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          選ばれし漢(おとこ)たち・新選組STORY  (街村涼・作

          一、まことの旗

        醒ヶ井通り七条下る三丁目。
        そこが選ばれし漢(おとこ)たちの、一人目であるこの男の住まいである。
        男の名前は梅戸勝之進。二十五歳。
        元冶元年十月、新選局長組近藤勇東下(将軍の上洛を促す為に)の折の、隊士募集に応じて参加した
       五十余名のうちの一人である。
        あれから数年がたち隊内では、古参の部類に数えられるようになった。とはいうものの猛者ぞろい
       の新選組のなかにおいては、中のほうであり未だに平隊士のままであった。

        三番隊の伍長である伊東鉄五郎の下について、それなりに隊務をこなし色々な危険な目にもあって
       きたが、今までは何とかぶじでやってこれた。それも京都の治安を守り、人々のくらしを不貞の浪士から
       護るための治安警察の活動としては、仕方のないことではあったが。
        平隊士の彼らには、通常の巡邏の仕事以外にもいろいろな隊務があるが、手があいているときには、
       道場に詰め、剣術師範の沖田、永倉、吉村と言った普段は、対等に口もきけないような師範役の連中が
       、このときばかりは対等に相手をしてくれる。ただし沖田の相手は、荒く乱暴なので隊士達はなるべく、
       目をあわさないようにはしている。

        そうそう新選組四天王の一人でもある、三番隊組長の斎藤も剣術師範である。慶応三年の
       三月に、それまで参謀であった伊東甲子太郎たちの、分離事件のおりに隊をはなれて伊東らとともに、
       ついてでていったときは、裏の事情を知らない若い梅戸たちは、驚き騒ぎもしたが、今では同じ十一月
       十八日に起きた、七条油小路(分離した伊東甲子太郎を、誘き出し斬殺した。)の事件のあとに帰隊し、
       これまでどうりの隊務についている。その辺の機微は先ほどものべたように、彼ら平隊士にとっては
       預かり知らぬことであった。 

        それからしばらくして、伊東鉄五郎からの命令が入った。確か十二月の七日であったと思うが、
       勝之進が大部屋の一つでくつろいでいると、障子ががらりと開き鉄五郎が入ってきて
       「梅戸くん、三番隊に集合を掛けておいてくれ。場所は油小路花屋下る天満屋だ。」
       と低い声でささやいた。
       「はっ、わかりました。」
        彼は居住まいをただし大きな声で返事をした。

        所用ででかけていない隊員を除き、残りの全員に通達したあと、しばらくして彼は仲のよい
       岡島品三郎、林小三郎、沼尻小文吾たちといっしょにでかけた。
        天満屋の二階にはすでに斎藤や伍長の伊東、前野。隊士の船津謙太郎、鈴木直人、宮川信吉たち
       がすでに集まり酒宴をひらいていた。
        斎藤の隣には黒縮緬の羽織をきた、恰幅のよいどこかの大藩の公用人でもあろうか、
       男が一人品良く座っていた。後で聞いたところでは紀州の公用人、三浦安太郎とのことであった。

        これも後できいたところであるが、三浦は先日におきた土佐脱藩の浪士、坂本龍馬襲撃事件の
       影の黒幕と疑われ、其の復讐にと坂本の弟子の、海援隊くずれの陸奥陽之助(後の陸奥宗光)や
       岩村誠一郎、十津川郷士の中井庄五郎らに命を狙われ、新撰組が護衛をたのまれていた。今日は
       息抜きにと天満屋で酒宴を開いていたとのことであった。

