軍務遂行


1

「ノイマン少尉、話がある。本日のシフトが済み次第、副長室へ来るように」

 シフトを終えてCICを出て来たナタルが、ブリッジに入ってきたばかりのノイマンへと告げた。
 ブリッジに入っていきなりの命令にも、ノイマンは慣れた様子で素早く敬礼を返す。
 その敬礼に応えるかたちで敬礼をして、ナタルがノイマンと交代でブリッジを出て行った。

 彼女が居なくなったことで流れる安堵の吐息の中を、ノイマンは彼自身の持ち場へと歩く。
 そして、今はノイマンの代わりに操舵席に座っているトールの肩を叩いた。

「お疲れさん」

「本当、中尉が居ると疲れますよ……」

 本心からではないのだろうが、トールはそう言って大きく肩を落とした。
 人員不足のせいか、ナタルと数時間二人きりの時を何度も過ごしているノイマンにしてみれば、
そこまでのリアクションを取るほどでもない。

「やることさえやっていれば、中尉だって怖くはないだろう」

「居るだけで威圧感がありますよ」

 そう言いながら、トールが正操舵士であるノイマンへと席を譲る。
 操艦のためのセキュリティを入れ替え、ノイマンは手早く自分用の設定を立ち上げた。
 トールはトールでかなり上達しているのだが、まだまだオート制御のコマンド数が多いのである。

「それに、トノムラ先輩がデータ確認のついでに音楽聞いてるのがバレて、大変だったんですから」

「……ほぅ」

 ノイマンの細い目がさらに細くなって、背後の席に座っているトノムラを睨む。
 ナタルが退出すると同時に休憩モードに入っていたトノムラは、視線を逸らす暇さえなかった。

 慌てたように笑顔を浮かべるトノムラへ、ノイマンが軽く指で手招きする。
 一瞬情けない表情を浮かべ、トノムラはCICを降りるしかなかった。

「詳しく聞こうか」

「トール君、黙ってろよなぁ」

 トノムラの言葉に、トールがへへっと笑った。

「トノムラ、話を聞こうか」

 トールに文句を言おうとしたトノムラを遮り、ノイマンが報告を求めた。
 小さくため息を吐いたトノムラだったが、彼とて無駄に正規の軍人をしているわけではない。
 半分以上開き直った様子で、上官であるノイマンに口頭報告をする。

「私、ジャッキー=トノムラは現在のシフトにおいて、地上音声放送を傍受し、それが有用な情報でないと
 判断するに至ったにも拘わらず、一時間以上傍受を続け、上官であるナタル=バジルール中尉の叱責を
 いただくことになりました」

 こういったトノムラの態度には慣れているのか、ノイマンは表情一つ変えずに言葉を返した。

「つまり、ラジオを聞きながらシフトをこなしていたと」

「まぁ、簡単に言っちゃえば」

「……中尉からの懲罰は?」

「ハッ。本日のシフト終了後、冷却材の点検が申し伝えられました」

 アークエンジェルの命とも言える冷却材の点検は、本来は整備班の仕事である。
 だが、彼らは度重なる戦闘で損傷の激しい艦載機の整備に忙しい。
 そこで彼らの負担を軽くするという意味で、この仕事は懲罰扱いとなっていた。
 更に言うならば、トノムラやチャンドラなどの下士官組は、よくこの懲罰を言い渡されている。

「そうか。しっかり頼む。お前のシフト終了は何時だ?」

「あと三時間後ですね」

「なら、それまでに注意個所があれば上げておく。トールは何か気付いたか?」

 直前まで実際に操艦していたトールが首を横に振ると、ノイマンは軽く肯いてトールを退室させた。
 トノムラと二人で彼を見送ったノイマンは、まだ隣を離れようとしないトノムラを見上げた。

「どうかしたのか?」

「正直、凄いですよ。彼も、サイ君も。カズイにしてもミリィちゃんにしても」

「あぁ。いきなり戦艦に乗って、いきなり仕事押し付けられて、それでもちゃんとこなしてるからな」

 ノイマンの言葉に、トノムラが軽く首を横に振る。
 どうやら、彼が言いたかったのはそれだけではないらしい。

「それだけじゃないですよ。家族とだって会っちまったのに、よく残る気になりましたよね」

「あぁ……本当にな」

 それ以上言葉を繋げる気にもならず、ノイマンは自分の席に手を掛けた。
 トノムラが用事もないのに副操舵席に座るのを咎めず、ノイマンはさっさと駆動系のチェックを始める。

