だから君に嘘をつく


「……今は非常時ではない。確かに、中立国とは言えど、寄港中だ」

 普段は使用されていない士官食堂の惨状を見ながら、ナタルはそう自分に言い聞かせた。

 しかし、それほどの間を置かずして、握り締められたナタルの拳が、わなわなと震え始めた。

「えぇい、貴様ら!」

 ナタルの怒声に、真っ先に飛び跳ねたのは、下士官組一の長身のトノムラだった。

 わけもわからずに立ち上がったトノムラは、キョロキョロと辺りを見回し、ナタルの視線にハッとする。

 無意識のうちに微笑を浮かべ、隣で眠りこけていた頼りになる筈の上官の肩を揺さぶりだした。

「少佐、起きて下さい。少佐ッ」

「……ほぅ、そこには少佐もおられるのか」

 部屋の入り口に立っているナタルからでは、フラガの姿は確認できていなかったらしい。

 そのことに気付いたトノムラの額に、冷たい汗が流れ落ちた。

「ノ、ノイマン少尉もここにいますよ!」

 咄嗟に考えついた一番の言い訳を口にしながら、トノムラはノイマンの姿を探した。

 昨夜は同じ場所で飲んでいた筈のノイマンが、すぐそばにいると信じて。

 だが、ナタルの冷め切った口調が、トノムラの退路を断った。

「ノイマン少尉なら、既にシステムチェックを艦橋でしているのを見かけたが……私の勘違いか」

「い、いえ! こちらの勘違いでしたッ」

 すぐさま自分の言葉を撤回し、トノムラはフラガの身体を激しく揺さぶった。

 さすがに男の全力で揺さぶられるのは苦しかったのか、フラガがようやく目を覚ました。

「……何だ、味気のない目覚めだこと」

 トノムラの顔を見て、フラガは挨拶もなしにそう言った。

 それを聞いたナタルのこめかみに血管が浮き出たのを、トノムラは見逃さなかった。

「しょ、少佐……」

「あれ、トノムラじゃん。て、ことは……」

 身体を起こして周囲の様子を確認しようとしたフラガは、入り口に立っているナタルを見て、頭をかいた。

 その仕草で自分のことを確認したと判断し、ナタルが部屋の中へ一歩を踏み出す。

「おはようございます、フラガ少佐」

「あぁ、おはよう。えらく目覚めのいい朝になりそうだな」

「それは……よろしかったですね」

 ナタルの怒った眼を感じて、トノムラはその大きな身体を縮こまらせた。

 一歩一歩、確実にフラガへと近付いたナタルが、わずかに息を吸い込む。

「フラガ少佐、事情をお聴かせ願いますか」

 ナタルの言葉に、フラガはニカッと笑った。

「ま、息抜きだな。一言で言うと」

「少佐、ここは中立国です。味方勢力の基地にいるのではありません」

「わかってるよ、んなことは。ただ、臨戦体制は解かれた。シフトも別サイクルだろ」

 そう言うと、フラガは立ち上がって、コリをほぐすように全身を動かした。

 首筋から、背筋。股関節から足の指まで。

 筋肉のきしむ音をさせ、フラガの運動が終わる。

「俺の息抜きに誘ったのは、悪く思ってる。トノムラたちは怒らねぇでやってくれ」

「わかりました。フラガ少佐が全責任を負う、と言うことでよろしいのですね」

 ナタルの責任の所在を明確にさせる言葉に、フラガは苦笑しながら肩をすくめた。

「ま、そういうことにしておいても構わないぜ」

「わかりました……トノムラ曹長、チャンドラ軍曹、一度身支度を整えてから、仕事に入るように」

「は、はいっ」

 弾かれるようにして、名前を呼ばれた二人が士官食堂を飛び出していく。

 その二人の足音が聞こえなくなるのを待って、フラガはナタルへと視線を動かした。

 それを感じたナタルが、視線だけで問いかけ返す。

 無駄のないナタルの行動に、フラガは口許を引き締めた。

「今日、ノイマンの奴は何時から勤務に入ったんだ」

「定刻ですが、何か」

「やっぱりな。俺たちが寝たの、定刻の二時間前だぜ」

 フラガの答えに、ナタルの顔が渋くなる。

 定刻の二時間前に宴がお開きになったと言うのなら、定刻に出勤したノイマンに、睡眠時間はない。

「……まぁ、アイツのいいところだとは思うけどな」

「はい。ですが、さすがに無理をしすぎだ」

 ナタルの言葉に、フラガは表情を緩めた。

 厳しいだけではなく、常に高いハードルを設定しながらもクルーを見守るナタルの優しさ。

 弱点として付け入られないように、必死に隠されているナタルの一面を、フラガは感じ取っていた。

「アイツは、命令でもして休ませる必要がある。もちろん、アンタもな」

「私は……いえ」

 戸惑いながら、ナタルが頷いた。

 フラガはナタルの肩に手を置くと、ナタルを食堂へ残すように力を込めた。