        梅戸にはそういうことまでは、しらされていなかったので岡島や林たちとわいわいいいながら
       久しぶりの酒を楽しんでいた。宴もたけなわ、そろそろ亥の刻(午後十時)になろうとしていた時、突然
       十五、六名の男たちが切り込んできた。
        一番最初に飛び込んできたのは、小柄なしかし俊敏そうな若者で、刀を抜くなり入口近くにいた
       梅戸に斬りかかって来た。突然とは言いながらそこは、普段からこういうことには慣れている彼らで
       ある。常に刀はそばに引き付けていたので、彼もとっさに鞘ごとその男の一撃をふせいだ。始めに
       切り込んできた男の名は、中井庄五郎であった。この男は新選組とはかなり縁があり、以前の事では
       あるが土佐の片岡源馬と一緒に、酒を飲み其の帰りに沖田総司、永倉新八、斎藤一といった新選組の
       名うての三人と出くわし、互いにそれとは知らず喧嘩をはじめ切り合いになった。が、始めから勝負に
       ならず、この時は片岡は深手を負い中井は片岡を肩に背負い逃げ去った。
        斎藤と中井はお互いに今の相手が、其の時の相手とは気がつかない。
        中井に続いて三、四人が、一番奥にいた三浦をめがけて切り込んできた。あやうく斎藤が三浦を
       かばい、敵の一人と切り結んでいる。
        梅戸の周りでは岡島や沼尻たちが、それぞれきりあっていた。何しろ部屋自体が狭い上、敵味方
       あわせ三十数人もいるので(一階の敵もあわせて)お互いに傷だらけになった。

        そのうちニ、三人の隊士に護られに、手傷を負いながらも三浦が二階の窓越し伝いに逃げてしまった。
       後は誰かが機転をきかし、部屋の明かりをけした。
       「三浦は切ったぞ。」
        という声を潮に賊徒達は三々五々、引き上げ始めた。後を追おうとした梅戸は、入口のところに
       隠れていた男に気づかず、顔を斜めに切られてしまった。うずくまる彼に
       「梅戸、だいじょうぶか。」
       「こいつ。」
       といいながら岡島が、駆けつけてくれなかったら今の彼は無かったであろう。
        梅戸は顔以外にも、太股にも負傷していたみたいで、そちらの方が案外傷が深く、そのうち気を失って
       しまった。

        気がついたのは暫くしてからで、目がさめると斎藤が枕もとにいて、梅戸の安否を確かめるように
       しばらくしてから部屋をでていった。
       「よかったな。」
        岡島と林が口々に声をかけてきて、あの後の出来事を説明してくれた。隊では宮川信吉、
       敵としてはあの最初に切り込んできた男、中井庄五郎(あとで判明)というらしいがこの二人が死亡。
       けが人は多数、梅戸は重傷の方であったらしい。あれだけ切りあって二人しか死ななかったと言うのは
       考えてみると不思議な気がしないでもなかった。
 
        梅戸はこの時の足の傷が思ったより深く、それからは戦闘にはたてなくなり隊をやめなければ
       ならなくなったのだが、斎藤のとりなしにより、隊旗を持つ役目で残してもらった。
       その日に王政復古。
       翌、明治元年、鳥羽・伏見の戦い。
       敗れて富士山丸で江戸へ。
       甲陽鎮撫隊として甲府で官軍(薩摩・長州連合軍)と戦う。

        赤地に真白く「誠」の一字、縦四尺幅三尺の旗。
        梅戸勝之進、常に先頭にたち最後までまことの旗をふりつづけた。




        斎藤は二、三人をひきうけてとくいの突きでバタバタかたづける。梅戸は大力の志士に抱き
       つかれてひきたおされ他の一人に斬られる。
                       永倉新八・新撰組顛末記より

        新選組は、その夜いつになく大酒して、ほとんどぐでんぐでんになっていた。宮川は討死し、梅戸
       勝之進が、後ろから抱きつかれて引倒され、他の一人に斬られて重傷を負った。都合討死一名、
       深手一名。手負はほかになかった。
                       子母沢 寛・新選組始末記より

        そのころには、後家鞘は、三浦の家来平野藤左衛門に致命傷を負わせ、新選組隊士梅戸勝之進
       の左股を骨まで切っている。
                       司馬遼太郎・幕末より

                 一、まことの旗・おわり

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