 隣で何かしら話しかけてくるトノムラを適当にあしらいながら仕事にとりかかるのが、この二人がシフトで
重なった時のいつもの始まり方だった。

 

 

2

 ナタルに言われた通りに、シフトを終えたノイマンは彼女の私室を訪れていた。

 艦長室ほどではないにせよ、副長室であるこの部屋には、仕事のための誂えがかなり備わっている。
 実務的な彼女の性格も手伝ってか、現在の艦長室よりはよほど一般的な艦長室に近い。

「少尉か。座ってくれ」

 デスクの前に用意された椅子に腰を下ろし、ノイマンは部屋に戻っても軍装でいる彼女の姿を眺めた。
 いつものような休憩時の誘いであるならば、彼女は決まって軍装を解いている。
 その彼女が軍装でいるということは、わざわざこの部屋でしなければならない面倒な話なのだろうと
見当をつけ、ノイマンは黙って彼女が口を開くのを待った。

「……実はな、またお前に無理を言うことになった」

「無理、ですか」

「あぁ。気の毒なのだが、当分は一人で操舵士を務めてもらわねばならない」

 ナタルの表情は、上官のそれであった。
 たまに見ることのできる笑顔でも、苦渋の表情でもない。
 なるべく無表情を装うとしている、事務的に命令を下す時の彼女の顔であった。

「……トールの転属ですか」

「そう言うことだ」

 予期していたことなのだろうか。
 ノイマンに大きな表情の変化は見られなかった。
 ただ、少し硬くなった表情が、ナタルの言葉を誘う。

「仕方がないのだ。艦載機を遊ばせる余裕はない」

「カガリ嬢の後釜ですか」

「システムチェックの際、シミュレーションの結果を見た。彼は彼女よりも良い結果を出している」

 AAがオーブの基地内で改修を受けている時、ナタルは内部システムの総点検を行っている。
 その時に、シミュレーターのデータも点検したのだ。

 そして、シミュレーターの管理を任されていたのがノイマンである。
 彼がシミュレーターの結果を知らない筈はなかった。

「確かに彼にはシミュレーターをやらせました。ですが、それは操艦のためであって、戦闘機に乗せる
 ためじゃありません」

「……少尉、貴官は何を考慮しているのだ」

 ノイマンの返答に、ナタルが冷たい言葉を返した。
 彼女の真意を読み取れなかったノイマンが口を閉ざしていると、ナタルは更に言葉を続けた。

「貴官は部下の何を守ろうとしているのだ?」

「何を守るも、自分の部下だった人間を死地へ追いやる命令に従えるわけないでしょう!」

 日頃は冷静なノイマンの本性が姿を顕わす。
 彼は決して冷静かつ冷淡な人間ではない。
 芯の部分では、誰にもひけを取らない熱い情熱が渦巻いている。
 そのことをよく知っているナタルは、ノイマンの激昂を受けて、ようやく表情を動かした。

「お前の言い分はわかる。私だって人の子だ。ハウ弐等兵とのことくらいは知っている」

「それ以前の問題です。彼は正規の訓練も受けていない。レクチャーだけで戦闘機乗りになれませんよ」

「わかっている! だが、我々は部活動などではないッ」

 抑えていたナタルの感情が表に出始める。
 どちらかと言えば、ノイマンよりも更に感情が表に出てくる性格なのだ。

「我々は任務を受けている軍人なのだ。我々の任務は、アークエンジェル及びGをアラスカ基地へ無事に
 送り届けることだけなのだ」

「そのためなら、スカイグラスパーは撃墜されてもよいと」

「……仕方あるまい。スカイグラスパーも最新鋭機ではあるが、Gと比べるわけにもいかないのだ」

 そこまで言い切ると、ナタルは大きく息を吐いた。
 ノイマンの視線に耐え兼ねたかのように視線を落とし、更にはぎゅっと唇をかみ締めた。

「確かに、全員が無事に帰還できれば、それは最善でしょう」

 唇をかみ締めたナタルに、ノイマンはそう言って立ち上がった。
 その気配を感じて顔を上げたナタルの目前へ、ノイマンの手は到達していた。

 軍帽を脱いでいるため前にかかっているナタルの前髪を捉え、後ろへと梳く。
 わずかに引き上げられた頭髪によって顔を上げさせられたナタルの瞳を見下ろし、ノイマンが微笑んだ。

