暖炉の前で


 エナジーネーデの中枢都市・セントラルシティ。

 クロードをはじめとする一行は豪雪のため、セントラルシティに滞在することを余儀なくされていた。

 十賢者の力の影響は、完璧な天候操作を可能にしていたネーデの気象プログラムにも影響を与えていたのだ。

 

 

「寒いですわね……」

 ネーデを訪れてから購入した薄手のカーディガンを羽織り、セリーヌはホテルの中を移動していた。

 最初は部屋でごろ寝を決め込もうとしていたのだが、レナに外へと狩り出されたのだ。

 二人で珍しい化粧品などを物色していたのだが、クロードの登場と共に買い物は終わった。

 クロードの誘いに乗って、レナが喫茶店でのデートへと行ってしまったのである。

 一人残されたセリーヌとしては、それ以上買い物を続ける気にもなれず、一人で宿に戻るしかなかった。

「クロードも、最初からレナと行けばよろしかったのに」

 セリーヌが愚痴を漏らすのも仕方がなかった。

 クロードは朝早くにホテルから姿を消していたのだ。

 レナにしてみれば、クロードの代用としてセリーヌを選んだというところだったのだろう。

 セリーヌにとっては面倒なこと、この上ない。

「大体、レナもあんな男の何処がいいのやら」

 レナに聞かれれば、小一時間も演説に付き合わされそうな文句を口にして、セリーヌは階段を上っていった。

 一行が泊まっている部屋は三階にある。

 突然与えられた休息の時を、部屋に戻って布団に包まれながら過ごすつもりだった。

 ようやく三階まで上がり、宿泊している部屋のドアに手を伸ばした時、セリーヌは背後から声を掛けられた。

「……あれ、セリーヌさん」

「何かしら、アシュトン」

 声のした方に首を捻じ曲げ、セリーヌがアシュトンの方を見る。

 出会った時から厚手のローブを身にまとっている彼は、ネーデに来てもその服装は変わっていない。

 すっかり慣れてしまった二匹の龍を両肩に背負い、アシュトンは三階のホールに座っていた。

 奇妙なのは、その目の前に大きな画板が置かれていることである。

 画板に気付いたセリーヌがそばに寄ると、アシュトンは体を開いて、描いている途中の絵を見せた。

「静物画なんて、面白いものを描いてますわね」

「うん。ノエルさんに静物画を描いてみたらって勧められたから」

 そう答えて、アシュトンが軽やかな音をさせながら絵に陰陽をつけていく。

 画家の描く絵には遠く及ばないが、それでも素人の片手間としては充分過ぎる上手さである。

 時折、目の前に置いてあるリンゴの陰を確かめながら、見栄えのいいように陰陽をつける。

 器用なアシュトンならではの芸当だった。

「勧められたからって、これほど描ける人はなかなかおりませんわよ」

「そうかな。上手く描けてる?」

「えぇ。これなら、肖像画を書いても大丈夫ですわよ」

 アシュトンの横に立って、絵とアシュトンの横顔を交互に眺めながら、セリーヌはそう言った。

 二匹の龍は全く興味がないのか、大人しく瞳を瞑っている。

「じゃあさ、セリーヌさん、モデルになってくれる?」

 リンゴと絵の中のリンゴを見比べながら、アシュトンがふと尋ねた。

 彼の中では、もう絵は完成したということなのだろう。

 外は吹雪。とてもではないが、アシュトンも外へ遊びに行く気持ちにはなれそうになかった。

「えぇ、いいですわよ。もっとも、寒い格好は嫌ですけど」

「本当?」

 快く了承されるとは思っていなかったのか、アシュトンがセリーヌの方を振り返った。

 視線を合わせてきたアシュトンの瞳に微笑み返しながら、セリーヌはゆっくりと頷いて見せる。

「じゃあ、そのチェアに座ってよ。膝掛け、持ってくるから」

 暖炉の脇に置いてあったロッキングチェアを指差し、アシュトンが立ち上がる。

