大人の事情(後編)


 目が覚めた。

 ……寝ちゃったんだ。

「おはよう、アシュトン」

「ゴ、ゴメンッ。つい寝ちゃって……」

「いいえ。それよりも、身体は大丈夫ですの?」

「う、うん」

 そう言って起き上がろうとしたら、案の定左腕が痺れてた。

 昨日、あの人参お化けを斬った時に、嫌な予感してたんだよね。

「……お見せなさい」

「え?」

「左腕、ですわね。起きる時、変でしたわ」

 ……情けないな、本当。

 でも、僕が黙って左腕をだすと、セリーヌさんはアクアベリィを口に含んだ。

「毒が入ったんなら、すぐに言いなさい。本当に、あなたって人は……」

 文句を言いながら、毒の侵入口であろう傷口に口をつけてアクアベリィを流し込んでくれる。

 本当は擦り込むだけでいいんだけど、処置が遅いのを気にしてくれたんだろうな。

 唾液で吸収しやすくなった成分が、じわじわと効いてくるのがわかる。

「よくそれで、今まで生きてこられましたわね」

「……ゴメン」

 水筒の水で口を漱いで、セリーヌさんはコンパクトを取り出した。

「紅が落ちてしまいましたわ。あなた、後で買って下さる?」

 さも当然のように言ってくるけど、非があるのは僕のほうだ。

 ここは素直に従おう。

「わかった。ちゃんと御礼はするよ」

 

 これがああいうことになるなんて、おもいもよらなかった。

 本当、僕って……

 

 


 マッピングと鉱石は、なかなかのお金になった。

 半分をパーティーの財布に入れて、残りは折半。

「まずまずの稼ぎでしたわね」

「マッピングが正確で見易かったからだね、きっと」

「あなたが作業に専念させてくれたお陰ですわ。もっとも、口紅の件は別ですけど」

 わかってるよ。それくらい。

 さっさと買いに行けばいいんだろう?

「じゃ、買いに行って来るよ。宿で待ってて」

 僕がそう言うと、セリーヌさんは怪しげな目で僕を見た。

「あなた、女装癖でもあるの?」

「……男一人で店に入った方が、僕としては楽なんですけど」

「パール系はいけませんわよ」

「わかったよ」

「あと、酒場にいますから。仕事上がりですもの、飲みたいですわ」

 もう、何でも言ってくれ。

 どうせ僕は不幸の星の下に生まれたんだ……グスン。

 

 

 似合いそうな口紅を買って、酒場の扉をくぐった。

 ま、僕だって女性の一人や二人は相手をしたこともあるし、化粧の仕方だって知ってる。

 紋章剣術って言うのは、奥が深いんだよ。

「……いたいた。マスター、同じの」

「へい」

 隣に腰を下ろした僕を見て、少し目付きのトロンとしたセリーヌさんが手を出してきた。

 その手に口紅を渡して、出されたカクテルを一口飲む。

 ……これ、相当キツイお酒じゃない?

「ありがと、アシュトン」

「別に。それにしてもかなり強いお酒飲んでない?」

「ひぃーへ。まだたったの10杯目ですわぁ」

「じ、十杯ッ?」

 慌ててマスターを見ると、笑顔で僕の耳を引っ張った。

「最初の五杯はストレートでした。それから、カクテルになって十杯目です」

「嘘……それってヤバクない?」

「しっかりお持ち帰り下さいね」

 最後は笑顔で脅迫された。

 あの、お持ち帰りも何も、確かセリーヌさんは酒癖が……悪いんだよ。

「あ〜ら、何のお話?」

 早くも僕の肩に顎を乗せて、ゾクッとするような視線で僕をねめあげる。

「な、何でもないよ」

「本当〜?」

「本当、本当」

 全力でセリーヌさんを宥めつつ、全酒場に通用するシグナルサインを……って、マスター逃げてる!

 し、しかも、”酔い潰したから持ち帰れ”のサインッ。

 僕は違うッ、違うんです!

「アシュトン、飲みなさい!」

 誰か、助けてーッ!

 

 


 ……また一つ、僕の正体がバレてしまった。

 お酒、強いんだよね。底無しに。

「よいしょっと」

 背中におぶっていたセリーヌさんをベットに寝かす。

 レナはまだクロードに付きっきりなんだろう。こっちの部屋は綺麗に整頓されたままだ。

「ん? んぅ〜」

 柔らかいベッドの上に横になったからだろう。

 セリーヌさんの体が安眠態勢に入った。

 隣の部屋には二人がいるんだけど、そっちに行く気にもならないし、寝るか。

「ギョロ? (あの女はあのまま寝るのか?)」

 もぅ、人がせっかく眠ろうとしてるのに。

 放っておけばいいんだよ、ギョロも。

「ウル? (せめて帽子とマントは外してやったらどうだ?)」

 ……どうしてこうも、僕の周囲にはお節介が多いんだ?

