さようなら、本当の私


「お休みになられますか」
「えぇ。後はお任せいたしますわ」
「了解。お休みなさいませ」

 ブリッジを離れて、私は人気の少ない通路を歩いていた。
 MSパイロットが二人しかいないこの艦では、誰もここを通らない。
 キラはパイロット待機室しか使わないし、ここには彼しかいない筈ですもの。

 アスラン=ザラ。
 私が愛する、ただ一人の男。

「ここも変わりませんのね」

 ロックを外す緊急パスワードは、貴方の軍属番号。
 この艦では何の役にも立たない軍属番号を、律儀に緊急パスワードにするなんて。
 本当、不器用な人ですわよね。

「アスラン」
「何か用ですか、ラクス」

 机に向かっていた貴方は、顔を上げもせずに尋ねてくる。
 少しくらい、驚いてくれても構いませんのに。

「用が無ければ、来てはいけないんですの」
「えぇ。何か誤解をされてもつまらないですから」
「あら、誰に誤解されるというんですの」

 そう言って微笑むと、貴方はようやく席を立ってくれた。
 廊下を確認するようにして、扉をロックしなおす。

「それで、話とは何です」
「おにぎりを作ったんですの」
「そこに置いておいてください」
「あら、食べていただけませんの」
「あとでいただきますよ」

 食べていただけるところを見ようと、私は椅子に座った。

「出て行ってもらえますか」
「あら、どうしてですの」
「貴女を見ていると、吐き気がするんですよ」
「あら、ひどいですわ」
「その、いかにもラクスだというような口振りがね」

 まるで、私がラクスではないみたいですわね。
 偽者を見るような目で、私を見ないでください。

「これ以上、俺の前でラクスを演じるなら、この引鉄を引きます」
「何を……」

 赤いレーダーポイントが、私の首許を射した。
 まさか、本当に撃つつもりなのかしら。

「『ラスク』」
「ラクスですわ」

 そう答えた途端、貴方の表情が歪んだ。

「俺が気付かないとでも思ったのですか」

 どうして。
 そんな汚いものを見るような目で私を見ないでください。

 無意識にポイントを手で隠していた私を哀れむのね、貴方は。

「どこで作られたんです、貴女は」
「どこでって……」
「どこでラクスの記憶を植えつけられたのかってことですよ」
「私は私ですわ」
「最初のラクスは、誰が殺したか知っていますか」

 最初のラクス……。
 私は二人目のラクスなのかしら。

 頭が痛くなる。
 貴方のその目が、私の頭を痛くさせる。

 止めてください。
 私が二つに引き裂かれてしまいそうですの。

「俺が殺したんですよ、あの劇場で」
「アスランが、殺した」
「そうですよ。このレーザーポイントを当てた直後、左へ跳んだ本物のラクスをね」

 レーザーポイントを当てた直後に、左へ跳んだ。
 ひょっとして、私の知らないラクスがいるの。

「俺とラクスが寝たことは知っていますよね」
「もちろんですわ。忘れたことなんて」
「二度目のセックスを盗聴されて、それから寝室には盗聴器を外させたんですよ」

 あれ……どうしてかしら。
 貴方と寝た記憶はあるのに、話した言葉が思い出せない。

「日付や回数はわかっても、睦言まではわからないでしょう」
「いいえ。貴方の感じる声も、私の言葉も」
「リアリティの無い、ね。少なくとも、俺たちの本当の約束を知らない」

 本当の約束。
 何を言っているのかわからないですわ。

「俺たちは、利用されるしかない人間なんですよ。だからこそ、お互いを殺す方法を決めていた」
「そんなこと……」
「もう、気付いてるんだろう。お前が、俺のラクスじゃないってことは」
「いいえ、私はラクス=クラインですわ」

 ラクス=クラインでなければ、私は何なのでしょう。
 みんなもラクスだと言ってますわ。
 アスランだけですわよ、不思議なことを仰るのは。

「誰かに利用されるくらいなら、俺たちは死を選ぶ。そう言って、決めたんですよ」

 利用されてるの。
 私は、利用されてる。

「だから、あの劇場で俺は叫んだんですよ。『ラスク』ってね」
「『ラスク』……」
「『アーサー』と叫んで、俺に撃たれたんですよ」
「撃ったつもりになっただけなのでは。私はこうして生きていますもの」
「胸を貫いた銃弾が、これですよ」