「その眼が見たかったんです。貴方が俺達を心配して見ている眼を」

「……こんな瞳など、見せる必要はない。彼らを心配するのは、艦長の瞳だけで充分だろう」

 瞳を閉じたナタルの額に軽いキスを落とし、ノイマンはデスク越しに彼女の身体を抱き寄せた。
 黙って身を任せるナタルの姿は、彼女をよく知らない人間が見たら、誰も彼女だと信じないだろう。
 だが、ノイマンは優しく彼女の背中を撫でていた。

「トールだけには見せてやって下さい。ミリアリアにも」

「自分を甘やかすつもりはない。私は任務ならば、何をしたって平気だ」

「だったら、何で震えてるんですか」

 ナタルの腕が、ノイマンの腕をつかむ。
 外見からは想像できないほど筋肉質な腕が、彼女を安心させる。

「……辛くなどない。お前が優しすぎるからだ」

 ナタルが彼に涙を見せる時、必ずと言っていいほど口にする言葉。

 

 ”お前は優しすぎる”

 

「トールにも、少しは甘えたっていいでしょう。大丈夫です。俺が保証します」

 ノイマンがそう言って身体を離した。
 思わず追いかけた腕を何とか自制しながら、ナタルはもどかしげに立ち上がる。
 デスク越しに向かい合って立った二人は、そのまま不器用に笑った。

「では、ケーニッヒ弐等兵を呼んで来てくれるか」

「わかりました」

 ノイマンの優しげな瞳が、静かに彼女を見つめていた。

「それから……」

 ナタルが口を閉ざし、視線を下へ向ける。
 少し崩れ始めた口紅の縁をなぞるように唇を重ね合わせ、彼女は意を決したように顔を上げた。

「フラガ少佐もな」

「わかりました。格納庫の方には?」

「私が通達しておく。明日のシフトから訓練をさせる」

 ナタルの指示に黙って頷き、ノイマンが扉に手をかけた。
 しかし、扉が開く前にナタルの言葉がノイマンをもう一度振り返らせた。

「アーニィ、同席してくれるな?」

 情事の時にしか呼ばれることのない、秘密の名前。
 アーノルド=ノイマンの愛称。

 振り返ったノイマンはただ黙って微笑むと、自分の唇を指でなぞって見せた。
 ノイマンの意図したものに気付いたナタルが、慌てて副長室の奥の部屋へと入っていく。
 彼女の背中が奥の部屋へ消えるのを見送って、ノイマンは手をかけていた扉を開けた。

 伝えたくない命令を伝える為に。

 

 

3

「んじゃ、これからはオレが面倒みるってことか」

「そう言うことになるな。くれぐれも殺さないで欲しい……と言うのは我侭か」

 主のいない艦長室で、一足先に集まっていた仕官組が思い思いの格好でラミアスを待っている。
 既にトールの転属のことは決定事項となっており、フラガは愛用のソファで寛ぎながら、ナタルの
報告に色々と質問を繰り返していた。

「ワガママってわけじゃないだろうけど、さすがに約束はできねぇぜ」

「それくらいはわかっている。ただ、言わなくてはおさまらなくてな」

 仏頂面でナタルがそう答えた時、ラミアスがトールを連れて艦長室へと戻って来た。
 彼女らと入れ替わるように、ノイマンが敬礼をして艦長室を出て行く。

 ノイマンを見送ったラミアスは艦長席に座ると、デスクの中から一枚の書類を取り出した。

「トール=ケーニヒ弐等兵、以下の命令を申し伝えます。本日をもって、この艦での副操舵士を解任。
 明日付けでパイロットへの転向を命じます」

 前もって知らされていたのか、トールが礼儀正しい敬礼でもってそれに答える。
 それを背後から見守るフラガの視線が、苦しげに天井へと向いた。

「トール=ケーニヒ、了解しました」

 トールの返事を受けて、ナタルが転属に伴う細々とした辞令をトールへと告げていく。
 ノイマンの下についていたからか、トールのナタルに対する姿勢は軍人としても立派なものである。

