尻尾
アストラル城の一室の扉を、シウスは旅支度を済ませた格好で叩いた。
中からカギの外れる音がすると、その部屋の持ち主が未だ平装のまま、シウスを迎え入れた。
「……来ると思った」
「それじゃ、言いたい事もわかってるな」
「もちろん。お前がオレの上司になるつもりはないってことだろ?」
「あぁ。オレは騎士団長の器じゃねーよ」
「相変わらず、我慢を知らない奴だ」
軽口を叩きながら、フィアはグラスにワインを注いだ。
「ロマネコンチでいいか?」
「何でも」
グラスの重なる音と同時に、フィアの瞳が細められる。
シウスはそれに気付かずにワインを飲み干すと、椅子に腰をおろした。
「旅に出る」
シウスと向き合うようにベッドに腰を下ろしたフィアへ、それだけを告げる。
「……また、行くのか?」
「オレより強いヤツに会いてぇ。その為には、旅だ」
「相変わらず、単純だな、お前」
「ほっとけ」
辛辣なフィアの言葉にも、シウスは笑顔を崩さなかった。
彼の頭の中には、これから始まる一人旅のことしか入っていないようだった。
「いつもながら、勝手だよ、お前は」
「アストラルが消えるわけでもねーし、親父への義理は果たした。何の問題もないぜ」
「そうだな」
フィアの空になったグラスに、シウスが新たなワインを注ぐ。
寒いアストラルにおいて、酒は欠かすことの出来ない必需品だ。当然、彼等も酒には強くなる。
「騎士団長が欠けて、次の騎士団長にはお前を推す声もある」
「勝手な連中だ」
「全てが終わって、その英雄を騎士団長に迎えれば、国の格も上がると言ったところか?」
「打算的な連中の為に、何でオレが……」
苦々しげに吐き捨てるシウスを見て、フィアは細めていた瞳を閉じた。
「相変わらずだな」
「そうそう、変われるもんじゃねぇ。お前だって、ちっとも女らしくはないぜ」
「そうか?」
「あぁ……ま、料理の腕くらいか、女らしいのは」
「言ってくれる」
フィアは、苦笑するしかなかった。
旅の途中で必要に迫られ、全く料理のしなかった彼女の隠れた才能が開花したのだ。
優れた味覚とそれに似合う作業能力は、シウスから見れば、彼女の唯一の女らしさであった。
とりとめのない話を終えて、シウスは椅子から立ち上がった。
「悪かったな、遅くに」
「女の部屋だ。夜に来るには適さない場所だな」
「そう言うな。お前の部屋だから、オレもこれたんだぜ」
「……泣いてもいいか?」
フィアの言葉に、扉に手をかけようとしていたシウスの動きが止まった。
あまりにも唐突なその言葉は、彼の理解を超えていた。
「答えろ」
「……お前の涙なんて、滅多に見れねーな」
「見るか?」
それには答えず、シウスは扉からベッドの方へ一歩だけ進んだ。
立ち上がったフィアが、自然な動きで鎧を外し、その下のアンダーを脱いだ。
驚きを隠せないシウスの胸に、フィアが潜り込む。
「おいッ」
「俺は……女だぜ」
「な、何のつもりだ」
「さぁな。脱ぎたくなった……それだけだ」
「リキュールボトルなら、そこにあるぜ」
「いらん」
ミスリルメッシュの上からでも、フィアの肉体の凹凸が感じられる。
シウスの頭はパニックに陥っていた。
「……このまま、抱き着いててもいいんだぜ?」
シウスの鎧に手をかけるでもなく、フィアはそう問いかけた。
「……お供は要らねぇ」
ようやく、それだけを返す。
「裸の俺を抱いて、お前は街を歩くのか?」
「出来るわけねぇだろ!」
「だったら、逃げろよ。俺は、抱きしめちゃいないんだぜ」
フィアの言うとおりだった。
シウスが逃げようと思えば、いつだってフィアから離れることはできる。だが、そうできなかった。
その事実が、シウスを戸惑わせた。
「クソッ……魔法にかかったみてーだ」
「解きかた、教えてやろうか?」
シウスがフィアの言葉に頷くと、フィアはゆっくりとシウスの胸から離れた。
「こう言えばいいんだよ。”オレには好きなヤツがいる”ってな」
シウスの目は、フィアの上半身に釘付けになっていた。
