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         とある居酒屋・その2(七村次郎・作)

         朝から気分の悪い一日だった。一番にかかってきた電話は、三日前に某メーカに持ち込んだ
        見積もりに対しての返事であった。あれだけ考査して部長の決裁もおり、自信満々であったのだが
        見事に駄目押しをされてしまった。隣の席にすわっている同僚の陸栄は、それを聞くと頓珍漢な
        相槌を打ち、私の神経をよけいにいらだたせた。
         そんな気分を引きずり一日をすごしたわたしは、ふと先日訪れたあの居酒屋の事が脳裏にうかんだ。
        声も顔立ちも綺麗であったママさんの事もあったが、それよりも(それよりもかい)あの不思議な
        雰囲気をかもし出していた、男たちの集団の事も気になっていたのだ。

         「確かこの辺だったはずだが。」
        私は一人つぶやくと、あの懐かしさを感じさせる居酒屋のあかりを求めた。たしか地下鉄の堺線の
        南高石という駅の近く・・・。何しろ初めての場所だったし、時計をみるとPm5:10分。前は7:00を
        少しまわっていた。たしか角にうどん屋さんがあったと思うのだが。
        「あった!!」
        わたしは喜びに打ち震えた。(そんなに喜ばんでも)
        ママさんは私を覚えていてくれるだろうか、こころのなかでそんな心配をしている自分がふと
        おかしく思った。

         「いらっしゃいませ。」
        ああ、この声だ。かわっていない。(2,3日でかわったら、ばけもんじゃー。すいません、すいません?
        誰にあやまっとんの?)わたしは常連のような顔つきで
        「ドライ。」
        「それと、おでんのあげ、ちくわ、筋にく。」
        といってからやっと落ち着いて、いすに座った。おや、さすがに今日はまだ早いのか奥のほうに一人、
        客がいるだけであった。近所のお年よりであろう、それもかなりの年配者とみえた。一瞬、浦島太郎
        かと思ったが、浦島太郎がこんなところに、いるわけがないと思い直した。さすがにこの年格好では
        あの一家の関係者ではあるまい。一般のひとだなと思いめぐらしていると、続いて二人づれと、
        一人の客がはいってきた。
        この人たちも一般の客であろう。すると今日は彼らの集会の日ではなかったのであろうか。

         「・・・は、ちゃ・・・のに。」
        ママさんの美しい声が途切れ途切れに聞こえてくる。今日は野球の放送はないらしい。
        驚いたことにママさんはあの老人と話をしていた。それはするだろうと、一人突っ込みをしながら
        よく話をきいていると、この老人は以前は茶髪であつたらしい、50年は前の話であろう。
        そこにやっとあの男たちの一人、たしかかしらと呼ばれていた男から、手ひどい扱いをうけていた
        一番下っ端の電話番の男であった。入ってくるなりきょろきょろと、あたりを見回していたが
        やはり一般客ばかりだと思ったのか、少しがっかりしたような顔で私の横にすわろうとした。

         「わ、いや、ななさん。こちらに来て張るよ。」
        ママさんの声に怪訝そうに、奥の方に視線をめぐらした男は急に、くだんの老人のほうに
        ちかずいていった。何か老人にからむつもりなのか、あれほどのお年寄りに。私は止めようと
        たちあがりかけた。
        「えらい、おそかったやん。」
        年のわりには若々しそうな声で老人が声をかけた。この男の父親だったのか、それで納得した。
      
         やはり親子であろう、なかよくはなしこんでいる。それにしては内容が少しへんである。
        若者は老人に為口でしゃべっているし、なにかたのしそうである。仕事の話から映画の話まで
        はばひろい。仕事?この若者は定職をもっているのか?電話番ではないのか。
        本当に謎の多い集団ではある。そしてあの、かしらがあらわれた。たしか巨人一筋といって
        いたような気がする。先日は一勝ニ敗だったので、さぞや機嫌がわるいことであろう。またこの
        若者がいじめられるのか。かしらは老人を間にはさみ、若者と離れ私の隣にすわった。
        離れたところから目で威嚇しているのであろう。やはり親の前では彼らもそんなにひどい事は
        できないとみえる。

         しばらくすると顧問も入ってきた。合いかわらず眠そうな顔と声で、やはり若者をいたぶり始めた。
        身内がいても容赦なしである。見ていても痛々しいほどであった。10分ほどしてあらたに
        ちょんまげ姿の流れ者風の、これはやく○と人目で判る目つきの鋭い男が入ってきた。この男は
        関西ではめずらしく阪神フアンであるらしく、巨人フアンと思われるかしらと議論を戦わし始めた。
        意味のない会話ではあったが。

         一般客が帰り始め、私と彼らだけになった。私もこのへんでおさらばしようと思ったとき、
        ママさんが5151の豚マンをとりだし、皆にわけてくれた。
        ありがたくちょうだいし、その日は店をあとにした。またこようっとー。


                           その2・おわり

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