「クラスの少人数化」最優先を<参院議員・ツルネン・マルテイさん>
 1940年、フィンランド生まれ。67年来日し、英会話教室を開く傍ら、井原西鶴の「世間胸算用」などのフィンランド語訳を手がけた。町議を経て02年、大橋巨泉氏(民主)の辞職に伴い参院議員に。

 私が通ったフィンランドの小学校は、旧ソ連の国境近くの、四方を森に囲まれた村にありました。全校で15人くらいの小さな学校で、1〜5年生まで全員が一つのクラスで机を並べていました。

 日本の学校では、子供たちが一斉に前を向いて、先生の話や板書に集中しますが、私が育った小学校は違います。

 先生は机の間を回り、一人一人の子供に応じた指導をします。先生と生徒の距離がとても近い。上級生も下級生の分からない教科をサポートしていました。

 みんな兄弟のような雰囲気だから、けんかすることがあっても、いじめが起きることなんて、想像もつきません。学校全体も大きな家族のようなもので、子供が近くの森で採ってきたキノコなどを持ち寄って給食にしたりしていました。

 67年にキリスト教の宣教師として来日し、79年に日本の国籍を取得して、永住することを決めました。その後、神奈川県湯河原町の自宅で英会話教室を開いたり、高校の英会話クラスの講師を担当するなど、子供の教育に携わるようになりました。

 授業では、小学校時代を思い出し、自分が一方的に話をするような授業はしないようにしました。高校の英会話の授業では、1クラスに約40人の生徒を2人1組にして、テーマを決めて英語で話し合いをさせました。私は余計な口を挟まず、教室の中を回って個々の生徒の表情を見たり、質問に答えていく。

 出来、不出来より英語に親しんでもらいたかったので、テストはしませんでした。その方が学ぶことを吸収しやすいのではないでしょうか。

 日本の学校を見て思うことは、1クラスの人数が多過ぎるということです。先生が一人一人の生徒と対話ができないから、生徒が何を考えているかが分からない。先生の目も届かないから、いじめのような問題も出てくるのではないでしょうか。

 今の学校に必要なことは、1クラスの人数をできるだけ少なくすることです。早急に取り組むべき課題だと思っています。<聞き手・坂口雄亮>
(毎日新聞2002年3月18日東京朝刊から)

クラス人数・日本の状況
40人学級維持?、「小学校設置基準」及び「中学校設置基準」の制定等に関するパブリックコメント
 文部科学省が、3月12日に小・中学校(一部高校)について設置基準の変更に際しての「パブリックコメント」をマスコミ発表しました。何と、約2週間で意見を聞いて、もう4月1日には施行というとんでもないスケジュールです。内容は、下に一部引用していますが、学級定員は40人のまま(1ーB)です。また、中学校の教諭数を現行の半分に出来るような変更です(1−C)。(現行の中学校は1学級当たり教諭は2人以上)。さらに、問題を含む「自己評価」も小・中・高校まで求めています。
 こんな大事なことが、国会で議論されたとは思えず、マスコミもきちんと扱わないとは、かなりひどい状況です。

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「小学校設置基準」及び「中学校設置基準」の制定等に関するパブリックコメントの実施について 、平成14年3月12日

 学校教育法に基づく省令「小学校設置基準」及び「中学校設置基準」の制定等に関するパブリックコメント手続き(意見提出手続き)を以下のように実施します。(略)本件につきましてご意見がございましたら、【 ご意見の提出方法】の要領にてご提出ください。

【 新たな制度の概要】

1 学校教育法(昭和22年法律第26号)第3条に基づく文部科学省令として、新たに、「小学校設置基準」及び「中学校設置基準」を制定し、以下の事項について定める。(別表を除き、小学校・中学校共通)
@ 設置基準の位置付け
 小学校(中学校)は、学校教育法その他の法令の規定によるほか、本基準により設置する。また、設置基準を最低基準と位置付け、設置者は、小学校(中学校)の水準向上に努める
A 自己点検評価及び情報提供
 小学校(中学校)は自己点検評価及びその結果の公表に努めるとともに、積極的な情報提供を行う。
B 学級の編制
 一学級の児童(生徒)数は、原則として、40人以下とする。また、学級は、原則として、同学年の児童(生徒)で編制する。
C 教諭等
 原則として、1学級当たり教諭1人以上を置く。また、教諭等は、他の学校の教諭等の職を兼ねることができる。
 (略)

