ど素人どもが
死ぬつもりはない。
せっかく生き残った命を粗末にするなど、死者に対する冒涜だ。そう思っているからこそ、俺はこんな片田舎でのタクシードライバーを続けている。
軍に残るという手もあったが、中尉のいない軍に興味はない。
新生オーブのお姫様にはしつこく言い寄られたが、まだまだ尻の青いお姫様だ。
彼女を支えるという方法もあっただろうが、それはあのキサカ一佐の役目だろう。
「今日もよく働いたな」
その日暮らしに近いが、オートのエアカーがまだまだ高いこの辺りでは、俺のような職業も貴重だ。
時には救急車の運転手を頼まれることもあるが、それもたまの刺激となる。「……それで、何か用かな」
いい気分で帰ってきたってのに、玄関先にはお客様か。
しかも、用がなければ俺を尋ねたりはしない、招かざる客だ。「お久しぶりです、ノイマンさん」
「あぁ。二度と会いたくなんかなかったがな」
「お話、聞いていただけませんか」
「お断りだ。どうせ、俺にアークエンジェルを動かせとでも言うんだろうが」
俺の先制攻撃に、キラが目を丸くした。
大方、どうしてそのことをってことだろうな。「マリューさんから話を聞かれているのなら、是非、お願いします」
「お断りだと言った筈だ。それに、艦長からは何も聞いちゃいないさ」
「だったら、どうして……」
玄関先からまったく動く気配のないキラを押しのけて、俺は玄関の鍵を開けた。
このまま戸を閉めきってやってもいいが、このガキはいつまでも居座るだろうな。
正義と我侭と理念を勘違いしてる奴には、ちょうど良い薬にもなるだろうが。「ま、入れよ」
「はい」
応接セットにキラを座らせ、二人分のコーヒーを入れる。
インスタントだが、ガキにはもったいないほどのブランド物だ。
一緒に飲む奴もいないから、こういうときにでも使ってやらないともったいない。「ほら」
「ありがとうございます」
両手でカップを受け取ったキラの向かいに腰を下ろして、俺はラジオの電源を入れた。
音楽が流れ始め、若者向けのDJが曲紹介を始める。
流行のロックグループで、反戦主義ではなく自らの幸福追求を歌っているようだ。「お姫様が結婚するんだってな」
「まだ、ニュースにもなっていない筈ですが」
「カガリちゃんとのホットラインは残ってる。いつ、俺の腕が必要になるかわからないってな」
「今がそのときです」
自分たちの正義のためにか。
大人の事情も考え方もわからない、ガキの考えだな。「冗談だろ。俺が出張る必要はない」
「アークエンジェルの操舵管は、ノイマンさん、貴方にしか務まらない」
「笑わせるな。俺がいないくらいで失敗するクーデターなら、やらないほうがマシだ」
「どうしてそのことを」
「俺が少尉だったからだよ」
叩き上げの二十代前半の尉官。
それが存在すると思うなら、お前はまだガキだってことだ。「ノイマンさん、密告されますか」
「一介のタクシードライバーに、そんな力があると思うかい」
俺の言葉に、キラが立ち上がる。
ま、端から役者が違うんだ。諦めることだな、坊や。「カップはそこに置いておけばいい」
「失礼します。貴方には、わかってもらえると思っていたのに」
「非暴力非服従だよ」
「……それって、無責任ではありませんか」
「そう思うなら、まだまだ甘いな。力を持った、ただの小僧だ」
「失礼します」
俺は黙って玄関の方を指した。
キラもそれ以上は何も言わず、俺の家を出て行った。「変わっちまったな、キラ君」
力を持っていると確信してしまったら、人間は正義を語りたくなってくる。
どれほど力を持たないときに、力を持っている人間を恨んだことかを忘れて。それだけのことなんだよ、君の正義はな。
キラ君が帰って翌日、またもや仕事帰りの俺をお客様が待っていた。
今度は見目麗しき女性ってところが、俺にため息をつかせた。「今日は貴方ですか、艦長」
ため息混じりの俺の言葉に、艦長は変わらない笑顔で俺に玄関の前を譲った。
この辺りが、さすがにエリート士官だ。
あの坊やとは、一枚も二枚も役者が違う。「昨日の感じでは、キラ君を止められずってところでしょうか」
「いいえ。キラ君は貴方抜きでって言っているわ。私にはありえない考えだけど」
「どうせなら、メンバーまでキラ君の考えでやって欲しいものですがね」
「死にたくないの。ムウが残してくれた命ですもの」
玄関を開け、艦長を先に入れる。
