君の腕が
アークエンジェルは慢性的な人手不足である。
佐官が二名、尉官が三名、下士官が十数名。
ブリッジに至っては、現地調達の志願兵をメインスタッフに加えて航行する有様である。
「……半休しか取らせられないなんてね」
自分で組んだシフト表を目の前にして、艦長であるマリュー=ラミアスは盛大な溜息をついた。
少佐として全艦の指揮を執るラミアスの悩みの種は尽きず、溜息はどうにも止まる気配がない。「仕方ないだろう。整備班なんて、半分以上が仮眠だけで一週間を乗り切ってるんだぜ」
ラミアスに特製のコーヒーをいれてやりながら、パイロットであるムゥ=ラ=フラガはラミアスの溜息に
肩を竦めながら言い返す。
ラミアスにしても返ってくる言葉は予想がついていたのか、それほど気にする様子はない。
だが、依然としてかなり無理のあるシフト表は変えようがなかった。「私やナタルならともかく、子供達までが半休しか取れないと言うのは……」
「どっかに変調をきたさなきゃいいけどな」
「ですよねぇ……はぁ」
フラガからコーヒーの入ったカップを受け取り、そのまま口に運ぶ。
独特の苦味が舌の上に広がり、ラミアスはしばしその感覚に浸ろうとした。
だが、瞼を開いている限りはシフト表が嫌でも視界に入ってくる。
ラミアスとしては、カップ越しにシフト表を睨みつけるしかなかった。「戦闘の後には必ず休ませるようにして、なるべく息を抜いてやることだな」
フラガの言葉に一度は頷いたラミアスだったが、すぐに首を横に振った。
「戦闘の後の休みは、既に取らせています。それだけでは足りませんよ」
「仕方ないさ。使える連中だからな」
「そうですね。助かっているのだけど、逆に縛らなくてはいけなくなってしまって……」
ラミアスが再びガックリと肩を落とす。
フラガ以外に誰にも見られることのない艦長室でなければ、これほどのアクションはとれない。
ラミアスにとって、艦長室は最大の憩いの場であった。ぐったりと机に突っ伏してしまったラミアスを、フラガがわずかに抱き寄せる。
無言でフラガの胸に肩を寄せたラミアスは、シフト表が皺にならないように机の端へと寄せた。「これを発表するの、かなり疲れるわ」
「戦闘がなけりゃ、俺がブリッジに詰めてやるよ。順番に休ませればいい」
「それでは少佐が……」
突っ伏した態勢のまま、フラガへと肩を寄せていたラミアスが、フラガの言葉に顔を上げる。
自分を見つめるラミアスの視線に微笑みかけ、フラガはコーヒーカップを高く持ち上げてみせた。「俺はこの時間で充分休めるさ。ブリッジの中でも、バジルール中尉と一緒じゃなければね」
「もぅ……頼ってよろしいのですか?」
苦笑しながらも、ラミアスはフラガにそう尋ねた。
もちろん、フラガが断る筈もないことを確信していながら。自嘲の念がラミアスを苦しめる。
その自嘲の念さえも抱擁するようなフラガの腕の温かみは、彼女にとっての麻薬。
ラミアスの自嘲や苦しみを彼に漏らすことを躊躇わさせない、フラガの強さ。「頼ってちょうだいな、艦長さん」
わざと軽々しくそう答えたフラガに言葉が詰まってしまったのか、ラミアスは黙って頷いていた。
彼女をそれ以上苦しめないようにと身体を離して、フラガがシフト表を手に取る。
フラガが一通り目を通したのを確認して、ラミアスは再びコーヒーへと手を伸ばした。「……ノイマンの奴、来週は半休も無しか」
「ナタルを通しての申し出がありました。操舵士である自分がブリッジを離れるわけにはいかないと」
少し冷めてしまったコーヒーは、苦味だけをラミアスの舌に残していく。
インスタントのコーヒーでは焙煎の香りもあったものではないが、どこか辛味さえ感じさせるその香りに、
どことなく寂しい気持ちをラミアスは感じていた。「無茶だぜ。操舵なら俺も出来る」
「フラガ少佐を疲れさせるわけにはいかないと。トール君の教育の方をお願いしたいそうです」
ラミアスを通じて、アークエンジェルの操舵長・アーノルド=ノイマンの覚悟を知らされ、フラガが頭を掻く。
「ノイマンの奴、そこまで言いやがったのか」
「えぇ。ナタルもミリィとカズイ君の教育を一人で受け持つと」
「たはぁ……よくやる」
実際、トール達の志願兵四人は当然訓練をする必要がある。
トールの操舵技術、ミリィの兵機種の知識、カズイの対空砲の制御。
辛うじて特別な訓練を必要としないサイにさえ、常にマニュアルを読破させているのである。
否、普通の学生をしていた彼らがブリッジクルーを勤めていること自体が驚異的とも言えた。「潰れるな。こんなことが続くと」
「わかっています。本当、どうにかしたいのだけど」
「ギリギリの人数なのはわかってるんだ。何か策を考え出そう」
「えぇ。そうしないといけませんね」
”どうにかしたい”
”何とかなるさ”何度も口にしていると、言葉の意味が薄くなる。
そんなことは、二人とも嫌というほど知っている。それでも言わなければならないほど、事態は切迫しているのである。
勿論、彼女達が疲労を覚えない超人である筈もなく、事態は遅々として好転する兆しを見せない。フラガとラミアス。
二人の少佐は幾度となくついた溜息と共に、お互いの温もりを感じながら一時の休息を取っていた。
共に感じる腕の温かさを、唯一の休憩場所として。「何とかしてくれるって……信じています、少佐」
「何とかして……帰ってくるさ、絶対にな」
溜息とは違う、希少な言葉。
二人だけの時に伝える、二人だけの言葉。
幸運の天使と天使の騎士は、互いの腕に抱かれながら静かに瞳を閉じた。
<了>