3 施行日 平成14年4月1日
 ただし、設備編制に係る事項については、必要な周知期間を置く。

4 その他
 自己点検評価と情報提供については、高等学校設置基準(昭和23年文部省令第1号)、幼稚園設置基準(昭和31年文部省令第32号)、専修学校設置基準(昭和51年文部省令第2号)及び各種学校規程(昭和31年文部省令第31号)にも定める。
(施行日:平成14年4月1日)

【 ご意見の提出方法】

1 提出手段 郵便・FAX・電子メール
(電話によるご意見の受付は致しかねますので、あらかじめご了承下さい。)

2 提出期限 平成14年3月25日(月)

3 宛先
住所: 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3-2-2
文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室企画調査係 宛

FAX番号: 03-3581-2630
電子メールアドレス: syokyo@mext.go.jp

4 ご意見提出様式

文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室企画調査係 宛

「小学校設置基準」又は「中学校設置基準」の制定に対する意見
(1) 氏名
(2) 所属組織/部署名
(3) 住所
(4) 電話番号
(5) 意見

注1) ご提出いただいたご意見(記載内容)は、住所、電話番号を除き全て公表される可能性があることをご承知おき下さい。
注2) 電子メールにてご意見を提出いただく場合には、ご意見を記入したテキストファイルの添付によりお願いします。
(初等中等教育局初等中等教育企画課)
文科省のHP(http://www.sta.go.jp/b_menu/public/2002/020302.htm)より

<教育の国家統制>の完成

〜<させられる教育、途絶する教師>野田正彰を読んで〜


 2001年「世界11月号」以下の<させられる教育、途絶する教師>という野田正彰さんの連載文を読んで深刻な思いをしたので、「世界」と「野田正彰さんの講演」の一部などを引用して思うところを述べたい。
 <のだ まさあき:1944、高知県生まれ。北海道大学医学部卒業。専攻は比較文化精神医学。現在、京都女子大学教授。著書に『喪の途上にて』『戦争と罪責』(共に岩波書店)、『気分の社会の中で』『国家に病む人々』(共に中央公論新社)などがある>

 「人はいつ、何を想って学校の先生(教師)になろうとするのだろうか。子供のころ、やさしく溌剌とした先生に教えてもらった。子供が好き。素朴に問いかけ、月日とともに成長していく子供が好き。そんな子供たちの成長に役立つ一生を送れたら、幸せ。いくつかの選択動機があるだろうが、子供とともに生きたい、と思わなかった人はいないであろう。消去法で教員を選んだと思っている人も、動機の底に子供をともに生きるのは悪くないと肯定したのであろう。」(2001年世界11月号P210、野田正彰)

 しかし、自分の教育信条を無理矢理曲げさせ、強制する管理強化のなかで、野田氏の言う「良心への暴力は、教育者に何をもたらすか。無理やりさせられたという思いは、教育への意欲を低下させる。そこに人間不信が忍びこみ、本音で話しあうことがなくなる。働く意欲を低下させた自分を隠し、表面的な会話しかしなくなる。生徒に対しても、『人生とはこんなもの』という言い訳を暗黙のうちに伝えるようになる。強制に耐えられず辞めていく人、体をいためる人がいることはまだしも救いである。このままでは、やがて精神を傷める人もいなくなるだろう。」(2001年世界11月号P223、野田正彰)ということになる。

