力を使うということ
「……バジルールさん」
「アルスターか。部屋に戻っていたらどうだ?」
ナタルの言葉に首を横に振って、フレイはナタルの隣に身体を運んだ。
ナタルにつかまることで慣性の法則に反発し、見下ろすナタルの視線を受け止める。フレイのポツリポツリと告白する内容に、ナタルが一つ一つ真面目に答えを返す。
不器用なほどに硬い回答は、以前のフレイ=アルスターであれば、到底耐えられなかったであろう。
しかし、今は壊れかかった堤防のような脆さでありながら、フレイはぎりぎりのところで己を保っていた。フレイの告白が終わり、主導権が入れ替わるだけの間を与えられ、ナタルはようやく自ら言葉を発した。
「次もあの席に座るつもりなら、寝ておくことだ」
黙って首を振るフレイの手を、ナタルは身動ぎ一つで払い落とした。
フレイの手が自然に彼女の胸元で合わさり、それを見たナタルが小さくため息をついた。「あれが戦争だ。あの光を見て、バカは喜ぶ」
「バジルールさん?」
「あれほどの力を行使すればどうなるか、誰もが承知している。
しかし、戦争終結という甘美な言葉に惑わされ、人類はまた過ちを犯し、許したのだ」目の前にいる少女に言ったところで、何も変わらないことをナタルは承知していた。
それでも言いたくなるほど、信念とかけ離れた椅子に、彼女は座っていた。「戦争を終わらせることはできる。だがな、同じ終わり方では同じ始まりを繰り返すだけだ」
「……戦争を終わらせる鍵だって言ってたのにッ」
唇を噛みしめたフレイを見つめ、ナタルは殊更に冷たい口調で告げる。
「戦争を止める鍵ではない。私がそう言っただろう」
ナタルの言葉に身体をびくつかせ、フレイが恐る恐る視線を上げた。
待っていたのは、ナタルのいつもと変わらぬ表情。
それでも、フレイがとびつくのには充分な優しさをもっていた。再び泣きじゃくるフレイを受け止めて、ナタルは窓の外へと視線を投げた。
照明の落としてある通路では、ナタルの視線が窓にはね返ることはない。
漆黒と白色のコントラストだけが広がる宇宙だけに、ナタルの視線を通されていく。「力を使うということに慣れすぎているのだろうな、軍人は」
ナタルの脳裏に、ノイマンとの会話が蘇っていた。
「何故、お前は格闘技をするのだ? 操舵士であるお前が、白兵戦をすることはあるまい」
オーブに提供された一室で、トールやトノムラと一緒に柔道をしていたノイマンに、ナタルはそう尋ねていた。
その背後ではトノムラが威勢良く掛け声を上げ、トールの足を払っていた。「柔道ですけどね」
「己の身で戦うことは同じだろう」
「そうですね」
派手な足音をさせ、トールがトノムラの周囲をまわる。
トノムラの足払いは効いていたものの、転ばせるまでには至らなかった。ノイマンは、トールの逆襲を笑顔で受け止めるトノムラへ視線をやった。
その視線を追うようにして二人を見つめたナタルに、ノイマンは語っていた。「俺が柔道をするのは、俺が力を持った軍人であることを忘れないためです」
「忘れないため?」
「えぇ。俺たちは一瞬で何人もの人を殺す力を持っています。そして、それを言わば自由に行使できる」
「そうだな」
「俺たちが戦う相手の軍人もそうです。お互いに力を持っていて、それで決着を付ける」
ナタルの視線が、ノイマンへと移っていた。
「ただ、俺たちは破壊屋じゃありません。相手と己自身に敬意を示して戦う軍人です」
「確かに、軍人は互いに敬意を表しあうものだ」
「だから、やっちゃいけないこともある。それを、肝に銘じておくんです。誇りを失わないために」
「……それで負ければ、どうするのだ? 守るべきものを失ったとしたら」
ナタルの尋ね方は、気まぐれによる意地悪を含んでいた。
ノイマンもそれに気付いたのか、ナタルの目を見て微笑んだ。「本当の軍人は、何も壊しません。そして軍人同士なら、命を懸けて戦うものです」
「お前の言う軍人は、理想論だ」
「もちろんです。ですが、理想を忘れては、我々はただの破壊屋になってしまう」
トノムラの二度目の声が響き、トールが畳の上に転がされていた。
すかさずトノムラが寝技に入り、トノムラの体重に押し潰されたトールが必死で抵抗を試みている。「力を持った我侭坊主の域に下がってはいけないんですよ、軍人は」
「上に破壊を命じられたら?」
「軍人の仕事じゃないと言って断ります。まぁ、ものにもよりますがね」
必死に抵抗するトールが、何とかトノムラの下から脱出する。
立ち上がって息を切らしているトールに、トノムラの気合が飛ぶ。「破壊するためには、敬意を示し、罪に悩み、それに打ち勝たなければなりません」
「どれか一つでも欠けることは許されない。お前はそう言うのだな?」
「えぇ。一つでも欠ければ、テロリストと同じです」
トールがフラフラになりながらトノムラに組みかかり、その組み際で足を払われていた。
派手な音を立て、トールが横倒しになる。「相手が破壊屋だった場合、どうするのだ?」
「戦う相手には全て敬意を持って接する。どんな理不尽な攻撃をされても、こちらが道を外す必要はありません」
「その通りだな」
ついにトールが白旗を揚げ、トノムラがノイマンを呼んだ。
ノイマンはナタルにもう一度笑いかけて、トールの身体を引き起こした。「無理ですよぅ」
「礼だけはしっかりとな」
「はい」
トールがノイマンに支えられながらトノムラと礼を交わし、ナタルのそばで座りこんだ。
ナタルが近くに掛けてあったタオルをとってやると、トールは嬉しそうにタオルを受け取った。「何故、お前が?」
「ノイマン少尉が、軍人としての心得を身体で覚えさせてやるって」
「……それで、何を学んだ?」
「一秒は長いです。一秒でできることは、たくさんある気がしました」
「礼儀のことは?」
ナタルの言葉に、トールが笑顔でナタルを見上げた。
タオルがまるで鬘のようで、ナタルは思わず笑いそうになるのをこらえていた。「あぁ、力を行使する者の心得ですか? 副操舵席に着いてすぐ、みっちりと」
「そうか」
「力を持っていることを認識して、そのことに罪を覚え、罪を乗り越えろって」
「理解できているか?」
ナタルの問いかけに、トールが苦笑する。
「正直、あんまりわかってません。俺は、絶対に壊されたくないものなら、何をしてでも守ります」
「ハウ弐兵か」
「キラもサイも、カズイもフレイも。ノイマン少尉だって、バジルール中尉だって」
「私も入ってるのか」
「はい。ノイマン少尉が泣くから」
そう言って笑うトールの笑顔は、汗に光っていた。
フレイの温もりが、ようやくナタルを現実へと呼び戻した。
緊張の糸が切れたのか、小さな寝息を立てている。「力を行使する罪を忘れているのだろう、今の地球軍は」
核兵器の光が、ナタルの腕の中で眠っている少女すらも変えた。
罪に怯え、罪からは逃げられないと悟りかけている。そして、ナタル自身も。
「止められなかった責任は、どこかで払わなければならないな」
半重力状態で浮かぶフレイを担ぎ、ナタルは通路を私室へと戻り始めた。
照明の落とされた通路から、照明の点けられている通路へ。遥か彼方にいる、恋人に背を向けて。
<了>