 赤く鈍く光る、鉛の弾。
 よく見る銃弾とは違いますわ。

「俺たちの間にだけの符丁です。睦言の中だけで決めた、悲しすぎる名前です」

 私はラクスではないの。
 でも、私は貴方との符丁を知らなかった。

「……認めますわ」
「だったら、さっさと出て行ってください。俺のラクスを、これ以上汚すな」

 感情を剥き出しにする貴方が、どうしても愛おしい。
 これはオリジナルの感情なのかしら。
 それとも、コピーの私に芽生えた、本当の感情なのかしら。

「私は、ラクス=クラインです」
「だから、これ以上俺のラクスを」
「それが、私の存在価値なのです」
「言ってるだろう。オリジナルのラクスは俺が殺したとッ」

 それでも、私はラクス=クラインなのです。
 そうでなければ、私はここにいられないのですから。

 ラクス=クライン、貴女が羨ましい。
 貴女をこれほどに想う人がいて、殺してくれた人がいるのだから。

「ラクス=クラインは、貴方になりたかったのですね」
「ラクス」
「私は貴方の言うように、ラクスのすべてを教育されました」

 ラクス=クラインを本当に愛してくれた貴方だけに、私は伝えたい。
 本当の、私の想いを。

「今、気付いたのです。貴方が感じた違和感は、おそらく、ラクスに混じった貴方なのでしょう」
「ラクスに混じった俺?」
「ラクスは貴方に憧れていた。今、はっきりとわかりました」

 本当に子どもっぽかったラクスが憧れたのは、不器用な大人である貴方。
 不器用な大人である貴方に憧れて、ラクスは貴方に近づきたかった。
 だから、今の私は利用されながらも誰かを利用するために行動する矛盾を抱えている。

「キラを利用しているのは認めます。もちろん、私が利用されていることも」

 キラに貴方の父親を殺させれば、貴方はキラを恨むでしょう。
 私と一緒にいても、貴方はキラのことを忘れなかった。
 貴方がキラを恨めば、貴方はラクスだけのものになる。

 子どもじみた、ラクスの感情。
 だけど、ラクスの根幹を作り出す、ラクスの願望。

「ラクスの漠然としていた願いを、私は叶えてしまっています」

 矛盾に気付かなかったラクスと、矛盾に気付いてしまった私。
 貴方のように賢くなりたかった希望を実現させた私。

 それはもう、私が不器用な大人である証。
 貴方と対等を求め、対等となったゆえに貴方を失ったラクス。
 それが、今の私なのでしょう。

「貴方と対等になりたかった。不器用な、大人になりたかった」
「俺なんて、なったって仕方ないでしょう」
「それでも、ラクスは貴方に近づきたかったのですわ」

 そして、貴方とキラの関係を知ってしまった。
 どうして貴方がキラを忘れられなかったのか。

 それはキラが子どもだからなのですね。
 不器用な大人と何も知らない子ども。

「そして、わかったしまったのです」
「……何をです」
「力を与えられた子どもに過ぎないキラを、どうしても見捨てられない理由を」
「何だって言うんですか」
「不器用な大人にとって、見守る義務を感じる子どもだからですわ」

 ある意味、ラクスは何も知らない子どもでした。
 だから貴方のそばにいることができた。

 でも、不器用な大人になることを望み、結果として貴方と離れてしまうことになる。
 だからラクスは、貴方に引鉄を引かせたのですね。

「羨ましいです、貴方とラクスが」
「ラクス」
「コピーで結構ですわ。貴方の愛したラクスではありませんもの」
「プリンセス」
「それ、素敵ですわね」

 この恋心は、しまっておきますわ。
 勝ち目のない戦いですもの。

「プリンセス・ラクス。これからはそう呼んでくださいな」

 本当は悔しいですけれど。
 こんな男に愛されたラクスが。

「部屋に帰りますわ」
「プリンセス」
「今のこと、誰かにお話なさいますか」
「いいえ」
「私を抹殺できますのに」
「今の俺は、すべてを敵に回すために貴女が必要なんです」

 それほどまでに深い悲しみに包まれているのですね。
 恋人に殺してくれと言われたのですもの。

「では、ギブ・アンド・テイクですわね」
「そう思ってもらってかまいません」

 ロックを解除すれば、そこはもう虚構の世界。
 本音で語り合えた時間は終わりを告げる。

「次に生まれたときは、貴方と結ばれたいですわね」
「俺もですよ、プリンセス」
「一人の女として、ラクスと奪い合ってみたかったですわ」

 ロックを解除したアスランが、私の耳もとに唇を寄せた。

「今でも愛しています、ラクス」
「ありがとう」

 慰めのつもりなら、なんて悲しい。
 私の名前なのに、私のことではない。

 卑怯だわ、ラクス。
 貴女になんてなりたくなかった。

 この零れ落ちる涙は、誰の涙なのでしょう。

 

<了>