界中から批判を浴びました。伊吹発言は、その反省もないものです。
伊吹氏はさらに、人権をバターに例え「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」(「朝日」二十六日付)と語ったとも報じられています。
国民に対して、生活保護の老齢加算や母子加算の廃止、国保証の取り上げなどで憲法が保障する生存権さえ脅かしておきながら、“人権を食べすぎ”などとやゆする神経にはあぜんとするばかり。北九州市では、生活保護を二度申請するも市役所に拒否され、餓死する事件まで起きています。
伊吹氏の発言は、人権感覚の欠如した自民党政治を象徴するものです。(佐久間亮)しんぶん赤旗 2007年2月27日
(2007/03/21)
歴史年表、2006年−やらせで作られた教育基本法成立?
A
2006年11月16日教育基本法が衆議院を通過し参議院に送られた。しかし、改正の手続きと内容に問題がある。教育基本法の審議に十分時間をかけたと政府・与党(自民党・公明党)は言うが、内容の審議は十分尽くされたとは言えないと思う。タウンミーティングのやらせ問題や必修科目の未履修問題、いじめなどの問題が表面化し、それの審議が中心で教育基本法本体の審議はほとんどおこなわれていない。
特に、タウンミーティング(以下−TM)で教育基本法に賛成という世論形成を文科省が「やらせ」によっておこなったことは重大な問題だ。教育基本法TMにおいて、文科省が教育基本法改正賛成の模範意見を書いた上で日当5000円を支払って「さくら」に述べさせる。また、TMでは、文科省がシナリオを作り、司会者はあらかじめ複数の「さくら」の賛成者を指名するように運営されており、そのTMでは教育基本法に賛成だという意見集約をおこなう。このようなTMを複数回実施することで教育基本法改正に賛成という世論形成をおこなう。
法案提出の前提が崩れたと伊吹文科大臣は次のように述べている。
<伊吹文明文部科学相は10日午前の衆院教育基本法特別委員会で、小泉純一郎内閣時代に開かれた教育改革に関するタウンミーティングの「やらせ質問」問題について、タウンミーティングによって教育基本法改正案への理解を深めたとするこれまでの政府の説明は前提が崩れており、不適当だったとの認識を示した。
今年4月の同改正案提出後、小坂憲次前文科相らは「タウンミーティングで国民的な理解を深めてきた」と説明していたが、伊吹文科相は「タウンミーティングで民意の広がりがあるというのは適当ではなかった」と指摘した。松本大輔氏(民主)の質問に答えた。>(毎日新聞 2006年11月10日)
このような法案は、ひとまず撤回して再提出すべきだろう。
(2006/11/19)
教育基本法の「改正」は日本の社会にどういう影響を与えるか。
<教育基本法「改正」問題と日本社会の未来>広田照幸(東京大学)を聴いて
<以下抜粋>
現行の教育基本法成立時
今の教育基本法、遅れた農村など、社会を変える。保守的な政治家の側から、目的を述べることに消極論があった。法律で定めることに消極論。倫理的なことを法律で定める必要はない。そもそも1条が問題。法律のなかに国民の道徳を入れるのは問題がある。教育勅語もそうだった。そういう事情から、成立したとき余り評価されなかった。
「改正」論台頭の背景
グローバル経済の市場原理により、共同体の破壊、個人化が進む。アノミー(人々の日々の行動を秩序づける共通の価値・道徳が失われて無秩序と混乱が支配的になった社会)。プライベート(DV、虐待)、失業。パブリック的な物が希薄。国民国家が退潮している。国民国家は1960年だいアフリカが独立して50年ぐらいの歴史。国民国家では問題の処理が出来なくなったところで、ナショナリスッティクな議論が起こっている。既存のシステムが弱くなって、既存のシステムの強化が進んでいる。
「改正」は愚策
抽象的な文言の「改正」ではない。教育現場が硬直化する。世の中のことを考えている教師があぶり出し。例えば東京都。公共的関心の高い層が標的。教員の抑圧、萎縮。教師の頭を統一、一方、子供を多様化、無理がある。しかも、愛国心が生まれない。行事だけではダメ。それで、平素から教育活動の中で愛国心教育。さらに、家庭教育でもやれ。学習指導要領では、学校教育のみ、一方、教育基本法を「改正」すれば、生涯学習の場で参加者に強制することができる。同調を求める仕掛けが拡大。