「……見るなよ」
「ワリィ」
「どうする?」
「どうするって言われてもな……どうもしねーよ」
珍しくマジメ腐ったシウスの声に、フィアは満足そうに微笑むと、背を向けた。
「行けよ……後は適当にしておいてやるよ」
「悪いな」
扉の開く音がして、すぐに扉の閉まる音がした。
フィアは服を拾うことも面倒臭く、そのまま扉のカギを閉める為、再びベッドに背を向けた。
何かにぶつかり、視線を上げると、先程と変わらぬシウスがそこに立っていた。
「……嘘だろ?」
「生憎、こんなこともできる」
シウスの手が、乱暴にフィアの頭を梳いた。
「黒龍をもらうつもりだったんだよ」
「……先に言え」
シウスの手を払いのけるように、フィアは棚から黒龍の瓶を取り出した。
が、フィアは黒龍を机の上に置くと、枕許を探った。
「何してんだ?」
「お前が旅に出ると思って、用意していた物がある」
黙って手を出したシウスの掌にのせられたのは、フィアのマメのできた掌と、見覚えのある袋だった。
「そりゃあ、ラティがミリーにもらってたヤツじゃねぇのか?」
「女、みんなで買ったんだ」
「やっぱ、握り締めると強くなれんのか?」
「イリアは、もらった奴次第だと言っていた」
「試してみるか」
シウスが御守りを握り締めると、フィアは目を細め、右の口許を吊り上げた。
「……よくわかんねぇ」
「だろうな」
「でもよ、フィアに物もらったのは久しぶりだぜ」
シウスの手が、フィアの腕をつかんだ。
「旅に出る前に、何か返さなきゃなんねーな。何が欲しい?」
「……何でもいいのか?」
「いつも、そうだっただろ?」
いつまでも子供の心を失わない奴だと思っていたシウスの瞳は、フィアにとって、女を思い出させるものだった。
初めて出会った時の、初めて強くなりたいと思った時のあの瞳。
シウスはまだ、彼女の遠い記憶のままだった。
「変わったのは俺か?」
「何だって?」
「いや、何でもない」
そう言ったフィアを、焦れたシウスは急かした。
「……そうだな、お前の名前が欲しい」
「オレの名前? どうすんだ、そんなもん」
「さぁな」
わけのわからないシウスは、とりあえずこの場で渡せることを喜ぶことにした。
「シウスか、ウォーレンか。どっちでもいいぜ。お前にやるよ」
「ウォーレンをもらっておこうか」
「わかった。んじゃ、オレは今からシウスだな……本当にそれだけでいいのか?」
さすがに首を捻ったシウスを見て、フィアは笑いを堪え切れなかった。
突然笑い出したフィアを見つめるシウスに、フィアは黒龍を渡した。
「次に帰って来た時に教えてやるよ。ほら、黒龍」
「悪いな」
「気にするな。そのかわり、帰って来たら一番最初にここに来いよ」
「……覚えてたらな」
シウスを送り出した後で、フィアは裸になった体をベッドに投げ入れた。
天井を見つめ、再び堪え切れなかった笑いの発作に身を任す。
ひとしきり笑い終えた後で、別れ際のイリアの言葉を口に出す。
「地球では、結婚する相手と同じ名前になるのよ」
フィアには不思議でたまらなかったが、今はイリアの言葉に感謝していた。
「俺がアイツの妻だってさ……ハハッ、ハハハハッ……」
笑いの発作が終わると、ベッドの下に隠している、幼いシウスからもらった指輪を取り出した。
それは騎士になった時、シウスが祝いでくれたメンタルリングだった。
「左手の薬指、だったかな」
イリアに教わった、アストラルでは誰も知らない風習の通りに、指輪をはめる。
「次、帰って来たら勝負だな……今日のこと、全部バラしてやる。どうするかな、アイツ」
ヨシュアがくれたシウスの小さな絵を、ロニキスの作ったスタンドと言うものに入れて飾る。
「おやすみ、シウス」
誰も知らない約束の指輪は、彼女の指で輝き続ける。
メンタルリングではないメンタルリングが、その役目を終えるのは、いつの日になるのだろうか。
シウスの終着駅は……今、静かな寝息を立てて眠りにつく。
<了>