認知症の人々も安心できる地域づくり          
       (長寿社会文化協会 理事長賞)

                                     木 村 敏 子 

 認知症の実母を5年前に受け入れ、共に生活をつづけている。初めは人目では分らない程度であったが、やがて懐疑心(お金や物がなくなった、誰かに持って行かれたのでは・・)や見当識障害(家に帰る、トイレがわからない)や失認(トイレで洗濯、人間関係の喪失)等の症状に悩まされ、翻弄させられる日々が続いている。しかし、その人の持ち味や記憶の再生を引き出せたときは、共に喜び合い、不安感がなくなれば一つ一つの動作もスムーズに運べることを知った。先ずは自分の家だけで解決しょうと思わない。徘徊した時は躊躇なく隣近所や警察にも連絡する。非常事態にはみんな協力してくれるから見つかった時には「ありがとう」が自然に言えるし共に安堵感に包まれる。誰しも孤立しては生きられないということを実感するときでもある。毎日の出来事は決してきれい事ではなく、一つ間違えれば惨事に至りかねない気分のこともあるが、人の優しさや自然界の様々な生物に触れながら、喜怒哀楽を通して一生懸命生活することを「母の介護」は教えてくれている。さて、地域でどこまで生活できるか・・自分の築いた生活の中で暮らすのは私たちの願いでもあり、同時に不安でもある。自分がまだ元気なうちにどんな生き方をしたいか考えておく。それを身内に明確にして人間関係をよくしておくのは自分であると思う。

 もし身体が不自由になった時、介護保険で生活を補うことには限界がある。しかし行政は行政の役割を。ボランティアには制度では補えない心のケアや連携や楽しみ方がある。誰にも代われないのは血縁である。たとい遠隔地にあろうとも、事情があろうとも、血縁との連携なしには在宅は難しいと思う。関わる人たちにはっきりと事情を伝え、援助を請うべきである。そしてそれぞれの役割をしっかり分担しながら関わる側は自分の事として見守り続けることが、認知症が地域で生きられる条件づくりであると思う。

私は、介護保険利用と今までみんなで気づいてきた地域のネットワークに支えられて生活維持ができていると実感する。それは20年間続けてきた「在宅ケアを考える会」(地域の医師、看護師、ケアマネージャー、ヘルパー、ボランティア等が自主的に集まり学習会を続けている)のメンバーに、気軽に相談できるからである。また、あるNPOのヘルパーステーションが、誰もが自由に参加できる場を地域に提供している所に私は参加している。全員がボランティアである。持参した食べ物が会話とともに行き交う。何の縛りも予約も予定もないので自由に参加できる。「ああしんど」と言って入ってくるがいつの間にか自分が話題の主役になって笑っているうちに疲れも忘れて「またね」と帰っていく。様々な情報交換の場でもある。週一回の午後の数時間なのだが20人前後の人が出入りしている。年齢も40代から90代と障害の別なく自然に交われる空間がもう5、6年も続いている。誰もが平等に参加できるにはコーディネーター的な人を必要とするが、先ずは誰かが小さな場所でもいいから開放してくれることで集まりができる。認知症になっても不安にならない場所があり、少数の気の合った人たちで助け合いながら、ゆったりと老後の時間を過ごしたいものである。   (介護日誌「認知症丸に乗って」を最近自費出版)

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Started on 20th. July 1997 and last modified on