 近年、ほとんど「日の丸・君が代」についての議論はない。少し前は、活発に論議されたのだが、徐々に教育現場は管理が強化され、組合員の数も減少した。そして、現場の官僚主義化は深刻である。それをもたらしたものは、次のものだ。文部省・教育委員会による教員管理の強化、学校内における相互管理、教育委員会を上−学校を下とする構造、教育委員会事務局の指導主事が教頭・校長になるという人事交流、教育とは無縁の立身出世の上昇志向の助長、職員会議の補助機関化、校長権限の強化だ。

 その結果、どうせ言っても同じ。発言して睨まれるくらいなら黙っておこう。おかしいと思うことがあっても口に出さず黙々と自分の授業や部活・学級運営をおこなう。他人と深く交わることを避け、授業やクラス運営などの相互交流や批判をしない。今、必要なことは、学術的な雰囲気、新しい教材を開発しようとする意欲、人間として生徒の悩みを深く聞きともに解決をはかろうとする態度、お互いの授業の情報交換だ。教育改革に求められているものは、硬直した官僚主義を廃し、このように教育現場を再構築することではないか。

 教育改革国民会議の報告の「準管理職、教頭複数制」は、職場をますます管理的にするだけである。また、「校長の裁量権を拡大し、若手を登用し任期を長期化する」も、現行のままの体制では、管理だけが強化される。教員の自由な雰囲気や創意工夫が学校運営に反映される制度がなければ、感性豊かな子どもを育む教育はできない。今、ルールを守るという基本的なことが社会全体で希薄になり、モラルハザードが叫ばれている。長いものに巻かれない、気概をもった生徒を育てるためには、官僚的な組織を改める必要がある。

 このような学校の病理が深刻なのは、野田氏が紹介していたS校長の「教師自身に夢が持てないのに子供たちに夢をもとうとどうして言えるか。」ということであろう。

1.日の丸・君が代の強制の歴史

 教育への国家統制は日の丸・君が代を使って始められた。日の丸・君が代強制の歴史を見ていこう。

<以下、2002年世界1月号P287〜P293、野田正彰>

 日の丸・君が代を踏み絵とした教師の抑圧は、二〇年前から福岡で始まっている。広島の先生は、「福岡県で起こっていることが信じられませんでした。戦前とまるでおなじでないか、とあきれていました。それが広島へおよぶとは」と絶句していた。同じ思いを大阪の校長からも、東京の先生からも聞いた。状況は初めはゆっくりと、ここ数年は音を立てて変わってきている。

 退学していった生徒が提出した退学届−学校側が受理を保留にした文書−には「今日まで生徒有志としてその(小弥処分)不当さを訴え続けてきた私は無期停学という処分を受けた。今日までの私の行動について反省すべきことなどなにもないし、処分をうけなくてはならない理由もない。(中略)現在の若高に行く意味などなにひとつとしてないし、学校長らの管理職の独断で行われている教育の場で学習していくつもりはない。私は自分の存在を見つけるがゆえに今この若松高校を出ていくことを決意する」と書かれていた。一七歳の青年にこんな認識をさせる社会を、私たちは造っている。これは二〇年前のことなのか、戦前のことなのか、今のことなのか。目が眩む思いがする。詳しい記述は「小弥『君が代』処分を考える会」(〒八〇六−〇〇二一、北九州市八幡西区黒崎郵便局私書箱一九号)が編集した」『君が代アレンジ 心に響け』を読んでほしい。この本は小弥支援を続けてきた同僚たちによってまとめられている。