微笑みながら先に靴を脱いだ艦長から、微かに香水が香ってくる。「珍しいですね、少し固い香水は」
「貴方の好みかと思って」
「……なるほど」
痛い腹を削ろうってことですか。
ナタルの好んだものとは別の香水でも、彼女を思い出させるには十分だ。
もちろん、忘れたことなんてないが。昨日と同じようにコーヒーをいれて、俺はまた艦長の向かいに腰を下ろした。
さすがに艦長はコーヒーに砂糖を入れ、まずはコーヒーの感想を言ってくれた。「いいものね」
「取り寄せですから」
「インスタントとしては、上手くいれられているわ」
「ポットの温度を設定してありますからね」
「また、アークエンジェルで飲んでみたいものだわ」
「給仕係としてなら、食指も動くところですね」
「それでもいいと言ったら?」
「慢性的な人手不足でなければ」
そう答えて、俺たちは笑いあった。
時間も遅いのだから、いつまでも遊んではいられない。
泊めることにでもなれば、この人は最大限にその事実を使うだろう。「本題に入りましょうか」
「泊めてくれてもいいのだけど」
「冗談でしょう。俺を誰だと思ってるんですか」
「アーノルド=ノイマン少尉。キラ君には通じなかったようだけど」
「まぁ、あの子の限界でしょうね」
「あの子のときと同じように、ラジオぐらいつけてもいいのではないかしら」
「ここでラジオをつけるくらいなら、俺は少尉にはなってないでしょうね」
この手の駆け引きは、明らかに艦長が上だ。
エリート士官に勝てると思うほど、俺も自惚れちゃいない。「やっぱり、貴方は特務の……」
「これを手土産に、地球軍に帰ることも可能ですよ」
「そして、カガリ嬢とのパイプもある」
間違いない。
艦長はここに来る前に、キラ君から根掘り葉掘り聴きだしているようだ。
もしくは、最初から俺を操舵士にしようと言い出したのは、この人かもしれない。「あれほど可愛がっていたのに」
「だからこそ、あの娘の決断を尊重するつもりです」
「私たちも、カガリ嬢から直接聞いたわけではないわ。貴方だけよ、私たち大人では」
「光栄ですね」
それきり、俺たちは口を閉ざした。
時間は有限で、俺は艦長を追い出せない。
このままずっと黙っていれば、艦長が勝ってしまうだろう。でもそれは、艦長の目指していた勝利条件ではない。
その点でいえば、引き分けになるといったところか。「……非暴力非服従と言ったそうね」
「力でもって力に抗すれば、それは同じことだと言ったつもりでしたが」
「古いインドの革命者の言葉よね」
「さすがに、そこまでの知識はなかったのかな」
コーディネイターも万能じゃない。
そして、子供は子供だ。「それが貴方本来の考え方なのね」
「それがあの戦争で学んだことでしょう。同じ愚を繰り返すつもりはないですよ」
「私の考えとは違っているわ」
空になったコーヒーをテーブルの上に置いて、艦長が居住まいをただす。
それに先んじて、俺はカップを手に立ち上がった。「コーヒー、入れてきます」
「ミルクもお願いね」
そう言って、微笑まれた。
ここの極地戦は完敗だな。
それでも、素直に引き下がるのは気に食わない。「普通の牛乳しかありませんが」
「構わないわ。三分目ぐらいまで入れてね」
「はい」
指示どおりにコーヒーを入れなおして、俺は自分のカップと二つを持ってまた座りなおした。
さすがに今度は感想など言わず、艦長は口を濡らした程度でカップを置いた。「私はあの子たちの親代わりとして、今回の件に参加するつもりよ」
「未熟な子供が暴走しないように、ですか」
「いいえ。子供たちがそれぞれの想いを遂げるためにね」
「その結果、多くの大人が命を落とすことになっても構わないと」
「えぇ。私の子供は、あの子たちと思っているわ」
母親の理論ね。
こればかりは男性には否定できない。
この辺りが艦長の上手さであり、艦長たる所以だ。「子供の我侭を見守る母親ですか」
「子供の行く末を見守りたい。あの子たちの言っている理想が実現可能なものなのか。それを知りたいの」
「可能性……ですか」
「えぇ。大人の頭では想像できない、子供の可能性」
ここまでさらけ出してくるということは、俺の参加を確信しているのだろう。
自身の説得に自信があるのか、次の手を打ってあるのか。「さすがに、艦長は人心掌握に長けてますね」
「えぇ。長く生きてますもの」
「それじゃ、俺の答えもわかるでしょう」
「……無理みたいね」
