ヴェール


「ふぅ……どうやら全員無事みたいやな」
「そうだな」

 汗で額に張り付いた髪を払い除けて、ロバートは笑顔を見せた。
 一番最後に脱出を果たしたリョウがその隣で力強く頷くと、タクマは大きな声で笑い出した。

「うむ。やはり極限流に勝る武道無し、だ」
「その通りだな」

 感慨深げに夕陽を見つめながら腕を組む二人を見て、ロバートはやれやれと言った感じで肩を竦めた。
 その隣で顔の汚れを拭いていたキングは、拭き終えると同時にロバートにハンカチを返した。

「サンクス」
「あぁ、気にしなや。キングのハンカチは血溜まりの中やさかいな」

 ロバートの言うように、キングが常に胸のポケットに入れている純白のハンカチは、この場にはない。
 血溜まりの中に沈んだ、ゼロの遺体の上に今はあるはずだった。
 引導を渡したキングが、餞別代りにかけてやったのだ。

「さて、面倒にならんうちに引き上げよか」
「そうだね。まぁ、あの傭兵さん達が来る前に引き上げた方がいいよ」
「そういうこっちゃ。おい、帰るで、お二人さん」

 未だに夕陽の前に雄姿を見せ付けている二人の腕を掴み、ロバートは国道へと歩き出す。
 名残惜しげに夕陽を見つめる二人の後ろを、キングは上着を肩にかけながら歩き始めた。
 夕陽に染め上げられた純白の上着は、リョウの胴着のようにオレンジ色に染め上げられていた。

 

 

 農家のトラックの荷台に乗り込み、ホテルへと到着した四人を出迎えたのは、胴着姿のユリだった。
 ロバートが荷台から飛び降りると同時に、ユリの拳が正面からロバートを捕らえる。
 小気味よい音を立ててその拳を受け止めたロバートが、空いている側の手の親指を立てる。

「ただいま」
「遅かったッチ」
「ちと、車を捕まえるのに時間かかったんや」
「そんなことだと思った。やっぱり華がなきゃ、車も捕まんないんだって」

 そう言って拳の力を抜いたユリに、ようやく荷台から下りて来たキングがユリの視界に入ってくる。
 半眼になっているキングに、ユリは慌てて自分の言葉を訂正する。

「ユリみたいに無遠慮な華がないとダメだッチよ」
「……ま、いいさ」

 そう言って後ろにいるリョウの方を向いたキングは、その背後にいるタクマが頭を下げているのを見た。
 どうやらタクマが乗せてくれたお礼を言っているらしかった。

「あたしも、ちょっと礼を言ってくるよ。部屋の方、頼んだよ」

 そう言うと、キングはそちらの方へ歩いて行った。
 それを見て軽く息をついたユリを、ロバートは笑いながら抱きしめた。
 今度はロバートの腕の中で緊張するユリを確かめつつ、ロバートは感慨深げに呟いた。

「なんや、帰って来たって気分や」
「もぅ、汗臭いッチ」
「ハハッ、堪忍や。シャワー浴びてへんからな」

 そう言ってユリを離したロバートは、所在無げに佇んでいるホテルのボーイを呼んだ。
 慌てて駆け寄って来たボーイにチップを渡し、予約を確認する。

「ロイヤルスイートが二部屋。予約は大丈夫やな?」
「はい。ただ、既に一部屋はこちらのお嬢様が使われておいでですが」
「あぁ、それはかまへん。連れやさかいな。夕食はこちらから足を運ぶさかい、そのようにしといてんか」
「かしこまりました。お部屋の準備は整っております。今、ルームキーを持って参ります」

 そう言ってホロントへ駆け戻っていくボーイを見送って、ロバートはようやく礼を言い終えた三人を呼んだ。
 すぐに反応したキングが軽く手を上げると、ロバートも手を上げてフロントの方を指した。
 了解と言った感じでキングが手を振るのを確認して、ロバートはフロントへと歩き始めた。

 

 

