気付かせるな!
砂の舞う街。
砂漠の中のオアシスを中核とする街で、周辺に広大な演習場を持つ、中東の軍事施設。
主にテロ対策を中心とする実戦訓練兵が多数在籍する、特務訓練基地でもある。
今、その基地に、軍令部直属のヘリがヘリポートに着陸した。
遠目からは痩身に見える士官服姿の若い士官が、風に飛ばされそうな軍帽を片手で押さえながら基地へと降りたった。
「特務訓練施設とはな……少将も酷なことをするものだ」
基地に降り立ったナタルはそう呟くと、ヘリの運転席に手で合図を送った。
彼女の合図に応えて、ヘリが再び上空へと上っていく。
ヘリからくる強風が収まるのを待って、ナタルはゆっくりと周囲を見回した。
ヘリポートから見える建物が複数ある中で、その端に位置する、軍旗の翻った建物へと歩きだす。
彼女の腕には、小さくまとめられた旅行用のバッグが携えられていた。
「失礼します」
既に司令官席に座っていた基地の司令官が、立ち上がってナタルを迎え入れた。
ナタルも敬礼をした後で、司令官室のソファへと腰を下ろす。互いにソファに座って向かい合うと、司令官が脱帽を指示した。
「お久しぶりです、大佐」
脱帽したナタルに大佐と呼ばれた責任者が、孫に会った老人のように頬を緩めた。
ナタルの階級章に目を止め、意外そうな声を漏らした。
「ナタル殿が未だ准尉とは……意外ですぞ」
「あいにくと、昇進の機会に恵まれないもので」
「じきに戦端が開かれるでしょう。戦端が開かれれば、昇進の機会などは転がっているも同然」
「特進だけは遠慮したい」
「ハハハ、その通りですな」
世間話はそれまでとばかりに、ナタルがバッグの中から茶封筒を取り出す。
ロウで封をされた封筒を受け取った司令官は、目を細めて封を切った。
中に入っていた書類の文面を流し読むと、そのまま胸に入れていたライターで書類を燃やす。
灰皿の上に白くなった書類を丁寧にタバコで崩し、吸いもしないタバコの煙を部屋に満たす。
「あまり、時間的な猶予はありませんな」
「前線の都合にもよりますが、次の定期昇給前に、私にも特務が下りると」
「天使の降臨、ですな」
「はい」
ナタルが書類の中身を知っているかどうかを確かめた後で、司令官は手元のベルを鳴らした。
入ってきた秘書が無言でコーヒーを置いて、すぐに司令官室を去る。
「コーヒーで申し訳ありませんな」
「いえ、慣れております」
「そうでしたな」
二人は、しばらくコーヒーを舐めるように口にする。
離発着の騒音が、司令官室にも届いているせいだった。
午後最初の離発着があらかた終わったところで、騒音もやや収まりだす。
それを待って、ナタルは彼女の赴いた要件を司令官へ伝えた。
「特務に価する能力ある者を数名、こちらの基地から派遣するようにとのことです」
「必要な技能は」
「操舵士が一名と、情報機器のエキスパートを数名。MSパイロットも、可能な限り」
ナタルの言葉を聞いた司令官は、火のついていたタバコをもみ消すと、視線を虚空にさまよわせた。
ナタルがじっと司令官の言葉を待つ。やがて、思い当たる人間が選別されたのか、彼は軽く肯いた。
「この基地から操舵士を引き抜かれるのは、少々勘弁してもらいたいものですがな」
「足りませんか」
「足りないも何も、この訓練施設は降下部隊の訓練地ですぞ。優秀な操舵士は手放しづらい」
「無理は、承知しております」
「まぁ、バジルール少将の命ですからな。出来ないとは申しますまい」
そう言って苦笑すると、司令官は再びブザーを鳴らした。
コーヒーのポットを持って入ってきた秘書に、今度は履歴書のファイルを持って来るように告げる。
再び無言で秘書室へ引き返した秘書は、すぐに三冊のファイルを持って戻ってきた。
色分けされたファイルをセットのテーブルの上に置き、秘書が司令官室を辞した。
秘書の動きを気にも止めず、早速青いファイルを手にした司令官が、パラパラとファイルをめくっていく。
「あぁ、彼ですな」
そう言って司令官が示したのは、アーノルド=ノイマン軍曹のファイルだった。
ナタルの表情に、やや安堵の色が浮かんだ。
「どこの訓練所で訓練されたかはわかりませんが、腕は確かですぞ」
「航行距離は」
「問題ありませんな。むしろ、過労勤務に近いほどで。特に、万能戦艦の操舵は群を抜いております」
