置いてきたから


 フレイ=アルスターを保護した。
 アラスカで行方不明になったという話を聞いていたのだが、無事だったようだ。

 クルーゼとかいうZAFTの隊長に、捕虜としての扱いを受けていたらしい。
 久しぶりに見た彼女は、以前よりも幾分か落ち着いているように見えた。
 時間という名の魔法のせいだろうか。

「……バジルールさん」

「落ち着いたか?」

 アズラエル理事に”戦争を終わらせる鍵”というディスクを渡して、彼女は私に抱き着いてきた。
 余程心細かったのだろう。
 彼女から私の胸に飛び込んでくるなど、アークエンジェルでは考えられなかったことだ。

「私……」

「ここは戦場だからな。絶対に安全という訳ではないが、多少は落ち着けると思う」

「ここって……」

 幾分か落ち着いたらしいアルスターが、艦橋内をおどおどと見回した。
 クルーの何人かが、戸惑った視線を私に送ってくる。
 アズラエル理事はどこかに消えてしまった今、私が指揮を離れても問題はないだろう。

「クライス中尉、指揮を任せる。私は彼女と話がしたいのでな」

「了解しました」

 CICから姿を表したクライス中尉に近寄り、耳元で囁く。

「理事が戻り次第、秘密裏に連絡を入れろ。私以外の命令で動くな」

「了解」

 艦長席へ上がるためのすれ違い際に、クライス中尉がそう答えてきた。
 彼はブルーコスモスではない、ちゃんとした軍人だ。
 私はその他の細々した指示を与えた後で、アルスターを連れて艦橋を出た。

 

 

 戦闘直後で、整備兵があわただしく働いている。
 そのほとんどは次の戦闘のための支度だ。
 アークエンジェルの整備兵達とは違い、彼らが修復に追われることはない。

「アークエンジェルみたい」

「そう、同型艦だ」

 アズラエル理事の息のかかった人間は、この仕官居住区にはいない。
 私が艦長権限で部屋割りを決めたからだ。
 ブルーコスモスと深いかかわりを持つ者は、反対側の仕官居住区を割り当てた。

 私室の扉を開け、アルスターを先に中へ入らせる。
 アルスターが黙って椅子に座るのを見て、私は部屋に置いてあるドリンクを手にした。

「ホットココアだ」

「あ……はい」

 地球にいた時に、アーノルドが教えてくれたもの。
 ドリンクの中身をすりかえること。

 糖分の高いココアは、イライラした心と疲労を癒してくれる。
 ストローで飲まなければならないが、それでも充分だ。

「……フレイ、無事で良かった」

「バジルールさん……」

「ナタルでいい。今のお前は保護された捕虜で、軍属ではないからな」

 何故か、アルスターと呼ぶのは躊躇われた。
 この娘の父親を意味しているようで。

「ナタル……さん」

「寝起きはこの部屋でするといい。カードキーは渡しておく」

 正直、アルスターに艦内をうろつかれては面倒だった。
 アズラエル理事が手にしてしまった鍵というものが、どのようなものかわからない。
 この状況でアルスターを手放してしまうと、何が起こるかわからない。

 アルスターに部屋のカードキーを渡して、私はボックスの中をあさった。
 ZAFTの軍服よりは、まだ私の私服の方がマシだろう。

「よければ、これを着ていてくれ」

「え……」

 投げ渡された服を受け取ったアルスターが、困惑の表情を浮かべた。
 当然だろうな。アークエンジェルにいた時の私は、私服など許さなかったのだから。

「捕虜でもなく、軍属でもないことを示すためだ。サイズが合わないのは考慮するな」

「はい」

 白のポロシャツに、紺色のパンツ。
 多少のサイズの違いは何とかなる組み合わせだろう。

 アルスターを着替えとともに寝室へと押しやって、私は一息入れた。
 アーノルドの言うとおり、ココアは非常に有効な飲料のようだ。
 ほんのりした甘さが頭の回転を助けてくれる。

「……さて、鍵が何であるかだな」

 地球へとの通信は、全てこの艦長室で検閲できるようにしてある。
 どんな手段で連絡をとろうが、私が見落とすことはない筈だ。
 アズラエル理事が嬉々として動き出せば、事態は展開するだろう。