 ロイヤルスイートの客室に入るなり、ユリがベッドルームへと消える。
 おそらくは着替える為であろう。

「さて、わいらは下の大浴場にでも行くか。汗臭くてかなんわ」
「そうか?」

 汗の臭いを全く意に介さないリョウの耳を引っ張り、ロバートがベッドルームのユリに声をかける。

「ユリちゃん、わいらは下に行って来るさかい、よろしゅう頼むで」
「はーい」

 姿を見せずに返事を返してきたユリの言葉を聞いて、ロバートはキングに視線を向けた。
 キングはすぐにその視線に気付き、苦笑してみせる。

「部屋のバスを使わせてもらうよ。女は長風呂だからね」
「まぁ、かまへんけど。帰って来るなり裸はまずいで」

 そう言って笑ったロバートに、リョウはわけもわからずにキングを直視していた。
 その視線に思わず頬を染めたキングに、リョウのとんちんかんな答が炸裂する。

「キングは風呂あがり、裸で歩いてるのか?」
「……バカッ」

 小気味よい音を立ててリョウの頬に紅葉をつけ、キングはロバートを怒鳴りつけた。

「このバカ、さっさとこの部屋から出して頂戴」
「へいへい」

 耳を抓られたままズルズルと引き摺られていくリョウを睨み付けながら、キングは思わず叩いてしまった
左手の痛みを隠そうとしていた。
 ジンジンと響く感覚からすると、しばらくの間まともに手を動かせそうにはなかった。

 三人が退出するタイミングを計っていたかのように、ベッドルームからユリが姿を現す。
 先程の胴着姿とは違い、動き易いながらも適度に着飾った感のある服装だった。

「いいジャケットね」
「これ? ロバートさんに買ってもらったの。それより、凄い音したけど……何?」

 ユリの問いに左手をひらひらとさせ、キングが苦笑する。

「アンタのバカ兄貴を殴っちまったのさ。ま、そんなことより着替えを見繕ってきてくれるかい?」
「ローブがあるッチ」

 そう言って笑ったユリを叩く仕草をしてみせ、キングはもう一度頼んだ。
 さすがにからかうだけのつもりだったのか、ユリの方も素直に言うことを聞いた。

「サイズは?」
「変わってない。注文つけるなら、少し大きめでね」
「はーい」

 元気良く部屋の外へ出て行ったユリに微笑を浮かべて、キングはクローゼットを開けた。
 中に入っているバスローブとバスタオルを手に、キングはバスルームへと向かう。
 汗でべとついた髪が、キングにしては珍しく気持ち悪かった。

 

 

 女性としてのシャワー時間が短いのか、それとも男性陣の風呂が長かったのか。
 リョウが帰って来た頃には、キングはシャワーを終えていた。
 ただし、ユリがまだ帰ってきていないので、着替える服はない。

 最初はローブ姿でいようかと思ったキングだったが、さすがにまずいと感じた。
 気心の知れた仲間達ではあるが、だからこそ無防備な姿は見せたくはなかった。
 結局の所、キングは寝室に置いてあるユリのバッグの中から、服を拝借していた。
 比較的サイズの大きい黒のブラウスを拝借したキングは、足を組んで紅茶を飲んでいる最中だった。

