賭け事
艦橋の扉が開いたとき、クルーの誰一人として、入って来た人物に注意を向けることはなかった。
その男がふらりと艦橋に姿を表すのは、ここ数日だけでも数え切れなかったのもその一因だろう。
あくまでも自然体に、あくまでもさりげなく。
その金髪の男は、特に何かをすることもなく、艦橋に入り浸っていた。
「ナタル=バジルールだな」
CICの中に入ることなく、フラガは戦術指揮官席に座るナタルに、そう尋ねた。
突然の質問に、やや間をおいてから、ナタルが脱帽しながら答える。
「アークエンジェル戦術指揮官、ナタル=バジルール少尉であります。何かありましたか、フラガ大尉」
如才なく答えたナタルに、フラガは無言で拳銃の銃口を向けた。
一瞬の間を置いて、トノムラが立ち上がりかけるのを、フラガは言葉だけで制した。
「黙って見ていろ、トノムラ」
その一言で、トノムラは浮き上がりかけていた腰を、静かに座席へと戻す。
しかし、視線と身体は真っ直ぐにフラガの方を向いていた。
「ナタル=バジルール、お前にスパイ容疑がかかっている」
「何ですってッ」
フラガの言葉に反応したのは、当事者ではないトノムラ。
嫌疑をかけられたナタルは、フラガの持つ拳銃を黙って見つめていた。
「先程、アークエンジェルの乗員名簿を確認させてもらった。そこまで言えば、わかるだろう」
「わかりませんよッ。何故、少尉がスパイなんですかッ」
フラガの言葉に、一つ一つ大きなリアクションを返すトノムラに、フラガは小さくため息をついた。
しかし、それとは悟らせずに、周囲に聞こえる声でナタルのスパイ嫌疑を明らかにする。
「まず第一に、アークエンジェル前指揮官の戦死。艦長を始め、副官、戦術指揮官、尉官クラス全員が戦死しているということ」
「あれはZ.A.F.Tの襲撃のせいでしょう。少尉のせいじゃないじゃないですか」
「第二。この艦の進路が、アルテミスとなっていること」
「それは大尉も承知したことじゃないですか」
「その結果として、この艦が本来の所属を離れ、ハルバートン提督の指揮下に入ったことだ」
フラガの出したハルバートンの名前に、それまで成り行きを見守っていたラミアスが、艦長席を立った。
そして、CICの中へ拳銃を向けているフラガから見える位置へと、自分の立ち位置を移す。
「この艦がハルバートン提督の指揮下に入ったのは、既に前任者が戦死し、指揮系統の確立ができなかったからです」
「そうだろうな。そうなるように、仕向けたんだからな」
「大尉、何を……」
そう言ってラミアスが一歩踏み出そうとしたとき、それまで沈黙を保っていたナタルが、口を開いた。
「フラガ大尉、嫌疑のほどはわかりました。ですが、私は潔白です」
ようやく口を開いたナタルに、フラガは小さく拳銃を縦に振った。
それを見て、ナタルが席から立ち上がる。
「あの日のミーティングは私が決定したものではありませんし、ラミアス大尉の艦長着任も、何一つ不可解な点はなかったと思いますが」
「いや、あるね。この艦橋の主要メンバーは、全員少尉が選出したんだろう」
「承認したのは私ですが、事前に残留兵の中から経験者を募り、その結果の人選です」
「だったら、なぜ第B部隊が一人も選出されていないんだ」
第B部隊とは、地球軍内で公然の団体となっている、ブルーコスモスの構成員のことをさす。
その構成員数はかなり多く、元々が特務であるアークエンジェルの性質を考えれば、艦橋内に皆無ということは異様とも言えた。
フラガは銃口をナタルに向けたまま、艦橋上部に立っているラミアスを見上げた。
フラガのことを睨みつけているとはいえ、ラミアスが腰の拳銃を取り出す気配はない。
「偶然です」
「偶然ね。そのわりには君の副官でもあるノイマン曹長やトノムラ軍曹は無事に任務に着いているが」
「そりゃ、オレたちは襲撃された場所じゃなくて、結構離れた位置にいたんですよッ」
「トノムラッ」
再び口を挟んだトノムラを叱責し、ナタルがゆっくりと歩き出す。
既に立ち上がってしまっていたトノムラを追い越すと、決して銃口を外そうとしないフラガへ両手を差し出してみせた。