そう言われて、ナタルはファイルの文字に視線を落とす。
改ざんされているのかと思わせるほどの航行距離は、ノイマンの過労勤務を思わせる。
さらには、年齢の下方修正を疑いたくなるほどの、見事な航行時間のおまけ付きである。
「彼に、潜水艦の航行経験は」
「出来てしまうような気がしますな。かなりの無茶を言っても、やり遂げますので」
「……この男、いただきたいのですが」
「さて、ナタル殿の手に負えますかな」
司令官が、意味ありげに笑う。
彼の微笑みの意図を読みきれなかったナタルが、ジロリと彼を睨んだ。
士官仲間からは鉄の女とも噂されるナタルの視線だが、百戦錬磨の司令官には涼しい風だ。
彼はわざと視線をそらすと、次のファイルをめくり始めた。
「それと、情報機器でしたな……あぁ、コイツも面白いですぞ。何せ、総合空手の免状持ちですからな」
「そのような男が、情報機器ですか」
「器用貧乏のようですな。これと言った特技はないようですが、平均点は叩きだせる男です」
司令官の示したファイルを読み流して、ナタルは眉をひそめた。
履歴書に書かれた資格欄は、隙間がないくらいに埋まっている。
まるで資格マニアのOLのごとき、一般の履歴書には書ききれないほどの資格取得数である。
「何者ですか、この男は」
「詳しくは知りませんな。気になって調べたこともありましたが、背の高い、東洋系の男です」
「東洋系……大佐が薦めるのであれば、間違いはないでしょう」
「もちろん。その気になれば、MSだって動かせますぞ。倉庫番をやらせた時は重宝しました」
「便利屋か」
ジャッキー=トノムラという、東洋系丸出しの名前を、ナタルは頭の隅に記憶させた。
写真を見るだけでは印象の薄い人間ではあるが、その資格保持数は便利屋の名に相応しいものである。
その他にも数名のファイルを示され、ナタルはその全ての名前を記憶した。
MSパイロットは捗々しい成果を得られそうにはなかったが、その他は納得のいくものであった。
用件を終えたナタルが立ち上がると、司令官はナタルを呼び止めた。
「ナタル殿、そのまま帰られるのですかな」
「いえ。折角ですので、こちらの遺跡も観光してまわろうかと」
「いつまで、ご滞在ですかな」
「明後日には発ちます」
「では、何かありましたら、いつでもどうぞ。ナタル殿のためなら、スイートルームぐらいは確保いたしますぞ」
「大佐が隣ではゆっくり眠れそうにもありませんので、厚く辞退いたします」
「ハハハ。バジルール少将に吹き込まれましたな。では、お気をつけて」
「失礼します」
司令官室を出るナタルを見送った司令官は、すぐにファイルの中から三枚の履歴書を抜き取った。
一人は優秀な操舵士、もう一人は優秀な便利屋。最後の一枚は、若手のMSパイロット。
抜き取った履歴書に「FAILED」の判を捺し、引き出しの中へしまう。
ナタルの退室を見届けて部屋に入って来た秘書にファイルを渡し、三人の訓練終了を伝える。
「では、いつ頃までに処理しておきましょうか」
「処理は必要ない。彼らのためにも、な」
「承知しました」
用のなくなったカップを手にして、秘書が秘書室へと戻っていく。
司令官の背後にある窓からは、訓練を終えて帰投する輸送艦の姿が大きくなりつつあった。
その日の降下訓練を終えて帰投したノイマンを待っていたのは、半年以上会っていなかった、上官の姿だった。
颯爽とした軍服の着こなし方と、その女性に似合わぬ長身は、忘れようとしても忘れられるものではない。
准尉の階級章を付けたその上官が、輸送艦から降りたばかりのノイマンに敬礼を求める。
あわてて敬礼を返したノイマンに、ナタルは軍帽のツバを持ち上げて顔をさらした。
「久しぶりだな、ノイマン」
「准尉……お久しぶりです」
「お前がここに配属になっていると聞いてな、まともに任務をこなせているか、心配になった」
「准尉の教えを守り、きっちりと務めております」
女性の姿も少なくない訓練基地の中でも、ナタルの姿は目立つ。
純白の士官服に身を包んだナタルが一介の操舵士に話しかける光景は、自然と周囲の視線を引く。
ノイマンと同じ降下訓練に就いていた下士官が好色そうな視線を向けているのを、ノイマンは感じていた。
「しかし、准尉が訓練キャンプに来られるとは、思いませんでした」
