必要な悲しみ


 どうやら、ZAFT軍はマス・ドライバーを死守できなかったらしい。
 情報を処理していたパルが、そう艦長に報告しているのが聞こえた。

「底力ですかね」

 隣の副操舵士席に座っているトノムラにも、やはり聞こえていたのだろう。
 わざわざ身体を乗り出すようにして、話しかけてきた。

「全兵力をまわしたんだろう。地上では、まだまだ地球軍が数の上で有利だ」

「やっぱりそうですかね。案外、バジルール中尉が軍功上げてたりして」

 あり得ない話じゃない。いや、むしろそう考えた方が自然だ。
 志願兵や未熟な下士官を率いて、護衛がMS一機に戦闘機一機しかない艦を守り抜いたのだから。
 人心掌握術には難があるものの、的確な指示が出せることは、この艦で立証済みだ。

「あり得ない話じゃないな」

「でしょう? 俺、嫌ですよ。バジルール中尉と戦闘するなんて」

 トノムラの表情からすると、本当に嫌そうだな。
 まぁ、色々とCIC要員の癖を知られているのは確かだ。
 彼女が本気で俺達を狙うのならば、それを突いてくるのは間違いない。

「……時間だ。トノムラ、あとを頼む」

 フラガ少佐がブリッジに入って来て、俺と交代する。
 戦闘時にはパイロットとして、それ以外はブリッジクルーとして、彼は休む間もなく働いている。

「お疲れ様です」

「あぁ、気にすんなって。打ち上げ、ご苦労さん」

 例の一件から艦内での艦長との仲を公認させた彼は、幸せのオーラに満ちている。
 艦長もやけに優しい瞳で彼を見るようになった。
 トップの二人がこんな状態で、よくこの艦は動いてるもんだ。

「……ノイマン、何か言いたそうだな」

 勘が鋭い人だ。
 ジト目で俺を睨んできた。

「いえ、気のせいでしょう。休ませてもらいます」

 愚痴を言っても仕方がない。
 それに今の苦しい状況を乗り切るためには、絶対に彼が必要だ。
 彼のように気配りができて、人の心に安らぎを与えられる人物が。

 そして何より、艦長が彼を必要としている。
 しかも、クルー達は幸せそうな艦長を必要としているのだ。

 

 

 自室で漂うのも、かなり久しぶりだな。
 重力に適応してしまった体が、頼りなく感じられる。

「……ノイマン少尉、よろしいですか?」

 扉の向こうから、ミリアリアの声がした。
 俺が返事をすると、彼女はゆっくりと部屋に入って来た。

「どうかしたのか?」

「これです……」

 そう言って渡された書類には、妙な文章が印刷されていた。
 俺がベッドの上に腰を下ろすと、ミリアリアは小さな声で押し出すようにしてトールの名前を口にした。

「その通信、トール宛なんです」

 ミリアリアの言葉どおり、宛先がトールの名前になっていた。
 それだけで、俺はこの通信の意味を察した。

「発信者は中尉だな」

「はい。それだけでもおかしいのに、この通信、何か変なんです。
 受信した時は普通の文章だったのに、すぐにそんな記号に変わってしまって」

 と、言うことは、この通信は地球軍基地からだ。
 そのまま通信するだけでは、プロテクトをかけても傍受される可能性が高い。
 そのために、このAAのプログラムでないと、プロテクトされた暗号文が読めないようにしてある。
 中尉が退艦する際に俺達が拵えた、専用の連絡方法だ。

「ミリアリア、通路に人がいないことを確認して、扉をロックしろ」

「え……」

 ミリアリアが、疑問を感じながらも俺の指示に従った。
 その間に暗号文を解読し、俺は書類の裏に端的な情報を書きまとめた。

「トールの名前を使ったのは悪く思っている。だが、書類上、あいつは死なせていない」

「どういう……ことですか?」

「MIA認定は、生存が確認されれば解除される。トールは今、オーブで生存していたことになっている。
 もちろん、実際に生きているわけじゃない。全ては書類上のまやかしだ」

 ミリアリアの顔が歪んだ。

 悪いな、トール。
 お前に任されたというのに、泣かせてばかりだよ。

 まぁ、泣きそうになるのも無理はないだろうな。
 死んだ筈の恋人が、わけのわからないことに巻き込まれているのだから。

「どうして……」

「中尉との連絡を取り合うために、トールを隠蓑にさせてもらった。
 トール=ケーニヒは書類上、オーブで除隊したことになっている。
 バジルール中尉は彼の除隊後を心配して、彼に通信を送った理屈だ」