「ガキの我侭に付き合っちゃいられないですからね」
「無理にしいることはしないわ。コーヒー、ごちそうさま」
玄関先まで見送りに出た俺を、艦長はすれ違いざまに抱きしめてきた。
そう思ったのは俺の勘違いで、実際は俺の耳元に口を寄せただけだろうが。
「ミリーは話に乗ったわよ」
ミリアリアが……また、戦場に出るのか。
驚いた俺が聞きなおす前に、艦長は俺から離れていた。
「さぁ、どうするのかしらね、お父さんは」
「まったく……嫌な人ですね」
「頭と体。そのすべてを使って生き抜いてきたのよ、私はね」
さぁ、明日は誰が来るのやら。
艦長の来宅から一日空けて姿を見せたのは、マードック曹長だった。
何もかも計算ずくなのか、単に運がいいだけなのか。
とにかく、あの艦長の策略だろう。「艦長の言いつけで参上しましたよ、少尉」
彼のタバコの煙をかき消すように、俺は庭へと彼を誘った。
タバコの煙はなかなか取れない。
家の中でタバコの匂いを嗅ぐのはごめんだ。「曹長は参加するのか」
「首根っこ捕まれてますからね。それに、カガリの嬢ちゃんには借りもあるし」
「家族かい」
「亡命の手引きしてもらっちゃあね。こうして家族と暮らせてるのも、あの子のおかげでさぁ」
「子供さん、元気かい」
「この間、中学生になりましたよ。機械の道に進むって言いだしやがってね」
庭の腰掛に彼を座らせて、俺は家の中に入った。
彼にはコーヒーよりも酒の方がいいだろう。「曹長、飲むかい」
「何が出てくるんです」
「いい酒はないな。子供だましのビールが二本」
「十分でしょう」
グラスに注いだビールで乾杯して、俺は仕事着を脱いだ。
「少尉は反対ですか」
「あぁ」
「俺も、面倒なことになるとは感じてるんですがね。嬢ちゃんがちと可哀想かなっと」
「あの子の選んだ道だ」
俺の言葉に、彼は苦笑した。
「相変わらずですな、少尉は」
残っていたグラスを呷って、彼がタバコに火をつける。
一連の仕草は、どこにでもいる工場の親父だ。
彼が熟練の整備工とはわかっても、誰も軍人だとは気付かないだろう。「力の使い方をわかってないんだよ、ガキどもは」
「正しい道なんて、歴史家が決めること……ですか」
「勝者がいれば敗者が存在する。それだけのことだ」
「勝者によって作られた歴史が、後の真実となる……中尉の言葉ですな」
頭の中は、誰よりも軍人らしい彼なのに。
世の中、薄汚くなった大人が真実なんだ。「それでも、オレは行きますぜ」
「恩返しのためにか」
「アークエンジェルは芸術作品でさぁ。あれを破壊されるのは、ちと嫌なんでね」
「同型艦はあっさりと沈んだぞ」
俺の指摘に、彼はタバコの火をもみ消した。
「少尉がいなけりゃ落ちるってことですよ」
そう言うと、彼は懐の中から二枚の写真を取り出した。
彼の家族写真と、彼の妻の写真だった。「背負ってもらえますか」
「……卑怯者め」
多分、彼が来ると予感した瞬間に、俺は参加することになるとわかっていたのだろう。
「迎えに来ますわ」
「好きにしろ。ただし、俺は生き残るつもりはないぞ」
「死にたくなけりゃ、十分でさぁ」
どうしようもないクズたちでも、守りたいと思ってしまう連中だから。
子供の我侭を聞いてしまう、今時の大人たちだから。
力を使って、正義が正義だと言いたいお年頃の子供たちだから。「トノムラはどうなってるんだ」
「行方知れずです。申し訳ありませんが、通常の三倍は働いてもらいますぜ」
「殺す気だな、俺を」
「大天使様の従者は、少尉にしか務まりませんや」
「後継者を探せよ」
「残念ながら、大天使様の屋敷は慢性的な人手不足でして」
そう言って、彼は笑った。
本当に面倒な話だが、彼を無事に家族へ帰す。
それだけのために出張ってみてもいいだろう。どうせ、俺みたいな脇役は胃が痛くなるだけなんだろうが。
「割に合わんな」
「ま、脇役は脇役らしく、脇を固めておいてくれってことでしょうな」
「中央にいきたくもない人間を脇に使うくらいなら、安い若手を探せ」
「安い若手じゃ、アイドルが安心して演技できないってことでしょうな」
「アイドルのサポートかよ」
「言い得て妙、でしょ」
笑っておこう、今は。
どうせ数ヶ月もしたら、胃炎になるんだ。苦笑と引きつった微笑みだけが表情を支配するようになるんだ。
中尉、貴方に残された俺の人生、こんな風に続きそうですよ。
結婚しようかなぁ……本当。
<了>