華を支える
公式試合の前日、少し遅めの夕食時。
彼はいつもトンカツ屋のカウンターにいる。
それも、決まって7番という席で、トンカツ定食を食べているという。折りしも明日は、IHの一次予選。
前評判を聞く限りでは楽勝で突破するようだけど、彼なら店にいるはずだ。「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」
「えぇ。カウンターで」
「はい、では、開いているカウンター席へお座りください」店員の要らぬ気遣いを遮って、カウンターの並びを見まわす。
彼は事前の情報通り、7番カウンターでトンカツ定食を食べていた。「寂しい高校生ね」
私がそう声をかけると、彼は驚いた様子で箸を止めた。
振り返ったその表情は、思わず私の口許を緩ませていた。「高野……」
「隣、いいわよね」有無を言わさずに隣の席に陣取り、注文を取りに来た店員にヒレカツ定食を頼む。
この店のメニューは、見る必要もないほどに覚えてしまっている。「珍しいわね。麻生君はいないの」
「アソなら、バイト。高野も一人飯か」
「ちょうど、両親が出掛けてるの」
「それでトンカツか。周防あたりなら、呼び出したら来てくれそうじゃん」彼の言うとおり。
美琴なら、電話一本ですぐに来てくれるだろう。
何だかんだといっても、姉御肌なあの子のことだから。「そうね。でも、たまには一人飯もいいものよ」
「そういうもんかね。俺は二人飯のほうがいいけどなぁ」
「見解の相違ね」さり気なく、彼の食膳に視線を巡らせる。
まだ食べ始めたばかりだったのか、狐色のカツは、まだ半分も食べられていない。「食べ始めたばかりだったみたいね」
「ん、あぁ。俺の小遣いじゃ、なかなか食いに来れねぇから」そう言って笑う彼を見て、つくづくウチの学校の女生徒には見る目がないと思う。
もちろん、常に彼の隣にいる麻生君のせいもあるだろう。
だからと言って、彼の魅力が半減するわけでもないだろうに。「ヒレカツ定食、お待たせいたしました」
彼の右隣に座っている私を気遣ってか、右側から食膳が置かれる。
彼の背中越しに去っていく店員に、心の中で礼を言っておく。「ロースのほうが美味くねぇか」
「油分が少しね。いつもは家で作るから気にしないけど」そう。
いつもなら家で作るトンカツを、わざわざ食べに来たのだ。「スゲェ。トンカツ作れんのかよ」
「あら、どういう風に私を見てたわけ」
「いやいや。沢近と塚本が料理できそうにねぇから。つい、高野もそうかなって」
「失礼ね。何だったら、お弁当でも作っていってあげましょうか」私がそう言うと、彼は少し目を瞬かせて、小さく肩をすくめた。
多分、彼の中で自問自答が行われたのだろう。「いや、遠慮しとく」
「あら、もったいない」
「食った後で、すげぇこと押し付けられそうだしな」残念。
アテが外れてしまったわ。「大丈夫よ。試合後の打ち上げにサラも混ぜてあげて、ぐらいしか言わないから」
「それだけは勘弁。いくらサラちゃんでも、試合後のミーティングだけは混ぜられねぇから」彼にとってのバスケ部は、麻生君に続く聖域。
以前にも同様のお願いをした私に、彼はものすごく不利な代案を飲んででも許さなかった。
そのときは、ほんの少しだけ反省した。「相変わらず、バスケ馬鹿ね」
「何とでも言え。その前に食え。冷めるぞ」
「えぇ」それからしばらく、お互いに会話もせずに目の前の食事に取り組む。
横目で彼の食べる様子を見ると、いつもより味わって食べているみたいだった。「すいません。味噌汁、お代わりで」
彼の声で、店員が味噌汁の椀を持ってやってくる。
「お待たせいたしました」
「あ、どうも」そんな些細なやり取りを、私は黙って見ていた。
もちろん、何気なく食事を進めながら。もしもここが彼の家で、あの店員が私だったなら、彼は何と言うだろう。
”ありがとう”なのか、”美味い”なのか。
それとも……「菅君、明日は試合なんでしょう」
「サラちゃんから聞いたのか。一次予選なのに、応援に来てくれるんだってよ」
「麻生君から聞いたのね」
「いいや。目の前で叫ばれた」そう言って笑う彼につられて、私もその場面を想像する。
ビデオに撮っていれば、数週間はネタになりそうな光景だったのだろう。いつもながら、サラと麻生君に付き合ってくれている彼の忍耐力に、改めて感謝する。
彼がいなければ、サラも麻生君に近付き辛いに違いない。「今からでも、メールで行くなと言いましょうか」
「来てくれって送っといてくれよ。アソも、張り合い出るだろうし」
「貴方がそれでいいなら、そうするわ」
「なら、そうして。俺たちも、サラちゃんいたほうが緊張とれるしな」クラスの中では麻生君をイジる彼だけど、本当は一番彼を大切にしている。
そしてもちろん、彼の恋人に立候補しているサラでさえも大切にしてくれる。「そうね……あげるわ」
おもむろに呟いて、財布の中から長い紐のついた御守を取り出す。
わざわざ八幡宮に行ってまで買ってきたことは、誰にもわからないだろう。「御守か。いいのか」
「必勝祈願。譲る条件は、麻生君へのダブルアシスト」
「俺、2年のシューティングガードだぜ。そのノルマはキツイっス」
「サラが麻生君への応援を派手に送れる場面を作ることでは」私の示した妥協案に、彼は少し考えたようだった。
そして、今度はニッと笑いながら手を出してきた。「高野の持ってる御守なら、最後まで勝てそうな気がするな」
「あら、私のとは限らないわよ」
「俺に御守をくれる奴なんて思い当たらねぇし」麻生君の親友のことだけはある。
貴方も、貴方自身の魅力に鈍感だわ。私が紐の部分を持って、彼の手のひらの上に御守を落とす。
彼はしっかりと御守を握り締めて、照れくさそうに微笑んでくれた。「サンキュ。これで負けられなくなったな」
「サラを泣かせたら、貴方にも責任を取ってもらうわ」
「この御守のせいで、俺が活躍し過ぎるかもよ」
「貴方はどんなに頑張っても脇役。そう言っていたのは、貴方自身よ」私にも貴方にも、主役を張れる華はない。
そして、二人ともそれがわかってる。
さらに言うなら、支えがいのある華をもった仲間がそばにいると言うこと。「……年に一度ぐらい、主役になっちゃダメですか」
「無理」
「泣いちゃいそうよ、俺」そう言うと、彼は先に立ち上がった。
もちろん私も、彼に送ってもらおうなんてことは考えていなかった。「んじゃ、お先。御守、サンキュ」
「あら、待たないの」
「一人飯を食いに来たんだろ。それに、ちっと練習したくなったしな」
「明日、頑張って」
「オゥ」きっと、彼は一人でやってきた私を気遣ってくれたのだろう。
一人きりでいたい時。それが今の私だと考えて。本当、お節介すぎるほどに気のいい人。
そんな控えめな態度だから、悪い虫が寄ってこないのよ。「頑張って、か」
驚くほど素直に言えた。
そう言えるように、彼が会話をもっていってくれたのかもしれないけれど。サクリ。
サクリ……サク。明日の昼食はカツサンドにさせよう。
これほど美味しいなら、二日連続で彼と同じ場所で同じものを食べるのも悪くない。
<了>