 その後の福岡県での処分はすさまじい。八一年六月、組合掲示板に張ってあった「日の丸・君が代強制反対」の文書をはずそうとした校長を止めた教諭(戸畑工業高校)に対して戒告処分。八二年八月、「教職員五年経過教員研修会」〈五年目研修〉で講師を批判した教師四人に停職三カ月の処分。八三年、五年目研修で講師に起立・礼をしなかったとして教員六三人を処分(反省書を提出しなかった五〇人を文書訓告、提出した者は口頭訓告)。八四年七月、小・中学校教員の夏休み中の自宅研修−学校の先生は夏休みが長いのではなく、自宅で教育のための研修をしていることになっている−について、内容、レポートの形式まで細かく指定した報告書を提出させるようになる。研修計画を毎日A4の紙一枚に書かねばならない。書いても校長から「これなら学校で研修しなさい」と命じられる場合がある。同年一〇月、五年目研修で起立・礼の号令に従わなかった二五人の教諭を戒告処分。処分は前年の訓告から戒告へ厳しくなっている。その後、県教委は研修時に起立・礼の号令に従わなかった者は授業やクラス担任をはずし、校内研修をさせると決めた。八四年より県教委は、教職員一人ひとりについて起立して君が代を斉唱したかなどを調べる「卒業、入学式における教職員の動態」と題する報告書を学校長に提出させるようになる。そして八五年六月、卒業式・入学式の君が代斉唱時に起立しなかった県立高校教師一六人を戒告処分、どちらかに不起立の教師四九人を文書訓告にした。福岡県教育委員会はすでに八二年から、五年目研修の起立・礼の号令に従わなかったとして処分してきたが、君が代斉唱の不起立での処分は初めてであり、全国で初めてとなった。

 一九八五年は、文部省による日の丸・君が代強制が一段と強くなった年である。文部省は、都道府県・政令指定都市別に公立小・中・高校が卒業式・入学式に国旗を掲揚したか、国歌を斉唱したか、調査結果を公表。併せて、各教育委員会に対し「国旗と国歌の適切な取り扱いの徹底」を求める、いわゆる、徹底通知を高石邦男初等中等教育局長名で出した。数字を挙げて、各教育委を一〇〇%競争へ駆り立てたのである。別の言い方をすれば、教職員の抑圧競争、非人格化競争へ駆り立てたのである。

 高石邦男という姓名に、どこかで聞いたようだと訝った人が少くないだろう。目の丸・君が代強制には、なぜか破廉恥教員や官僚、国会議員が必ず登場する。広島県の教育はどうしようもなく荒れていると国会で証言(九八年四月一日)、広島処分を企んだ佐藤泰典教諭(福山市立城北中学校)は、後日、女子生徒に修学旅行の土産として性器型チョコレートを渡したりして、セクハラ行為が問題になった。それ以前も女子生徒が彼のセクハラ行為を福山東署に訴えている。佐藤教諭の証言を準備し、福山市の教育では「国語」を「日本語」と呼んでいるのは問題だ、学習指導要領に違反していると述べ、文部省調査を迫ったのは、小山孝雄参議院議員であった。彼は今年一月、KSD事件の受託収賄罪により逮捕され、裁判中である。

 同じく高石邦男局長。彼は福岡県出身で九州大学を卒業、文部省に就職して一三年後、六七年に北九州市教育長に出向している。六七年は福岡県が革新から保守の亀井県政に移行した年。高石氏は北九州市教育長だが、彼の在職中、別の文部省からの天下り教育長のもとで福岡県教育委員会は県立伝習館高校(高石氏の母校でもある)の三人の教師を、授業中の教科書不使用、学習指導要領からの逸脱を理由に懲戒処分にしている。県教組、高教組解体への戦略は、この頃より練られていたのであろう。彼は文部省にもどり、社会教育局や体育局をへて八三年に初等中等局長になり、自分の勢力範囲とみなす福岡県で強権的教育行政を助走させた後、八五年の「徹底通知」を出したのであった。高石氏は三年後に文部事務次官になり、八八年に衆議院福岡三区で立候補するため退官したが、すぐリクルート疑惑で国会に証人喚間され、翌八九年三月、収賄容疑で逮捕、起訴された。九五年一二月に、東京地裁より懲役二年、執行猶予三年、追徴重二二七〇万円の有罪判決か出ている。

 なぜこれほど、日の丸・君が代強制による人間の抑圧には、歪んだ人物が集ってくるのだろう。人の心を蹂躙する者は、男らしさを強調し権力に擦り寄る性癖に通じているのだろうか。

