act 4 :「はい」
初詣を済ませて、神社から続く階段を下りていく。
まだまだ神社へ上っていく人も多くて、人の流れが二本の道を作っていた。
「大丈夫ですか、さん」
「何が?」
「いえ、結構早足かと思いましたので」
気を使ってくれるんだ。
悪い気はしないけど、さすがにここで人の流れに逆らってまでのんびり歩こうとは思わない。
本当は二人でのんびり歩きたいけどさ。
「大丈夫。着物じゃないから」
「そうですか」
あちゃ。
あんまりいい言い訳じゃないね、これは。
まぁ、少しヒールのある靴だから、普段に比べれば歩きにくい。
慣れてるって言っても、やっぱり男の人の歩幅にあわせて歩くのは慣れてないから。
考えてみたら、が初めてなんだ。隣を一緒に歩いてるのは。
駐車場まで出たとき、自販機を見つけた。
急ぎ足でここまで来た分、何か、このまま帰りそうな気がした。
急ぎ足で車に乗って、急ぎ足で家まで送ってもらう。
……それじゃ、意味がない。
「コーヒー、買ってくる」
「じゃあ、エンジンをかけておきますよ」
が車に乗り込んでまもなく、エンジンのかかる鈍い音がした。
マフラーから出てきた白い煙を避けるようにして、駐車場の隅にある自販機へとたどり着く。
財布を取り出す手が、冷たくて痛いほどだ。
手袋、してくればよかったかな。
「コーヒー二つ……と」
ガラン、ゴロン。
アツッ。
「うー、さむッ」
には聞こえてないはず。
熱い缶コーヒーを服の上から握りしめて、の車に戻る。
エンジンをふかせておいてくれたのか、車内はちょっぴり暖かかった。
「はい、コーヒー」
「どうも」
あ、しまったなぁ。
ネイル、はげちゃいそうだわ。
私が何度かプルタブを指先で弾かせてると、が無言で手を延ばしてきた。
「開けましょうか」
「うん……お願い」
「いえ……いつでもどうぞ」
簡単にプルタブを開けて、また私の手に戻してくれた。
意外に優しいんだよね。
授業中は厳しいくせに。
あ、でも、今、ちょっといい雰囲気かも。
動いてない車の中で、同じ缶コーヒーを飲む。
まるで、あこがれてたドラマのワンシーン。
「あ、あのさ」
そうだ。
今、ここで言わなきゃ、絶対に後悔する。
「何ですか」
「帰りたくないって言ったら……?」
うわ、言っちゃったよ。
何だ、私、結構度胸あるじゃん。
てか、早口じゃなかったかな。ちゃんと聞こえたかな。
ど、どうなるの。やっぱ、ここで定番の”何年後にまたおいで”ってヤツ?
「さん」
どうしよう。顔見れないよ。
で、でも、顔見なきゃどう言うのかわかんないし。
あー、もう、どうしろって言うのよッ。
でも、やっぱりダメ。
一回下を向いてしまった私の首は、もう簡単には上を向けない。
おまけに、なんか車内の温度も上がってるし。
「……言っておきますが、僕は17歳の子供じゃありませんよ」
つ、釣れた?
いや、車内だから、いきなりはこない筈。
「こうして車の運転もできて、さんをどこかに連れて行くことだってできる」
ホテル直行は勘弁。
てか、そんな奴だったら、もういらない。
「それに、あなたの家庭教師です」
「……うん」
あぁ、もう。
はっきりしてよ。
いい加減、俯いてるのだって疲れるんだからッ。
「今日、お家の人に連絡入れてあるんですか」
「……友達と一緒に、初詣に行って、遊んでくるって」
がため息をついた。
コーヒーを飲んでホッとしたときのような、長い長いため息だった。
「じゃあ、海、行きませんか」
「う、海?」
「初日の出を見に、ね」
海って、ここ内陸。
海まで二時間ぐらい走らないと。
「じゃあ、とりあえず車出すから、分岐点までに返事下さいね」
車が動き出した。
海まで行くのか、私。
少なく見積もっても、往復四時間。
帰ってきたら、もう陽が上がってるだろう。
つまり……お泊り状態。
しかも、に送られての帰宅だ。
言い訳は通じそうもない。
今からミケにアリバイ工作してもらっても、その電話をに聞かれる。
「あと、信号三つです」
嫌味に聞こえる。
、本当は私が折れるのを待ってるんじゃないだろうか。
怖気づいた私が、家に送って欲しいと言い出すのを待ってるんじゃないか。
「次、左折なら家まで送ります。右折なら、高速に乗ります」
「高速……」
思わず、前を向いた。
締め切りの信号は赤だ。
車が、停止している車の列に並んだ。
「信号の前に右折レーンに入らないと、右折できないんですよ」
道が広くなってるところまで、もう少ししかない。
でも、声は出せなかった。
どうしても。声が出ない。
信号が変わった。
の左手が、シフトレバーを動かす。
「動きますよ」
多分、からの最後通告。
何故だろう。
右折レーンに入らなかったら、このまま左折しそうな気がした。
左折してしまったら、”二年後にまたおいで”か、さよなら……。
止まって欲しい。
車を止めて!
「……さん」
無言で、シフトレバーの上に置かれたの手を上から握りしめていた。
もう車は動いてるのに。前に進みだしているのに。
信号の下を通過した。
次の信号が見えていた。
「……一本、通り過ぎました」
車は直進していた。
左折でも、右折でもなく。
片手じゃ、ハンドルってまわせないのかもしれない。
「海、見に行きませんか」
私の手の下で、の手が回転した。
私の右手を、の左手が包み込む。
「僕は、あなたと海を見に行きたいんですが」
……ありがとう、神様。
私は、勝った。
「はい」
これが、私の初めての了承の言葉だった。
これから何度も繰り返される、”はい”の始まり。
のこと、好きなの。
<了>