時計は進む
「……いい風だな」
ほんの僅かな休憩時間を使ってデッキに上がっていた俺は、突然の声に背後を振り返った。
「やっぱり空調の風とは違うよなぁ」
「そうですね」
デッキに上がっているのは、俺と少佐だけ。
格納庫の方では損傷したスカイグラスパー二号機の修理に忙しいらしい。
いつもは何人かの整備員がデッキにいるのだが、今日は彼らの姿を見かけなかった。「戦艦ってのもさ、結局は大きな密室だもんな。言ってみりゃ、大きな棺桶だ」
「さしずめ、俺は霊柩車の運転手ですか」
「いいねぇ。せいぜい道に迷って欲しいもんだ」
俺の冗談に、少佐が声を立てて笑う。
それほど気の効いた冗談でもないが、少佐はほとんどの冗談に対して笑顔を浮かべる。
それが例え、どんなに笑えない冗談であっても。デッキの柵にもたれかかっていた俺の隣で同じ態勢をとり、少佐が胸ポケットを探った。
少しシワになったシガレットケースから煙草を一本取り出し、マッチで火をつける。
少佐の吐き出した煙が、艦の後ろへと流されていった。「……キツイか?」
「飲酒できないことは」
俺の答えに、少佐がまた声を立てて笑った。
本当に女学生のような人だ。そんなことを思いながら、俺は身体を反転させて柵に背中を預けた。
何となく、二人して同じ格好で海を見ている様は、絵にならない気がしたのだ。「随分と暇そうですね」
俺の言葉に、少佐は煙草の煙を吐き出した。
艦内は禁煙なので、外で吸うしかないのだ。
このことはどの戦艦や輸送艦でも共通の認識事項であり、俺も煙草は吸わない。充分と時間をかけて吐き出された煙が、風にたなびいて消える。
煙が消えた後の少佐の目付きは、明らかについさっきのそれとは違っていた。「……お前だけに聞きたいことがある」
鋭い眼光には慣れていると思っていたのだが、相手が少佐ではどうも勝手が違う。
言葉をなくした俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、少佐が煙草の火を揉み潰した。「お前の過去を調べさせてもらった」
「俺の過去を?」
「さすがに、オレも上層部の思惑を考えないわけにもいかなくてな」
そう言った少佐の声色は、限りなく普段のそれに近い。
しかし、笑って済まされない圧迫感が俺を取り巻いている。「パルの奴に手伝ってもらってな。気になる奴の経歴を取り出したのさ」
「……それで、俺が何か?」
少佐が柵から離れ、すでに直立姿勢を取っていた俺と向き合う。
この距離ならば俺が首を持ち上げる必要はないという程度の距離で。「前任部隊が第十一空挺師団。妙だよな、仕官学校も出ていない君が、エリートの空挺にいたなんて」
「たまたま欠員があっただけですよ」
「ナタル=バジルール。仕官学校卒業後に大西洋艦隊に配属」
突如出された中尉の名前に、俺の表情が変わっていたらしい。
少佐が満足げに頬を歪めた。「お前のいた仕官学校はオデッサにあったらしいな。大西洋艦隊のお膝元だ」
「……何を言いたいのですか?」
少し語気を強めたつもりだったが、少佐はまだ調査の結果を俺に教えてくれるらしかった。
「ウェールズ島。まだ戦争が表面化する前に、テロ事件があった所だ」
「そう言えば、そんな島での事件もありましたね」
「よく知ってるんだろ。ウェールズ基地の生き残り……アーノルド=ノイマン」
血の気が引くのがわかる。
この人は、一体どこまで調べ上げたんだ。「仕官学校を中退し、そのまま伍長として配属。航行距離は、どう見ても伍長の域を超えている」
「たまたま……」
たまたまだった。
そう言おうとした俺に、少佐は真剣な表情で指を突き付けてきた。「ウェールズ基地の惨劇はオレでも知ってる。
生き残ったのはたった数名の士官と、十数名の士官候補生だ」「……どこまで知ってるんですか、貴方は」
「お前が特務を受けたのはいつだ? AAの建造計画と同時期じゃないのか?」
どうやら、話が本題に入ったらしい。
少佐がちらりとデッキへ上がるドアの方へ視線を流していた。「軍曹としてのお前の仕事は事務となっているが、そんな奴に新造艦の副操舵士を任せるか?