「いや、キーナン大佐に要件があってな。お前を見に来たのは、ついでだ」
「心配されませんでも、大丈夫ですよ」
「いや、私が始めて受け持った訓練生だからな。私の指導にも不備があったかもしれん」
「心配無用です」
やや声高に話す二人に、周囲が次第に興味を失っていくのが、二人にもわかっていた。
担当した訓練生を見に来ただけ。それだけのことであれば、よくある話である。
まして、ナタルが准尉に就いたばかりの人間となれば、慣れない教官が教え子に不安を持っただけ。
場慣れした軍人たちが、興味を引かれる話でもなかった。
「お前はこの後、暇か」
「今日から明日にかけては、久しぶりの休暇です」
「そうか。休暇のところを悪いが、話がある。夕方、この場所へ来い」
そう言って、ナタルはノイマンの襟元を正しながら、アンダーシャツの中へ紙切れを忍ばせた。
ノイマンも肌の感触で気付いたのか、目顔でナタルへ了承の合図を送る。
「では、これからも任務を全うするようにな」
「お任せください。准尉の名を汚すようなことはいたしません」
「期待している」
颯爽と身を翻すナタルを見送ったノイマンへ、同僚が待っていたかのように話しかける。
しかし、その話はノイマンの危惧したようなものではなかった。
「おい、准尉に声をかけられるなんて、昇進間近かよ」
「まさか。最初の教官だよ」
「いやいや。お前の操舵は降下訓練もしやすい。上の方の耳に入ったのかもしれんぞ」
「だといいな」
「昇格したら、お前のオゴリだな」
「結局それか」
すっかり親しくなった同僚と雑談をしながらも、ノイマンの心は既に夕方へと飛んでいた。
日も暮れて、街灯が表通りを照らし始めた頃、私服姿のノイマンは指定されたレストランの前に立っていた。
およそ軍関係者は立ち入りそうにない、女性趣味の強い建物は、ノイマンに手の中の紙切れの地図を確認させた。
「この店なんだが……入りづらいなぁ」
そばに停めてあった車のミラーで服装を確認して、ノイマンは意を決して扉に手をかけた。
扉に取り付けられている鐘が鳴り、ウェイトレスが彼へと寄ってくる。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」
「いや、連れが先に来ているはずなんだが」
「では、お連れ様のお名前をお願いいたします」
ノイマンは少し考えると、ナタルとだけ告げた。
ウェイトレスがレジへと歩み寄り、レジの中のメモを確認する。
レジから戻ってきたウェイトレスが、ノイマンの先に立って店内を案内し始めた。
「こちらです」
個室のように区切られた一角で、ナタルは既にワインの封を開けていた。
しかし、グラスに注がれているワインの量を見ると、一口程度しか飲んでいないらしい。
向かいに座ったノイマンの分の注文を済ませ、ナタルはワインのボトルを持ち上げた。
「待っていたぞ。まぁ、時間に遅れたことに対しては、何も言わん。とりあえず、一杯飲め」
「申し訳ありません。外出許可申請が通らなかったもので」
頭を下げながら着席したノイマンは、頭を下げたままでグラスをナタルへと差し出す。
グラスになみなみと注がれたワインを半分程度まで減らしてから、ノイマンは大きく息をついた。
「それに、このような店とは思いませんでしたので」
「意外だろう。だが、このような場所には軍の関係者が来るまい。そのほうが都合がいい」
「はぁ……一瞬、准尉の趣味かと思いましたが」
「外見ではない。中身が大事なのだ」
そう言って、ナタルがワインを舐めるようにグラスを傾けた。
さほど減っていなかったのは、彼女の飲み方のせいなのか。
ノイマンは部屋に入った時に感じた違和感をそう結論付けると、グラスのワインを空けた。
口当たりがよく、砂漠地方には珍しい風味のするワインは、軍施設内の悪酒に慣れた彼には軽すぎた。
自然と早くなってしまったピッチに気付いたナタルが、ブザーを鳴らして、ウェイターに別のワインを注文する。
「悪いが、少し強めのワインを頼む。そうだな、白がいいな」
「かしこまりました」
ウェイターが下がると、ノイマンは申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