「どうして、そんなことをするんですか?」

「……俺達が地球軍の逃亡兵だからさ。彼女が直接通信を送れば、彼女が疑われる」

 いくらバジルール家の令嬢だからと言って、監査部の監視がついていないとは限らない。
 機密を知ってしまった俺達を、臆病な上層部が野放しにする筈もなかった。

「トールに通信を送ることには、いくらでも弁明がつけられる」

「だからって、どうしてそんなことをッ」

 怒ってくれていい。
 君の恋人を陵辱しているのと同じことだから。

「地球軍の動向を、俺に報せるためだ」

「どうして、そんな……」

「戦っているからだ。俺達は軍を逃走した。軍の正義よりも、もっと大きなものを守るために。
 彼女だってそうだ。彼女は地球軍の軍人としての正義を選んだわけじゃない。
 彼女は俺と同じものを守ろうとしている。立場も、所属しているチームも違う。
 だが、守りたいものは同じなんだ」

 そう、彼女はあえてアラスカで艦を降りた。
 逃げたわけじゃない。連れ戻されたわけじゃない。
 彼女は彼女の意志で命令に従い、地球軍内部で戦うことを選んだ。

 戦いの終結の先に、望む未来があることを信じて。
 いや、戦いの終結した未来を信じてしまうほど、俺たちは若いんだろう。

 少佐や艦長とは、そこが違う。
 俺も彼女も、愛する人を失った経験がないから。

「だからって、そんなこと」

「汚い、大人のやり方だ。許されるとは思ってない」

 トールには、いくら謝っても許されることじゃないだろうな。
 もちろん、その家族や目の前の少女にも。

 だが、俺達は何を差し置いても、連絡を取り合う必要があった。
 地球軍に所属した者として、この戦争を戦い抜くために。

「地球軍の思惑がどこにあるか。それを知る必要があった」

「どうしてですか? それじゃ、二人ともスパイ行為をしてることになります」

「……厳密にはな。だが、それもこれで終わりだ。彼女がブルーコスモスの中に乗り込んだからな」

 そう言って、俺は裏向けた書類を彼女に示した。
 覗き込むようにして俺の字を読んだミリアリアが、小さく息を飲んだのが判る。

「バジルール中尉が、宇宙に……」

「正確には、バジルール少佐だな。どうやら、パナマ奪還作戦で軍功を上げたらしい」

 いくら何でも、二階級の特進はない筈だ。
 そうなると、パナマ戦役で大きな軍功を上げたに違いない。
 精鋭部隊を率いさせれば、彼女はそれだけの事をやってのけるということだ。

 その彼女が、ブルーコスモスで占められた軍の上層部に食い込んだ。
 地球軍の少佐となり、戦艦を任された彼女が宇宙へ上がる。
 ブルーコスモスと地球軍の精鋭を彼女が率いて、俺達を狙う。