それを見たトノムラが、今にもとびかからんとフラガを睨みつける。
「嫌疑は、私一人にかけられているのですね」
「あぁ、そうだ」
「わかりました」
大人しく両手を差し出したまま、ナタルが一歩ずつフラガへと近付いていく。
フラガへとびかかろうとしていたトノムラも、ナタルがフラガと彼との直線上に入ってからは、自制をしているようだった。
苦々しい表情を見せながらも、とびかかろうとはしない。
フラガまであと三歩といったところで、ナタルが足を止めた。
フラガもそれを確認すると、ちらりとラミアスを見てから、チャンドラを呼びつけた。
「ダリダ軍曹、バジルール少尉を拘束しろ」
「……わかりました」
「チャンドラッ」
トノムラが非難めいた悲鳴を上げたが、チャンドラは一言断りを入れて、ナタルの両手を拘束した。
フラガはそれを見て、ゆっくりと銃口を下げた。
「ダリダ軍曹、そのままバジルール少尉を自室へ軟禁しろ。見張りは交代で行かせる」
「わかりました」
チャンドラがナタルを促し、拘束した両手を引いて歩き始めた。
何一つ抵抗することなくチャンドラに続いてフラガに背中を見せたナタルに、フラガはニヤリと口許を上げた。
そして、大きな声で宣言する。
「いや、やっぱ面倒だな。この場で息の根を止めてやろうか」
そう宣言すると、ゆっくりと銃口を上げる。
突然の宣言に足を止めたチャンドラとナタルが、フラガの方を振り返る。
二人が眼にしたのは、笑いをこらえているフラガの表情だった。
「大尉ッ」
一呼吸遅れてCICを飛び出したトノムラが、不自然に宙を舞った。
そのトノムラを不思議に思ったナタルの足が宙に浮く。
宙に浮いたナタルに視界を遮られたチャンドラは、かなりのスピードで後方へと流されていた。
「……敵襲ッ」
自身は近くにあった座席の背もたれをつかむことで、何とか態勢を保っていたラミアスが叫ぶ。
しかし、それに反応できたクルーは皆無だった。
全員が突然の振動に態勢を崩されていたのである。
いや、ただ一人を除いて。
「……やってくれるねぇ。まさか逆噴射で強制制止とはね」
「乱心されたかと思いましたが、どうやら違うようですね」
一瞬にして騒然となった艦橋内で、二人の男が静かに会話をしていた。
一人は手にしていた拳銃をしまい、もう一人は座席に座ったままで。
慣性の法則に従ってふわふわと宙を浮かぶナタルが見たのは、この中でも平然としている二人の男。
一人は自らに嫌疑をかけた上官で、もう一人は自分の最も信頼する部下。
喧騒の中でわずかに拾える二人の会話は、ナタルに怒りの感情を覚えさせた。
「こういう手でくるとは思いませんでしたよ」
「何とでも言え。オレは不可能を可能にする男だ」
「艦の風紀が乱れます。それに、賭けの胴元はマードック曹長の筈ですが」
「そ。オレはお前の慌てた姿が見えるほうに賭けてんの」
「自分の賭け事のために少尉を巻き込むのは、関心できませんね」
「仕方ねーじゃん。ノイマンがビックリした表情を見せるのって、滅多にないんだろ。だったら、自分でその状況を作ってやらにゃ」
ふて腐れた少年のように頬を膨らませるフラガに、四つの視線が突き刺さった。
一人は艦内最高責任者の、もう二人はその副官と部下。最後の一人は、巻き込まれた長身の男。
さすがに危険を感じたフラガが脱出を試みても、それはもう、あとのまつり。
四方を取り囲まれ、フラガはあっさりと艦長の軍門に下ることを決定した。
「まったく、バカにもほどがありますッ」
周囲も人払いをした艦長室でフラガの言い分を聞いたラミアスは、思いっきりフラガの片頬をつねりあげた。
涙目になりながら許しを乞うフラガの姿は、お世辞にも成人男性の姿とは言えない。
その様子を、ナタルがさも当然のような冷ややかな目で見下していた。
「ノイマン曹長の驚く顔が見たいだけで、ナタルをスパイ容疑ですか」
「……いひゃいです」
「当然です。痛くしているんですから」
形のよい爪を突き立て、ラミアスがフラガの顔に傷をつける。
日頃のイライラを全て解消させようかという凄まじい攻撃は、さすがのフラガをも圧倒していた。
