刀と鞘


 地球降下後、アークエンジェル人事担当官は徹夜で居住区の割り当て表を作成した。
 本来は先に新規のシフト表を完成させなければならないのだが、それは信頼できる部下に任せている。
 彼女の信頼できる部下は、明日の朝一番にシフト表を完成させて彼女の元へ持ってくることだろう。

「数名は行方不明か……全員脱出というわけにはいかなかったようだな」

 過去の居城区の割り当て表と比べると、何人かの出入りが行われている。
 残念ながら尉官以上の軍人は増えていないのだが、それでも下士官は数人増えていた。
 人手不足のアークエンジェルにとって、それは非常に大きなことと言えた。

「一度、専門分野を聞いておかねばなるまい。操舵士がもう一人でもいると、助かるのだが」

 現在、アークエンジェルには正規の操舵士が一人だけである。
 志願兵扱いの学生上がりの副操舵士がいるにはいるのだが、一人前とは言い難い。
 少尉に昇進したばかりの正操舵士の負担は、いつまで経っても解消される気配はなかった。

「……こんな時間か」

 居住区の割り当てという、一種プライベートな仕事をするために、ナタルは自室で仕事をしていた。
 部屋の時計を見ると、当の昔に勤務時間は終了していた。
 軍人に残業というものはないが、あれば二時間はたっぷりとしていたことになる。

 ナタルは出来上がったばかりの割り当て表を鍵のかかる引き出しの中へしまい、通路へと出た。
 食堂に行って食事を取っておかなければ、翌日の勤務に差し障る。
 たとえ食欲がなくとも、彼女はきっちり流し込むことを心がけていた。

「あ、お疲れ様です」

「あぁ。これからシフトか?」

「いえ、就寝です。久しぶりにゆっくり寝られそうですから」

 ナタルの問いかけに、顔馴染みの下士官はそう答えた。

「そうか。おやすみ」

「それでは、失礼します」

 ナタルと入れ替わりに、下士官が居住区の方へ去って行く。
 ナタルが入ったとき、食堂の中は数人が食事を取っているだった。

 食事の載せられたトレイを持って、ナタルは食堂の角の席に腰を下ろした。
 ブリッジクルーの姿もなく、仲のよい同僚は食堂にいなかったのだ。

「だから、ゴメンって」

「知りません。トール、わかってない」

「いや、だからさ、悪かったって」

 ナタルが黙々と箸を進めていると、およそ戦艦には場違いな若い男女の声が食堂の中に入ってきた。
 声を追いかけるようにして、これまた場には似つかわしくない若い男女が姿を現す。
 話の内容を確かめるまでもなく、男性のほうが女性に平謝りしていることは見てわかる。

「そりゃあね、トールだって頑張ってるんだってわかってる。だけど、私だって頑張ってるの」

「本当、悪かったって。ちょっといい感じだったから、忘れないためにと思って」

「ほら、わかってない。私が言いたいのはそんなことじゃないの」

 二人してトレイを持って歩きながら、言い合いは続けている。
 始めは気にしていた周囲の人間も、すぐに興味を失っていた。

「トールはね、もう少し……あ、バジルール中尉、ここ、いいですか?」

 勢いで角まで来てしまったのか、怒っている女性、ミリアリアはそう言って、ナタルの斜め向かいに座った。
 ナタルの方も特に断る理由もなく、結局三人は固まって座ることになった。

 しかし、食事を始めても、トールは謝り続けている。
 ミリアリアも多少依怙地にでもなっているのか、聴く耳は持っていないようだった。

「だから、悪かったって。今度からはちゃんと約束は守るし、連絡もするから」

「いいわよ。トールが上達しないせいで、アークエンジェルが沈んじゃったら困るもの」

「いや、そうなんだけどさ」

 二人の言い合いには何も言わないでいようと思っていたナタルは、ミリアリアの言葉に箸を止めた。
 二人はそのことに気付くことなく、食べる方を疎かにしながら、言い合いを続けていた。