 福岡県の学校の管理抑圧は続き、八七年一月、北九州市教育委は「望ましい式典の在り方」なるものを小中学校の校長に示した。

1 ステージ中央に国旗を掲揚し、児童・生徒は国旗に正対する。2 式次第に「国歌斉唱」を明記する。3 「国歌斉唱」は教師のピアノ演奏で行う。4 全職員(警備用員をのぞき)が参列する。

 「四点指導」あるいは「四点セット」といわれる卒業式・入学式基準である。これはすぐ全国の県教育委へ拡がっていった。翌九〇年には、第三点に「児童・生徒等及び教師の全員が起立し、正しく心をこめて歌う」が書き加えられた。上記の四点セットはそのまま校長から教職員への職務命令となっていった。「心をこめて」が職務命令されたのである。

 こうして福岡県での教職員の非人格化−人格の剥奪と言うべきだが、非人格化と略す−は県立高等学校、養護学校の教職員から、公立小・中学校の教職員へ徹底化されていったのである。

 一九八九年は日本社会が天皇制イデオロギーによる国家主義の強化へ向って、一歩踏み出した年として記憶されねばならない。この年明け、昭和天皇が死去した。二月一〇日、文部省は小・中・高等学校の新しい学習指導要領案を発表した。前回の七七年版では、密かに「君が代」を「国旗」という言葉に擦り替えたが、まだ「国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」と書いていた。八九年版には強い調子で次のように書いている。「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するように指導するものとする」(小・中・高の「特別活動」の項)。

 かくしてハタ・ウタを忌避する者の炙り出しと処分は、全国化していく。八五年までには、日の丸掲揚に反対する教職員組合などのグループや強い信念を持って反対する教員への攻撃であった。八五年の福岡県での不起立教員に対する処分で、教職員一人ひとりを保守体制に従順であるか否か、テストする段階になった。そして、一〇〇%実施への攻撃は、福岡に加えて沖縄を狙った。文部省から見ると"沖縄征伐"が終わったあと、八九年の新指導要領の「指導するものとする」という暴力的な響きをもつ文言で、ハタ・ウタに抵抗する教職員のいる地域を掃討しようとしたのである。

<以上、2002年世界1月号P287〜P293、野田正彰>

 このように日の丸・君が代を使った教育への国家統制は始まり、そして現在では、ほぼ完成した。

2.教職員個人の自由の規制

 上記で述べたのは、日の丸・君が代を教職員として強制する歴史であるが、思想信条や個人生活へも国家が介入しようとしている。

<以下、2002年世界1月号P282〜P284、野田正彰>

 広島県では卒業式、入学式が終っても、常軌を逸した学校監視、教師いじめが続いている。県議会文教委員会でどのような掛合いが行われているか、例を挙げてみよう。保守派議員と教育委員会が息を合せて相互に煽りあい、数目後には教師たちがもてあそばれる構図となっている。

 卒業式が終った二〇〇一年三月八日の文教委員会。

[U]石橋委員−先日、教員が卒業式前に中学校を訪れ、父兄の立場で(筆者註:生徒の親の職業が教師だうたということ)日の丸、君が代の実施に反対の申し入れをした。事実か?

 榎田課長−公務員として勤務時間外といえども適正をかく行為。町教委を通じて本人が書いたものなら指導する。
 石橋委員−認識に欠けた人だから徹底的に精査して指導がいる。公務員として認識が欠けている。文部省も言っているが、不適格教員は教職からはずす。

[V]神川委員−中国新聞に「日の丸・君が代に反対します」という意見広告が出た。個人名・学校名が入っている。教員の名前があれば学習指導要領違反では?

