チェンジ・オブ・ペース


 簡易アラームが鳴った。
 変則的な三勤制をとる、アークエンジェル艦橋組のシフト交代の合図である。

「現在、通常航行中です。航路設定、宙域状況……」

 既に艦長席を譲ったラミアスに、ナタルが引継ぎの報告を始める。
 時を同じくして、シフトに入ったばかりのトールにも引継ぎが行われた。
 こちらは、ノイマンが動かしていたいくつかのシステムを、副操舵士の彼へ受け渡すだけである。
 同様のことは、CICに詰めるクルーの間でも行われていた。

「……ただいまのところ、敵影は確認されておりません。未だ、こちらをロストしているようです」

「それは、希望的観測かしら」

 いつになく楽観的な報告を付け加えたナタルに、ラミアスが意外そうに尋ね返す。
 しかし、ナタルはわずかに眉をひそめただけで、何事もなかったように報告を続けた。

「宙域のデブリ指数などから、こちらを索敵することは困難かと思われますが」

 どこか非難めいた口調のナタルの言葉に、ラミアスが苦笑をもらした。

「いいえ。貴方から、そのような言葉を聞くのは初めてだったから」

「……無線封鎖は続けております。ですが、いつまでも無線封鎖を続けるわけにもいきません」

「指向性短波を流してみましょうか」

「可能性の一つとして、有効な手段かと」

 アークエンジェルは、前回の襲撃を受けてから、常に無線封鎖を続けている。
 それは幹部三人の決定ではあるが、ナタルは基地との交信を進言していたときもあった。
 フラガから交信の危険性を強く指摘されて断念してはいたが、ナタルはその必要性を疑わない。

「そうね。次のシフトで、大尉とも相談して考えてみるわ」

 ラミアスがそう結論付け、ナタルは敬礼をして、艦長席を離れた。

 敬礼を返す間もなく、ラミアスがCICに新たな指示を与え始める。
 既に引継ぎ作業を終えていたCICからは、トノムラが姿を見せ、身体を艦橋のドアへと流した。

「ノイマンさん、お先です」

 軍人としては気さく過ぎるトノムラの挨拶に、ノイマンは振り返って挨拶を返す。

「あぁ、おつかれ」

 振り返ってそう言ったノイマンの視界に、ナタルが大きく映る。
 それも、厳しい表情で駆け寄ってきているわけではなかった。

 予想外のことに、ノイマンの動きが一瞬だけ止まる。
 徐々に大きくなるナタルの姿は、ナタルがノイマンの方へ流れてくる証拠だった。

「バジルール少尉」

 ノイマンがそう呟く間に、ナタルは操舵士席の背もたれに手をついた。
 そして、座っているノイマンを上からのぞくと、自然と上を見上げるノイマンに、手をのばしていた。

「ノイマン曹長、疲れはないか」

「疲れがないとは言いませんが、大丈夫ですよ」

「そうか。つい、無理をさせている。すまないとは思っているのだがな」

 眉にかかるノイマンの前髪をさらりとつかみ、ナタルは腰をかがめた。
 そして、髪に触れてくるナタルの手に意識を取られたノイマンの頬に、唇をかすめさせた。

「へっ」

 二人の様子を横目で見ていたトールから、かすれた悲鳴が上がる。
 それを気にも留めずに、ナタルはかがめていた腰をのばした。

「気楽にな、曹長」

「えぇ……」

 まだ戸惑いを隠せないノイマンに微笑みかけ、ナタルが身体を浮かせた。
 一瞬にして艦橋内の視線を集めたナタルだが、普段の彼女からは想像できないような微笑を浮かべ、敬礼をして、艦橋をあとにする。
 艦橋のドアが閉まると同時に、その視線は一斉にノイマンへと注がれた。

「……何でしょうか」

 集まってくる視線から代表者であるラミアスを選択し、ノイマンはそう尋ね返した。
 尋ねられたラミアスにしても、尋ねたいのは彼女の方である。

「私が聞きたいわ」

「何を聞かれましても、答えられませんよ」

 そう言って前を向こうとしたノイマンに、ラミアスが質問攻めを開始する。

「いつの間にデキちゃったのかしら」

 単刀直入な物言いに、思わず副操舵士席から失笑が漏れた。
 隣に座っている部下を一睨みで黙らせ、ノイマンは再び後ろを向いて釈明する。

「ですから、俺と少尉は何でもありません」

 だが、そんな釈明が通じるほど、アークエンジェル艦長はできた人間ではない。
 まるで給湯室で休んでいるOLのように、瞳が輝きだしていた。

「ねぇ、どうやって、あのナタルを落としたのかしら」

「……職務に戻ります。職務に関係ないことに、お答えする義務はありません」

 そう言って前を向いたノイマンは、苛立たしげに操舵桿を叩いた。
 艦が揺れることはなかったが、その不機嫌さは明らかに見てとれた。
 隣で舵を任されているトールの頭の中では、様々な思いが駆け巡っては消えていた。

