背中を君に


「綺麗な海だね」

 そう言って、クロードが夜の海岸に座っているレナに近づいていく。

 座ったまま顔を上げたレナがクロードを確認して、また海の方を見つめなおした。

「少し、不思議な感じ」

「そうかな。レナが海を見ずに育ったからだよ」

「クロードの故郷には、海があるのね」

「近くにはないけど、夏になったら家族や友達と行ってた。毎年、クタクタになるまで遊んでさ」

 レナが笑ったのだろうか。

 二人の声が小さくなって、ここからじゃ聞こえなくなった。

「あぁ……もぅ、じれったいですわね」

 僕の下から、苛立たしそうなセリーヌの声が聞こえた。

 今の僕たちは、海岸の端にある木の陰に隠れて、出歯亀をしている最中だ。

「そこでこう……あぁ、もうッ」

「あ、あの、セリーヌ」

「うるさいですわよ。今、いいところなんですから、黙っていらして」

「はい」

 ピシャリと言われて、僕は黙ることにした。

 セリーヌの身体が僕に密着していて、僕はそれどころじゃないっていうのに。

 大体、セリーヌが夜中に僕の部屋に来て、一緒に海岸へ行こうと言ってくれたのに。

 この期待感、どうしてくれるんだろう。

「よく聞こえませんわね。仕方ないですわ……」

 セリーヌが小さく呪紋を唱えると、クロードとレナの声が大きくなった。

 多分、魔力を放射して、空気の振動を増幅させたんだろう。

 そう言えば、この間からノエルに大地の呪紋を教わっていたっけ。

「魔力の無駄遣いだ」

「有効活用ですわ」

 そう言って、セリーヌの踵が僕の脛を蹴った。

 思わず声を詰まらせると、クロードの声がはっきりと聞こえてくる。

「エクスペルは、必ず取り戻す」

「そうね。頑張らなくちゃ」

「そうしたら、一緒に村へ帰ろう。もう一度、君の母さんに会いたい」

 その途端、セリーヌが負のオーラを放ち始めた。

 思わず宿へ引き返そうとすると、彼女はちゃっかり僕の服の裾をつかんでいた。

「あ、あの」

「よりにもよって、レナの母親……クロードは熟女スキーなのかしら」

 チサトさんあたりに仕込まれたのか、最近のセリーヌには斬新な語彙が増えた。

 ジュクジョスキーとはどういう意味なんだろう。

「そうしたら、レナ……僕と一緒に来てくれるかい」

「え……」

 レナの動きが止まった。

 それと同時に、セリーヌがグッと身を乗り出した。

 僕も、セリーヌの背中に乗っかるようにして身を乗り出す。

「その、私でいいの」

「レナのためじゃなきゃ、ここまで戦ったりしないよ。レナの笑顔を見たいから、ここまできたんじゃないか」

「クロード」

 うわっ、キザだねぇ。

 あー、何で首筋に顔を埋めるかな。

 そこは一気にキスだろ。

「……やりますわねぇ。焦らされて、レナから求めるようにするなんて」

「そういうものなのかなぁ」

 セリーヌの言葉に思わず呟くと、セリーヌの半眼が僕を待っていた。

 そして、ポツリと僕を見下す。

「鈍感バカ化物男」

「……化物は余計だと思うけど」

 すると、セリーヌの腕が僕を押し返した。

 どうやら飽きてしまったらしい。

 そのままクロードたちから離れていこうとする。

 聞こえていた声も聞こえなくなったところをみると、呪紋も止めてしまったらしい。

「あれ、帰るの」

 そう尋ねると、セリーヌは海風にさらわれた髪を片手で押さえつけながら振り向いた。

「これ以上は見ていても面白くありませんもの。告白も済んだことですし」

「じゃあ、僕たちの告白は」

「あら、そんなもの、用意してましたの」

 はっきりと、きっぱりと。

 そこが彼女の美点なんだけど。

 でも、その、ほんの少しくらいは期待してくれていてもいいんじゃないかなぁって。