 榎木課長−名前は文字だけなので特定は難しい。一〇〇人くらいは文字上あっている。
 神川委員−個人名だったらいいのか。法律違反?
 榎田課長−教育公務員として見れば、信用失墜に該当するかどうか。一〇〇人の教員が一〇〇人わかっているかと考えると、わかっていないのでないかと思わざるを得ない。
 石橋委員−公然と指導要領に対して反旗を翻す。個人から事情聴取を。これは明らかな組合活動だ。これは組合活動と学校教育の混同だ。こういう人間が子どもたちを指導するとなると問題がある。まさに不適格教員だ。教職に立つ資質があるかチェックする必要がある。

 [U]と[V]の質疑は、教員たる者は個人としても日の丸、君が代に反対する意思表明をしてはならない、学校外での意思表明についても焙り出し、不適格教員として解職しろと要求している。県教委も新聞の意見広告に載った多数の名前を、ひとつひとつ広島県内の教職員名と突き合わせたと答えている。これでは、教育基本法の第六条(学校教育)、「学校の教員は、全体の奉仕者であって、自已の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない」は何のためにあるのだろうか。第六条とはまったく逆に、教員の身分は国民としての権利以下である、と考えているようだ。

<以上、2002年世界1月号P282〜P284、野田正彰>

3.指導力不足教員・不適格教員という国家統制の手段

 日の丸・君が代を使い、なりふり構わず逆らう者を処分し、教育への国家統制は一応完成を見た。つぎは、さらに細かく盤石な体制を作ることである。

 2001年6月「教育三法」は、参議院を通過の成立した。この法案は、「指導が不適切な教員の転職」と「社会奉仕体験活動の充実」がポイントである。地方教育行政の組織および法律の一部改正により、小中学校の教員で児童生徒への指導が不適切であり、研修を行っても改善が見られない場合、免職して県職員として採用し直すことができる。高等学校の教員も含めて指導力不足の場合は配置換えを行おうとしている。子どもたちには、学校教育・社会教育を通じて国家奉仕を奨励・強制するのである。

 何を持って指導力が不適切というのか。何を持って不適格というのか。

 「教員免許制度の改善策を検討していた中教審(鳥居泰彦会長)は、懲戒免の場合、免許状を必ず剥奪することや、教職十年目の全員を対象に、勤務成績に応じた研修を実施することなどを求める中間報告をまとめ、遠山敦子文部科学相に提出した。教員が絡むセクハラや重大事件が相次ぎ、社会的信頼が揺らいでいることなどから、資質向上にむけて教員自身の強い自覚を促すのが狙い。教員免許に有効期限を設け、期限ごとに適格性などを判断する『免許更新制』の導入は見送った。更新制は、教育改革国民会議が2000年10月、教員の適格性確保の切り札として提言したが、中教審は『適格性は免許授与時にも審査しておらず、更新時に審査対象にすることは制度上できない。導入には制度全体の抜本的見直しが必要』と判断した。更新制導入に変わる措置として、懲戒免職教員の免許剥奪や研修の拡充に加え、心身に故障がある場合などに降任や免職処分にできる『分限制度』の的確な運用を求めている。」(2001年12月25日神戸新聞)

 現在進められている国家支配の方法は、教員に対し、まず指導力不足という言葉を使い、さらに不適格という言葉にエスカレートさせ恫喝する方法である。教員の大半は指導力不足でもなければ不適格でもない。学級崩壊の例を見ても、経験豊かで熱心なむしろ力のある教員が当事者になる場合が多い。個人の指導力と無関係のファクターで起こるようだ。もちろん指導力不足で起こる場合もあるだろう、しかし、この場合は適切で十分な研修をすることで解決するはずである。ことさら、指導力不足という言葉で煽る必要はない。では、なぜこのような言葉を使うのだろう。

 指導力不足教員には少し指導力が不足している者とさらに不適格なまでに指導力が不足している者とがいるはずである。一方、セクハラ、ストーカー、覗きなどの恥ずかしい行為をした不適格な教員がいる。本来人間としてしてはいけない行為をした者と教師としての指導力が不足している者(本当に不足しているかどうか分からないが)を分けて考えるべきものを、同列に置いて同じ言葉で批判するところに問題がある。結局、教育の国家統制を強化しようとするものは、処分される教師は何か問題があるんだ、不適格な教師なんだということで世間をだましているのである。教員で自分は指導力があると思っている脳天気な人は、指導力不足の教員は困ったものだと思っているし、一方、指導力がないと思っている教員は指導力不足という言葉を畏れるようになる。勢い、当局の目論見は成功するのである。最近聞いた宮城県の指導力不足教員の例では、市民として公金返還請求裁判や情報公開請求をしている教員を指導力不足として研修を命じた例がある。この教師の場合も国語教育に力を持った熱心な教員であったが指導力不足というタームで、目障りな教員を排除しようとしたものである。

4.教員は特別?!