それに気付いたナタルが、気にしないようにと言って、来たばかりのサラダに手をつける。
「……それで、わざわざこちらまでいらした用件とは、何なのですか」
「まぁ、焦るな。次のワインが来てからだ」
それきり、ナタルがサラダに集中し、ノイマンも仕方なしにサラダへとフォークを突き刺した。
軍施設内で食べる味も素っ気もないサラダに比べれば、十分なご馳走である。
砂漠地方ということを考慮すれば、店のオーナーはかなりの努力家であろう。
久しぶりに食べた生鮮野菜の旨みに舌鼓を打ち、ノイマンはナタルが話しを切り出すのを待つことにした。
メインディッシュの肉料理が運ばれ、その半分ほどをナタルが食べ終えたところで、ようやくナタルは居住まいを正した。
そして、傍らのハンドバッグの中から、一枚の封書を取り出して、ノイマンの方へと押しやった。
「場にそぐわんかもしれんが、例の基地の遺体確認書だ」
「あの事件の、ですか」
ノイマンが訓練生時代を過ごした基地には、准尉に着任したばかりのナタルが配属されていた。
ナタルを指導教官として訓練生時代の最後を過ごしていたノイマンは、悲運にも、基地乗っ取りのテロに遭遇する。
基地の司令室をも占拠するテロに遭遇した中で、ノイマンはナタルの指揮で戦艦を操舵した。
その時の縁で、ノイマンはナタルの知己を得ることができ、今のような関係になっていた。
言ってみれば二人を引き合わせたテロだったのだが、軍の中枢が関与している噂もある、疑惑のテロでもある。
ナタルは軍令部に転属になった後も、独自のコネを使い、過去のテロ事件を調べていたのだ。
「残念だが、お前の友人だった男は死亡が確認されている」
「そうでしたか。リードもチェンも……」
ノイマンが訓練生時代の旧友の名前を口にして顔を俯かせると、ナタルはノイマンの言葉を否定した。
「いや、リードだけだ」
「何ですって」
「チェン=ヤンの遺体は発見されていない。むしろ、チェン=ヤンの存在自体が抹消されていた」
「……どういうことですか」
「ありていに言えば、奴が内通者だったということだ」
「まさか」
結論から口にしたナタルに、ノイマンは困惑した表情を見せた。
しかし、ナタルはさらに証拠を列挙し始めた。
「第一の疑惑は、彼のデータが抹消されていることだ。特務に就いたのかとも思ったが、その形跡はない」
「まぁ、確かにあの基地は絨毯爆撃で証拠隠滅されていますが……」
「第二には、彼の実家が香港マフィアにつながっていた」
「レーサーとしてのライセンスを持てるほど裕福な家の出ですよ、チェンは。つながっていてもおかしくない」
「第三には、コレだ」
そう言ってナタルが見せたのは、サングラスをかけているチェンの写真だった。
ノイマンが写真を手にとって眉をひそめると、ナタルはその写真についての説明を始めた。
「その写真は、先日、あるテロ組織の本部と思われる町で撮られたものだ。テロ組織の幹部の一人と見られている」
「そんなバカな」
「事実だ。数日内には、お前のいる基地へ攻撃命令が下るだろう」
「テロの温床となるような街は、ウチの管轄にはない筈ですけれど」
「降下訓練の一環として行われる」
「出張作戦ですか」
ノイマンの言葉に頷くと、さらにナタルはバッグの中から巨大な金額の書きこまれた書類を取り出した。
タイトルのない書類だが、一目で何かの出納簿であることはわかる。
「何ですか、これは」
「あるペーパーカンパニーの出納簿だ。もっとも、銀行のキャッシュの記録を写したものだがな」
「そこにある日付と、世界の各地で起きた紛争とのデータが一致する」
ナタルの言葉に、ノイマンは黙って日付を視線で追った。
忘れることのない出来事の一ヶ月前には、一際大きな入金と送金が繰り返されていた。
「……俺の部屋がしつこく撃たれた理由は、それですか」
「リードの遺体は、お前の部屋から見つかっている」
「そうですか」
ノイマンが写真と書類をナタルへと返し、残っていたワインを飲み干した。
既にメインディッシュは食べ終えているが、それでなくても食欲はなくなりそうだった。
憂鬱そうに視線を落としたノイマンへ、ナタルは最後の一切れを食べ終えて、ベルを鳴らした。
すぐにやってきたウェイターに食器を片付けるように告げ、コーヒーを注文する。
「私が来た理由は、お前を特務に連れていくためだ」
