平凡だから


 機動戦艦・アークエンジェル。
 建造当初に搭乗を予定されていた将校の多くが、ザフト軍の急襲により死亡。
 出港時に生き残った将校は、二人の女性士官と成り行き上配置転換となった一人の士官の計三人。
 結局は彼らが指揮をとることで、アークエンジェルの指揮系統が成立した。

 将校の多くが死亡したのに比べ、下士官組は多数の人間が生き残った。
 そして今も、主要人員として戦艦を動かしている。
 俺、アーノルド=ノイマンもその一人である。

 尤も、現在の俺は少尉という階級を得る機会に恵まれ、現在は五人いる士官のうちの一人だ。
 だからと言って、俺に作戦上の権限は全く無いと言っていい。
 艦長であるマリュー=ラミアス少佐、副官であるナタル=バジルール中尉、エースパイロットであるムウ=ラ=フラガ少佐が作戦を立案し、実行しているのだ。

「……いいの?」

「誕生日だろ。去年みたいに色々できないんだけどさ、何かしたくてさ」

「高かったんじゃないの、このペンダント」

「最初の給料使っちゃった。どうせ引き下ろしても、この艦に乗ってる限りは使い道ないし」

「ありがとう! ね、つけていい?」

 そして忘れてはいけないのが、この戦艦に乗っている志願兵の子供達だ。
 新型MSを自由に操ることのできる唯一の人間、キラ=ヤマト。
 彼を一人で戦わせるわけにはいかないという理由で、彼の友人達もこの戦艦に乗り込んでいる。

 人通りの少ない士官居住区で先程から恋人の会話を繰り広げているのが、トール=ケーニヒ、ミリアリア=ハウの二人。
 勿論、彼等もちゃんとしたブリッジクルーである。

 少々羨ましい気がしないでもないが、トールとミリアリアはブリッジの清涼剤でもある。
 何やら混沌としている子供組の中で、俺達が余裕をもって見ていられるのはこの二人だけだ。
 キラ=ヤマトは俺の目から見れば不安定だし、カズイもそうだ。
 フレイ嬢にいたっては何を考えているのかさっぱりだし、アーガイルは気の毒に思えて仕方ない。

 他人から冷やかされないようにこの場所を選んだのかどうかはわからないが、とりあえず一声掛けることにしよう。

「ペンダントか?」

 どうやら、俺の存在には全く気付いていなかったらしい。
 突然の声に慌てたトールが、さっとミリアリアを背後にかばう。

「あ……少尉」

「いらっしゃったんですか」

 二人とも、少し頬が赤いぞ。
 大体、通りかかったのが俺だったから良かったものの、中尉だったら説教ものだ。

「誕生日か。おめでとう」

「ありがとうございます」

「折角の日に、大変だな。何なら、俺の部屋を貸してやってもいいぞ」

 誕生日に恋人と二人きりの食事もできないのは、どう考えても不憫だ。
 トールにしてもミリアリアにしても、必死で頑張っている。
 これくらいは御褒美があってもいいだろう。

 案の定、トールとミリアリアが嬉しそうな表情を見せる。

「いいんですか?」

「でも、少尉は……」

「どうせ、俺は夜勤シフトだからな。夕食くらい、二人きりで食べろよ」

 少し期待させ過ぎたか?
 トールが「やっぱりそれだけ?」といった表情に変わる。

 いじめるつもりはないが、どうもトールの奴はいじりやすい。
 俺に弟がいれば、こんな奴なんだろうか。

「ま、一晩中いてもかまわないけどな」

「し、少尉ッ」

 赤くなって反抗してくるトールを笑い飛ばして、俺はさっさと二人に背を向けた。
 後ろでトールが何やら言っているが、特に気にすることはないだろう。

 二人をからかったせいか、気分が軽い。
 いくら慣れてしまったとは言えど、さすがに舵を握ることの重圧がなくなるわけでもない。
 それでも、今日はそれほど気分が沈むことなくブリッジの扉が開くのを待てたように思う。

 ブリッジに入ると、操舵席に座っていたフラガ少佐が軽く手を挙げて俺を呼んだ。
 現在は自動航行システムが作動しているので、少佐は時折航路のチェックをするだけで済む。
 口喧しい中尉がいない今、少佐は雑誌を片手に読みながら、操舵席に腰を下ろしていた。

「バジルール中尉がいたら叱られますよ」

「ちゃんと航路はチェックしてるから」

「じゃ、交代です」

 雑誌をたたみ、少佐は席を立ちあがると、大きく背筋を伸ばした。
 少佐が艦長席に行くのを見送って、俺は自分の仕事場に戻った。

 背後から、少佐の場違いなほどに明るい声が聞こえてくる。
 少し早めに来たせいか、俺と同じシフトである筈の中尉の姿は見えない。

「だからぁ、少しくらいはいいだろ?」

「ダメです」

「そんなこと言わずにさぁ」

「私はまだ仕事中です。交代されたのなら、先に休憩に入って下さい」

「つれないねぇ……なぁ、パルゥ」

 艦長にかわされたせいか、少佐が近くにいたパルにちょっかいを出し始める。
 全くもって迷惑な人だ。

「ノイマーン、お前もそう思うだろ」

 パルにも無視されたせいか、次は俺が呼ばれた。
 本当は相手をする義理もないのだが、あまり放って置くとすぐにいじけるからな。

「艦長がシフトを終えるまで、そこで待っていたらどうですか」

 俺がそう言った途端、思わず冷や汗が出るような殺気が背後から叩きつけられる。
 これほどの殺気を出せるのは、アークエンジェルに乗員多数いれど、艦長しかいない。
 中尉の殺気では、ここまで心を抉られるような感覚がないのだ。