 (以下、2001年12月16日「野田氏講演会」より)

 どんな職場でも多数の休職者が出たら、普通の企業だったらこの職場は何か問題があるといわれる。しかし、教育の関係だけ、先生が悪いと言われている。文部省も府教委もそういっている。こんなおかしいことがまかり通っている。

 滋賀県の赤十字に勤めていたとき教育委員会の相談にのっていた。鬱病の人、神経症の人に対するあなた達のシステムが如何に悪いか言っていた。現在の鬱状態の治療は長くても1か月以内だ。それから後は、元の職場に入って通院してやっていくことができる。しかし、学校の現場はそれを認めない。完全に治ってから来て下さいとひどいことをいう。その理由は、学校の先生は特別だからという。関西電力の現場の人が鬱状態になって1か月治療する。電信柱に上って危険である。それでも私の指示に従って復帰の段階を踏んでくれる。学校の先生だけ何故ですかというと。県教委の人はいやーとか言い訳をする。一端状態が悪くなると完全に直って下さい。半年とか1年とか休職を要求して。そのことが負荷になって立ち上がれないようにしていくということをさかんにやる。そのことは読売新聞に最近書いてあった。枚方で、病気になった人に、今度なったら休職するという決意書を書かせる。こんなことをあっちこっちでやっている。

 そして、指導力不足教員の放校だ。大阪府もそうだ。精神的におかしい人に校長は強制的に病院へ行かせる。職務命令を出すと書いてある。とんでもないことだ。病気で自分が死ぬかどうかは人間の自由の問題だ。社会を護衛するために決められた法定伝染病と自傷他害で社会に害を与える場合にだけ強制的な医療が行われる。それ以外、行政が人の医療を命令するなんて許されない。だけど平然と学校の教育の場では決められて、ここに医師が参加している。誰もこれを当たり前のように思っている。マスコミもこれを指摘しない。

 (以上、2001年12月16日「野田氏講演会」より)

5.<教育の国家統制>の完成

 教員は、特別なのか。自分の教育信念に反することを要求され、神経症になる。社会の矛盾が学校に影響し、生徒指導や多忙化の中で鬱状態になっていく。そして、教員だけが完全に治ってからこいといわれる。また、医師や法曹の免許は懲戒免職で取り消されるのか。社会保険の不正請求をした医師や依頼人の金品を横領した弁護士。痴漢まがいの行為をした裁判所長。テレクラで未成年者と知り合い、いかがわしい行為をした裁判官。彼らは不適格という理由で免許を取り消されるのだろうか。教員と彼らとの決定的な違いは、何だろうか。「教育は国家100年の計」といわれる。将来、国家に都合のいい人間を養成するためには、国家に従順な教員を採用し在職中管理統制する必要がある。

 天皇制イデオロギーによる国家主義の強化を目指すものが、日の丸・君が代を手段として、教育を国家統制していった。文科省・国家権力に従わない教員を炙り出し、処分し見せしめにして統制していった。現在、この目的はほとんど達成されたといえる。さらに、今度は指導力不足教員・不適格教員というフィルターをつかってさらに細かく国家統制を図るという作業を行っている。しかし、それで本当に私たちは、生き生きとした感情豊かな社会を作っていくことができるのだろうか。自由に児童・生徒に信念を語れない教員・教育が、健全な共生社会を築くことができるのだろうか。今後、教育基本法、日本国憲法の改悪という方向で、国家統制は進んでいくのだろう。教員と市民一人ひとりがもっと考え行動すべき時にきていると思う。世界の野田正彰さんの文章を読んで強く思った。

 是非、「世界」のこの連載を読んでもらいたいと思う。

(2002年1月30日)