「おい、お前たち」

 ナタルの言葉に、二人の言い合いが止まる。
 二人からの視線を受け止めて、ナタルは完全に箸を置いた。

「はい」
「何ですか?」

 言い合いをしていても、こういうときは声がはもる。
 ナタルは二人の仲の良さを見せ付けられて、小さくため息をついた。

「そうしていつもくっついているようだが、仕事を疎かにはしていないだろうな」

 ため息の後の言葉のせいか、二人は神妙な面持ちで頷いた。
 もちろんナタルも、二人が想像以上にシフトをこなしていることは知っている。
 言わば、前置きのようなものだった。

「仕事はちゃんとしてるつもりです。休憩時間は一緒にいますけど」

「俺も、そうです。ノイマン少尉に聞いてくださればわかります」

 軍学校を出ていないせいか、二人とも言葉遣いが学生に近い。
 ナタルに対する言葉遣いも、丁寧ではあるものの軍人口調ではない。

「まぁ、二人ともよくやってくれているのはわかっている。だが、少々言っておきたいこともある」

「何ですか?」

 すぐに尋ね返したトールを、ミリアリアがひやひやした目で見つめていた。
 ナタルはその視線に気付きながら、静かに二人のトレイの中身を指した。

「まずは食べ終わってからだ。私の部屋で、直に言っておきたいことがある」

 そう告げたナタルのトレイにも、まだ食事は残っていた。
 再び箸を持って食べ始めたナタルを見て、学生二人は慌てて中断していた食事を再開した。

 

 

 ナタルの私室に呼ばれた二人は、所在無げに立っているしかなかった。
 ナタルは副長室に備え付けのデスクのに座り、正面に立っている二人を見上げた。

「短い話だ。立っていろ」

「はぁ、別にかまいませんけど」

 トールがそう答え、ミリアリアも小さく頷いた。
 ナタルは二人の反応を見てから、静かな口調で語り始めた。

「このような話がある。昔、三人の剣豪が同じ刀を得た。三人とも剣豪で、日々戦い続けていた」

 あまりにも突拍子もない話に、トールが思わず隣のミリアリアと視線を交わす。
 ミリアリアも小首をかしげていた。

「剣豪が死に、刀は再び他人の手に渡ることになった。だが、伝えられた刀は一本だけだった」

「あの……話がよくわかりません」

 素直にそう言ったトールの言葉は無視して、ナタルは話を続けた。

「お前たち、何故刀が一本しか伝わらなかったのか、わかるか?」

 ナタルの問いかけに、ミリアリアが一つ間合いをおいてから口を開いた。

「刀が折れたとかですか?」

「違う」

 すぐに否定したナタルへ、今度はトールが回答する。

「刀が錆びたから」

「同じ刀だぞ。何故一本だけが錆びなかったのだ?」

「手入れしなかったら、どんな刀でも錆びるでしょう」

 トールの回答に、ナタルはわずかに目を細めた。
 ブリッジクルーの中でも育てるのが最も困難な操舵士の卵は、彼女の眼鏡に適っていた。

「そうだ。手入れをしなければ、どんな刀も崩れてしまう。だが、この話はそのことを確認するだけではない」

 そう前置きをして、ナタルは両腕を前へ伸ばし、刀を鞘から抜く仕草をして見せた。

「三人の剣豪は、それぞれ違う生き方を選んだ。一人は剣を抜き続け、戦い続けた。もう一人は剣を封印し、
 二度と戦わなくなった。最後の一人は事があれば戦い、事がなければ戦うことをしなかった」

 今度は刀を鞘へ戻す仕草をして、ナタルは視線を上げた。

「さて、誰の刀が最後まで伝わったと思う?」

「戦わなかった人よね」

 ナタルの質問に、ミリアリアがすぐに答えた。
 しかし、トールはじっと考え込んでいた。
 ナタルの方も、トールが答えを出すのを待っていた。

「……多分、最後の人だ」

「どうして? 刀を使ったら、それだけ脆くなりそうなんだけど」

 トールの答えに疑問を投げかけたミリアリアと違い、ナタルはさらに目を細めていた。
 ちらりとナタルの方を見たトールは、ナタルが小さく頷くのを見て、やや得意げにミリアリアに説明する。