 予想以上の力強さに顔をしかめたナタルがフラガを振り返ると、フラガは既に部屋の入り口に立っていた。

「明日一日、休ませるからな。上官命令だし、文句ないな」

「はぁ……いえ、はい」

「よし」

 ナタルの返事を受けて、フラガは軽く手を上げた。

 そのままナタルへ背を向けると、格納庫へと足を向ける。

「さぁて、愛機の整備でもするか」

 中立国とは言え、いつでも出撃できるように。

 余裕は見せても、油断はしない。

 二つ名を持つほどの男は、決して甘いだけの男ではない。

 そのことを感じたナタルは、誰もいなくなった通路へ敬礼を送った。

「上層部が恐れる男か……」

 エンディミオンの鷹は、本来ならば主戦級のパイロットとして、前線に立つべきパイロットである。

 それが、特務とは言え、新兵運搬のための戦艦を護衛したりと、微妙に端役を与えられている。

 ナチュラルでありながら、コーディネイターをも上回る操縦技術と射撃能力。

 地球軍内部でも勢力を伸ばし始めているブルーコスモスの一派から、煙たがられている男。

 アークエンジェルが第八艦隊に合流した時ですら、アークエンジェルでの任を外されなかった男。

 陰では、死神との噂も立てられているくらい、生き続けている男。

「彼がいなければ、今のアークエンジェルはない」

 類稀なる実力でもって、敵を排除し続ける精神力。

 いくら頼っても、壊れそうにない奥の深さと柔らかさ。

 その柔らかさに、救われている部分もあるのだろう。

 そうと気付いてはいても、やはり許せない部分もある。

「だが、敵地での宴会は許せるものではないな」

 誰かが片付けたのであろう、部屋の隅に追いやられている酒瓶と遊戯マットに視線をやり、ため息をつく。

 ナタルとて、軍人には息抜きも必要なことぐらいは理解している。

 しかし、やはりこれはやりすぎではないだろうか。

「まったく……」

 部屋の隅から目を背けるようにして、ナタルは士官食堂を出た。

 士官食堂の自動扉が閉まり、ナタルは顔を上げて歩き出す。

 反対側から駆けて来る男が、ナタルの姿を見つけて足を止めた。

「中尉……」

「どうした、ノイマン少尉」

 予想だにしなかったノイマンの出現に、ナタルの口調が厳しくなる。

 しかし、そんなナタルには慣れているのか、ノイマンは臆することなく、口を開いていた。

「いや、少佐が士官食堂へ急行しろと」

 ノイマンの言葉に、ナタルは先程のフラガの言葉を思い出した。

「あぁ。いや、明日、お前に休暇を与えることになった」

「この時期に、ですか」

「問答無用だ。少佐命令ではな……既に艦長も言いくるめられているだろう」

「別に構いませんが」

 本当は、ラミアス艦長のことは定かではない。

 しかし、それは大差ないことと判断し、ナタルは軍帽を脱いだ。

「ノイマン、明日、付き合ってくれ」

「どこへ」

 軍帽を脱いだ意味は、プライベートを意味するのだろう。

 ナタルの仕草でそう判断したノイマンは、優しい笑顔を見せた。

「どこでもいい。お前は、中華料理は好きか?」

「はい」

「じゃあ、決まりだな。明日の午前中は睡眠をとり、夕方、早い時間に出かけるとしよう」

 そう言うと、ナタルは再び軍帽を被りなおした。

 軍帽の外にはみ出した髪を手で整え、艦橋へと歩き出す。

 フラガに呼び出されたわけを悟ったノイマンも、すぐ後に続く。

「大丈夫でしょうか。俺たちが艦を離れても」

「フラガ少佐の許可が下りている。問題が起きれば、押し付ければよい」

「そういう考えなら、喜んでお供します」

 ナタルの隣から、一歩後ろへ。

 ノイマンが立ち位置を変更する。

「少尉、一つ聞いておきたいのだが」

「何でしょう」

「今朝、睡眠時間は充分にあると言っていたが、今日は寝ていないのだろう」

「……はい」

 観念したかのように、ノイマンは正直に返事をした。

 その返事に、ナタルが少し間を置いてから答える。

「私に嘘はつくな。今の私は、お前の嘘をすべて信じてしまう」

「……はい」

 ナタルの頭に浮かんだ言葉。

”恋は盲目”

 その言葉の意味を理解したナタルは、軍帽の下で、小さく微笑んだ。

 恋ができる自分を、いとおしく感じたから。

 

 

 二人の歩調では、すぐに艦橋へ続く通路に達してしまう。

 最後の曲がり角を曲がる瞬間、ナタルは肩をつかまれて、動きを止めた。

「それでも俺は、貴方に嘘をつく。貴方を守るためなら、どんな嘘でも」

 耳許に寄せられた言葉が、ナタルの頬を紅潮させる。

 自分を追い抜いて艦橋の中に消えた男の残像に、ナタルはしばらく立ち尽くしていた。

 

<了>