能力差
廃棄されていたコロニー群に逃げ込み、とりあえずの態勢を立て直す。
長い戦闘を潜り抜けてきたアークエンジェルは損傷が激しく、修理のための時間はいくらでも欲しい。
発進したばかりのエターナルは、まだまだ本格戦闘に耐えられる代物ではない。
エターナルの本格戦闘仕様への変更、クサナギによる物資の補給、アークエンジェルの整備。
寄り集まった戦艦三隻のクルーは、与えられたわずかな時間を慌しく動き回っていた。「なぁ、ノイマン少尉よぅ、もう少し何とかならねぇのか?」
「俺だって、なるべく負荷をかけないようにはしてるんですがね」
整備班長であるマードックに示された整備報告書を、ノイマンはあっさりと突き返した。
そして目の前にあるアークエンジェルの心臓部を見上げ、応急処置にかかる時間を尋ねる。
巣に群がる蟻のように整備員達が動き回っているのを見ながら、マードックは口許を引き締めた。「あと一時間もありゃ、何とかしてやる」
「一時間くらいなら、時間も取れるでしょう」
ノイマンがそう言うと、マードックは苛立ち気味に頭を掻いた。
ここぞという時の行動力と冷静な判断力を持つ目の前の士官に、苦言を呈さずにはいられなかった。「言いたかねぇが、このままだと潰れるぜ」
「……わかってますよ」
マードックの言葉にそう言って、ノイマンはエンジンルームに背を向けた。
艦長へ作業報告書と予定書を提出しなければならないマードックが彼に続き、二人は無言のまま、
人気の少ない通路を艦橋へと歩いていく。たまにすれ違う何人かのクルーには、久々の戦闘配備解除に対する安堵の表情が見え隠れする。
二人は二人に対して掛けられる挨拶にだけ返事を返し、艦橋の中に入った。
マードックが艦長席へ向かい、ノイマンは一人で操舵席へと戻る。「お疲れ様です。どうですか、天使様の御機嫌は」
副操舵席で情報処理を急いでいるトノムラが、ノイマンの気配へ話しかけた。
音を立てて操舵席に座り、ノイマンは手早くアークエンジェルの駆動系統を確認する。「今のところ、まだ愛想はつかされてない」
「今のところ、ですか」
「今のところ、だ」
それきり、二人はそれぞれの作業に没頭した。
周囲の喧騒を他所に、二人は急ピッチでそれぞれの作業を片付けていく。「それにしても、地球からの追っ手、誰が率いるんでしょうねぇ」
「さぁな」
キーを叩くノイマンの手が、わずかに止まった。
トノムラはそれには気付かずに、相変わらず速いペースで流れこんでくる情報を整理しながら、
ノイマンへ話しかけている。「バジルール中尉あたりですかね。まさか、パナマで死ぬようなヘマはしないでしょうし」
「適任だな。こちらのクルーの癖、回避プログラムはあちらの手の内か」
「ついでに言うなら、攻撃プログラムも知られてることになりますねぇ」
トノムラが一通りの作業を終えて、大きく息を吐いた。
今入って来ている情報は、その大半が旧オーブからの情報である。
ファイル操作などの設定を行えば、元々整理されている情報が記録される仕組みだ。トノムラを追うようにして、ノイマンも作業を終えた。
二人はどちらかと言えば実戦タイプなのだが、決して机作業も苦手なわけではない。「さて、チャンドラ、パル、トノムラ、話がある」
席を立ち上がったノイマンがそう言って周囲を見回すと、名前を呼ばれた三人がすぐに反応を示した。
パルとチャンドラの二人は、早くもCICを抜け出している。
トノムラが立ち上がるのを待って、ノイマンは艦橋の出入り口を親指で指した。
三人を士官食堂の片隅に座らせ、ノイマンは士官食堂の入口を閉めた。
完全な防音ではないが、それでも扉を閉めた意味は三人へと伝わった。「今から話すこと、他言は無用だ」
ノイマンの言葉に、神妙に頷く三人。
ノイマンは三人がしっかりと重大さを認識したことを確かめて、トノムラの隣に腰を下ろした。
向かいに座っているパルとチャンドラの二人がノイマンの方へ耳を寄せると、ノイマンは小さな声で