マイナスになる「愛国心」
愛国心教育は時代遅れ。国民国家の枠組みで解決しようとしている。日本のグローバリゼーションとは、外に出て行く日本人という考え。外に向かって閉ざされた社会。内に向かっては均質化。
90年代から東アジア共同体構想、ASEAN。2002年小泉首相東アジア共同体について話す。2003年東京宣言。SEAN+日中韓。中国がASEANと連携を深めている。日本は遅れをとっている。東アジアの国家を超えた連携のしくみが進んでいる。
一方、1995年第1次答申。2003年3月教育基本法「改正」に向けた答申。同年12月ASEAN東アジア共同体の構築を宣言。教育基本法の「改正」の動きが出てきたのはこの展開以前。それで、教育基本法「改正」案は、1980年以降の経済競争に勝ち抜く日本という一国主義。愛国心のゆくえ。徳目を決める。東アジアが火を噴く。この経済のしくみに入らないと東アジアとうまく連携できない。自民党の教育基本法「改正」案は時代遅れ。徳目を設定し将来の国民像を決め打ち。民主党案はよく分からない。与党以上に保守的なところがある。
「国のかたち」をめぐる争点
EU、国家は無くならない。経済のボーダレス化。2004年国際結婚5%。20組に一組。1965年0.5%。テレビ「奥様は外国人」評判人気がある。外国人登録人数200万人。5倍ぐらいになったらどうするか。シンガポ−ル、多民族多言語社会、経済の中心。外から来る人を排除したら経済発展はない。社会としてやっていくという程度問題が必要だ。アジアの人たちと対等で一緒の夢を見られる。国民共同体を選ぶか、ボ−ダレスの社会を選ぶのか。
市場と国家と個人。市場は個人主義−個人を不安定にする。国家をうまく使う。機会均等を保証させる。個人に国家が介入するのを拒否し、我々の生活を保障させる。
共同体モデル。異質な物を考えない。自分と全く価値観の違う人とも折り合いをつけていくスキル。現行の教育基本法の方が未来志向。
学校教育の役割をめぐる争点
教育と経済のつながり。60年代、高度経済成長。スキルのない人にも多くの仕事を回すことが出来た。労働の分化、再訓練が出来る。体を動かす仕事以外無いということでは未来はない。知識伝達が大切。普通学に力を入れている。職業に特化した教育をすると数年後に陳腐化する。意欲・態度は簡単に劣化する。知識は持続する。社会をつくる主権者を作る働きを教育が作る。経済を生き抜く人を作る。煽動政治家に操られてしまう。
教育の未来
アメリカにつくかアジアにつくか。これからの国のかたち、自分たちの未来を選んでいける。重層的複眼的思考が出来る。政治は自分たちの手で、自分たちで作る。今新たな要請。選挙権、大衆、公教育。市場原理、共同体をつぶす、個人化。価値伝達、選択、配分(チャンスの配分)。国家共同体を重視した考え方と市民社会的な組立。何を重視する、どういう社会を作るか。教育基本法「改正」案は、国家共同体と重ねて、それに向かって個人を変える。しかし、外国人入れない、自分たちは出て行くという未来像。今の教育基本法の方が新しい変化に対応しやすい。国民国家は終焉。
<抜粋終わり>
自民党は、個人のミクロ化を、国民共同体(国家主義)で克服しようとする。その手段として教育基本法の「改正」をたくらむ。しかし、徳目を定めて将来の国民像を決め打ちすることは、将来の社会形成の柔軟性を失う。
また、「東アジア共同体構想」の中で「東アジアの変わり者」、「東アジアの嫌われ者」になりかねない。
さらに、国民国家が退潮に向かう中で、国民国家(国家共同体)を強化することは、経済的にも劣化を招くだろう。経済に勝ち抜く日本人という臨教審以来の像は、日本そのものが東アジアの経済の中心を外れることで消滅するのではないか。 外国人だけではなくて障害者を含めたインクルーシブな多民族多言語国家を作ることで、経済の活力も生まれてくる。そうして、アジア共同体の発展の中で、日本も発展できるのではないか。
教育基本法の「改正」は、日本社会の政治的な変化だけでなく、経済的な退潮をもたらすことがよく分かった講演だった。
(2006/08/25)