 アルスターが、ZAFTの軍服を持って戻ってきた。
 ZAFTの軍服をボックスの中へしまい、私はアルスターを椅子に座らせた。

「いくつか、尋ねておきたい事がある」

「そう、ですよね」

「鍵のことだ。中身を見たか?」

 アルスターが、泣きそうな表情で首を左右に振った。
 嘘をつくのは得意ではなさそうだったから、これは本当だと見てよいだろう。

「いいえ。ただ、”戦争を終わらせる鍵だ”と言われて……」

「”戦争を終わらせる鍵”だな? 戦争を止められる鍵ではなく」

 私の確認を、アルスターはわかっていないようだった。
 やや小首をかしげるように、同じ言葉を繰り返してきた。

「戦争を終わらせる鍵だと言って、あれを持たされて」

「誰に持たされた?」

「クルーゼっていう、ZAFTの隊長……?」

「クルーゼだな?」

「仮面付けた、偉い人」

 クルーゼだろう。
 フラガ少佐の言っていた特徴と、どことなく一致する。

「クルーゼが、君に戦争を終わらせる鍵を渡した」

「……あたしを見て、鍵を手にいれたと言ってた」

「お前自身が鍵だという可能性は?」

「わからないわ。だって、何もわからないんだものっ」

 感情が揺れ始めたアルスターの肩に手を置いて、アルスターが落ち着くのを待つ。
 これ以上は、何を聞いても無駄だろう。
 軍属ではないのだから、それなりに自由は許されていただろうが、ヴェサリウスは沈んだ。
 今更何を聞いたところで、貴重な情報ではない。
 有益ではあるだろうが、アルスターを怯えさせることの方が問題だろう。

「……とにかく、今は寝ることだ。緊張したのだろう。眠っておかないと、身体がもたんぞ」

「……眠れないわ」

「だからと言って、起きていても仕方ないだろう。眠るんだ」

「……はい」

 随分と、素直になったものだ。
 数奇な運命が彼女を弱らせているのだろう。

 アルスターが寝室へと去り、私はコンソールの前に座った。
 今のところ、この艦から発信された情報はないようだ。

「戦争を終わらせる鍵、か」

 戦争を終わらせる鍵という言い回しが、妙に引っ掛かる。
 戦争を止められる鍵ではないのだ。

 古来より、戦争を終わらせる事が出来るのは強大な力だ。
 かつての世界大戦は、全て強大な新兵器の行使により勝敗が決着している。

「考えられるのは、新技術か」

 ストライクの技術も高いが、オーブに現れた新型MSは更に高い技術を持っているだろう。
 戦闘報告書を読んだ限りでは、そう考えられる。

 こちらの新型MSよりも、現在アークエンジェルに配備されている新型は性能が高い。
 パイロットの腕の差だけではないスペックの違いが見てとれる。

「アズラエル理事がどう動くかだな。あの人は、力を持った子供だ」

 そう、アズラエル理事は力を持った子供だ。
 戦争の現実を知らず、ただゲームのような感覚で戦場を捉えている。
 コマが、感情を持つことも知らずに。

「約束を果たせそうにもなくなってきたな」

 すまない、アーノルド。
 どうやら貧乏くじを引かされたようだ。

 ドミニオンとともに、いや、アズラエル理事とともに消されることも覚悟しなければならない。
 あのような男と心中するとは滑稽だが……お前が生き残るのならば、悔いはない。

 私がアーノルドのことを想っていると、突然背後から声をかけられた。

「あ、あの……」

「な、何だ、アルスター」

「これって……ノイマンっていう人よね?」

 そう言ってアルスターが示したのは、私とアーノルドが一緒に写っている写真だった。
 そう言えば、ベッドサイドに置きっ放しになっていた。

「そ、そうだ」

「ここって、ナタルさんの船なんでしょ? だったら、何でこの人がいなかったの?」

 ……言うべきだろうか。
 私は、アークエンジェルを沈めるために戦っていると。

「……この戦艦は、ドミニオンは、アークエンジェル追討の任を受けている」

 私の言葉をすぐに理解したのだろう。
 アルスターの表情から血の気が失せていった。

「アークエンジェルを沈め、反逆者の後始末をする事が、私に課せられた任務だ」

「嘘……アークエンジェルを、攻撃するの?」

「任務は、そうなっている」

「嘘! 嫌よ! 何で、何でアークエンジェルをッ」

 全く、アルスターという娘は話を聞かな過ぎる。
 逆にミリアリアは話を聞きすぎて困っていたものだが。

「反逆者の後始末だ。もちろん、それ以外の意味もある」

「どんな意味よッ」

「新型MSの研究に余念がない、あのブルーコスモス盟主の付き添いだ」

 アルスターが戸惑いの表情を浮かべた。

「あの、さっきの金髪の人?」

「そうだ。あの男がガンダムに興味を持ち、アークエンジェルはガンダムを搭載している」

「じゃあ……キラを殺すの?」

「キラ=ヤマトを殺す理由はない。彼が欲しいのはデータだ。そう、お前の持ってきたディスクのような」

「あれは、軍事用のデータなの?」

「おそらくは」

 沈黙が流れた。
 アルスターの顔を見るのが辛かった。

 知らない間に大きな荷物を背負わされていたのだから、当然辛いはずだ。
 自分の身体を犠牲にしてまでも本当に守りたいものを守ろうとしたことのある女が、私の目の前にいる。
 そのことは私にとって辛かった。

 愚かだと思っていたことを、私は躊躇わずにしようとしていることを、つきつけられている気がした。
 アーノルドを守るために、私は全てを投げ出そうとしているのだ。

「……フレイ、お前の気持ちがどうなのかは知らない。だから、尋ねる。アークエンジェルに戻りたいか?」

 アルスターの頭が縦に揺れた。

「だったら、時を待て。私が責任を持って、アークエンジェルにお前を返してやる」

「そんなこと……できるの?」

「やってみよう。お前一人、何とかなるだろう」

 そう、アルスターだけならば戻せるはずだ。
 アーノルドの操艦技術と、ラミアス艦長のお人好しさがあれば。
 救難艇一機ぐらいなら、私一人でプログラムまでの全てをやれる。