「そう言えば……」

 ラミアスがそう呟いた後、カタカタとキーボードを叩く音が艦橋を支配する。
 しばらく無機質な音が続き、それが止むと、今度はラミアスのうなり声が始まった。

「うん、ねぇ、ノイマン曹長」

「何ですか」

 うんざりしながら、ノイマンはそれでも上官の声に返事を返す。

「曹長、特務でこの艦に乗ってるわよね」

「そうですが。それが、何か」

「それって、いつ頃から同じ任務についてるのかしら」

 CICに詰めているチャンドラの慰めの言葉が、インカム越しにノイマンへ届けられる。
 ノイマンは小さくため息をつくと、もう一度、艦長席を振り返った。

「無意味な詮索をする前に、基地との交信のタイミングでも計ってください」

「やるわよ。だから、馴れ初めとかを話してくれると、作業に気合も入るというものだと思わないの」

 カタカタとキーボードを鳴らしながらも、ラミアスの視線はノイマンに注がれている。
 遠めに見るラミアスの指は、まったく前後の動きを見せていない。
 そのことに気付いたノイマンは、バンッと操舵士席の背もたれを叩きつけた。

「いいですか。確かに少尉と一緒に長く仕事をしていますが、それだけです。
 先程の件も、気遣って下さっただけです。操舵なんて、長い時間続けられるものじゃないですから。
 大体ですね、三勤制のシフトを二勤一休でやってる自体、少尉にとってはありえないことなんです」

 ノイマンに気迫に、CICから助けの手が伸ばされた。

「そうですね。大体、大尉たちのスキンシップに比べれば、あの程度は許容範囲です」

「あら、そうだったかしら」

 チャンドラの指摘に、ラミアスが小首をかしげる。
 それでも、艦橋の空気はノイマンの詮索から離れていっていた。
 その空気を敏感に察したトールが、ノイマンの袖を引っ張る。

「ノイマン曹長、このスラスター制御なんですけど……」

「あぁ」

 副操舵士席のディスプレイをのぞいたノイマンが、制御の自動設定を求める表示を確認する。
 癖なのか、右の人差し指で自分の唇を軽くなぞると、インカムを口許へ引き寄せた。

「チャンドラ、宙域状況に変化はないか」

『ありません』

「艦が左に流され始めている。デブリ指数、チェックしているか」

『今、調べます』

 二人のやり取りに、ラミアスの表情にも真剣味が戻る。

「左に流されているの」

「えぇ。わずかに、ですが」

「フラガ大尉を呼ぶわ。短波で呼びかけるチャンスかもしれないわね」

 そう言って、ラミアスが艦長席を立つ。
 艦長席では、艦内オペレートのシステムを動かすことはできないのである。

「俺がやります。少尉はどうなさいますか」

「彼女も呼んで頂戴。それから、ミリー……いいわ。曹長が操舵に代わって。トール君、OPに入って」

「は、はい」

 一変して緊迫した空気が流れ出した艦橋で、幹部を呼び出すノイマンの声だけが聞こえていた。

 

 


「悪くはねぇけど、制空権は敵さんにあるぜ」

 ラミアスから呼び出された内容を聞いたフラガは、そう言って足を組み変える。
 艦長席のそばの待機席に座っているフラガの視線は、正面のスクリーンを見つめていた。
 二人の間に立っているナタルが、フラガに作戦の重要性を説く。

「基地が短波を受け取れば、何らかの手を打ってくれるでしょう。
 あわよくば、後方を撹乱してくれるかもしれません」

 ナタルの言葉にもいい気色を見せないフラガに、ラミアスが指揮官として尋ねる。

「次の襲撃をかわしきる態勢が整っていないのですか」

「いや、整備はできてる。だけどな、今までみたいに切り抜けられるとはかぎらんぞ」

「それでも、必要な作戦だと思います。十五分刻みに三回、指向性短波を飛ばしてはいかがでしょう」

 二人の言葉に、フラガは頭をかいた。
 そして、視線をスクリーンからノイマンへと移す。
 その視線に気付いたナタルが、インカム越しにノイマンへ意見を求めた。

「艦体強度に異常はないか」

『異常はありません。ですが、俺も大尉に賛成です。むやみに短波を出せば、索敵網に引っかかります』

 ノイマンの意見を聞き、ナタルがノイマンの報告と意見をラミアスへ具申する。

「艦体強度に異常はありません。ですが、曹長は反対のようです」

「だろうな。オレがノイマンの立場でもそう言うね」

 ラミアスに代わってそう答えたフラガは、もう一度、スクリーンを睨みつけた。
 スクリーンには、測定しているデブリ帯の状況が逐一表示されている。
 宙域全体として考えても、かなり量が多くなっているのも事実である。