 黙ってアシュトンの指示に従い、セリーヌはアシュトンの持ってきてくれた膝掛けを膝にかけた。

 薄手の毛皮でできているその膝掛けは、風通しもよく、長い時間座っていても蒸れることはなさそうである。

「じゃあ、適当にどこかに視線を定めて。二十分くらいで書き上げるから」

「えぇ……いいですわよ」

 それからは、アシュトンのペンを走らせる音だけがホールを支配した。

 心地よい軽快な音を立てて、アシュトンが紙の上にセリーヌを写しとっていく。

 セリーヌの方も気を使ったのか、常に装備している髪飾りは外していた。

 遮るものがなくなった銀髪は、いつもよりもしなやかに下ろされている。

 何度もセリーヌを見ながら小首をかしげるように絵を完成させていくアシュトンに、セリーヌはのんびりしていた。

 暖炉の暖気も手伝ってか、不思議なほど耐えることに対する嫌悪感は沸いてこない。

「……ねぇ、どのくらいかけましたの?」

「大体かな。輪郭は描けてきたから、もう少しで表情描くところ」

「微笑んだほうが良いのかしら」

 そう尋ねてきたセリーヌに、アシュトンは画板から身体をずらして苦笑した。

「そこまで上手く描けないって」

「そうかしら」

 アシュトンの言葉もあって、セリーヌはやや硬かった表情を崩した。

 表情と同時に肩の位置もわずかに下がったが、アシュトンには描き上がった個所を直すつもりがなかった。

 そのまま他愛のない会話も挟みながら、アシュトンの出す軽やかな音が響き続ける。

 髪の陰陽をつけるところまでいって、アシュトンは手を止めた。

 音が止んだことに気付いたセリーヌが目で問い掛けると、アシュトンは照れくさそうに頬を掻いた。

「……髪って、難しいよね」

「見せて」

 座ったまま腕を伸ばしてきたセリーヌに、アシュトンは画板を持って立ち上がった。

「こんな感じ」

 そう言って渡された絵を見て、セリーヌは無言でアシュトンの手から筆を奪った。

 そのままの勢いで、髪の輪郭の際に薄く線を入れ、髪の艶を出す。

「デザインセンスってものがないですわね。まるで化粧気のない顔じゃない」

「そうかな」

「化粧くらいしてますわよ。こんな風に……」

 アシュトンよりも更に軽やかなタッチで、平面的だった絵柄に肉をつけていく。

 二次元の世界にいた絵の中のセリーヌが、三次元の彼女の手によって作り変えられていく。

「凄いや」

 アシュトンの呟きに気を良くしたのか、セリーヌは左手の薬指に小さな二本線を引いた。

 アシュトンの目には映るはずもない、小さなリングとして。

 言われないと気付かないくらい繊細なそのリングは、彼女の希望。

 もちろん、気付いて欲しいわけでもなく、気付かないでいて欲しいわけでもなく。

 そんな曖昧な希望が形を成したもの。

「……はい、出来上がり」

「やっぱり違うな。絵が女の子らしくなった」

「陰陽のつけ方は、女の方が手馴れていますもの」

「そうかなぁ」

 何度も透かすように絵に魅入っているアシュトンの袖を引き、セリーヌは少しだけすねて見せた。

「本物に失礼ですわよ」

「ゴ、ゴメン」

 慌てて絵を隣に置いたアシュトンの腕を取り、セリーヌはアシュトンの腕に身体を寄せた。

 狼狽して腕を振り払おうとしたアシュトンを睨み付け、大人しくさせる。

 動きが止まると同時に顔を赤くしたアシュトンの背中を身体で押して、セリーヌが階段へと向かう。

「もう充分でしょ。喫茶店でも行きましょう」

「え……僕、寝ようと思ってたんだけど」

「モデル代、ですわ」

「そんなぁ」

 押し出されるようにして階段を下りながら、アシュトンが考えたのはただ一つ。

 

”貴方の望みは、全ての終わった後に”

 

 

<了>