「僕だって、何も考えずにここまで戦ってきたわけじゃないよ」

「あら、私のためとでも言うおつもりかしら」

 セリーヌが身体ごと、僕を向いた。

 数歩の距離を置いて向かい合った僕たちを、潮騒の音が包みこむ。

「最初はギョロたちのためだった。でも、今は違う。君を護るため」

 セリーヌが、フッと笑った。

 肩をすくめて、宿舎の方に向く。

「貴方はチームの壁として、魔物に対すればいいのですわ」

「壁って……」

「私が引き立つための壁であればいいのよ。私に背中を預けて、攻撃を食い止めさえすれば」

 そう言って、セリーヌが宿舎に向かって歩き出した。

 僕に、背中を見せて。

 そう言えば、セリーヌの背中を見ることってほとんどない。

 いつも、僕が背中を見せる立ち位置にいるからだ。

 僕の背後から、抜群のタイミングで前線の僕を援護してくれる。

「セリーヌ、待ってよ」

 急いで駆け出して、セリーヌの隣に並ぶ。

 横顔を見下ろすと、彼女の視線が僕を見上げていた。

「私たちに出来ることは、敵を倒すことだけ。護ることは出来ませんわ」

 多分、回復系の呪紋のことを言っているんだろう。

 いつだったか、重傷を負った僕を、悔しそうに唇をかみ締めながら見ていたセリーヌの顔が脳裏をよぎる。

「……僕は壁なんだろ。壁は傷ついてこそ役立つってとこかな」

「それでも、貴方が倒れることは、私のプライドが許しませんわ」

「それって……」

「勘違いしないで下さいな。私の援護が遅れたと言われるのだけは、我慢がならないということですの」

 そう言いながら、セリーヌが視線を前に戻した。

 これで頬の一つも染めてくれれば、僕にも付けいるスキはあるだろうに。

 顔色一つ、変えない人だから。

「じゃあ、セリーヌは壁が壊れたら、一人で前に進むのかい」

「さぁ、どうでしょうね。壁がいなくなったら、か弱い私はひとたまりもないでしょうね」

 期待したくなるよね、こう言われると。

 もしも僕が倒れたら、重なるように倒れてくれるのかと。

「私は、まだ死ぬつもりはありませんわ。信じられない宝をこの手につかむまでは」

「それって、僕にも死ぬなって言ってるのと同じだよね」

 期待もこめて、僕はそう尋ねていた。

 意外にも足を止めて、セリーヌは口許に手をやった。

「そうね……次のパートナーを探すのは面倒でしょうね」

「だったら、僕にしておこうよ。人よりは多少、頑丈だよ」

 あぁ、情けない。

 クロードたちと違って、全然ロマンチックじゃないよ。

「そうですわね。とりあえず、今の壁は貴方しかいないのだし」

「何、その消極的選択肢は」

「何か不満でもあるのかしら」

「……ありません」

 そう答えるしかないじゃないか。

 まったく、君はいつも僕を三枚目にしてくれるんだから。

「アシュトン」

 セリーヌの声が、背中の方から聞こえていた。

 どうやら落胆と同時に、僕の足は宿に向かって進み始めていたようだ。

 僕は足を止めて、首だけ彼女の方へ向けた。

「今だけ、その背中に触れていいかしら」

「え……うん」

 セリーヌの小さな手が、僕の背中に押し当てられた。

 背中の真ん中から、ギョロたちとの境界線をなぞって、また、元の中央へ。

「……死んではいけませんわよ」

「わかってるよ」

 トンッと僕の背中を叩いて、セリーヌの手が離れていった。

 想いを馳せる間もくれずに、彼女が僕を追い抜いていく。

 真っ直ぐに伸びた背筋に流れる銀髪が、月明かりに輝いていた。

「セリーヌがいるから、僕は前を向いて、みんなの壁になれるんだよ」

 その言葉は届かなかったけれど。

 僕は決意を新たにした。

 セリーヌがいるかぎり、僕は壁になり続ける。

 それが、僕からの君への、無言の信頼だから。

 

<了>