「おかえり」
「おぅ。紅茶か?」

 犬のように鼻を鳴らしたリョウに、キングは立ち上がって食器棚からカップを取り出した。
 ロイヤルスイートともなると、まるで高級マンションの一室のような設備がある。

「ダージリンだよ」
「俺には種類などわからん。美味いか美味くないかだ」
「そうだったね」

 美味そうにリョウが紅茶を飲む仕草を黙って見つめていると、キングの頬が自然に緩む。
 風呂あがりの昂揚感だけではない何かが、キングの頬を緩ませているようだった。

 そのことを自覚しながら、キングは慌てて話題を振る。
 タクマとロバートはまだ風呂に入っているのか、ユリも買い物に行ったまま帰って来てはいない。

「ま、今回は御苦労様」
「売られた喧嘩は買う。それが極限流だからな」
「よく勝てたもんだよ。最後は駄目かと思った」
「俺達は負けん。それだけだ」

 紅茶に浮かべたレモンを口にくわえ、リョウがさすがに顔をしかめる。
 この男に、飾り食品と言う定義は存在しないらしい。

 酸っぱそうなリョウの口からレモンを二つの指で抜き取り、キングが笑う。

「バカだねぇ。コイツは食べないんだよ」
「……そうなのか?」

 一応常識のなさは認識できるようになったのか、リョウも素直にキングの言葉に従う。
 そんな二人が醸し出す雰囲気も、次の瞬間には弾け飛んでいた。

「ただいまーッ、買ってきたッチよ!」

 無遠慮に部屋に入ってきたユリは、キングが慌ててリョウから視線を外したのには気付かずに、
キングの前に紙袋を上げて見せた。
 キングが瞬時に呼吸を整えて紙袋を受け取って中身を確認すると、男物のスーツが入っていた。

「ユリ、これは?」
「キングさんに似合う服がなかったんで、スーツにしたんだけど」

 仕方ないとは思いつつ、キングは一旦袋の中身を全部取り出す。
 出てきたのは男物のベージュを基調としたスーツと、大き目のポロシャツとジーパンだった。

 明らかにリョウのものとわかるポロシャツとジーパンをリョウに手渡し、ユリに確認する。
 ユリの答えは、キングの予想に反するものではなかった。

「そっちのはお兄ちゃん用だッチ。胴着で歩かせるわけにもいかんでしょ」
「そうだね。リョウ、アンタはキッチンで着替えてきな」
「あぁ。でもこれ、サイズ合うか?」
「多分大丈夫だと思うけど。お兄ちゃん、腕太くなった?」
「さぁな。最近測ってなかったからな」

 微笑ましい兄妹の会話を聞きながら、キングは着替えを持って寝室へ入っていった。

 

 

 着替えを終えたキングがリビングルームに戻ると、既に全員が揃っていた。
 そして、先程まではいなかった人影が一つ。

「お姉ちゃん、おかえり!」
「ジャン!」

 すっかり治った足で飛び込んでくるジャンを抱き上げて、キングは嬉しそうにジャンの頬に口付けた。
 黙ってされるがままになっていたジャンは、キングが自分を下ろしてくれるまで黙っていた。

「それで、どうしてここがわかったんだい?」
「ロバートさんが連れてきてくれたんだよ」
「そうか。ロバート、すまなかったね」

 キングがジャンの後ろに見えるロバートに頭を下げると、ロバートは黙って手を横に振った。
 それには黙って頷き返し、キングはもう一度ジャンの頭に手を置いた。

「もう大会は終わったよ。明後日には家に帰ろう。それとも、どこかに行こうか?」
「お店はいいの?」
「たまにはいいさ。あの二人だって、だてに長年雇っちゃいないしね」

 そのまま楽しげに明日の予定について話し始めた二人を見ながら、ユリがボソッと呟く。
 それをすぐ隣で聞いていたロバートが、その聞き手にまわるのはいつものことだ。

「いいなぁ。あたしも弟欲しいなぁ」
「ユリちゃんには兄貴がいるやろ」
「あんなゴツイ兄貴、ジャンくんとは比べ物にならないでしょ」
「ま、確かに」

 話題に上ったリョウは、何一つ気付かずに仲の良い姉弟を眺めていた。
 その隣にいたタクマは、何を思ったのかキッチンの方へ入っていく。

 しばらくして、ようやく話を終えたキングとジャンが、二人揃ってロバートの方を見る。
 その視線を受けて、ロバートはキッチンの方へ姿を消していたタクマを呼んだ。

「師匠、そろそろ飯にしませんか?」

 すると、不機嫌そうなタクマが顔を出し、そのままの勢いで部屋のドアに手をかけた。
 慌てて追いかけようとする弟子二人に、タクマは不機嫌そうに告げた。

「蕎麦粉がない。ロバート、カードを借りるぞ」
「へ? そりゃかまいませんけど、どないするんですか?」

 ロバートの当然と言えば当然の質問にも、タクマが動きを止めることはない。
 ドアを開き、既に半身は廊下へと出ていた。

「蕎麦粉を買って来る。どうも蕎麦を食わんと、試合が終わった気がせんのでな」
「そりゃま、このホテルには蕎麦なんかありまへんけど」

 困惑したロバートに、さすがに悪いと思ったのか、タクマは苦笑してみせる。
 どちらかといえばロバートではなくその後ろのキングに向けて言うように、タクマは言葉を繋いだ。