「か、かんべんっ」
「いぃえ、許しません。大体、艦内での賭け事は禁止されている筈です。フラガ大尉ともあろう方が、率先して軍規を乱してどうなりますか」
「いや、だから悪かったって」
「まったく……」
最後の一ひねりを終えて、ようやくラミアスがフラガの頬を解放する。
責め苦から解放されたフラガは、涙目になりながら頬をさすっていた。
「もういいわよ、ナタル。貴方のスパイ嫌疑はガセだったんだから。何だったら、今から大尉を簀巻きにして宇宙に流してもいいわ」
さり気に酷いことを言いながら、ラミアスがナタルにそう言うと、ナタルは小さく首を横に振った。
「いえ。大尉のなさったことは許しがたいことですが、大尉に代わる戦力がおりませんので」
「そうね……仕事してもらわないと、困るのはこちらですものね」
無遠慮に投げかけられる美女二人の視線は、フラガにとって心地よいものではなかった。
「練兵を一任するということでどうでしょうか」
「そのくらいが妥当かしらね」
「あのぅ……睡眠不足はパイロットの天敵なんですが」
フラガの些細な言い分は、あっさりと却下された。
ナタルによって新しいシフト表が書き換えられ、ラミアスが素早く判を捺す。
あまりにも見事な連係プレーに、フラガはなすすべもなくシフト表を受け取るほかなかった。
「これから一週間、そのシフト表で働いてもらいます。もちろん、二度と賭け事は禁止です」
艦内最高責任者の判決に、フラガは力なく片手をあげた。
事件の起きた数日後、ノイマンは休憩室の中でフラガに呼びとめられた。
一呼吸おいてフラガの方を振り返ったノイマンは、いきなりフラガに首根っこをつかまれた。
「お前のせいで、寝不足なんだよ」
「大尉の場合、自業自得でしょうが」
「うるさいんだよっ」
一頻りグリグリと拳を押し付けて、フラガはようやく満足したのか、ノイマンの首根っこを放した。
グリグリとやられた箇所をさすりながら、ノイマンがフラガを睨みつける。
「マードック軍曹に聞いていましたよ。俺が驚く顔を見れるかという賭けだったそうですね」
「あ、ズリィ。マードックの奴、反則じゃねーかよ」
フラガの言葉に、ノイマンが小さく笑った。
それを見ていたフラガは、不機嫌そうにそっぽを向いた。
「まぁ、俺を慌てさせるには、たった一人いなくなるだけで充分ですよ」
その時、休憩室へとやってくる女性隊員の足音が聞こえ、フラガはノイマンに背を向けた。
やや踵の音が高い軍靴は、やってくる女性が尉官以上であることを示している。
そして、休憩室へやってきそうな女性尉官と言えば、今は数えるほどしかいない。
その中でも、これほど規則正しい足音をさせるものは一人しかいない。
「大尉に曹長か。珍しい組み合わせだな」
「少尉こそ、休憩室に来られるのは珍しいですね」
ノイマンの返事にやや顔を赤らめて、ナタルは自分の後ろ髪に触れた。
軍帽からわずかに出る程度の髪に触れたナタルは、軽く咳払いをして手を下ろした。
「まぁ、たまにはいいかと思ってな。自室では、休めないこともある」
「それもそうですね。書類が目に入っては、なかなか休めないでしょう」
ナタルを気遣う言葉をかけて、ノイマンが休憩室を出ようと歩を進めた。
そのノイマンへ、床を蹴って浮かんでいたフラガが、壁を蹴って寄っていく。
休憩室の自動扉が開くのを待っていたノイマンの肩に手を置いたフラガは、ノイマンの耳元に口を寄せた。
「お前を狂わせるには、どうすればいい」
意地悪く尋ねたフラガに、ノイマンが口端をあげる。
「ナタルを失えば、俺は狂います」
「……そうかい」
言いきって休憩室を出て行ったノイマンを見送って、フラガはゆっくりと床へ足をつけた。
そして、休憩室のソファに座っているナタルへと視線を送る。
彼の視線の中で、彼女は静かに寝息を立てていた。
「そのわりにゃ、結構無防備なんだよな、お前らは」
休憩室の明かりを消し、士官のみが使える、キーロックをかける。
そうして休憩室をあとにしたフラガの口許は、にこやかに微笑んでいた。
<了>