 わかったよ。やればいいんでしょ、やれば。

「まったく、本当にお節介なんだから」

 頭の中に響くギョロとウルルンの言葉に、僕は自分の寝支度を整えてから従うことにした。

 本当、魔物じゃなくて、二人の兄さんにくっ付かれてるみたいだ。

「んぅ〜」

 幸せそうな寝息を立てているセリーヌさんの帽子を外す。これは簡単。

 でも、マントは身体を起こさなきゃならない。

 これが……始まりだった。

 

 

 僕が自分の肩に乗せさせた手に、急に力が戻り出した。

「ちょっと、セリーヌさんッ?」

「アシュト〜ン」

 酒が抜けきったらしい。

 てか、この状況は言い逃れが出来ないッ!

「クスッ、寝込みを襲うなんて……」

 ゲッ、抜けきってないッ。

 てか、襲ってない!

 僕はただ、マントを外そうとしているだけなんだ。

「誉めて差し上げますわ」

 クルリと体勢が入れ替わる。

 そう、僕が下でセリーヌさんが上。

「ギョロ、ウルルン、何とかして!」

 両手両足を器用に押えつけられた僕は、ここが出番とばかりに援軍を頼む。

 なのに、二人ときたら完全に意識を沈黙させて、返事もしない。

「ちょっと、二人とも、卑怯ッ」

「な〜にが卑怯ですの? この代償、高くつきますわよ」

「そ、その……僕は何もやましいことは」

「乙女を襲った代償は値引きなし、ですわ」

「乙女というのは少し無理が……」

「へぇ? そう思ってらしたの」

 しまった! 思わず口に出てた!

「じゃ、大人の復讐をして差し上げますわ!」

「……ギニャーァッ!」

 

 


 翌朝、全快したクロードが、僕を見た瞬間に、思わず食べていた朝食を噴き出した。

 無理もないね。ボロボロだもん、僕。

 

「大丈夫?」

「うん……食事終わったら、ヒールお願い」

「えぇ。痛くない?」

「痛い」

 レナにまで心配してもらっちゃって……クロードも心配そうに僕を見てくれた。

「顔、痛そうだね」

 そうなのだ。

 よりにもよって、顔や手と言った、服を着てても見える所を引っかかれて、腹部にはファイアボルトの火傷。

 ついでに背中にはウインドブレイドの後がくっきり。

 エナジーアローじゃなかっただけマシかも。

「まるで夫婦喧嘩の次の日の父さんみたいだ」

「えッ? それじゃ、アシュトン……」

「ち、違うよ! 大体、結婚なんてしてないよッ」

「でも、首筋にキスマークはついてるし、口紅、残ってるよ」

 クロードに言われて、レナが近くに寄ってきた。

 思わず顔を引くと、レナがコンパクトを貸してくれた。

「よく見て。左の首筋と、自分の唇」

 ……確かに。

 しかもこれは、僕が昨日買った口紅じゃないか。

 

 僕等三人がワイワイしているうちに、完璧な状態のセリーヌさんが食堂に入って来た。

「あら、アシュトン、痛そうですわね」

 セリーヌがしたんじゃないか!

「どうせ、酒場で調達しようとした女性に引っ掻かれたんでしょう」

「え、やっぱりそうなの?」

「違うッ」

 レナとクロードの向かいに座って、さっさと朝食を注文したセリーヌが、呆れたように僕を見た。

「さっさと食べませんと、置いて行きますわよ」

「食べるよ! すいません、ライスのほうの朝食!」

 セリーヌの隣に腰を下ろして、レナにコンパクトを返す。

 憮然としていると、セリーヌがさも今気付いたかのように僕の唇に触れた。

「口紅ですわね。アシュトン、あなたまさか、女装趣味が……?」

「えぇッ?」

「嘘ッ?」

「違う! そんなもんないッ」

 そして、わざとらしく手を叩くセリーヌ。

「わかりましたわ。口紅を勝手につけて、その女性に怒られたんですのね」

「うわ、アシュトン、暗い……」

 ……レナ、その哀れむような視線はやめて。

 クロード、そんな同情の眼差しはしないでくれ。

 僕は無実なんだー!!

 

 

 朝食を終えても、僕の傷は癒えることはなかった。

 レナが疑って、ヒールをかけてもらえなかったんだ。

 おかげで、顔は蚯蚓腫れ、手はヒリヒリ、心はズタズタ。

「……いいことを教えて差し上げますわ」

 もはや聞き返す気力もない。

 沈んだ表情で首だけを動かした僕に、セリーヌが耳許で囁いた。

「その口紅とキスマークも本物ですわよ」

「え?」

 どう言うこと?

「ふふ……さ、早く行きますわよ」

 早くもマントを羽織って、外に出て行ったセリーヌを追いかけながら、僕はそっと自分の唇に指を当てた。

「ひょっとして……キス?」

 

 

 僕の名前は、アシュトン=アンカース。

 不幸の星の下に生まれた、双頭の龍にとり憑かれた紋章剣士。

 

 ……でも最近、ちょっと運気は上向かな?

 な〜んてね。

 

<了>