 こんな時に中尉がいれば、あっさりと少佐を追っ払ってもらえるのだが。

 俺がそう思った時、タイミング良くブリッジの扉が開く。
 バジルール中尉だ。

「……遅くなりました」

「バジルール中尉、ご苦労様」

 俺の背後からの殺気が消えた。
 それを感じたのか、パルがCICから姿を現して報告を始める。

「今のところ、問題ありません。ソナー、レーダー、共に反応なし。航路においても異常ありません」

「御苦労。パル軍曹も休憩に入ってくれ」

 再度ブリッジの扉が開く音がして、足音が一つ遠ざかっていく。
 それに続くように、少佐の声と艦長の溜息が扉の向こうへと消えた。

 途端に静かになったブリッジで、俺は自動航行システムの見直しを始めた。
 いくら問題が生じていないと言っても、やはり少しずつ修正しなければならない。
 それは俺の役目だ。

 データをディスプレイに表示させたところで、中尉が艦長席から声をかけてきた。

「ノイマン少尉」

「何ですか?」

「ケーニッヒ弐兵が腹痛の為、今夜のシフトは我々二人で行うことになった」

 トールの奴、シフトが入ってたのか。
 まぁ、今日はミリアリアの誕生日だし、多目に見てやってもいいだろう。

「了解しました」

 ……何か変だったか、今の受け答え。
 中尉が艦長席を降りて、こちらに歩いてくる。

 背後からは座席に隠れて見ることはできないだろうが、わずかに俺の両肩が上がっているのがわかる。
 緊張しているのだろう。トールの欠勤の理由を知っているからだろうか。

 中尉の足音が近くで止まったのを聞き、俺は思わず背後を振り返っていた。
 そこにいたのは、少しはにかんだ表情を見せているバジルール中尉だった。

「……私も、甘くなってしまったようだな」

「……トールのことですか?」

「あぁ。ハウ弐兵の言い分を聞いてしまった」

 はにかむのは、彼女が困っている証。
 本当に困ったことがある時、はにかんでしまうのが昔からの彼女の癖だ。

「誕生日くらいは多目に見てやって下さい」

「戦闘になれば戻って来るようには伝えたがな」

「戦闘が起きないといいですね。折角の誕生日に……可哀想だ」

 心からそう思う。
 戦争に巻き込まれさえしていなければ、彼らはいつものように誕生日を祝っていただろう。
 それなりのレストランで、それなりの雰囲気の中での食事。

 今は、それすらも叶わない。

「誕生日くらいは祝ってやりたいですよ」

「……少尉には、祝ってやりたい女性がいるのか?」

 あまりにも俺が愚痴をこぼし過ぎたせいだろうか。
 中尉のはにかんだ表情は消え、いつもの少し冷たい表情に戻っていた。

「今は、ね」

「そうか。だが、今のままではお前がこの艦を降りることは不可能だ」

 そう言って踵を返そうとした中尉の腕を、俺は咄嗟に掴んでいた。

 誰もいない。
 誰もこない。

 ブリッジで、これからの数時間は俺と中尉だけ。
 俺とバジルール中尉だけ。

「……何だ?」

 いいのだろうか。

 いや、いいんだ。

「……ぅんッ?」

 腕を掴まれて不安定な態勢だった中尉を強引に抱き寄せ、唇を奪う。
 誰も見ていないんだ。ブリッジには俺達しかいない。

 長時間同じデータを映し続けていたディスプレイを守る為、スクリーンセイバーを作動させる。
 機械の動く無機質な音をバックに流しながら、俺はゆっくりと中尉の唇を開放した。

「……任務中だ!」

「失礼しました」

「貴様、上官に対して何を考えていたのだ!」

 中尉、頬が紅いです。
 その色は、ますますそそる。

 大体、少しは男ってものをわかってやって下さい。
 二人きりで数時間も同じ場所にいる。
 欲望を抑えるためには、最初が肝心なんです。

「すいません」

「まったく……貴様は盛りのついた猫かッ」

 そこまで言われることは……あるかな。
 でも、男はいつでも狼。獲物を狙う狼。

「これきりです。ミリアリアの誕生日祝いということで」

「私に祝われても困る!」

 その通りです。
 でも、幸せはお裾分けされるものだと思いませんか?

 スクリーンセイバーを作動させていたディスプレイの表示を元に戻し、あらかじめ見つけておいた訂正箇所を修正する。
 いくらなんでも、自分の恋路で戦艦を危険にさらすほど愚かではない。
 スチャラカ少佐と同程度に扱われるのは癪だが、俺も”することはする派”だ。

「……自動航行システムは順調か?」

 先程までの動揺の混じった声ではなく、戦術指揮官としての声。
 元々は切り替えの早い方だ。
 贔屓目に見れば、軍人としての能力は艦長など足元にも及ばない。

「今のところは」

「レーダーで見る限りは順調な航路を進んでいるようだが」

「北極星の位置から正確な経度を計測してみないことには」

 今も昔も基本は同じ。
 北極星の角度から自分達のいる場所を割り出すのだ。

「やれるな?」

「じゃあ、しばらく舵をお願いします」

 中尉に席を譲り、俺はCICの方へと上がっていく。
 自動航行システムだから、中尉でも舵は取れるだろう。

 静まり返ったブリッジに響く、キーボードを叩く音。
 俺にとってはこれ以上ない重奏が、あと数時間は奏で続けられることだろう。

 

<了>