義理と人情で織り成すギリギリの介護保険制度

        (利用者からの報告)          木村敏子

 認知症の母を在宅で介護して6年目になります。我が家に来た頃は見当職障害と物忘れがひどい程度でしたが、3年を経た頃には、要介護3となり、現在は要介護4で全面介助となっています。 現在の介護保険・医療保険の利用は、週4回のデイサービス、週1の訪問看護、月5日のショートスティです。(最近その過程を記録した「認知症丸に乗って」を刊行)介護保険利用について身近で感じたことを次に上げてみました。

認知症の調査についての問題点

調査員は、挨拶から名前、生年月日等を聞くが、軽いうちはその程度は普通に言えるし話も合わせられる。しかし身体機能に関することはほとんど出来る。家族が日常の様子を説明しても調査員は、「ちょっとぐらいは歩けるんですね。」「手はどのくらい?」「目は?、耳は?」と話は元に戻る。全ての項目に印をつけなければならないからだ。

もう少し認知症用のスケールも持ってきてほしい。

頼みの綱は医師の所見のみ。我が家は往診だから状態も詳しく診てもらえるが、診察室ではもう少し事情が変わってくる。認知症はその場の雰囲気に合わせられるからだ。

制度改正により、ヘルパー利用ができなくなった問題

在宅の認知症者にとっては、散歩が必要である。適度な運動と会話によって身体も気分も健康になり、夜間の睡眠がよくなる。事実上、家族が日々そこまではできない。

デイサービスの効用

現在、10人規模のデイサービスを利用している。家庭的で利用者に目も行き届き大変助かっている。週に4日利用によって生活のリズムも整う。

そういう利用者側に良い小規模な事業所は運営に四苦八苦であると聞く。当所からは言われていないが、認知症の入浴には手間と時間がかかるので、我が家では、別な日に家で訪問看護師に来てもらっている。

ショートスティの利用がしにくい

施設のショートステイの受け入れ人数は、大きい所でも数人しか用意していないので、決まった人が施設側の予定で埋められる。その理由は多分、たまに預かる慣れない利用者は危険性も伴い、対応にも苦慮するからであると思う。このような体制の中で、もし介護者家族が病気や急用で預かってほしいときその受け入れ先を探すのにケアマネは奔走しなければならないという。もし見つからなければ今まで在宅で頑張ってきても、その後の在宅介護はメドが立たない。

障害者と高齢者親子の事例 (誰が無理をしているのか

母(要介護2)と息子(障害者2級1種)(要支援2)の2人暮らし 
    母親の要介護2で息子が要介護1から要支援2に変更になったための支障

息子は、以前は週2回の入浴を介助つきで利用できた。しかし要支援2になってから、見守りで、週1回になった。せっかく風呂付住宅に引っ越したのに湯船に入れない、もしそれ以上入浴を希望するならデイサービスを利用したらどうか、とのケアマネのアドバイス。
包括支援の相談員は、別な事業所も利用してみてはとのアドバイス。息子は以前からお世話になっている母親が利用の事業所に遠慮もあり、自分が我慢していた。
さて、母親が入院したところ、要支援2の息子に今までの事業所から生活支援として週3回、15時間づつ入っている。冬には入浴も補助具と介助で湯船に入れている。

これは事業所が無理をしているのか?

正月休みが長いので困ると言ったところ、利用している事業所は、5日まで来れないということだったので包括に相談したら、包括から他の事業所に依頼し、そこの所長自らが買い物に行ってくれた。(有料でということだったが、実際は1割負担だった)。これは利用者の生活を心配して相談員と事業所が無理をしたのか?

いずれにせよ在宅を支えるには誰もが悩み、綱渡りの生活が続いている。この隙間を近隣のボランティアで補うには無理なものがある。

 以前の福祉制度から比べれば、介護保険制度は、皆保険ですから、利用し易く、助かりますが、これで生活が全て解決したわけではありません。むしろ「介護保険制度」という看板の後ろにある、地域の生活の見通し が悪くなってしまったようにも思えるのです。今何処の事業所もヘルパー不足で申し込みを断るのに四苦八苦と聞いています。有資格者は多いのに、報酬が安いためになり手があまりないようです。身分も不安定で登録制の人は気軽に渡り歩けるが暮らしては行けないようです。

3/3の毎日新聞に「介護保険制度 殺人防げず」という記事がありました。

地域での家族関係が変化してきたこの時代に 老・老介護の行く末は心中沙汰で終わるのかと、わが身に置き換えたらぞっとするものがあります。

“実際に生きて行ける”という安心感がもてる、何らかの援助システムづくりが必要と思うのです。現場の悲鳴も調査してください。


シンポジュームに参加して (介護保険制度を考える会)

今回の“見直し”は以前のそれとは全く違うようである。

それは出来るだけ人の意見を入れず、マニュアルによって分別するということらしい。

要介護1と要支援の区別は、介護を続けていてもだんだん悪くなるようであれば介護1、良くなるようであれば要支援というふうに。また、要介護5の人は寝たきりになればむしろ介護の手間が省けるので要介護4にする。

調査項目にあてはまらず、特記事項に書いても、特別なもの以外は取り上げず、すべて審査委員会で決定する。しかし、審査委員会は現場を直接見ていないから個々に責任を負う必要がない。 審査委員は、介護保険の中身の詳細の認識についてはバラツキがあるらしい。 要するに知っていても知らなくとも、とにかく如何にこの制度利用を削減するか、の目標達成のために、関わる全員が協力に向けて行動できるよう、この 見直し案 は作成されたらしい。

人の介護に気持ちを入れないということはどんなものであろうか。

盲導犬だって人の気持ちを汲んでその場の助けをする。まして調査委員に心を加えず調査項目のみにチェックを入れよとは。そういうことを徹底するということは、人間を小刻みにし、ベルトコンベアの上に乗せて、マニュアルに従って分別する、という結果になる。

年寄りや障害者は、使い捨てのペットボトルや空き缶ではない。

 介護保険制度の財源が追いつかないというのなら、初めから年寄りになる数は予測が出来たはずだから、そのような計画を示しておけばよいのに他国のメニューを持ってきて中身をごまかして行くのが日本型の福祉論なのか・・・

とにかくしっかりした予測と計画で地域を守らなければ、格差のある介護の結末が目に見えるところとなるであろう。

 今後の介護体制は、さしあたって安い労働力導入としては、他国人が上げられるが、言葉の不自由な人たちに心は入れるなと言ったら介護される側は生きたここちがしない。

その後に介護ロボットを業者から貸与するという時代が来るであろう。しかしその頃のロボットの方が十分に心を持って誠実に対応してくれるかもしれない。つまり金次第ということになる。

めぐり巡って、どんな時代も金次第、ということならこんなややこしい制度などで神経をすり減らす必要がなかったと諦める時がくるであろう。

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Started on 20th. July 1997 and last modified on