傷跡 補完版

私は女神じゃない


 ……わかっていた。

 いいえ、わかっていたつもりだった。

 拳崇が私を見ている瞳の意味を。

 

(大好きだけど、犯すことの出来ない神聖な人格)

(誰に対しても笑顔でいる、女神のような一つ年下の修行仲間を超えた仲間)

(危険な芸能界に身を置いている、誰かの為に働く女性)

 

 そんなふうにしか、私を見てくれはしなかった。

 でも、私は神聖な人格者でもなければ、誰に対しても心からの笑顔を見せているわけではない。

 

 もちろん、仕事はしっかりする。

 世間の求める偶像と言うものを演じ切る為には、どんな苦労をも厭わない。

 危険な芸能界に身を置いたのも、全ては平和の為……のハズだった。

 

 いつの間にか、それは仕事となり、手段となった。

 そう……私の騎士と称し、仕事をする度にその身辺警護を勝手に引き受けてくれる彼を侍らす為の。

 いつの間にか、拳崇が横にいることが、仕事をする上ですら必要になっていた。

 カメラは、拳崇の視線。会場の声は拳崇の声。

 何処から見られていてもいいように、常に気を配りつづけること。

 休憩時間の時でさえ偶像の仮面を崩すことのない私を、プロダクションや芸能関係者は、こう呼んだ。

 

「完璧なる女神」

 

 ……笑っちゃうわ。

 私はただ、仕事をする姿を拳崇に見てもらいたかっただけ。

 その為には、少しでも情けない姿は見せない。

 たとえ気を張り詰め過ぎて、拳崇と二人きりになった帰路で、寝てしまったとしても。そのせいで、
せっかくの二人きりの時間を、拳崇の腕の中で眠ることに費やしてしまったとしても。

 私は完璧な偶像を演じ続けた。

 いつか、きっと、拳崇が私を認めてくれると……女として。

 

 超能力を駆使して修復した姿見に、ツキアカリに映る自分の姿を写す。

「……服、脱ごう」

 似合わないと思った。

 いつもの寝巻きよりも更にスポーティな、そのままランニングにでも行けそうな服。

 こんな服で、拳崇に会いに行けない。

 今日は……記念日になるはずだから。

 

 下着だけの姿になる。

 そして、少しだけ芸能界に感謝する。

 常に気を張り詰めていられたおかげで、私の身体は自分でも惚れ惚れする。

 ピンと張り詰めた肌は、水を浴びせられても水玉を弾き返しそうなほど潤い、軽く触れると、絹のような
感覚を指に残す。

 

 自分で、何度触っただろう。

 シーツよりも触り心地の良いこの肌を、何度この指は往復したのだろう。

 そう、この指だけが、私自身を知っている。

 情けないことかもしれない……まだ、拳崇に触れられていないのだから。

 

 全裸はマズイ。

 さすがにそう思った。

 純情な拳崇だもの。この姿で会いに行ったら、軽蔑されるだけでは済まないかもしれない。

 それだけは、絶対に避けたいから。

 

 拳崇が私の騎士を名乗った時、嬉しかった。

 幼い頃に両親を亡くし、修行場へと連れて来られた私にとって、一つ年上の彼は憧れだった。

 一緒に修行してすぐに、私は彼の虜になっていた。

 決して無理なことはせず、自分の限界に挑戦してゆく。

 いつまでも純粋な心を持ち、悪に対してはどんな譲歩も見せない。

 そんな彼が好きだった。

 

 私が芸能界入りを決めた時、彼はオーディションの結果を知って、私を抱き上げてくれた。

 彼に支えられて空中を回りながら、私は彼の御姫様になった。

 オーディションに合格したことよりも、彼のお姫さまになれたことの方が、数倍嬉しかった。

 

 芸能界は恐ろしい所だった。

 それまで知識の全くなかったことを……色々と教えられた。

 男と女、友情と嫉妬、愛と憎しみ、交換条件と取り引き。

 そして、性欲。

 

 皮肉にも私を狂わせたのは、芸能界だった。

 

 アイドル仲間と食事をしていて絡まれた時、私の騎士は当然、私たちを助けてくれた。

 それが仲間達の噂になり、私は騎士と通じたお姫様となっていった。

 

 それからは、私はもう、引き返せなくなった。

 騎士と通じた……既成事実が欲しかった。

 はっきりと言おう。

 欲くなったのだ、拳崇が。

 

 いつまでも騎士のままでいる彼に、私の欲求不満は募っていった。

 カッコイイ騎士を求めていた私は、消えた。

 欲しいのは、主君に背いてでも姫を連れ去る不忠な騎士。そして、王子様だった。

 

