逃がしません
「悪いのだけれど、医師をこちらへ派遣してもらえないでしょうか。こちらには、医師がいないもので……」
「わかりましたわ。すぐにそちらへ向かわせます。
バルドフェルドさん」「オーケィ。ダコスタ、医務室に連絡を入れてくれ」
バルドフェルドが部下に指示を与え、ラクスは艦長席を降りた。
「艦長、どこへ行かれるので?」
「格納庫です。皆を労ってきますわ」
「それはよろしい。留守は預かっておきますよ」
「お願いしますわ」
そう言って、ラクスのピンク色の髪が揺れた。
思わず見惚れている部下に叱責を飛ばし、バルドフェルドは苦笑を漏らした。「どこもかしこも恋の花盛りだねぇ」
胸に偲ばせている女性の笑顔を思い出しながら、バルドフェルドは医務室への回線を切断させた。
「アスラン」
キラを担いでフリーダムから降りてきたアスランを、ラクスが呼び止めた。
アスランはキラを背負ったままラクスへ歩み寄ると、ラクスがキラの頬に手を当てた。「あらあら、お医者様はアークエンジェルへ貸し出してしまいましたわ」
「気を失っているだけです。寝かせておけば、大丈夫だと思いますが」
既に脈拍と各部の触診を済ませているアスランは、そう答えてラクスを医務室へと促した。
中破したMSの周囲では、既に整備員がせわしなく動き回っている。
艦長でありアイドルでもあるラクスの存在は、ここでは邪魔でしかない。「では、医務室へ参りましょう。アスラン、よろしくお願いしますね」
「はい」
医務室へと運ばれている間、キラは苦しそうに呻いていた。
声になるほどはっきりしたものではないが、明らかに口元が動いている。
アスランが医務室のベッドに寝かせても、一向に呻き声がおさまる気配はなかった。「キラ……」
アスランが眉をしかめると、アスランがキラを寝かせている間に医務室の中を漁っていたラクスが声を上げた。
ベッドから離れたアスランは、ラクスが手にしていたものを見て、一歩だけ後ろへと下がっていた。「ラクス、その手のものは……」
「さぁ、お脱ぎになって下さい」
そう言って、ラクスが目の前に置いた椅子を叩く。
アスランが更にあとずさると、ラクスの柳眉が吊り上がった。「アスラン」
「いや、俺は大丈夫ですから」
「いけません。フリーダムが使えない今、アスランだけが頼りなのですよ」
「俺は栄養剤でも飲めば、すぐにでも出撃できます」
アスランの足が、キラの眠っているベッドの縁に触れた。
それ以上後ろへ下がれないことを見たラクスが、じりじりとアスランへ詰め寄る。「さぁ、早く横腹を出して下さい」
「……はい」
ラクスに詰め寄られ、観念したアスランが椅子に座り、上着を脱ぐ。
何が原因かをラクスが知ることはなかったが、ぎこちない手付きでアスランの腹部に包帯を巻いていく。
最後に包帯留めを付け、ラクスはようやく表情を緩めた。「無事で何よりでしたわ」
「また、キラを守れなかった」
椅子に座ったまま、アスランが視線を落とす。
ラクスは落ちた視線を追いかけることなく、かつてのように微笑んでいた。「キラは、まだ生きていますわ」
「オレは情けないです。キラを守りきれずに、またラクスを悲しませている」
「いいえ。アスランが無事でいれば、私は笑うことが出来ますわ。本当に、心配したのですよ」
「申し訳ありません」
涙をこぼす一瞬前の表情を見せたアスランの顔を、ラクスはそっと包んだ。
アスランが温かみから逃げるように顔を上げると、そこには微笑んだラクスの顔が待っていた。「謝ってばかりですわね、アスランは」
「……それだけのことをしているから」
「でも、今私たちを守っているのは、アスランではございませんこと?」
「オレが……?」
ラクスの手が、アスランから離れた。
ラクスが宙へと浮かび、アスランは自然と立ち上がっていた。「アスランは優しすぎるのですわ」
「優しすぎる?」
「婚約を解消した私を守り、幼馴染だった友を守り、一度は命を狙いあった女の子を守る」
最後の部分を口にした時だけ、ラクスの表情がわずかに曇った。
それに気付くことなく、アスランは戸惑いながら首を横に振った。「オレは……犯した罪を償いたいだけです」
「でしたら、ずっと私を守ってくださると言うことですわね」
婚約者だった頃から振り回されている女性の言葉に、アスランは久しぶりの苦笑をもらした。
「どうして、そうなるんです」
「だって、アスランはそれくらい私を悲しませましたもの。責任をおとりになるのでしょう?」
「キラに恨まれますよ」
そう言ってベッドへ視線を移したアスランの眼前に、ラクスの顔が映る。
思わず身を引いたアスランを追いかけたラクスが、にっこりと微笑んだ。「今はまだ、キラを手放すわけには参りません。ですが、アスランを逃がすつもりは、もっとありませんわ」
「それは、どういう……」
「今の私は、戦場の歌姫、ラクス=クラインですもの」
その時、キラの呻き声が一際大きくなる。
二人の視線が同時にキラへ注がれ、ラクスが小さくため息をついた。「私たち、いつも邪魔が入ってばかりですわね」
「オレの一生、キラと貴方に振り回され続けるのでしょうか」
「まぁ。では、一緒にくるくるまわれますわね」
ラクスがクスクスと笑い、キラの額に手を当てた。
アスランが二人から離れ、キラが目を覚ますのを待つ。ラクスがキラへ呼びかけ、キラが身じろぎするのを見ながら、アスランは医務室に入った通信を受け取った。
『カガリ様が御着きになられました』
「あぁ。医務室へお通ししろ」
『了解』
通信が切られ、再びラクスのキラを呼びかける声とキラの呻きが部屋を支配する。
「……オレはまだ、貴方を好きでいられるんですかね」
誰にも聞こえないように呟きながら、アスランはキラを介抱するラクスの後ろ姿を眺めていた。
<了>