「考えられるとすれば、ビーコンを載せたデコイを撃ちだす…か」

「確かに、我が艦の生存を示すのであれば、それでもかまいません」

「だな」

 幹部組で実戦を経験しているのは、フラガとナタルの二人である。
 技術畑出身のラミアスでは、どちらかと言えば姑息な駆け引きを思いつくことはできない。

 二人が示した案も、実戦慣れしていればこその発案だった。

「では、一時間後から、十五分の四セットに設定します」

「調整は任せる。艦長、それでいいか」

 フラガは作戦に艦長印を捺させると、それまでとばかりに席を立った。
 長身のフラガが立ち上がると、嫌でも残り二人は上を見上げることになる。
 フラガは立ち去り際にラミアスの髪に触れると、さりげなくラミアスの肩に触れた。

「格納庫でスタンバイしてる」

「え、えぇ。お願いします」

 突然の接触に、ラミアスが動揺を表に出す。
 その表情を嬉しげに見つめ、フラガは二度、ラミアスの肩を叩いてから、床を蹴った。

「少尉、具体的な作戦を立ててくれ」

「承知しました」

 去り際にしっかりとナタルへの指示も出し、フラガは艦橋を出て行った。
 ドアが閉まる前に動き出したナタルとは違い、ラミアスはゆっくりとした動きで艦長席へ戻った。

 席に腰を落ち着ければ、さりげなく勇気を与えてくれるフラガの行動が思い出されてくる。
 自然と笑みを浮かべるラミアスを見てため息をつき、ナタルはチャンドラに具体的な指示を出した。

「デコイのビーコンの設定は、十五分を四セットだ」

「波長はどうしますか」

「最弱だ。あくまで、艦から発信したようにみせることが肝心だ」

 ナタルの指示に従い、チャンドラがデコイの設定をプラグラミングする。
 細かな設定が済んだ後で、ナタルはそのプログラムを持って、CICを抜け出した。

「では、デコイの作業が済み次第、艦橋へ連絡を入れます」

「えぇ、お願いね、ナタル」

 ラミアスの言葉に黙って頷き、ナタルが艦橋をあとにする。
 その様子を見ていたラミアスが、少し不服そうに頬を膨らませた。

「あら、今回は愛の語らいは無しなのね」

 かなり残念そうに呟くラミアスへ、ノイマンは他のクルーに細かな指示を出してから、諫言を呈した。

「今は、先程とは状況が違います。艦長も、少しは自重なさってください」

 艦の舵をトールへと譲っていたノイマンは、CICへ移動しながら、そう言ってラミアスを睨んだ。
 だが、ラミアスにしてみれば睨まれる覚えがないのか、頬を膨らませたままだった。

「でも、一言ぐらいあってもいいとは思わないかしら」

「公私のけじめというやつです。大体、状況を考えて行動してください」

「……それって、私がいき当たりばったりで無能な艦長って言ってるように聞こえるわ」

 ムスッとして答えたラミアスに、一瞬だけ艦橋の空気の流れが止まった。
 チャンドラがせわしげに、ラミアスとノイマンの間に視線を泳がせていた。

「少なくとも、今ここで口にする話題ではありませんね」

 ラミアスにそう言い返すと、ノイマンはさっさと格納庫へ連絡を入れる。
 ノイマンからの指示に従って舵を操るトールの後姿に目をやりながら、ラミアスがため息をつく。

「ダリダ軍曹」

「何でしょう」

 既にプログラミングを終えて通常索敵に戻していたチャンドラが、ラミアスにため息に応じる。

「私って……頼りない上官かしら」

「そうですね……その浮き沈みだけは何とかしてもらいたいとは思っていますが」

 チャンドラの言葉に、ラミアスは艦長席の肘掛けの上に突っ伏した。
 チャンドラの方はCICから顔をのぞかせてその姿を確認すると、静かにため息を飲み込んだ。

 詳細な打ち合わせを済ませたノイマンがCICから出ていこうとするのを、腕をつかんでひきとめる。
 そして、チャンドラはCICの中で隠れるようにして、ノイマンに手を合わせた。

「曹長から少尉に言って下さい。少尉にまでチェンジ・アップを投げられたら、収拾つきませんから」

「わかった。注意しておくよ」

 そう答えたノイマンは、少し寂しげな微笑みを浮かべていた。

 

<了>