話し始めた。「パナマでバジルール中尉の生存が確認された。もっとも、情報源はオーブだがな」
「それは、戦死者リストに載っていなかったと言うことですか」
「そういうことだ」
先を読むことに長けているチャンドラは、それだけで用件を悟ったようだった。
サングラスの奥の瞳が、わずかに細められる。「追手がかかった場合、こちらの回避プログラム、攻撃プログラムが向こうに渡っている可能性がある」
「バジルール中尉が漏らしたと?」
パルが”漏らした”と表現すると、トノムラがそれに気付いてパルの頭を小突いた。
パルが非難の視線を送ると、トノムラはノイマンの襟についている襟章を指した。「中尉は戦術指揮官なんだぞ。求められれば、報告するのが当然だろ」
「俺たちのために黙っててくれるとかないのかな」
「無理だろ。中尉の立場からして、プログラムを把握してないなんて通じないだろ」
ため息をついて肩を落としたパルを見て、ノイマンはトノムラの頭を叩いた。
小気味いい音をさせ、トノムラが机の上に突っ伏した。「とにかく、回避プログラムは変更するつもりだ。攻撃プログラムをどうするか、意見を聞きたい」
ノイマンの言葉に、チャンドラが真っ先に意見を述べる。
「変更には反対です。アーガイルがようやく戦力になった今、新たな変更は考えられません」
「試射も出来ないし、嫌ですね。俺もチャンドラに賛成です」
アークエンジェルは現在、戦術指揮官をもたない。
艦長であるラミアスは応戦等の指示は出すものの、細かな射撃はすべてパルに任されている。そのパルの意見が出たところで、ノイマンはトノムラを待たずして結論を下した。
トノムラが文句を言おうとするのを、ノイマンは頭を押さえつけて封じ込む。「回避パターンだけを変更する。パル、手伝ってくれ。チャンドラとトノムラは補佐を頼む」
「了解」
「わかりました」
二人が立ち上がり、トノムラも何とかノイマンの腕の下から脱出を果たす。
「本当に中尉が来たらどうするんですか」
トノムラの言葉に、チャンドラとパルが顔を見合わせる。
二人の視線とトノムラの視線が交錯し、最終的に六つの瞳がノイマンを見つめることになった。
その視線を真っ向から受け止めて、ノイマンは口許を曲げた。「やるしかないだろう。あの中尉のことだ。本気になって殺しに来るぞ」
ノイマンの言葉に異議を挟むことなく、三人が一様に肩を落とした。
そして、緩慢な動きで士官食堂の扉に手をかけた。「俺、クサナギに乗りたいなぁ」
「同感。いくらなんでも、中尉の本気にかなうわけないよ」
「本気で容赦してくれそうにないもんな」
「お前らな……」
意気消沈の三人の尻を叩くようにして、ノイマンが三人を艦橋へと押してゆく。
愚痴を言っていた三人も、他のクルーを見かけた途端に口を閉ざした。「死にたくないなら、作業を進めることだな」
「りょかーい」
「トノムラ、返事が変だぞ」
チャンドラのツッコミに、トノムラが嬉々とした表情を浮かべる。
内心で後悔しながらも、チャンドラはトノムラの説明を促した。
打って変わって楽しげにしゃべり始めたトノムラと面倒臭そうなチャンドラを見比べながら、
パルとノイマンは肩をすくめあっていた。
夜になって一通りの作業を終えたアークエンジェルのメインクルーたちは、索敵をクサナギに一任し、
束の間の休息を与えられていた。
それでも律儀に艦橋に残っていたノイマンは、背後に人の気配を感じて振り返った。「よぉ、精が出るな」
「フラガ少佐」
「話、いいか?」
そう言って副操舵席に腰を下ろしたフラガは、行儀悪くディスプレイの上に足を乗せた。
たったそれだけのことで、艦橋に入ってきた人間は、フラガが真面目な操舵士を見つけて、
単におしゃべりをしに来たとしか見えないだろう。「……俺の女に余計なものを背負わせるなと言うのなら、もう遅いですよ」
「知ってるよ。お前、マリューに話すことで俺にも伝わるってこと、忘れてたわけじゃないだろう」
ノイマンはディスプレイを見ながらキーを叩き続け、フラガは正面のモニターを眺め続けている。