 仲間に教えられた慰みは、私には合い過ぎた。

 毎晩、同じ屋根の下にいる彼を想い、指を這わせる……知らぬ間に、声を抑えることも学んだ。

 鏡に自分を写して、どんな顔が美しいかも調べるようになった。

 

 でも……彼はいつまで経っても忠誠を誓う騎士だった。

 

 マットのはいったシャツを着て、青い男性用のトランクスをはく。

 青は、拳崇の色。

 大空のように、広く、爽やかな、全てを忘れさせてくれる色。

 少し古くなってはいるけど、丁寧に扱っていたから、多分大丈夫だろう。

「うん……いやらしくないし、適度にエッチだわ」

 声に出して確かめる。

 ツキアカリでも、頬の紅潮がわかる。

 初めてだもの、仕方ないよね。

 

 部屋を出て、拳崇の部屋の前で深呼吸。

 拳崇が起きているかと中を覗いてみると、彼は安らかな寝息を立てている。

「ごめんなさい、拳崇……でも、我慢できないの。拳崇が……」

 中に入って、拳崇の横に立つ。

 彼はいつもの姿で寝ていた。

 

 ショートにしたのを後悔する。

 髪が垂れている顔は、私の中のベストショットの一つだったのに。

 拳崇の落ち込みには変えられなかったけれど、少しだけ後悔。

 

「ファーストキス、だからね」

 聞こえないと思うけど、一応言っとく。

 ふしだらじゃない証に。

 

 ……唇って、冷たくて柔らかいんだね。

 拳崇の唇を、何度も舌で往復する。

 欲情の暴走を止めることは出来なかった……トランクスにして、よかった。

 

 顔を引き上げて、拳崇の首許に顔を埋める。

 拳崇の匂いがするけど、頭に手を置いてもらいたかった。そうしてくれれば、満足したかもね、なんて。

 

 拳崇の服を脱がしにかかる。と言っても、短パンだけ脱がす。

 上は難しいから……トランクスの上から、おずおずと触る。

 初めて触る、変な感触。

 ここで戸惑っていたら、私はまだ女神でいられたのかも知れない。

 

 何度か、今までにもモーションはかけたつもりだった。

 キング・オブ・ファイターズで優勝した時なんて、抱き着きもした。

 会場と、二人きりで祝った料理屋、そして、拳崇の部屋で。

 

(愛してる)

(アテナを愛したい)

 

 この一言さえあれば、私は拳崇にすぐにでも身体を開いていたのに。

 拳崇は騎士だった。

 

「優勝したんは、アテナのおかげやな」

「何でも頼んで。ワイがおごるし」

「無事でよかった……アテナはワイが守ってみせるで」

 

 こんな言葉、いらない!

 もっと、もっと私を欲してよ!

 気付かないのッ? こんなに欲情してるのに!

 

 何度強引に唇を奪おうと思っただろう。

 何度、彼を押し倒したい衝動に駆られただろう。

 何度、何度……彼に裸で抱かれる夢を見ただろう。そして、彼の子供を産む夢を……。

 

 拳崇が目を覚ます前に、私は行動を開始した。

 

 まず、使用可能にする。

 私は準備するまでもなかった。

 

「やっぱり……痛いのかな」

 優勝した直後にアイドル仲間から仕入れた情報だけが、私の知識の全て。

 痛いのは心配だった。

 痛がる表情を見せれば、彼はきっと腰を引いてしまうから。

 

 ……とりあえず跨るようにして、覚悟を決める。

 我ながら変な格好で、深呼吸する。

 もう、止められない。

 手に持ったもので、私を貫かせることしか、頭にはなかった。

 

 ゆっくりと腰を下ろす。

 違和感と快感が……私の頭の中を支配した。

 制御は……効かない。

 

「ああッ」

 

 痛くなかったと言えば嘘になる。

 けど、それを快感が上回った。

 遂に、拳崇を手に入れたのだから。

 

 動かずに、じっと拳崇に体を預けてゆく。

 拳崇の肌が暖かかった。

 

「んッ……ハァ」

 勝手に身体がウゴイテイル。

 ダメカモシレナイ……タエラレナイ。

 

 拳崇の体は動いていない。

 しがみつくと、拳崇の目が薄っすらと私を見ているのがわかる。

 

 娼婦の笑顔を見せて、私は拳崇の視線から逃れるように、彼の胸に顔を埋めた。

 

 私は女神なんかじゃなかった。

 椎 拳崇という男に愛されることを望む、彼の最も身近な女。

 彼になら、何をされたって構わない……ようやく想いを遂げることのできた奴隷。

 

 麻宮アテナは、拳崇の身体の上で、至福の時を過ごしました。

 

<了>