ついでに言うなら、CICは最初からバジルールが務めることになっていた」少佐の視線が流れた方向へ、俺も視線を流す。
どうやら、艦長や口の軽い連中の気配はないようだった。これ以上、この少佐を誤魔化せそうにはなかった。
「バジルール中尉の父親が将官なのは御存知ですね?」
「あぁ」
「彼女が少尉のままで数年を過ごしたのは、特務をZAFTの連中から隠す為です。
佐官クラスになると、彼らに動向がチェックされる可能性がありますから」「それで?」
「少佐の想像された通りですよ。俺と中尉は最初から特務を受けていた。
もっとも、俺の場合、正操舵士になるのは予定外でしたが」そう言って踵を返そうとした俺の腕が、痛いくらいに掴まれた。
俺を見る少佐の眼は、まだ話が終わっていないと言わんばかりだ。「それだけじゃねぇよな。オレが運んできたのは、少尉になり立ての新兵だ。戦力になる筈もない」
エンデュミディオンの鷹の二つ名は伊達ではないらしい。
味方の時には頼りになるが、敵に回すとこれほど恐ろしいものなのか。仕方なく、俺はため息と共に少佐の腕を振り払った。
黙って従ってくれたところを見ると、ため息の意味は通じていたようだ。「ラミアス少佐は元々開発部から現場に戻らされた、言わばハルバートン提督の身内の人物です。
当然、他の派閥から見れば嫌われる対象になる」「開発部ってのは昇進が早いからな。でも、それは子飼いのエリートならよくある話だろ」
「問題は、ハルバートン提督の任務場所です。宇宙での生命線と言ってもよかった」
「……まさか、ハルバートンの失脚を狙ったのか?」
少佐の見解に、俺はわずかに首を振った。
正直に言って、そこまでの判断を下す情報を俺は持っていない。「詳しいことまではわかりません。ただ、俺は中尉の指示に従うようにとの命令を受けています。
艦長よりも、戦術仕官である中尉の指示を重視しろと」「マジか?」
「元々、艦長に戦術眼はありませんよ。戦場で素人の攻撃が不思議と当たる、例のアレです」
「それはあると思っていたが……じゃあ、お前の上官ってのは、バジルール女史か?」
「上の上の命令では」
そこまで答えると、少佐は大きく息を吐いた。
まだ誰もデッキに上がって来ないのには少々不安を感じるが、気にするべきことでもない。
誰かに聞かれていたところで、どうなると言う問題ではない。「今、艦長を守れるのは俺達だけです。軍が静観を決め込んでいる間は、俺達の背中は無事です」
「バジルールが子供達の退艦を拒んだのは……」
「バランスが崩れれば、軍が動き出す可能性があります。現在の状態を崩すべきではない」
「あいつらはここにいた方が安全だってのか」
「少なくとも、トールとサイは。彼らはプログラム弄ってますからね。特に、サイはガンダムまで触った」
宇宙で彼らが残ってくれた時に、彼らの運命は決まったのかもしれない。
彼らは不安定な戦艦で生きる道を選んでしまっている。
道は、もう戻れないだろう。「……元々、期待の星と煙たがられてる者が入り混じった特務なんです」
「上はガンダムの試験運用に懐疑的だった、てことか」
「おそらくは。上手くいけば、艦長派以外のクルーがその恩恵に預かるようになっています。
艦長と副艦長は責任を取って、ね」「機密漏洩は艦長だけの首を絞めるのか」
「ラミアス少佐を提督との取引に使うつもりだったのでしょう。
ですが、今となってはどうなるかわかりません。
だから、中尉は必死に艦長の越権行為を止めようとしたんです。今の艦長には後ろ盾がいないから。
中尉は無事でしょう。ただ、艦長だけが腹を切らされるってのは我慢できませんよ。
例え上がどう思っていようと、俺達は同じ戦場で戦っている。派閥なんて関係ないんです」そこまで話したところで、少佐が再び煙草に手をやった。
話は終わったということなのだろうか。「しかし、まぁ……お前が何でそこまで知ってんだよ」
話は終わったんだろう。
少佐は再び海の方へ煙を吹き出していた。何となく去りがたい雰囲気を感じて、俺も再び柵へと背中を預けた。
「さぁ、何ででしょうね」
「一日遅れの昇進の意味も知りたい」
「仕官学校中退、でしょう」
「中尉とはもうヤッた?」
……この人は、一体どれだけの落差を持っているんだろうか。
前言撤回だ。
この人は味方でも敵でも面倒なんだろう。「自分の女は自分で守る。男として当然でしょう」
「お、上手いはぐらかし方」
少佐が声を立てて笑った。
先程までの空気を全く感じさせない笑い方だった。「……んで、良かった?」
「少佐、それ、セクハラです」
今日、初めて少佐の顔色が変わった。
それも一瞬のことで、少佐はまた笑った。「げぇ……バレてんの? オレがマリューに言われたこと」
「まぁ、それなりに」
初めて、クスクスと笑えた。
こんな気分にさせてくれる男だから、きっと俺も頼ってしまっているのだろう。ラミアス少佐とバジルール中尉に挟まれた感情は、ちっとやそっとじゃ落ち着けない。
でも、少佐といれば……。「難しいねぇ、女の人って。仲悪いかと思えば、そんなことまで話しちゃってさ」
「基本、仲は良いんですよ。そうじゃなきゃ、とっくに中尉は見捨ててますよ」
「そうかもなぁ……」
まだまだわからないことも多い。
一寸先は真っ暗闇だ。でも、俺は前に進む。
彼女を守る為。
愛しい後輩を守る為。
尊敬する上官を守る為。そして、止まらない時間を進む為に。
<了>