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         六、浪花の夢

         大坂の松屋町筋の松屋町表町、当時から玩具屋の並んでいる町であった。そこで紀州屋という
        人形屋を営んでいる商家が有る。そこのせがれで直太郎という男がいた。普段は店先に座って帳簿
        を付けているが、近くの剣術の町道場に通う時は、両刀を差し髷をゆいなおしていく。時勢である、
        数年前間では、考えられないことであったが。

         その田舎道場の主は、名前を谷万太郎といい文久三年の四月に新選組に入隊していた。いわば
        大坂探題みたいな立場にあった。直太郎はそこの師範代として正木直太郎となのっていた。
         師範代と言っても、門弟自体が商人の倅、無頼漢、とびの職人と言った連中ばかりなので、たいした
        事はなかったが。
         但し、師匠の万太郎はもと松山藩の剣術指南役の家柄に生まれ、兄三十郎の過失により家は断絶
        となり大坂に流れてきて町道場を開いていたが、兄弟そろって種田流槍術の自慢であり、万太郎に
        至っては直心流の使い手でもあった。三男の周平は近藤勇の養子にもなっている。

         さて玩具屋の直太郎、今日も武士に変身して田舎道場へ、いや失礼万太郎道場へ。
         三軒隣に住む花火屋の若主人、源之助を誘いに
        「なあ、源の字よ。」
         と商人のくせにちょっと斜めがかった言い方で源之助にささやいた。
        「なんだ、直太郎師匠。」
        「師匠はやめときや。」。」
        「だって師範代やないか。」
         漫才のように突っ込みあいながら万太郎道場についた。
         入ってみるといつもと違って空気がはりつめていた。
        「誰か客人がきてるんかな。」
         直太郎の声が終らないうちになかから万太郎師匠の声が聞こえた。
        「直太郎か、こちらへ。」
        「はっ。」
        「谷川さん、これはうちの道場の師範代をつとめている正木直太郎といいます。」
         谷川は、松山藩での友人だった男でありこの日、国許から大坂の藩邸に所用でのぼってきていた。
         この谷川の話で道頓堀の鳥毛屋という宿に、不審な男たちが出入りしていると言う事であった。
        男たちとは土佐の浪士で、大利鼎吉(ていきち)、島浪間(なみま)、千屋金策、井原応輔(おうすけ)、
        橋本鉄猪(てつい)、池大六、那須盛馬、田中顕助の八人である。 
         大利は土佐郷士の頭目である武市半平太の弟子で脱藩後、長州人と交わって暗躍していた。
        その八人の浪士たちが宿所の鳥毛屋から、この道場のすぐ近くのぜんざい屋の二階に潜伏しなおし
        たらしい。

         数日後、大坂探題である谷万太郎は土方に手紙を出し。ぜんざい屋に潜む浪士たちを捕縛する事
        に決めた。万太郎は師範代の直太郎以下十五人の門弟を選び集合させた。慶応元年正月六日の
        事であった。
        「直太郎、刀を皆に配っておけ。」
         万太郎は大量に買い込んだ、安価の刀を全員に配るように直太郎に命じた。
        「はっ。」
         直太郎は源之助と一緒に刀を皆に配りながら、手が震えるのをとめる事ができなかった。

         この日は、浪士の方ではあいにく殆どが所用で出かけ、大利一人しかいなかった。が万太郎たちは
        それを知らずに斬りこんだ。万太郎な直太郎を一階の見張りに置き、他の門弟二人と供に二階に駆け
        あがった。この辺は池田屋事件の近藤を少しは意識していたのであろう。大利は刀の手入れをして
        いたが、その音を聞くと同時に障子を開け、万太郎に切りかかった。万太郎はとっさの事でこれを
        かわし、右の方から刀を振り下ろした。
         がッと刀同士が火花をあげ、凄まじい音をあげた。門弟二人は恐れてそばにも近づけない。
         大利鼎吉は何とか万太郎をかわし、一階に飛び降り逃れようとした。そこに正木直太郎がいた。
        直太郎はさすがに師範代である。震えながらも切りかかった。しかし大利はあの蛤門ノ変にも出陣して
        戦った、いわゆる実戦の経験が豊富であり戦いなれている。直太郎は右の腕を切り落とされた。
        「直太郎。」
         そこに万太郎が飛び込んできて、大利の背中から袈裟に切り下げた。大利、絶命。

         片腕を失った直太郎は、剣の道をあきらめ家業の玩具屋を継ぎその後を送った。


           六、浪花の夢、終わり

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