小説の目次へ

         淡路町ビル2F・オフィス(七村次郎・作)

           第一章
        「その荷物は、あの机の上にお願いします。」
       涼子は新事務所のレイアウト図を、確認しながら業者にてきぱきと指示をだしていた。
        今日は日曜日で本来なら会社は休みなのだが、涼子の勤めるオフィス・問頑の、事務所移転の日で
       あった。
       
        今年の4月に、入社したばかりの涼子にとっても、勤めだして始めての引越しである。
       といっても同じ淡路町ビルの、7Fから2Fへ移動と言う簡易なものであった。
       「ちょっと休憩にしょうか。」
        10時を少し廻る頃、課長の野次が所員に声をかけた。もっとも所員といっても、全員で16名の
       こじんまりとした事務所ではあったが。
       「あー、しんどー。つかれたわ。」
        といいながら乱雑に並んでいるいすに、腰をおろし営業の鮒都が大声をあげた。
       鮒都は30を少し超えたばかりの、腕のいい営業マンである。
        課長の野次はそんな鮒都を横目にみながら
       「何ゆうてんのや。ゆうほど動いてへんやないか。」
       と、からかうように声をかけた。

        そんなやり取りを耳にしながら、涼子は新しく作られた湯沸室で、皆のお茶を入れようとしていた。
       「あのー、す、すみません。」
        ふいに涼子の後ろから、おどおどとした声がかけられた。
       驚いて振り返ると、涼子と同じ年ぐらいの青年がたっていた。どこかで見たような顔だなと思っていると
       その青年は、相変わらずおどおどとした様子で
       「ぼ、僕もお茶をいれたいのですが、よろしいでしょうか。」
        と言ってきた。

        涼子はしばらく、その青年の顔をみつめていた。ああ、隣の事務所の人だわ、と思い出し
       頭を下げ湯沸室をあとにした。
        隣の事務所といっても、間仕切りだけで区分けされた、本当の意味でのお隣さんであつたが。
       涼子がお茶をくばっていると、もう一人の営業の鹿目田(かめだ)が、涼子とその青年のやりとりを
       みていたらしく
       「涼子ちゃん、やばいよー。」
        とささやいてきた。この男は女性にはことのほか、興味があるらしくスケコマシという、ありがたくない
       あだ名をつけられていた。茶髪で今でこそ痩せてきてはいるが、一頃はころころとしていて
       まん丸と言うあだ名もつけられていた。まああだ名が多いと言うのは、人から好かれているという事
       ではあるのだが。

       「今の彼氏ー、隣の事務所の新人さんでしょー。あまり関わらないほうがええんちゃうー。」
       「どうしてですか?」
        涼子の問いかけに、最近茶髪から銀髪に染め直した、課長の野次が鹿目田の言葉をさえぎるように、
       「大きな声ではいえないけど。」
       「ローン会社とは名ばかりの、やばめのとこだよ。」
       「やばめ?」
       今年、短大をでたばかりの涼子にはその意味が理解できなかった。
    
               第一章、おわり

          小説の目次へ