「戦わないってことは、刀身を見てないってこと。だったら、錆びててもわからない。
 戦い続けた人は、常に刀が休まることがないから、結果として脆くなる。だから、最後の人が正解」

「そういうことだ。この話のポイントは、刀身が外に出ているかどうかにある」

 トールの説明を引き継ぐように、ナタルが解説を始めた。

「常に戦いに身をさらせば、当然折れる。また、戦いから遠ざかれば、自ずと錆びて戦闘能力を失う」

「程々が良いってことですよね」

「そういうことだ。さらに言うなら、刀と鞘は別々に動くときがあってこそ、その役割を果たすものだ」

 ナタルのその言葉に、ミリアリアがようやく納得の表情を見せた。

「刀は戦うことで己を表し、鞘は刀を納めること、つまりは戦いとはかけ離れることで己を表す。
 どちらか一方に偏ってしまっては、刀と鞘は共にその命を減らす。言いたいことはわかるな?」

「俺が刀で、ミリィが鞘ですね」

「戦うべきときには離れてでも戦い、戦わないときは無意味に離れない。それが戦場における男女のあり方だ」

 話は終わりとばかりに、ナタルが立ち上がる。
 敬礼をしてきたトールに敬礼を返し、ナタルは自室の扉を開いた。

「話は終わりだ。休憩に入ってくれ」

 そう言って二人を送り出そうとしたナタルの肩を、不意に誰かがつかんだ。
 ナタルが慌てて振り返ると、そこには書類を持ったノイマンが微笑んでいた。

「ノイマン少尉!」

「随分と、長いお説教でしたね」

「き、聞いていたのかッ」

 赤面するナタルを軽くあしらって、ノイマンは部屋の中にいる二人の方を覗き込んだ。

「今のお前たちなら、大丈夫だ。トールもミリアリアも、ちゃんとやってるよ。もしも危うくなったら、俺が言ってやる」

「ノイマン少尉……」

 展開についていけずに呆気にとられている二人を部屋の外へと押し出し、ノイマンはトールの背中をバンと叩いた。
 トールがたたらを踏みながら持ちこたえると、ノイマンは振り返ったトールに対して微笑んで見せた。

「トール、シミュレーターの鍵」

「あ、はい」

 ノイマンの言葉に、トールが慌ててポケットをまさぐる。
 すぐに出てきたシミュレーターの鍵を受け取り、ノイマンは二人を手で追い払った。

「早く自室に戻れ。休憩時間は過ぎていくだけだぞ」

「は、はいッ」

 走り去っていく二人を見送って、ノイマンはナタルに手を伸ばした。
 その手を、ナタルがパシンと振り払う。

「ここは戦艦の通路で、今のお前は勤務時間内だ」

「ラミアス艦長と入れ替わりに、休憩に入りました。それで、ラミアス艦長が説教されているクルーを助け出してくれと」

「タイミングの悪いところを通られたのだな」

「そのようですね」

 ため息をついたナタルが、扉を開け放したまま部屋の中へと戻る。
 ノイマンも何も言わずに中へ入ると、ナタルが棚のほうを指した。

「紅茶をいれてくれ。せっかくの地球だ。カップで飲みたい」

「わかりました」

 早速紅茶の支度をしながら、ノイマンは何気ない様子でナタルへ話しかけていた。

「さっきの話、俺が鞘ですかね」

「……どうせ私は、戦うことしか能のない人間だ」

 拗ねた様子でそう答えたナタルに、ノイマンは微笑みながら紅茶のカップを手渡す。
 無言で受け取ったナタルの頬が紅茶に緩められるのを、ノイマンは静かに見守っていた。

 ノイマンが手にしていた書類は、棚の中へ収められている。
 ポットに残る紅茶がなくなるまで、書類が引き出されることはなかった。

 

<了>