自然の理


 

「少しばかり、面倒な事態だね」

「そうでしょうか」

「ギムレーなどという邪竜、想定外だよ」

「もっと想定外のこともありましたわ」

「まぁ、そうだね」

 当初の目論見だった祖領の回復だけでは済みそうもない事態に巻き込まれ、私は深く息を吐いた。

 目の前に座るセルジュくんは、何故か楽しげな表情を浮かべているが。

「それで、例の件はどうなりましたか」

「あぁ。非常に不本意な結果と言えるだろうね」

「どういうことかしら」

「ギムレーの影響は、思っていた以上に大きいということだよ」

「それは、戦闘の面に関してかしら」

「そちらは問題ないだろうね。想定外は、こちらの戦力に関しても同じことが言える」

「異次元から来た子供たち、ね」

「そうだね。特にルキナくんは非常に優秀だよ」

「あら、妻の私の前で堂々と浮気かしら」

「勘違いしないでくれたまえ」

 とりあえず、その手の斧はしまってくれるかな。

 それに何やら、背後からの殺気も凄まじいものがあるのだがね。

「まさか、あの娘を犠牲にすることも厭わないとか言い出したりはしないわよね」

「それは魅力的な提案だね、セルジュくん」

「あらあら。クロムさんに注進しなくちゃいけないわね」

「止めはしないがね」

 私にはむしろ、彼女はその命を持て余しているようにも見えるのだがね。

 異次元からきたというクロム王子の娘さんは、非常に追い詰められたものの考え方をする。

 死地へ赴くことになろうとも、むしろ志願して名乗り出てしまうほどに。

「あのマークという娘はどうかしら」

「色々と間者の可能性も疑ってみたがね。記憶喪失は演技では無さそうだ」

「あとの子たちも、間者とは思えないわねぇ」

「それに、君がミネルヴァくんを見間違うはずもない」

 ジェロームという竜騎士の愛竜。

 その愛竜は、間違いなくセルジュくんの愛竜らしい。

 少々、大人びた瞳をするようになったらしいが、まず同一個体ということだった。

「好物は真似できるものではないわ」

「傷形よりも正確なのかね」

「えぇ。嗜好そのものは変えられないもの」

 何でも、竜にも好物が存在するらしい。

 セルジュくんの人を見る目は疑わしいが、竜を見る眼に間違いはない。

「それなら、どこに問題があるのかしら」

「土だよ」

「土」

 おうむ返しに尋ねてきたセルジュくんに、私は両腕を広げて見せた。

「土の栄養が極端に薄くなっているらしい」

「邪竜の影響なのかしら」

「今、土壌のサンプルを取り寄せている。ドニくんに判断してもらえば、その影響の範囲は推測できるだろう」

「土は重要な問題ね」

「あぁ。戦後のことを考えると、頭が痛くなるね」

「そちらのほうも動き出すことは可能かしら」

「難しいね。戦争をしている最中に、土に注目できる為政者は少ない」

「祖領の者たちに伝えてみては」

「逃げ出した領主に従う者がいるのかね」

「それはわからないわ」

「だとすれば、もう一つのアプローチが必要ということだ」

 そう、為政者が土に目を向ける事実だ。

 しかし、私たちが先んじていなければ、その利益も薄くなるというもの。

 問題は種だ。

 やせ衰えた土でも育成が可能な種。

 それがなければ利益をうむことなどできはしない。

「ジェロームくん、いるのだろう」

 そろそろ背後から出てきてくれたまえ。

 微妙な殺気は、居心地が悪いのだよ。

「……何か」

「君たちの世界で、糧食のメインは何だったのかね」

「……この世界と変わりはないと思うが」

 異次元の世界とこの世界との差異に敏感な君がそう言うのなら、糧食は足りていたということだ。

 そうであるのなら、現行の種でも生育は可能ということかな。

「君たちの世界では、土に変化はなかったのか」

「オレにはわからん」

「ジェローム」

 不躾なジェロームくんの返事の仕方に、セルジュくんが不満を顔に出す。

 そうやって躾けていくつもりなのだろうね。

「では、屍兵は何を食べていたのかね」

「……奴らの食事など、見たことはない」

「偵察任務を負う君が、一度も見たことはないと」

「ないな」

「もう一つ。これはセルジュくんにも聞きたいのだが、最近の屍兵は強くなっていると思わないかね」

「思うわね」

「……オレの世界の奴らに近付いているようだが」

 ふむ。

 やはり、ジェロームくんは私の疑問への答えを知っているというわけだ。

「屍兵は土を食むのだね」

「土を、食べているの」

「……知らん」

 どうやら、仮面は視線の動きを隠すためのものか。

 首の筋肉などは、意識的に動かさずに訓練できるものだからね。

「屍兵が生物であるかはともかく、何かが動くためにはエネルギーを要する」

 これは物理法則だ。

 魔力といっても、そのエネルギー源は魔道師の生命エネルギーにある。

「だとすれば、そのエネルギー源を経てばいいと考えたのだが、土を食まれてはね」

「大地のエネルギーを源にするのなら、それは際限がないことになるわ」

「そして、そのエネルギーを食む親玉は、このような平地にいるわけがない」

 そう。

 大地のエネルギーが最も大きい場所にいるだろうね。

 私の言いたいことが通じたのか、セルジュくんが口許に微笑みを浮かべた。

「火山」

「素晴らしいよ、セルジュくん」

「一週間くらい、時間は取れるかしら」

「さすがに一人では行かせられないよ」

 できれば、杖の使える人間も同行させたいところだ。

 欲を言えば、あまりクロム王子に近くない者で。

「……ロランに話をつける」

「大丈夫かな」

「真理を追究するためなら、あの男はついてくる」

「では、交渉は君に任せるとしよう」

「いいのか」

「君も知りたいのだろう」

「……あぁ」

 そして、覚えておきたまえ。

 君の父親は、利益と情を天秤にかけることすらなく、躊躇いなく利益をとる人間だと。

「どれぐらい時間がかかるかな」

「一晩あればいい」

「では、すぐに行きたまえ」

 ジェロームくんを追い出した私を、セルジュくんは意地の悪い笑顔を浮かべながら見つめていた。

「何かな」

「嬉しそうね」

「あぁ。まるで若い自分を見ているようだよ」

「そうかしら。貴方はもっとひねくれていたわよ」

「そ、そうかね」

「えぇ」

 あまりに話題に上げられることがなかったので心配していたのだがね。

 どうやら別の世界の私は、ジェロームくんにまともな背中を見せていたのだろう。

 あの子の背中には、私たち二人の影がある。

「明日から、ここを離れるわね」

「気をつけたまえよ」

「えぇ。何かあれば、あとはよろしく」

「任せたまえ」

 そう答えて、私は部屋の灯りを消した。

「おやすみなさい、ヴィオールさん」

「いい夢を」

 愛しているよ。

 触れるだけの唇に、そう、想いを込めて。

 

<了>