「精鋭部隊を率いるバジルール少佐に、俺達は勝たなくてはならない」

「少尉は、ノイマンさんはそれでいいんですか? 恋人なんでしょう? 恋人が、敵になるんですよ?」

 矢継ぎ早に尋ねて来るミリアリアを、俺は正面から見つめ返した。
 いや、体ごと突っ込んできた少女に、見つめさせられたと言うべきか。

「アラスカで別れた時から、想像はついたことだ」

「戦えるんですかッ? バジルール中尉、いいえ、ナタルさんを相手にッ」

 恋が終わったわけじゃない。
 普通に考えれば、彼女に引鉄を引くことはできないだろう。
 だが、俺達は選んだんだ。

「撃つさ。目の前で彼女が銃を構えたなら」

「そんな……」

 よほど怖い眼をしているらしい。
 ミリアリアが遂に俺から視線を外した。

 俺の決意は変わらない。
 ナタルが俺の目の前で銃を構えるなら、俺も彼女を撃つ。
 それが戦艦同士であったなら、俺は砲撃を進言する。

「……辛くないんですか」

「多分、辛いだろうな。だが、戦場で役割をもらえたんだ。文句は言えない」

「役割?」

 俺は立ち上がり、立ったままでいるミリアリアの肩に手を置いた。
 ミリアリアが困惑気味に、もう一度俺を見上げた。

 軽蔑されるかもしれない。
 トールの死を利用して、今また、この少女の理屈に反することを口にするのだから。

「戦場は筋書きのあるドラマだ。いくら頑張っても、死ぬと決められた人間は死んで行く。
 その人間が、どれほど大事な何かを守っていたとしても」

 トールの死を連想したのだろう。
 ミリアリアの視線が、俺からまた外された。

「戦場のシナリオライターは、様々なキャストを兵士に与える。
 敵味方を別れて結ばれる恋人、愛を確かめあいながら死んで行く恋人」

 戦場という舞台で、俺達は与えられた役を演じる。
 生き残るなら脇役に徹するか、シナリオライターの上をゆくアドリブをするしかない。

「恋人に先立たれる役もあれば、戦場で生まれた恋のために生き残る役だってある」

 ミリアリア、君の役柄はまだ決まっていない筈だ。
 あのディアッカという少年を受け入れるなら、君は今の役柄から外される。

「たまたま、敵同士になる役を割り振られただけだ」

 そう言って、俺はミリアリアから離れて、部屋の扉を開いた。
 これ以上この少女と話していると、泣き出してしまうかもしれなかった。

「運命論者じゃないですか、それじゃ……」

「いや、誰かが味わわなければならない痛みだ。割り振られたのが、俺達だった。それだけだ」

 そう、誰かが味わうものだ。
 恋人との別離、そして恋人と命をかけた戦闘は。

 だったら、俺達がそれを引き受ける。
 戦場に必要な痛みなら、俺達が味わえばいい。

 完全に部屋の外へ出た俺の背中に、ミリアリアが問いかけてきた。

「ノイマンさんは、それでいいんですか?」

「ナタルは最後の通信を俺に寄越した。それで充分だよ」

 はっきりと敵になったことを教えてくれた。
 それだけで充分だ。

「悔しくないんですか。艦長と少佐を見ていて、辛くないんですか」

「……悔しくも、辛くもない。艦長は少佐を引き留めた。少佐は艦長の元へ戻った。それだけのことだ」

「引き留めなかったから、敵同士になっても構わないと言うんですか?」

「少なくとも、戦場で生まれた恋を全うする役柄を演じる資格はない」

 いや……”逃げ”だな。
 俺もナタルも、軍を捨ててでも戦う勇気がなかった。
 バジルール家という存在から、目を背けることが出来なかった。

「……他人の心配はいい。別の何かにとらわれていると、次は君が死ぬことになる」

 卑怯な言葉だな。
 少女が深く受け止めてしまう言葉を、俺は咄嗟に選んでいた。

 首だけで振り返ると、ミリアリアは拳を握り締めてうつむいていた。
 泣いて走り出すような弱さは、この少女には見られない。

「……構いません。トールが待ってますから」

「それなら、君もシミュレーションをするか? 鍵は、俺が預かっている」

「しません」

 艦長が許す筈もない。
 これ以上ブリッジ要員を減らせば、艦の運行が怪しくなる。

「一人にしてくれないか。それから、バジルール少佐の件は、誰にも話す必要はない」

「……はい」

「わかったら、仕事に戻るんだ」

 通路に背を預けて、俺はブリッジの方向を指した。
 ミリアリアが一礼して、ブリッジの方へ走り去っていく。

 部屋に戻る気はしなかった。
 機銃座にでも行くことにしよう。

 とにかく、一人になりたかった。
 宇宙を見たくなった。

 

「ナタル、君はここに来るんだろう?」

 漆黒の宇宙のどこかに、君がいる。
 俺達を殺すために。

 夢を見てはいけないのだろうか。
 君がこの艦の中央に座っている夢を。
 俺の背中にいてくれる夢を。

 君の戦艦を撃ち落として、君を救出して……

「一緒に艦長の我侭に付き合って……」

 一緒に愚痴ろう。
 二人きりの士官食堂で。

「今なら、引き留められる」

 一人きりだから、そう思える。
 君の顔を見たら、また引き留められないかもしれない。

 でも、いい加減にうんざりだ。
 バカップルのイチャイチャを見せられて、その後ろでじっと待つなんて。

 副艦長なんて引き受けるんじゃなかったよ。
 だからと言って、他の人間に任せるのは危なすぎる。

「戻ってきて下さい……バジルール中尉」

 

<了>