「後で合流する。殺気が消せないままでは、食事をしても楽しくないからな」

 そう言ってドアを閉めたタクマを追う者は誰もいない。
 格闘家であればあるほど、殺気を消せない時の苦しさは感じているものだからだった。

 ドアの向こうに姿を消したタクマのフォローをするかのように、ロバートが声を少し大きく張り上げた。

「ほな、自由にしよか。ユリちゃん、買い物でもいかんか?」
「そうだッチね。ま、八時頃には帰って来るでしょ」

 あっさりと同調したユリを先に廊下の外へ送り出し、ロバートはキングに向かって手を合わせた。

「リョウのこと、頼むわ」
「あぁ、ゆっくりしといで」

 そう言って二人を送り出した後で、キングはソファの上に身体を沈ませた。
 彼女にしては品のないその姿を気にすることなく、ジャンがキッチンの方へ駆けていく。

 リョウは何か考え込むようにして立ち尽くしていたが、キングもそれを咎めることはしない。
 ジャンが運んでくれた、彼特製の紅茶を口に運び、大きく息をつく。
 キングにとって至高の一時だった。

 ジャンが隣で一緒に紅茶を飲んでいるのを優しい瞳で見つめながら、キングは満足していた。
 戦いが終わり、家族と一緒に寛ぐ。
 キングが長年かけて勝ち得たこの状況は、キングにとって最高のご褒美だった。

 

 