「……少将がおっしゃられていた件ですね」
「そうだ。ついに天使が降臨する。お前には、天使を動かしてもらわねばならん」
「覚悟は出来ています」
はっきりとそう答えたノイマンに、ナタルは不意に表情を緩めた。
飲みなれていないのか、ワインに目許を赤く縁取られた彼女の微笑は、ノイマンを悩殺する。
「だが、過去に決着を付けたくはないか」
「……はい」
微笑するナタルに、真剣な表情でノイマンが頷いてみせた。
ナタルは満足げに頷くと、運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、バッグの中から手帳を取り出した。
彼女が示したページには、日付と時間だけが書かれていた。
それも、そう遠くない日付が。
「今日付けで、お前は特務にその籍を移している。私直属の部下としてな」
「ハッ」
姿勢を正し、ノイマンが小さく敬礼をする。
「天使に乗った、長い戦いの前哨戦だ。今度の降下作戦は、私が陣頭指揮を取る。お前の艦でな」
「承知しました」
コーヒーを飲み干したナタルが立ち上がると、ノイマンがスッとナタルの手を取った。
突然のことに動揺するナタルの手から伝票を抜き取ると、先に立って個室を出ていく。
あわてて追いかけてくるナタルを、ノイマンは笑顔で押しとどめた。
「こういうときは、男がおごるものですよ」
「いや、しかしだな」
「特務は目立たないこと。そうでしょう」
「いや、だが、呼び出したのは私だし」
「お誘いに応じたのは俺です」
双方に一歩も譲らない問答を繰り返しているうちに、二人はレジへと着いてしまう。
伝票をレジに置いたノイマンが、すかさずサイフを開く。
遅れをとったナタルはしぶしぶながらバッグから手を離すと、ノイマンが支払いを済ませるのを少し離れた位置で待っていた。
会計を済ませたノイマンがそばに寄ると、ナタルは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「お前におごられる謂れはない」
「俺を忘れずにいてくれたお礼です」
「何を馬鹿な。お前は、私の部下だろうが」
「ですよね」
そう言って、ノイマンは朗らかに笑った。
突然笑い出したノイマンを怪訝そうに見やり、ナタルが小さくため息をつく。
「はぁ……どうも、お前には何回もひどい目に遭わされそうだ」
「俺が准尉をお守りします。絶対に、何からも」
「……逆だろう。部下を失いたくないのは、私の方だ」
店を出ても無機質な言い争いを続ける二人を、夜の月明かりが包む。
砂漠の町に吹いた一陣の風に身をすくめたナタルに気付いたノイマンが、無言で上着を脱いだ。
隣にいるノイマンの動きに気付いたナタルは、黙ってその上着をかけられることにした。
「素直ですね」
「寒さは苦手だ」
背丈がさほど変わらない二人でも、肩幅は大きく違う。
少しダブつく上着に袖を通して、ナタルはタクシー乗り場へと歩き出した。
「お前も来るか」
「お供します」
停車していたタクシーに乗り込み、ナタルが行き先を告げる。
タクシーの運転手がルームミラーを見ることなく車を発進させ、二人は運転手にはわからないように、英語で会話を始めた。
「俺たちのこと、どう思ったでしょうね」
「別に。ただの客だろう」
「夜中に乗ってきて、ホテルへ行くんですよ」
「有能なビジネスマンと、その部下だろう」
「俺が上司ですかね」
「どうだろうな。童顔だからな、お前は。私が上司だろう」
そう言うと、ナタルは小さく笑った。
軍人である二人がこんな会話をしていることは、ナタルの想定にはなかったからだった。
「じゃあ、次はホテルマンの顔でも驚かせてみませんか」
「別室で寝ろ。幸い、鍵がかけられるのでな」
「……そうきますか」
不貞腐れたノイマンの表情に、ナタルが再び笑った。
そして、自分でも何故だかわからないままにスイートルームを予約していた自分に気付く。
「あわよくば……か」
「どうかされましたか」
「いや、何でもない」
不意に浮かんできた”夢の中の話”を即座に否定して、ナタルは視線を窓の外へ向けた。
砂漠の砂が舞い上がり、夜空の星はいつもより瞬いて見えた。
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