 この分野になるとラミアスにすることはない。
 いつの間にかラミアスの後ろへと移動していたフラガに肩を叩かれ、ラミアスは少しも躊躇うことなく
背後のフラガを振り返っていた。
 背後にあった彼の微笑みにはにかんだ表情を浮かべ、ナタルの声が止むと同時に席を立ち上がる。

「じゃあ、明日からはフラガ少佐についてシフトをこなすようにね」

「はい」

「では、フラガ少佐。あとは宜しくお願いします」

 そう言い残し、ラミアスとナタルが艦長室を出て行く。
 取り残された形で、トールは所在無さげにフラガを見つめた。

「……まぁ、何だ。基本は聞いてんだろ?」

「一通りは。でも、何で俺なんだろうって思ったりも、正直」

 そう言ったトールに席を勧め、フラガは先程まで座っていたソファにだらしなく腰を下ろした。
 トールが椅子を正面に動かして座るのを待って、フラガはトールへ笑顔を向ける。

「お前には道が二つある」

 唐突な台詞に、トールが疑わしげにフラガの顔を見る。
 その視線を楽しげに受け止めて、フラガは言葉を続けた。

「軍人として生きる道。それと、男として生きる道」

「……よくわかりませんよ」

「簡単に言えば、アークエンジェルを守る為に命を賭けるか、ミリィちゃんの為に生き抜くかだよ」

「どっちにしろ、アークエンジェルは守らなきゃダメじゃないですか」

 そう言い返したトールに、フラガはなおも楽しそうに指を左右に振ってみせる。

「軍人として生きるなら、撃墜さえされなきゃいい。本来、階級も弐等兵の君が、パイロットにはなれない。
 当然、アラスカにつけば戦闘機を降りれることになる」

「そうなんですか?」

「そうなの。アラスカに着けば減給処分でも食らうだろうけど、結局はブリッジクルーに戻される。
 それがお前にとっても、ミリィちゃんにとっても一番いいだろうな」

 そこまで言って、フラガは表情を変えた。

「だが、男として生きるなら、アークエンジェルの為に命を賭けなきゃならない。命を賭けて戦いに来る、
 ザフトやその他にいるかもしれない敵の為にな」

「……そこまで考えられませんよ」

「だろうな。でも、心に置いとけ。敵は命を賭けてる。お前は、何を賭けて戦場に出るのか」

 そう言うと、フラガは元の楽しげな表情に戻り、ソファから身を起こした。
 トールを部屋から追い出して、とりあえず自分の部屋に戻ろうとしたトールの横を並んで歩く。

「パイロットは感情の揺れが生死を左右する。妙なことで頭を悩ませるなよ」

「それって、キラのことですか?」

 ズバリと尋ねて来るトールに、フラガは意表を突かれたかのように苦笑を浮かべた。
 兄貴分であると自覚はしていても、やはり友達と言う絆の情報網は彼の想像以上だったのだ。

「まぁ、思春期の男の子だからなぁ。俺みたいにスレるよりゃ、いいんだけど」

「少佐は何を賭けて戦うんですか?」

 フラガ自身、あまりはぐらかしになっていないと思っている台詞を無視して、トールがそう尋ねる。
 今度は少しの逡巡も見せず、フラガはニッと笑った。

「艦長の信頼」

「それだけですか?」

「そ。艦長の信頼と愛を得る為に戦ってるわけ」

「うわ、嘘っぽ」

 そう言って笑ったトールにヘッドロックを繰り出し、トールのギブアップを待つ。
 フラガは自分の腕を叩いてくるトールをしばらく解放せずに、ギリギリと締め付ける。

「余計なこと言う奴は、可愛くないぜ」

「ギ……ギブッ」

「いいや、許さん」

 キラとは全く違うトールの反応を楽しみながら、フラガはトールを連れてブリッジへと進んでいた。
 ミリアリアのいるブリッジへ。ラミアスのいるブリッジへ。ノイマンのいるブリッジへ。

 トールが、彼自身が、護りたい人のいる場所へ。

 

<了>