「ナタルさんは、行かないの?」

「私は無理だな」

「ノイマンって人、大事じゃないの?」

「大事だ。大事でない人間の写真を、ベッドサイドに置くと思うか?」

「だったら、何で! あの時、あんなに叱ってきたのにッ」

 あの時、私はアルスターの心はサイ=アーガイルにあると思っていた。
 真相はどうであったかはわからないが、あの時はかなり叱ったな。
 ”自分の身体を大事にしろ”と言った。確かにそう言って叱りつけた。

「自分を犠牲にして他人を助けても意味がないと言ったな……そう言えば」

「卑怯よ! あたしにはそう言っておいて、自分は何なのッ? 大人なんて、みんなそうなのッ?」

「勘違いするなよ。私は最善の道を採っているだけだ。戦争を止めるためにここにいる」

 そう、止めるためにいるのだ。
 決してアーノルドを救うために、元凶である可能性が高いアズラエル理事と心中するためじゃない。

 私は地球軍の一員として戦争を終結に導き、彼らの帰ってくる場所を守るためにいるのだ。
 アークエンジェルのクルーが、再び地球軍に戻るための布石として。
 クルーの家族を今この時、守るために。

「嘘だわ。好きな人に向かって、ミサイル撃つんでしょ? 死んじゃうのよ、当たったら!」

「お前に言われなくてもわかっている。アークエンジェルが沈めば、ノイマンは帰らない」

「ほら、そうじゃない! 結局、バジルールさんだって自分を犠牲にして!」

「アークエンジェルに落とされれば、地球からの新しい追っ手が来るまで時間を稼げる、か?」

「そうよッ」

「残念だが、的外れな解答だな」

 アルスターが、涙を流していた。
 恋愛、いや、男女の関係において、アルスターは私を上回っているだろう。
 場数だけでも、私の方が劣っている。

 その私が、男女の絆を語ろうとしている。
 こうなってしまったのも、全部アーノルドが悪いんだ。

「私の未来は、アーノルド=ノイマンの隣にある。恋心も涙も、彼に預けてきている」

 正確には、勝手にアークエンジェルの彼の部屋へ置いてきただけだ。
 心を通い合わせたことはあったが、縛り付けることはしなかったのだから。

「今の私は、自分に課せられた役割を果たすだけだ。戦争を早期に終結させるという、役割をな」

「鍵は……あの人にいったわ」

「あの鍵は、戦争を終わらせるための鍵だ。私の求めている鍵ではないだろう」

 戦争を止めるのに、力は要らない。
 力以外の何かが必要なのだ。
 力の行使だけでは、強者が決まるまで戦争は続く。

「フレイ=アルスター。戦場で人は、役柄を演じる道化師のようなものだ。
 その役柄から外れたことをすれば、簡単に命が消し飛んでしまう。
 そして、役柄は別の人間に移っていく。役柄から外れること。それは逃げだ。
 他人に自分の役柄を押し付けて、舞台を退場する三流の役者のすることだ。
 二流の役者は役柄を全うし、戦場の思うがままに動く。
 そして一流の役者は、役柄を超えた自分を表し、生き残る」

「わかんないわ」

「簡単に言えば、私は戦争を止める地球軍の仕官役を演じ、戦争終結後は彼の許にいるということだ」

「……そんなこと、できるの?」

 以前の私ならば、こう答えただろう。
 ”わかるはずがない”

 でも、今は違う。

「やるさ」

 アルスターの手から、アーノルドの写真を抜き取る。
 アラスカで別れる前に、無理を言って撮った写真だ。

 写真の中で、アーノルドが私の軍帽を被り、私は支給された新しい軍帽を被っている。
 任官した直後に起こったさまざまな事件を乗り越え、少佐へと導いてくれた軍帽。
 それを手放した瞬間だった。

 それは今、アーノルドの部屋にある。
 任官当初から数々の危機を乗り越えてきた軍帽だ。
 そこら辺で売っている御守とは訳が違う。
 必ず、彼を守ってくれる。

「アーノルドはずっと私を守っていてくれた。信じるよ、私は」

「……男なんて、女を守って死んでいくのよ」

「だから守るんだろう? 男の隣に立って」

 アルスターの視線をまともに受けるつもりはなかった。
 あとは彼女が自分で解釈すればいいことだから。
 私がこれ以上話すこともないだろう。

 背中を守っているだけではダメなんだ。
 トールとミリアリアが教えてくれた。
 隣に立っていなければ、守ることはできないと。

 でも、私はラミアス艦長のようにはいかない。
 フラガ少佐のように、恥も外聞もなく求めることはできない。

 だから、向かい合う。
 心を、お前の許に置いて。

 

<了>