ただ、言葉だけが真横に飛ばされていた。「今の艦長を見ていれば、貴方に相談することは容易に読めますから」
「ナタルが追手らしいな」
「妥当な人選かと思いますよ。あの人も、いろいろと知り過ぎている」
「口封じ出来れば幸い、か」
「おまけにその罪は、俺になすり付けられますからね」
ノイマンの言葉に、フラガは息を吐くだけで笑い声をたてるという器用な真似をしてみせた。
ノイマンもキーを必要以上に強く叩いて、フラガの言葉を誘った。「お前、バジルール将軍に会ったことあるのか?」
「特務の辞令を受けた時に。将軍直々に彼女の護衛と特務を言い渡されました」
「それにしたって……」
フラガの言葉に、ノイマンは一度艦橋の入口の方を確かめてから話を続けた。
「俺は、どうやら捕虜扱いらしいんです。ナタルは捕虜を引き取った時に撃たれたことになるんでしょう」
ノイマンの話を聞いて、フラガはニヤリと笑った。
艦橋の入口からディスプレイへ視線を戻そうとしたノイマンがその笑顔に気付くと、
フラガも視線をノイマンへと送った。「やっぱりな。今ので確信したぜ。お前、ナタルと連絡手段持ってたな」
「特務の人間が、大人しく運命を享受するわけがないでしょう」
「それで、今回の情報か」
「えぇ」
フラガが先に視線をモニターに戻し、ノイマンもそれに続く。
しばらくノイマンの叩くキーの音だけが、二人の間に流れた。フラガが再び口を開いたのは、ノイマンのキーを叩く音が止んでからだった。
「お前に、任せてもいいんだろうな、マリューのこと」
「……俺も命は惜しいですから」
「撃てるか? ナタルを」
「俺はかわすだけです。撃つのは艦長であって、俺はそれを止める気はありません」
「そうか……邪魔したな」
そう言い残して、フラガが立ち上がった。
ノイマンも彼の動きを目の端で捉えて、操舵席から立ち上がった。
向かい合う二人が、互いに指で鉄砲の形をつくる。「……俺は外でこの引鉄を引く」
「俺はその弾を避け続けます」
向かい合う二人が、同じように口許を曲げた。
「……俺もマリューも、お前だけが不幸になるのは許さねぇぜ」
「もちろん、そんなつもりはありませんよ」
フラガが引鉄を引く動作をして、ノイマンは首を勢いよく傾けた。
充分に動作を止めてから、ノイマンは首の角度を元に戻した。「そろそろお休みになって下さい。この艦を守れるのは、貴方だけですから」
「あぁ。そうさせてもらう」
フラガが片手を上げて、艦橋を出て行く。
その背中を扉が閉まるまで見送って、ノイマンはCICの中へと潜り込んだ。ナタル=バジルールが退艦して以降、空席となっているシートに手を触れる。
冷たい皮の感触が、長いこと誰も座っていないことを物語っていた。「ナタルの話では、追跡部隊はたった一艦。ナタルの口を封じるつもりなのかもしれない」
ノイマンは空席となっていたシートに、ゆっくりと腰を下ろした。
数週間ぶりに人の重みを味わったシートが、小さな悲鳴を上げてノイマンを支える。
ノイマンは顎に手をやると、シートの目前にある何も映していないディスプレイを見つめた。「俺だって、君の弱点を知っている。条件は五分だ。来い、ナタル」
電源の入っていないディスプレイ上で、見えないはずの光点の動きが展開されていく。
幾度かのシミュレーションを繰り返し、ノイマンはシートを立ち上がった。「戦艦の能力は個人の技能によって引き出される。このハンデ、どうするつもりだ、ナタル」
ナタルの配下に優秀な人間がいないのは、ナタルたちが単艦で追ってきたことでわかる。
あわよくばナタルの口をも封じようとしている上層部が、優秀なクルーを貸すはずはなかった。
乗組員の質で言えば、アークエンジェルはドミニオンを上回っているだろう。
ナタル側が秀でているのは、単純に艦長の作戦能力のみ。
しかも性格は敵側の操舵士に読まれているのである。ナタルとノイマンの決戦は、すぐそこまで迫っていた。
<了>