「……キング、話がある」

 そのせいか、幸福感に浸っていたキングがリョウの言葉に気付くまでには少しの時間がかかった。

「キング、少し話をしたいんだが」

 二度目でようやくリョウの言葉に気付いたキングが、その真剣な声色に姿勢を改めた。
 そのまま、リョウがソファの正面にまわってくるのを待つ。

 リョウが正面にまわったところで、その真剣な表情に気付いたキングは、隣にいるジャンの方を向いた。

「ジャン、悪いけど寝室に行っててくれないか?」
「いや、ジャンもそのままでいてくれ」

 キングの言葉を即座に否定し、リョウが二人を正面に見据える。
 その眼差しに、ジャンは戸惑いながらも姉の隣で姿勢を固くしていた。

 弟の様子に、キングは覚悟を決めてリョウを見つめ返した。
 二人の視線が充分に重なったところで、リョウが口を開く。

「俺は、さっきから親父の言葉を考えていた」
「……殺気の話かい?」

 いつにないリョウの真剣さに耐え切れず、キングは口を開いていた。
 一方的な展開に耐えられるほど、キングは戦いを知らない人間ではなかった。

「親父は、殺気を消すために蕎麦を食うらしい。なら、俺は、一体何で殺気を消したか、だ」
「風呂じゃないのかい?」

 キングの記憶では、紅茶を飲んでいた時のリョウからは殺気を感じなかった。
 そのことは、自信を持って言えた。

 しかし、リョウの答えは違っていた。

「風呂の後、キングと話していることで殺気が消えていった。俺には、キングが必要らしい」
「なっ」

 突然の告白に、流石のキングも声を詰まらせた。
 告白の相手がリョウだったと言うことも、キングから声を奪っていた。

「ロバートといる時よりも、気が抜けている」

 キングが何か言おうとして言えないでいるのを、隣にいるジャンは明確に感じ取っていた。
 キングの腕の震えが、ジャンの腕に伝わっているからだった。

「これは、安心していると言う意味だろうか」
「……そ、そうじゃないのかい」

 辛うじて発したその言葉も、掠れている。
 キングの動揺を察したのか、ジャンは思わず姉の腕を掴んでいた。

「だとしたら、俺にはキングが必要なんだ」
「リョウ……」

 どうしていいかわからずにいるキングの目の前で、リョウはいきなり両膝をついた。
 慌てるキングは、立ち上がることもできずに頬を染めていた。

 しかし、次にリョウが行ったのは、その場での土下座だった。

「ジャン、済まないが、俺にキングを、姉さんをくれないか?」
「ボ、ボクッ?」

 驚きのあまりに、いつになく声の高い返事となってしまったが、リョウはそれを気にする風もなかった。

「キングを嫁にしたい。許してもらえるだろうか」
「ぼ、僕はいいけど……お姉ちゃんは?」

 とにもかくにも姉を見たジャンは、姉の表情を見て、姉の気持ちを理解していた。
 キングは真っ赤になって、リョウを見つめていたのだから。

「キング、いいか?」

 顔を上げてキングの方へ視線をやったリョウに、キングはたまらなくなって立ち上がった。

「キングッ」

 キングを追うようにして立ち上がったリョウの腕に、キングは縋りつくようにして倒れ込んだ。
 それをしっかりと受け止め、リョウは困惑した表情で尋ねた。

「具合でも悪いのか?」
「違う!」

 リョウの胸で視界を閉ざされたせいか、キングはそれまでの鬱憤を晴らすかのように声を張り上げた。
 隣に、年幼い弟がいるにもかかわらず。

「順番が違うって言ってるんだッ」
「何を言う。まずは相手の親族からの了承を取るものだぞ」
「違う! 本人に確認するのが先だッ」
「そうなのか?」
「そうなんだッ。それに私は成人しているんだ。親族に許可を取る必要もない!」
「それは違う。結婚とは家と家とを繋ぐものだ。本人同士だけでなく、家族の了承は必要だぞ」
「それにしたって、まずは私に言うのが筋だろうが!」

 キングの言葉に、リョウがキングを引き剥がす。
 涙すら滲んでいるようなキングの瞳を覗きこむようにして、リョウは尋ね返した。

「キングは、俺では不満か?」
「……不満なんか、ないっ」

 その答えにホッとして、リョウが肩の力を抜く。
 腕を掴んだままのキングの重みを、リョウはいつになく重く感じていた。

「なら、いいんだな」

 無言で頷き、再びリョウの胸で視界を閉ざしたキングは、そのまま泣いた。
 黙って嗚咽を堪え、ただ涙を流すキングに、リョウはじっと立っていた。

 ジャンがその静寂を破るように、ソファから立ち上がり、紅茶のポットを手に取った。
 その音がスイッチとなったのか、キングは押しつけていた額をわずかにそらした。

「一生、ウェディングヴェールは着けられないと思っていた」
「……俺がタキシードか。考えると変なもんだな」
「そうだな。きっと、私のドレス姿よりも滑稽だな」
「白無垢にしないか?」
「ドレスを着るのは私だ」

 そう言って、キングはトンッとリョウの胸を押した。
 勢いをつけてリョウから離れたキングは、ジャンの注いだ紅茶を断り、化粧室へ歩いて行った。

 その後ろ姿を眼で追いながら、リョウはソファに座りなおしているジャンに話し掛けた。

「なぁ、ジャン、オレが着れるタキシードなんてあると思うか?」
「さぁ。作ればいいんじゃないかな」
「ロバートに頼んでみるか」
「それがいいよ。市販品じゃ無理だよね」

 そう言って、ジャンは空いているカップに紅茶を注ぐ。
 それを黙って受け取ったリョウは、一口にそれを飲み干して大きく息を吐いた。

「……新婚旅行には行けそうもないな。俺、貧乏だし」
「お姉ちゃんが稼ぐって。お兄ちゃんはいつも通り格闘してればいいんだよ」

 そう言って微笑むジャンは、まだ戻って来ない姉の幸せをいつまでも願っていたい気分だった。

 

<了>