二、龍馬を斬ったか
坂本龍馬を斬ったとして、明治三年八月十五日、人斬りとして有名な大石鍬次郎といっしょに
小塚原の刑場で斬首された、もう一人の男。横倉甚五郎。
前出の梅戸勝之進と同じく、江戸での隊士募集のときに入隊したひとりである。
腕は目録以上、実戦には強く油小路事件では伊東甲子太郎に止めをさし、新選組四天王の一人に
かぞえられた伊東の弟子の服部武雄にも、致命傷となった一太刀を浴びせた。
その事件の少し前、慶応三年十一月十五日、河原町蛸薬師下がるの近江屋で海援隊の龍馬と
陸援隊の中岡慎太郎が何者かに襲われた。その実行者については現在に至るまで、諸説紛々で
あるがいまだにはっきりとしない。一番の定説としては見廻組の、今井信郎以下七名の者達がやった
と言う事になっている。(兵部省および刑部省の今井信郎口書判決による)
それにもかかわらずなぜ、新選組の大石と横倉が、龍馬と慎太郎殺害(当時の事情として新選組
にせよ見廻り組にせよ、警察としての職務内で行われたのだから、殺害とか暗殺とか言う言葉は
当てはまらないとは思うが)の罪により斬首されたのか。最も政治警察であった新選組が、坂本達を
捕捉しようとして内偵を行っていたというのも事実ではあったが。
徳川十五代将軍・慶喜が京都小御所において政権を朝廷に返還した。世に言う『大政奉還』である。
これによって徳川三百年の歴史が終るのである。その献策の主役である坂本龍馬が下宿していた
のは伏見の寺田屋であった。その事実をつかみ新選組では、二、三日前から浪士調役・監察の大石
と平隊士の横倉甚五郎の二人が見張っていた。
「大石さん、坂本の野郎たちがここにいるのは間違いないですぜ。」
「うん、手引きの小六も確かに確認した。といっていたが。」
「それで、やっぱり俺達の手でやるんですか。」
「うん・・・。そこのところが、はっきりせんのだ。先生達はどうお考えなのか。」
そのとき潜んでいる、二人の前を二つの影がとおりすぎた。
「大石さん、あれは。」
「しっ。」
「伊東先生と藤堂さんじゃ・・・。」
「横倉くん、君はこのことを土方副長に。」
「大石さんは?」
「うむ、俺はもう少し様子をみてみる。」
その頃、寺田屋の二階では龍馬と、陸援隊の隊長である中岡慎太郎の二人が、今しがた尋ねてきた
御陵衛士の伊東、藤堂と対峙していた。伊東は坂本たちに新選組にきをつけろと忠告しにきたので
あった。だが坂本も中岡も、北辰一刀流の同門であるはずの伊東をなぜか信用せず、
忠告には感謝しながらも、伊東の坂本たちの近辺を警護しようと言う話をことわった。伊東たちがもと
新選組ということにこだわったからだといわれている。
最後に伊東がふと藤堂に向かって
「そういえば、この下で大石くんと横倉くんらしい人影を見たように思うのだが。」
となにげなくつぶやいた。
伊東たちが帰ってから、さすがに大事をとって翌十四日に、河原町の蛸薬師にある近江屋の二階に
移る事にきめた。
当然、この動きは見張っていた新選組には察知されていた。
慶応三年十一月十五日、近江屋の二階では坂本龍馬と中岡慎太郎が酒を飲み始めていた。
外では相変わらず、大石と横倉の二人が二階の明かりを見つめながら見張りについていた。
「今日はもう動きはないだろう。」
夜の九時頃になって大石は、横倉のほうをふりかえりそうつぶやき屯所に帰ることにした。
二人の引き上げるのと、相前後して反対の通りから七人の影が近江屋に近づきつつあった。
函館独立戦争が終わり、榎本武揚、松平太郎、大鳥圭介らとともに新選組生き残りの一人、
相馬主計が東京に送られてきた。当時の兵部省の関心は龍馬と慎太郎を斬ったのは誰かという
ことであった。相馬の取調べに当たったのは、元新選組観察の荒井忠雄であった。現在は刑部省の
小巡察の役目についている。荒井は油小路事件で倒れた、師の伊東の恨みもあり、取調べはかなり
厳しいものとなった。
「知らぬものは答え様がない。」
最後の新選組隊長となった男だけに、相馬は厳しい拷問にも耐えた。
これに困った刑部省の役人達は、青森の獄に捕らえられていた新選組の生き残り達のなかから
大石鍬次郎を次の犠牲者に選んだ。大石は大概の小説ではあまりいいように、書かれてはいないが
そんな男なら土方に従い、函館まで戦いに参加するはずがない。
しかしどうしても坂本殺しを新選組のせいにしたい、荒井達のすさまじい取調べで大石もついに嘘の
自白させられた。現在のように弁護士もいない、当時にあっては権力側のやりたい放題であったろう。
ではなぜもう一人が横倉甚五郎なのか。横倉も函館独立戦争の生き残りの一人で最後まで戦った。
ようするに権力者達は誰でも、良かったのではないか。何かのふしで大石の口から横倉の事が
チラリとでたのか。それとも無実の大石を陥れたのと同じく、適当に選んだのか。それとは反対に
事実を白状したとされる見回組の今井信郎は、刑部大輔から禁固を申し付けられ、明治三年九月、
静岡藩に預けられ、命を真っ当した。
兵部省口書
箱館降伏人元新撰組
横倉甚五郎
三十七歳
土州藩坂本竜馬討候儀ハ一向不存候得共、同人討候者ハ先方ニテハ新撰組ノ内ニテ
打殺シ候様申居候間、油断致ス間敷旨、勇方ヨリ隊中ヘ申通候事承然己ニ御座候。其余ハ
一向ニ存不申候
午二月
龍馬を斬ったか・おわり
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